竜使いの巫女 前編 竜の星の夢
この物語は「安寧の巫女」の最終話から十数年ごの物語。
もし、お読み頂いておりませんならば、先にお読み頂く方がよろしいかと存じます。
「竜使いの巫女」というタイトルですが、残念ながら竜を召喚して闘う巫女のお話では御座いません。悪しからずご了承の程を。
最後までお読み頂くと、「龍使いの巫女」の意味が判る趣向。
例によって、作者も物語の展開を書いてみるまで判らぬ仕立て。
どう物語が転がるかは、読んでみてのお楽しみ。
■プロローグ
夜明けの前兆の薄暗い空の光が、うっそうと生い茂る木々の隙間を縫うように進み、玄雨神社の境内を朱に染め始めた。
玄雨雫は朝の気配に気付くと、床を出て巫女装束に着替える。長い黒髪を一つ縛りに纏め、その根元に朱色の品の良い串を刺した。
12月の朝の空気は引き締まり、肌を緊張させる。
その外見は17、8歳に見える雫だが、不老不死の巫女。その齢は数百年に及ぶ。「日の本の国の神」を自称する女神である。
玄雨神社には舞い舞台がある。そこで夜明け前に一差し舞おうと、雫は考えた。
そして、弟子であるアカネ・ゴールドスミスの部屋の前を通った時、妙な気配を感じ取った。だがそれは極僅かであり、雫の脳裏にほんの僅かの疑念を抱かせるに留まり、その歩みを止めるには到らなかった。
舞い舞台脇に着いた雫は一差し舞う。舞う内、体も温まってゆく。
一差し舞った雫の所にアオイ・ゴールドスミスがお茶を持って現れた。
年の頃は10歳くらい。まだ少女であるとともに中性的な雰囲気を漂わせている。金髪と青い目の色の対比が美しい。雫同様巫女装束に身を包んでいる。ふわふわとした金髪は束ねず、背に流している。
雫は舞台下手袖に移ると正座した。アオイも後に続く。
「ありがとう」
礼を言うと、雫はアオイが持つ盆からお茶を受け取り、一口飲む。
「ふぅ、温かい」
ほっとするように吐き出された白い吐息が宙を舞う。
「一差し舞って、体はもう暖かいのではと思ったのですけれど、まだ冷えてたのですか」
10歳にしてはアオイの物言いは大人じみている。
「体を動かして感じる熱と、美味しいお茶を飲んで感じる熱はまた、異なる物」
静かに微笑むと、左手で持つ茶托の上に湯飲みを置いた。雫の動きが少し止まる。
「どうかなさいましたか? 雫師匠」
アオイが怪訝な顔をして尋ねた。
「いや、そう言えばいつも一緒にいるアカネがいないなと、今更ながら気がついた」
「そうですね。いつもなら私と一緒の時に起きてくるのですけど、あの子、どうかしたのかしら」
少しばかりまゆ根を寄せて、アオイは呟いた。
「その物言いは、まるで子供の事を心配する母親のようだよ」
「母親ですもの」
そう言うとアオイはちょっとばかり困ったような表情になった。
「まったく、からかわないでください、雫師匠」
ちょっと頬を膨らませている。
「そういう所は体の年齢相応だな」
くすりと雫が笑みをこぼす。
「仕方ありません。セリスはアオイと一つになっているんですから、そういう事もありますぅ」
「その所作はセリスが小さい頃とそっくりだ」
懐かしそうに雫は言った。
「子供は産みたいが、巫術師は続けたい、それを成すとは、とあの時の驚きは今も良く覚えているよ」
「アオイが私、セリスを受け入れて、私は私を産んだんです。アカネと一緒に」
雫はその時の事を回想した。
■アオイとアカネ
どうしても玄雨神社で産みたいとセリスが言うものだから、玄雨神社の一角に、簡易とは言ええらく立派な医療施設ができ上がった。セリスの出産専用のものだ。専用なので分娩室に病室、新生児室が組み込まれている。立派な上に贅を凝らしと作りであり、ファイブラインズ社の最高技術の粋で作り上げられている。
『ここの霊脈は濃い。無事生まれる筈だ』
『そうは言っても産むのは私でもあるのよ、雫ぅ』
セリスの体には、その母親のアリス・ゴールドスミスが憑いている、といういうよりも、アリスとセリスは一つの体を共有している。
アリス・ゴールドスミスはファイブラインズ社の社長で、世界経済どころかほぼ世界を支配している。自称「西洋の女神」。
アリスは出産用の分娩室に、雫は舞い舞台の下手の板張りの上に座布団を敷いて座っている。
雫とアリスが初めて出会った時、互いの心の一部が繋がり、心の声を伝えあう事が出来るようになった。これを「リンク」と彼女達は呼んでいる。そのリンクを通じて声を出さずに二人は会話していた。
人ならざるアリスも雫と同じく数百年を生きている。
だが、アリスは雫と違い不老不死ではない。ではどのようにして生き続けているのか。
アリスが死ぬと、その子孫の内もっとも若い女性がアリスになる。そして元の女性の人格は失われる。
その失われる筈だったセリスの人格は残り、アリスと体を共有する、という事になったのだった。
『セリスを代理母に産ませたツケが回ってきたという訳だなアリス』
雫のリンクの声に、なにやら嫌な笑みが含まれているのをアリスは聞き逃さなかった。
『因果応報とでも言いたいワケ!』
『そう言っている』
『何よ雫! これから出産しようという女性に向かってそのセリフは酷くない!?』
『それくらい元気があれば問題ない。……ところでセリスの声が聞こえないが』
アリスと体を共有しているセリスもアリスのリンクを通じて雫と会話する事が出来る。その声が聞こえないと、雫は不審に思ったようだ。
『……!……セリス?…セリスがいない!?……声が聞こえない』
アリスの狼狽した声をリンク越しに聞いた雫の顔も強ばっていく。
『……あ、産まれそう、セリスの事は心配だけど、今は出産に集中しないと……セリス……』
アリスからの声はそれで途絶えた。
普段はしゃぐ事や怒る事は有っても取り乱す事は無いアリスの狼狽。
そして出産が重なるとは、と、雫はつい自分の顎を触っているのに気がついた。
まるで、話に聞く出産時の父親、の様だな。
所在ない、と雫は思った。
一方分娩室のアリスは、ほぼ無痛で分娩を終えようとしていた。
だが、その知らせを雫に伝える事は出来なかった。
と言うより、知らせるのを忘れるほどの出来事が起こっていた。
産まれたのはアリスと同じ金髪の可愛らしい女児。
だが、産まれた途端、その子がアリスに話しかけてきたのだ。
『ママ、セリスです。セリスはこのこの子の中です』
新生児特有の鳴き声をBGMに、セリスのリンクの声がアリスの頭の中に響いた。
自分の中にいなくなったセリスが、赤ん坊の中にいると、その赤ん坊がリンクの声で言っているのだ。
目が点になり、頭が真っ白になる、というのを文字通り行っているアリス。
あんぐりと口が開きそうになる。が、アッパーを喰らって意識が飛びそうになったボクサーが歯を食いしばって意識をつなぎ止めるかのように、ぎっと口を閉じると、歯と歯を打ち鳴らすカチンという音が分娩室に小さく響いた。
『セリス、なの!?』
『はい、ママ。そうなの、セリスここにいるの』
その後、リンク越しにノイズのような音がアリスの頭の中に響いた。
『あ、この子が何か言おうとしてるんだけど、言語中枢がまだうまく機能してないからこんなノイズみたいな音になっちゃうみたいなの』
アリスの頭は更に混乱した。が分析家で頭脳明晰なアリスは直に事象の分析に取りかかると、一つの仮説にたどり着いた。
『雫!、今の聞いた!?』
『何をだ?アリス、黙ったきり何も言ってこないと思ったら、第一声がソレか?大丈夫か?』
黙り込むアリス。比較対象の雫からの情報で、自分の仮説が正しい事が立証された。
とすると。
いくつかの事をアリスは思い出しながら、仮説を検証する。
『セリス、もしかしたら、だけど、この子がお腹の中にいる時、ときどき、ママの体からその体に移ってたりした?』
『……良く判らないけど、ときどき、温かい液体の中に浮かんでる感じがした事があるよ』
『やっぱり。その時、セリスはその子の中に移ってたのよ。そして、産まれる前にもそうなって、そしてその子と共に産まれた』
その時、目をつむっていた赤ん坊が目を開いた。
その目を見て、アリスは息を呑んだ。
目の奥に青白い光が視えた。
気脈の光だ。
という事は。
『セリス、ママが見える?』
『ごめんなさい、まだ視覚系が上手く機能しないみたい。すっごくぼんやりとしか見えない』
『あのね、セリス、その子の目から気脈の光が視えるの』
『!』
セリスもアリスが何を言おうとしているのか判った。
『灯ちゃんと同じって事?』
灯とは二代目時の女神、かつて地球をスーパーソーラーストームから救い、時の狭間に消えた女神。
『そう……みたい。生まれながらの巫術師、なのよ。……あ!』
『どうしたのママ!』
『もう一人も産まれたみたい』
双子だったのである。産まれた子供をスタッフが取り上げると、アリスに見えるようにと位置を変える。
黒髪の可愛らしい赤ん坊だった。そして、その子は鳴き声を上げるとすぐに目を開けた。
その瞳の奥に、アリスは青白い光を視たのだった。
この子も。
そして、その瞳を見つめる内、青白い光がぼやけるように消えて行くのが判った。
『……』
『どうしたのママ?』
『この子も生まれながらの巫術師みたい。それと……』
なんとなくセリスはアリスの言いたい事が判った気がした。
『ママ、もう完全に巫術師じゃなくなったみたい』
『気脈も視えなくなったのね……』
『そうね。妊娠した時から段々気脈が操れなくなって行って、最近は視えるだけだったけど……』
巫術師は女性でなければならず、さらに、乙女でなくてはならない。子を授かると、巫術は使えなくなる。
『!』
そこでアリスは一つの事に思い至った。
『セリス、気脈は視える?』
『うん。物はよく見えないけど、気脈は良く視えるよ、ママ』
『操れる?』
『……う〜ん。手足が上手く動かせないから、まだダメみたい』
『セリス、最近も、セリスの時はまだ気脈が操れてたのって、もしかしたら……』
『あ、この子が力を貸してくれていたのかも』
『この子、のままじゃ可哀想ね。診断で双子の女の子と判っていたから、いくつか名前を考えていたんだけど……』
その時、セリスが宿る赤ん坊の髪の毛の色が青い色に変わった。
『セリス! 今何かした?』
『どうしたのママ? ちょっと指だけでも動かして気脈が操れないかとやってみたら、少し上手くいったの』
『今、その子の髪の毛が一瞬青くなったの。すぐに金髪に戻ったけど』
『あ、あたし金髪なんだ』
言うのを忘れてたとアリスは思ったが、すぐに思考を建て直す。
『この子の名前、「アオイ」にしましょう。青い花の日本語名』
『アオイ、良い響きね!ママ!良い名前をありがとう!それから……』
そう言うとセリスは少し黙った。
『あたしを産んでくれてありがとう、ママ』
アリスは胸が詰まるのを感じた。セリスは代理母に産んでもらった。
大きくなるまで子育てもしなかった。それは仕方の無い事だったのだけれど、アリスの中では罪に近い感情となって燻っていた。
その贖罪を果たしたのだとアリスは気がついた。重荷を下ろした分、アリスは心が軽くなるのを感じた。そして、目頭が熱くなっているのに気がついた。
ふっと、アリスの脳裏に雫の言葉が蘇った。
『セリスを代理母に産ませたツケが回ってきたという訳だなアリス』
まさか、雫この事を知ってて……。
う〜〜。しまった。
アリスは思い出した、玄雨雫が占いの達人で心理戦で無敗を誇る事を。
きっと今日の事も占って事前に知っていたんだわ。まったく、教えてくれても良いじゃない。
『そうしたら、その感動は無かっただろう』
急に雫のリンクの声が聞こえた。
『まったく、人が悪いわね雫ったら。でも、ありがとうね。あたしのコト心配して占ったんでしょ』
『ふん。産まれる子供が心配だっただけだ。で、二人はどんな様子だ?』
『二人とも産まれながらの巫術師みたい。あたしはもう視えなくなったけど、視えなくなる直前に瞳の中の気脈の光を視たわ』
『……』
それを聞くと、雫は暫し黙り込んだ。
という事は……。
そう雫が考え込もうとした瞬間、リンク越しにアリスの驚いた声が聞こえた。
『髪が赤くなった!』
何を言っているのかと、気になった雫は分娩室に向かった。
雫が分娩室に向かう途中、リンク越しにアリスが状況を説明した。
一人目は金髪で、中にセリスがいる事、名はアオイと付けた事。セリスが気脈を使うと髪の色が青くなる事。
二人目は黒髪で、突然髪の毛の色が赤くなった。
『今はもう黒髪に戻っているけど』
そうアリスがリンク越しに言った時、雫は分娩室に着いた。
アリスを見る、元気そうだと少しほっとする自分に雫は気付く、そして、金髪の赤ん坊を視る、気脈の流れが整っている、アリスの言う通り、産まれながらの巫術師、と雫は断じる。
そして、黒髪の赤ん坊を視る。
気脈の流れは整っており、巫術師と分かる、だが。
『アオイはセリスが居る為、巫術を使おうとして髪の色が青くなった』
『そうなの、アカネ、あ、この子の名前ね』
『アオイとアカネ、良い名だ』
『ありがとう雫、好きよ』
『話を元に戻せアリス』
『髪が赤くなったという事は、巫術を使おうとした、という事だと思うんだけど』
『素質があっても、まだ習っていなければ、気脈を操るのは難しい』
それを操ったという事は。
雫は瞳の中の気脈、という事を聞いて考え込んむ基点となった考えを思い出した。
『アリス、やはりこの子は時の女神なのかも知れない。いや女神ではないが時の女神と同じ力を持っている可能性が高い』
『……血は争えない、ってコトなのね』
■光
舞い舞台で雫が回想していると、光が舞い舞台に現れた。慌てている様子は表に出てはいないが、雰囲気には滲み出る。
光。当代の時の女神。玄雨神社に来てから体の成長を止め、12歳のままの姿だが、実際の年齢は20代半ば。頭の両脇の髪をそれぞれ三つ編みにして、後ろで一つにまとめ、それ以外の髪は後ろに流し、やはり巫女装束に身を包んでいる。
光は素早く舞い舞台を目で走査すると、アカネの姿が無い事に気付く。
雫は光が少しばかり嫌な気分を味わっていると気がついた。
「何を視た。光」
光はすっと雫のそばに座ると、言った。
「視てはいません。ですが……」
そう言うと、アオイの方を向いた。
「アカネはどうしているの?アオイ」
アオイとアカネが産まれる少し前から光は玄雨神社に居る。身体的な年齢は近づいたものの、巫術を指導してくれる姉弟子という事もある、という訳ではないが、その光のいつもと違う様子にアオイは少し緊張する。
「……たぶん、まだ寝ているんだと思います。……光さん、あの、アカネが何か……」
「アオイ、アカネの様子を見てきて。そっと。もし眠っているようなら、起こさないように。絶対に」
普段の光は固い物言いはしない。それにアオイの事はアオイちゃん、と呼ぶ。
アオイはただならぬ気配を察し、すっと立ち上がると、舞い舞台を去る。
雫は光が話すのを待っている。
だが、光は押し黙ったまま、正座した足に乗せた両拳を固く握っているばかりだった。
日の光が、舞い舞台正面の通路を通して差し込んできた。
やがてアオイが戻ってきた。光の隣に正座する。
「どうでした? アカネの様子は」
と光に尋ねられたアオイの顔は少しばかり青ざめていた。
どういえばいいかと考えている感じが伺い知れる。
アオイが口を開く。
「眠っていました。良く」
だがアオイの表情はそれが常のように、という事を伝えていない。
「アカネの髪の色が、真っ赤になって眠っていました」
それを聞くと光は目を閉じた。
舞い舞台を朝日が染めて行く。朝焼けの赤い色に。
誰も口を開かぬまま、しばらくの時が流れた。
光が目を開けた。
「お話致します。私が分かった範囲ですけど。まずは」
と言うと、アカネの方に視線を向けた。
「アカネは無事です。ただ、今起こすのは危ういと感じます。どこか、遠い、ここと違う所と繋がっているようです」
「何が視えた?」
同じ問いを雫は光に問うた。
「はい。アカネの気脈がこの時の線を越えて、どこかに伸びているのが視えました」
「その先は、分からない、と」
「残念ながら、雫さん。私の力では追う事叶いませんでした」
雫の顔に緊張が走った。
当代時の女神である玄雨光の眼の届かぬ先に、アカネの気脈が通じていると、そう理解した為だ。
「先は、この時の線でも、近くの時の線でもない、という事か……」
時の線。時の女神は充分な霊脈があれば、時を巻き戻す事も、過去や未来に移動する事もできる。一つの時の線の上を。
元の時の線から時の線は枝分かれする事がある。そういう極近い時の線であれば、移ろう事も出来る。
「あ、あの、アカネは大丈夫なんでしょうか……」
アオイが心配そうに光に尋ねた。光は微笑むと、アオイに言った。
「大丈夫よ、アオイちゃん。アカネちゃんの気脈が途切れる事はなさそう。伸ばしている気脈の分、霊脈が流れ込んで、体の気脈は保たれてるみたいだから」
ぱたり、と乾いた小さい音がした。
正座した雫の前で、開いた舞扇が倒れた音だった。
アオイは倒れた舞扇を見て、雫が何をしたかを知った。
雫師匠が、アカネの事を占ったんだわ。
アオイは、雫に視線を向けた。
「大丈夫だ。アカネは三日後に目覚めるだろう。だが」
アオイは雫の言葉に安堵したが、「だが」という語尾に心をかき乱された。
アオイは自分の肩に、光の手が置かれているのに気がついた。
「大丈夫。雫さんが言ってるのは、他の時の線が絡んでいるから、百発百中の雫さんの占いも、少しだけ心もとない、ということ。でも、この時の線で三日後にアカネちゃんが目覚める、というのは当たるから」
それに、と光は続けた。
「もし、運命の分岐点が来たら、私にはそれが視えるから、その時は、乱暴な方法だけどアカネちゃんから伸びてる気脈を封じます。最悪、それで大丈夫」
そう言うと、光は雫の眼を見つめた。
雫も見つめ返す。
互いに同じ思いだという事がその目を見て分かった。
アカネが通じている時の線、そしてアカネは何を視ているのか、と。
時の女神でも追う事叶わぬ遠い場所。
雫はアカネが産まれた時感じた事を思い出した。
自分の言葉が脳裏に響く。
『アリス、やはりこの子は時の女神なのかも知れない。いや女神ではないが時の女神と同じ力を持っている可能性が高い』
同じどころでは無かった、という事か。
雫はそう思った。
■アカネの目覚め
雫の占い通り、三日後の朝、アカネは目を覚ました。
その間、光は一睡もせず、アカネの側に付き添った。
万が一、運命の分岐点が現れた際、アカネから伸びてる気脈を封じるために。
運命の分岐点。
何かが起因して、時の線が枝分かれする時の時点。
百中百中の雫の占いが大きく外れる事が極稀に有る。
それが運命の分岐点。
分岐した先の未来は別の時の線。雫が占った時の線とは異なる未来。よって占いは外れる。
アカネが目を覚ますと、光はその事を雫とアオイに伝えた。そして自室に戻ると泥のように眠った。時の女神でも、三日三晩、いつ運命の分岐点が生じるかと、気を張りつめて過ごすのは容易な事では無かったのだった。
光からアカネが目覚めた事を知ると、雫とアオイはアカネの元を訪れた。
布団から上体を起こした姿でアカネは居た。
目覚めたアカネは何かを言いたいような、言いたくないような風にも見えた。おそらく自分が視たものをどう捉えたら良いか、持て余している様子だった。
それ以前に、三日寝続けて疲れている様子だった。寝て疲れるとは奇妙な事だが、アカネは三日三晩、いや、正確には三日四晩、気脈を操り続けていたのだから、疲労するのも無理からぬ話だった。
アカネの様子を一言で言えば、ぼーっとしていた。
梳らぬ長い黒髪はその両目にかかり、髪の隙間からぼんやりとしているその瞳が見えた。
「もう、アカネ、心配したんだから!」
アオイはアカネに抱きついた。抱きついた、と言うより飛びついた、に近かった。
「あ。え、何?お母さん……」
寝ていた間の時間経過を知らないアカネが抱きしめられて戸惑っていると、ぐ〜、とお腹の鳴る音がした。
「きゃっ」
アカネの顔が真っ赤になった。
「三日も寝ていたのだから、お腹が減るのも道理だよ、アカネ」
雫がやさしく声をかけた。
「う〜。寝起きにお母さんに抱きしめられて、その上お腹が鳴るなんて、恥ずかしい……。え、三日?」
「そうよ。アカネ、三日も寝てたのよ。光さんが寝ずに見守ってて」
「え? 光さんが?」
一体何が起こったのかと、その時初めてアカネは少しばかり異常な事態になっている事に気がついた。
「まずは食事にしよう。アオイ、準備を」
その声を聞くと、アオイはぱっとアカネから離れた。
「本当に心配したんだからね」
もう一度、アオイはアカネを抱きしめた。今度はそっと優しく。そして離れると、部屋を出て行った。
「ではアカネ、舞い舞台脇で食事としよう。準備が出来たらいらっしゃい」
そう言うと、雫もアカネの部屋を出た。
? 準備って?
雫の言った言葉を反すうして、姿見で自分の姿を見たアカネはまた、「きゃ」と小さく悲鳴を上げると、着物の襟を正した。
長く寝て着崩れた所にアオイに強く抱きしめられて、着物がはだけ落ちそうになっていたのだから。
再び真っ赤になると、アカネは小さく独り言ちた。
「もう、お母さんったら、あんなにきつく抱きつかなくったって良いのに」
その声音を舞い舞台に進む雫が聞き取る。
まったくだアカネ。あのきつい抱きつき方はアリスそっくりだ。
一体何度頚骨が砕けた事かと、雫は首をさすった。
不老不死でなければ何度か死んでいる所だ、と言うように。
食事が終わると、アカネはうつらうつらし始めた。
アオイが部屋まで送る。寝巻に着替え布団に入ったアカネは、すぐに眠りについた。
髪の色は黒いままだった。今回は本当の睡眠のようだ。
眠ったアカネの頬を、アオイはそっと優しくなでた。
その後、自室に戻ったアオイもすぐに眠りについた。光ほどではないが、アオイもやはり三日三晩、ろくに寝ていなかった。
アカネの事が心配の余り、眠る事などできはしなかったのである。
雫もやはり眠りについていた。
アカネが視てきた事を知るには、万全の体調が必要だと考えたのと、おそらく長い話となるだろうと思ったからだった。
■アカネの話
時をほぼ同じくして、雫、光、アオイ、アカネは目を覚ますと、舞い舞台に集まった。
舞い舞台は夕暮れに染められていた。
雫、光の順に舞い舞台に着くと、舞台下手袖に座布団を敷いて正座する。
アオイはアカネと手を繋いで現れた。手を繋ぐというより、手を引かれて。アカネは子供扱いされてちょっと不満そうだった。そういう年ごろなのである。
巫女装束を身に纏い、きちんと整えたアカネの黒髪は長く、腰に届かんばかり。艶やかで豊かである。
アオイとアカネは雫達がいる所ではやり座布団を敷いて正座した。
全員が揃うと、雫が口を開いた。
「まず、起こった出来事の順に話してもらう事が良いと思う」
と雫は光の方を見つめた。
光は頷くと、三日前の朝、舞い舞台にやってきた理由を語り始めた。
「目を覚ます少し前くらいから、時の流れの乱れを感じたのです。物が二重写しのように視えたりはしませんでしたから、運命の分岐点とは違うとは分かりましたけど」
時の女神が運命の分岐点を視る時、視ている景色が二重写しのようにブレて視える。さながら世界が二つに分裂する様子を視ているように。
「二重写しのようには見えませんでしたけど、同じ感じで景色が少しぼやけたり歪んだりして視えたんです」
「それで時の流れが乱れていると」
「はい。雫さん。そうだろうと思いました。おそらくそれには巫術が関わっている事、そして、そんな事を行えるのは、私以外には、玄雨灯か」
玄雨灯。時の守り神。地球をスーパーソーラーストームから地球を救った光の双子の姉、灯の後の名前。
その名を言う時、光は胸に小さい哀しみを覚える。その光の小さい哀しみを慰めるように、光の心の内側から温かいものが広がって行った。
光は思わず胸に手を置く。小さく息を吐き出すと、手を元の位置に戻した。光は視線をアカネに向けた。
「アカネちゃんくらいだと思ったんです」
光の見立ては正しい、と雫は思った。
「それで舞い舞台にいるだろうと、探しに来たのだね」
「はい、雫さん。そしてアカネちゃんの部屋に入り、アカネちゃんの気脈を視ました。それが時の狭間に流れ込んでいるのが分かったから、そこへ跳んだのですが」
「アカネの気脈はさらにその先へと流れ込んでいた」
雫の言葉に光は頷く。
「時の女神でもたどり着く事のかなわないほど遠い時の線」
雫はアカネの力の途方も無さを、改めて実感した。柔らかい目線をアカネに向る。気付けば光もアカネを見つめていた。
急に師匠の雫に、姉弟子の光に見つめられ、アカネは悪戯しているのを見つけられた子供のような居心地の悪さを覚えた。
「さてアカネ、寝ている間に何を視た?」
雫は優しくアカネに問うた。
『視たままを言えばいいの。誰も怒ってないし、叱ったりしないから』
『ほんとう?お母さん』
アオイとアカネはアリスリンクで会話した。
女神達のリンクと同じように、アリス、アオイと化したセリス、セリスの子のアオイは心の一部が繋がっている。
アオイとアカネのリンクはおそらく、セリスの子宮内で形成されたと、アリスは推論している。
そのアオイとセリスが一体となって、今のリンク構造となったと。
二卵性双生児のアオイとアカネだが、髪の毛の色を除くと、その容貌は一卵性双生児のように酷似している。
おそらくそのため、また、生まれながらの巫術師が人間が最もプリミティブな状態の時、10ヶ月もの間共に居た為、とも考えていた。
アカネのリンクでの問いに、アオイは頷いた。
アカネは少し勇気を出すと、口を開いた。
「お話します。夢に見た事を。あたしは夢だったんだろうと思っていたんです。けど、光さんの話を聞いて、そうじゃないのかも、と思い始めています」
アカネは一度目を閉じると、ゆっくりと深く息を吐き出した。
途端に髪の色が赤く染め上げられて行く。
まるでそこにだけ夕焼けの日が差し込んでいるかのようだった。
目を開けると、アカネは語り始めた。不思議な星の話を。
■どこか知らない星の夢
そこはとても不思議な所でした。
三日も眠ってたなんて気付かなかかったのは、夢の中では数時間くらいしか経っていなかったから。
空を見上げると、まるで宇宙にいるような綺麗な星空。
あ、夜だったんです。
星も綺麗だったんですけど、もっと綺麗だったのはオーロラ。
でも、地球のオーロラは極地でしか起こらないのに、その場所ではオーロラはあちこちにあったんです。
それで、地球じゃないのかな、と気付きました。
もう一度良く星を眺めてみたら、星座の形が全然知ってるのと違っている事が分かりました。
それで、ああ、夢をみてるんだなと思ったんです。
それに、自分の体が無いみたいで、視界だけ広がってる感じで、思った方向に飛んで行けるんです。
巫術で飛ぶのも楽しいですけど、まだ慣れてないから細かく操らないといけなくて、お母さんみたいに無意識に出来るのとは違って、ちょっと苦労してるから、思うだけで飛べるのって本当に楽しいなって。あ、話が反れました。
しばらく飛び回ってる内に、だんだんどんな場所か分かってきました。
陸地はほとんどなくて、木も水の底から生えてるのがほとんど。
そうだ。一番驚いた事を忘れてました。
竜がいるんです。大きいのや小さいの、沢山!
空に広がったオーロラから細い光が水面に降りてるから、何だろうなって近づいたら、竜がいたんです。
でも、映画とかゲームに出てくるドラゴンみたいに凶暴な感じじゃなくて、とてもおとなしい感じで。
竜は私には全然気付かないみたいで、うんと近くによったり、遠くから眺めてたりしました。
もしかしたら、他のオーロラの下にも竜がいるかも、と思って、オーロラを目印に竜を探したら、本当にその下に竜がいたんです。
とそこまでアカネは一気に語った。
話を聞いていた雫、光、アオイは眼を見開いていた。
竜だって!
人より張るかに長く生きた雫でさえ、そんな生き物は見た事は無い。
アカネが語る竜に比べれば、不老不死の巫女も死に神も東雲の鬼の集積もたいした事はないようにさえ感じられる、そんな心持ちだった。
雫さんが驚いている!
雫の驚いた顔を見て、アカネも驚く。
何かとんでもない事を言ってしまったのではないかと、アカネは心配になる。身がすくむ。
『大丈夫よ。竜が出てきてみんなビックリしただけ。話を続けて』
アオイにそうリンクで言われ、アカネは話の続きを始めようとした。
アカネが口を開ける、が、そこで一度口を閉じた。
アカネの髪の色が黒に戻った。
アカネは視線を落した。
「あの、ここから先の夢の話、少し楽しくないかも知れません」
アカネは再び深く息を吐き出す。髪の色が再び赤く染め上げられて行く。
そうやってオーロラを巡って竜を探して飛び回っていたら、妙な事に気がついたんです。
時々、オーロラが爆発したみたいに消える事があるって。
オーロラは竜が動き始めると、かき消すみたいに消えてしまうんです。
あ、順番が逆でした。
竜はじっとしてる間、オーロラが出てるみたいなんです。で、竜が動き出すとオーロラはふわっと消えて行きます。
ところが、一つのオーロラが爆発したみたいに消えた時、たまたまその近くを飛んでいたら、あれを見たんです。
雫達はアカネが下唇を噛むのを見た。
静かな間が、舞い舞台を支配した。そしてアカネは話しを再開した。
黒い竜が居たんです。
見た感じ、荒々しい雰囲気で。
今まで見た竜がおとなしい感じだったから、珍しいなあ、と、その後を付いて行ったんです。
黒い竜は別のオーロラの方へ泳いで行くと、そのオーロラの下の竜に近づきました。
そしたら。
アカネは再び口を閉じた。
視線をまた落す。その両目からは、一筋の涙がこぼれ落ちた。
アカネは目を閉じると、言うと心に決めた。
黒い竜は、オーロラの下に居る小さい竜を噛み殺しました。
小さい竜が上げた悲鳴が耳の中で木霊しました。
小さな竜の真上のオーロラがさっき見たみたいに爆発しました。
あたしは悲鳴を上げて、その場から逃げようとしました。
でも、竜にはあたしが見えないという事を思い出して、黒い竜を良く見たんです。
そしたら。
ざわり。舞い舞台に肌が粟立つような雰囲気が満ちた。
アカネはゆっくりと言った。
「良く視たんです。東雲の眼で」
その言葉に雫はぎょっとなった。雫の変化に気付かず、アカネは続ける。そして言う、その言葉を。
「その黒い竜には『鬼』が憑いていました」
そう言うと、アカネは意識を失った。咄嗟に雫は舞扇を振る。
風が起こり、アカネの上体はゆっくりと床につく。
そして、アカネの髪は色彩を失っていった。
■東雲の眼
「アオイはアカネに付いていたいそうです」
意識を失ったアカネをアオイと共に部屋に運んだ光が、戻ってきてそう雫に言った。
雫は頷くと、隣に正座した光に尋ねた。
「今の話、どう聞いた?」
少しの間、光は少し目を伏せて考えている様子を見せた。
そして視線を雫に戻すと、慎重な口調で言った。
「東雲の眼を使って鬼と視えたのなら、『鬼』が憑いているに違い有りません」
光の表情は少しばかり硬いものになっていた。
「竜がどういう生き物であれ、生き物である以上、鬼は湧く事もあるでしょう。死を望む生き物など居ないのですから。そして湧けば鬼は憑きます」
雫は静かに頷く。
「鬼」とは人の「生きたい」「助かりたい」という気持ちに霊脈が合わさり編み込まれ生まれるもの。
「鬼」に憑かれた人は、その寿命を縮め、やがて死ぬ。憑いた鬼は人の気脈を喰らう。喰らった分、大きくなる。
東雲の家は、この鬼を封じる業を裏のなりわいとする家。
その直系のみが「鬼」を視る事ができる。
「鬼」も霊脈である以上、巫術師にも視えるが、他の霊脈とは区別ができない。
とある事から、雫は東雲と出会い、そして、東雲の眼の原理を学び取る。
その術を「東雲の眼」と称している。
アカネは、その「東雲の眼」の術で竜を視た、そしてそれに「鬼」が憑いていると断じた。
もし、アカネが三日眠り、その気脈が遠い時の線に気脈を伸ばした事が偶然でないなら。
その考えは雫にも光にも宿った。
光は言った。その声音は重かった。
「アカネは呼ばれたのかも知れません」
雫は頷くと静かに言った。
「その竜の星の誰かが、鬼退治を願っているのかも知れぬ」
■夜見
「ぃよぅ。玄雨ぇ、久しぶりだねぇ」
夜見の女主人、白酉礫が店に入ってきた雫に声をかけた。
礫はすらりとした美人で、スリットの入った黒いドレスを身にまとっている。
「ご無沙汰しております。礫殿」
「相変わらず固い物言いだねぇ、勿体ない」
ふぅっと電子タバコの吐息を拭き出すと、雫と後から入ってきた光にカウンター席の椅子を勧めた。
夜見はいわゆるバーのような所で、礫がカクテルを造ったりしている。
店には雫と光の他に客は居ない。
「光も久しぶりだよぅ。こっちまで来たんだから、実家には顔を出したのかぃ?」
「ご無沙汰です。礫さん。いえ、家には寄ってません」
光の語尾は少しばかり曇ったものになった。
「光、神社に入った時から体の時を止めてたままみたいだねぇ。元が良いだけに、勿体ないよぅ。止めてなきゃ今ごろ好い女になってたのにねぇ。止めるならそれからでも遅くないのにさぁ」
光が玄雨神社に入ったのは小学校を卒業した直後。それから10年近い歳月が流れているから、20代前半が光の本当の年齢となる。
雫も光も神社にいる時のような巫女装束ではなく、雫は白いセーターに黒いパンツ、薄い黄色のベルトを締めて、足袋に緑色の鼻緒の下駄を履いている。
光は薄い青い色のワンピースを着ている。
「光は灯となるべく近い年でいたいと願っているのです」
ふぅっ、と礫は電子タバコの吐息を吹いた。
「あれから、玄雨灯は現れたのかぃ?」
光は少し物悲しそうな表情を浮かべると、いいえ、と答えた。
「灯の内の一人は、お前の中にいるんだろぅ? 消えてしまった灯達の事を考え過ぎなんじゃないのかぃ?」
そう言いながら、礫はいつの間に用意したのか、二つのカクテルを二人の前に置いた。
「……灯お姉ちゃんがあたしの中に居るから、余計に他の灯お姉ちゃん達の事が気になるんです」
光は出されたカクテルに少し口を付けると、あのう、と礫に言った。
「ノンアルコールのに変えて頂けますか」
「ん? 酒は嫌いだったかぃ? まぁ体の年は未成年だが、実際の年齢は成年なんだからと、出してみたんだけどねぇ」
光はくすりと笑みをこぼした。此の店に入って初めての笑顔だった。
「お酒は好きです。良く雫さんと酌み交わしてますから」
礫がじゃなんで、という顔をする。
「帰りも『空の穴』で帰りますから、流石に酔ってあの技を使うのは」
礫は頷いた。
「そりゃ流石に拙いねぇ。車の酔っ払い運転より始末が悪い」
「真に。アフリカに出るなど、宜しくない」
そう言うと雫はグラスを傾けた。グラスと氷のぶつかるカランという音が店に木霊する。
「空の穴」の術。玄雨神社に伝わる巫術書に書かれている術の一つで、時の女神がこの術を成すまで、誰も行えなかった巫術。漆黒の二つの球体を生み出し、その片方に入ると、もう片方に出るという一種のワープシステム。
初代時の女神が此の術を行った時、雫と初代時の女神はどういう訳か、アフリカに出てしまった事が有った。
「アフリカで済めば好い方かも知れませんし」
ぅふふふ、と礫は笑った。大層色っぽかった。
「で、玄雨ぇ、話が有って来たんだろぅ?」
雫はグラスを置くと、礫の瞳を見つめた。
「お見通しでしたか」
礫は薄く笑うと、あたしも占いが出来るからねぇ、と答えた。
「でも、何の話で来るかは、良く判らなかったんだよぅ」
不思議だねぇ、と呟いた。
礫の占いも、雫同様の的中率を誇る。それが占っても分からなかった、という事らしい。
それを聞いて、雫と光は頷きあった。
「なんだぃ?二人は何か分かったような様子だねぇ」
ほんの少しだけ、場の空気が緊張した。
「内緒話は好きじゃないんだよぅ」
礫の機嫌がほんの僅か悪くなった。
「これは失礼致しました。礫殿。此度こちらへお伺いしましたのは、お話を伺う為で御座います。鬼退治の」
雫がそう言うのを聞いて、礫は、ほぅという顔をした。眉が僅かに上がる。
女神から鬼退治の話が出るとは珍しい。
「しかも、『時』が絡む」
雫のその言葉を聞いて、礫ぎょっとする。
「……なるほどねぇ、それで占えなかった、という訳かぃ」
「左様に」
「鬼退治のなら『死に神』の専売特許。それで話を聴きに来た、という訳かぃ?」
「ご明察」
ふ〜ん、と礫は呟いた。ずいとカウンター越しに雫の方に身を乗り出すと尋ねた。
「一体何が起こってるんだぃ?」
■礫
白酉礫は、かつて玄雨神社を逃げ出した巫女。そして数奇な運命を辿り「死に神」になった。
文字通り人の寿命を取り扱う神、不老不死の死に神に。
同じ不老不死でも雫とはやや趣が異なる。雫が生物としての不老不死とすれば、礫は言い様は悪いが呪いによる不老不死。
例え素粒子に分解されようとも、元の状態に復元される、そういう不老不死なのである。
礫は寿命を扱うのに「鬼」使う。悪人に鬼を憑け、改心すれば鬼を払う。改心しなければ悪人は鬼に喰われる。
悪人を喰った鬼を死に神が消し去る。
そういう理を礫は執り行っている。
雫と光が交互に語る話を聞き終わると、礫は少しばかり興味深げで、だが、どこかうんざりしたような顔をした。
「まったくお前達女神は、どうしていつもそう大層な厄介事に巻き込まれるのかねぇ」
あたしは死に神で良かったよぅ、と結んだ。ふぅと電子タバコの吐息を吹く。
「あたしの考えを言うよぅ」
雫は頷くと「よしなに」と応えた。
「まず、その竜だが、そうとう頭が良い。少し違うねぇ、それだと電気策を避ける猿と同じみたいだよぅ。そうだねぇ、人と同じ位かそれ以上の知性がある、という事になるねぇ」
雫と光はその考えに驚く。少しばかり目を見開く。
その様子を礫は面白そうに見ている。
「その理由はねぇ、そうだ、玄雨ぇ。どうして獣に鬼は憑かないと思う?」
「犬に仏性はあるか、ですか?」
「流石玄雨、見事な回答だよぅ」
なるほど、と雫は頷いた。
礫は光の様子に気がつくと、優しい声音で言った。
「分からなくても大丈夫だよぅ。玄雨が上手く説明してくれるからさぁ」
よっぽどあたしの顔に、先生分かりません!って書いてあったのかな。と光は思った。
当代時の女神もこの二人の前では子供扱いである。
雫が説明を始めた。
『『犬に仏性はあるか』は禅宗の公案。獣は生き死にの際、生きたい助かりたいという思いを人のようには持たない。今、どうしたら良いか、という一点のみを考える。その考え方はきわめて合理的。ある意味、仏性に近いとも言える。だが、悩みを超えてその境地に到る事は無い。元から悩んだりしないのだから」
悩みを超えて境地に到ってこそ、仏性に到る、と雫は説明しているのだった。
「助かりたい、死にたくない、という思いが鬼を生む。だが、その思いにはあの時こうしていれば、という後悔が張り付いている」
光にも判った。そして神社で自分が言った獣の生きたいという思いが鬼を生む、という事が間違いだったと悟った。
「だから獣に鬼は憑かない」
雫は頷いた。
「竜に鬼が憑いた、という事はねぇ。竜も悩んだり後悔したりする、って事なんだよぅ」
「だから人と同じ知性がある、と」
礫は頷くと「もう一つ」と言った。
「その他の竜を殺した黒い竜だけどねぇ、竜の方なのか、鬼の方なのか、普通と違うねぇ」
そう言われて雫も思い至った。
「鬼が憑けば憑かれたものは弱り死ぬ。決して暴れたりしないもんだよぅ」
光も思い出した。自分の中の灯の記憶を。鬼に憑かれた者達がどうなっていたかを。憔悴し、病床からうわごとを言う者たちの姿を。
礫は自分用のカクテルを造ると、色っぽい所作でそれを一口んだ。
「どうも大層面倒な鬼退治のようだねぇ」
■三柱会議
「空の穴」で玄雨神社に戻った雫と光は、舞い舞台下手袖に行く。
光が座布団を用意している間に、雫はお膳に酒と杯を載せてやってきた。
二人は座布団を敷いて座った。
「今日は疲れただろう」
そう言うと雫は光が持つ杯に酒を注いだ。そして自分の杯に手酌する。
アカネが起きるまでの寝ずの番、少しの休息の後の「空の穴」の技、その事を労っているのだった。
『アオイとアカネは眠っているようだな』
『ええ、そうよ。雫』
リンクの声でアリスが答えた。
此の場にアリスは居ないが、女神三柱の話し合いが始まった。
『執務で忙しい時にすまない。アリス』
『あたしの子供の事だもの。これ以上の重大案件なんて、雫の事以外に無いわ!」
わあ、アリスさんらしい、と光は思った。
『礫殿からの話を元に考えると、竜の星の何者かがアカネを呼んだ。竜に高い知性があるのなら、竜が呼んだのかも知れぬ』
アリスの話をさらっと流して雫が話を進める。
『その竜ってなんなのか、とても気になるのよね、あたし』
それに、とアリスは続けた。
『別に遠い星の事だから放置しても良いんだけど、竜の事が気になるのと、もっと大事なのは、勝手にあたしの大事な娘を呼んで、変な夢を見せて気絶させるような事は、金輪際お断り、ってコト! 近くにいたら核攻撃してギタキタにしてやるところよ!』
アリスの剣幕は相当なものだった。
竜が遠い星に居て良かった、と光は思った。
『だから、またアカネが呼ばれて変な夢を見なくて良いように、根元からばっさり解決する必要がある、とあたしは思うのよ!』
怒っている割には、鬼退治に乗り気なみたいなのね、と光は思った。
『鬼退治について、礫殿は乗り気では無かったよ。アリス』
『なんですって!』
わ、怒りの矛先が礫さんに! これは光が思った事。
拙い、アリスと礫殿が喧嘩を始めたら、世界が滅ぶやも知れぬ。 これは雫が思った事。
『礫にはお中元とお歳暮、あれから毎年キチンと付け届けしているのに、その対応は酷くない!』
え? 何の事?
知らなかったぞ、アリス!
リンクの中に一瞬の静寂がよぎる。
二人の反応を勘違いしたアリスが墓穴を掘る。
『な、何よ! べ、別にやましい気持ちは無いわよ、死に神とも仲良くしたいと思っただけよ。鬼を憑けないでお願い、なんてこれっぽっちも思ってないんだかね!』
言葉だけ聞くとツンデレのようだが、どちらかというと語るに落ちる、の方ではないだろうか。
かつてアリスと礫が出会った時、礫はアリスを悪人と断じ鬼を憑けようとした事がある。その折、アリスはかつてないほど怖い思いをしたのだった。雫の執り成しで事は治まり、以来「礫」「世界一の大悪党」呼びあう間柄となった。
こほん。雫が咳払いをした。
『礫殿が言うには、人に憑いた鬼退治ならお手の物。だが相手は竜。今までとは理りが違う。さらに』
雫と光の脳裏に、礫の言葉が蘇った。
「あたしには『時』を超えられないからねぇ」
それを伝えると、それはそうだ、とアリスは得心した。
『「空の穴」で移ろうのとは違って、「時」を超えられるのは時の女神と同じ力が必要ですから』
光の言葉にアリスも同意する。
『そうよねえ。お手々繋いで一緒に移動、ってワケにはいかないか』
「空の穴」で術者が移動する際、術者が触れていると認識しているものは一緒に移動する、だが、時を超えるのはそういう訳にはいかない。
そうなると……。
アリスはその前提で鬼退治の人選をするのを無意識に行うと、嫌な予感に埋め尽くされた。
『だ、ダメよ! アカネをそんな良く判らない所に送るなんて出来ないわよ!』
『それについては私もそう思う』
雫は光の方を向いた。そして「だが」と続けた。光が後を続ける。
『あたしも時の女神。時さえ判れば移ろう事は出来ると思います。でも、移ろう先が分からなくては、出来ません。ましてあれ程遠いとなると、探して回る事も叶いません』
うぐっ。詰んだ。とアリスは思った。
はあ〜と息を吐き出すと、覚悟を決めた。
『仕方ないわね。鬼退治に行くのは光、そしてアカネ、という事になるわね』
『避けたい所だが、致し方ない仕儀と思う』
雫もアオイとアカネを赤ん坊の頃から知っている。そして三才からは玄雨神社で玄雨流巫術を教えている。我が子同然。セリスの記憶体験を持つアオイと違いアカネは10才の女の子に過ぎないのだから。
だがその才能は途方もない。まるで「嚢中之錐」だな。
そう雫は思った。
「嚢中之錐」優れた才能は見いだされる例え。だが見いだしたのは異界の何者か。
時の女神とその力を持つものの背負う重荷は変わらぬという事か。
雫は初代時の女神の成した事を思い返した。小惑星との衝突、東雲の鬼の集積。
その次の代は、スーパーソーラーストーム。
雫の脳裏に礫の言葉が蘇る。
「まったくお前達女神は、どうしていつもそう大層な厄介事に巻き込まれるのかねぇ」
大きな力を持つものは、それに伴う使命を帯びる、これもまた道理。
とすれば、アカネも何かの使命を帯びている事となる。
小さく息を吐き出すと、雫は杯の酒を呑んだ。雫も覚悟を決めたようだ。
『さて、そうと決まると作戦開始よ! 作戦名は「鬼退治 on Nag」!』
『なんだアリス、鬼退治は判るが最後のナーグというのは?』
『その星の事を調べる担当のサーバントの名前がナーグ。一応大変な仕事だし、これからの彼の労を労ってその星の名前に付けたって訳』
うわあ。そのナーグさん大変。ベネットさん並にアリスさんにコキつかわれそう。褒美の前払いなんてアリスさんから一番貰いたくないシロモノよ。
光はぞくりとしてちょっと肩をすくめた。
■「鬼退治 on Nag」作戦会議
三柱の話し合いは続く。
仕切るのは実利的で戦略家で、策謀にとびっきりの手腕を持つアリス。適任である。
『まず、その星に行く方法。これは雫と光ちゃん考えて。あたしの方は他の天体に行くんだから、専用のスーツの作成にかかる。そのために、その星の情報が必要だから、明日、アカネが起きたら光ちゃん、こっちに連れてきて。記憶の中の星の情報をこっちの記憶装置と同期させるから』
『判ったアリス。星に行く方法だが』
ぱたり、と乾いた音がする。雫は倒れた舞扇をじっと見つめている。
『やはりアカネに星に目印、「無しの扇」を作ってもらい、その目印を光が探して、時を渡る、という事になろう』
「無しの扇」とは気脈で出来た扇。熟達した術者ならば、行った事のある場所、知った人の居る場所にその扇を作り出す事が出来る。そしてそれは、出口の「空の穴」を作る目印ともなる。
だが今回は、「空の穴」で移ろう訳ではない。
光もその意味を噛みしめた。
「無しの扇」の場所を察知して、そこへ移ろう。しかも、遠い時の線へ。
『雫さん、それだけだと』
道に迷う。
光は不安になった。
雫は大丈夫というように頷くと言った。
『その「無しの扇」には、アリアドネの糸を付ける。その糸を手繰れば事は成る』
アリアドネの糸。ギリシャ神話に登場する迷宮から脱出する為の糸。その糸はどこまでも伸び、出口へと導く。
光の表情が明るくなった。が、すぐに曇る。
『「無しの扇」だけでも難しい術です。その上、糸も付けるとなると……』
光はアカネが成さなければ成らない修業を思うと、心配になった。
『大丈夫よ、光ちゃん。アカネは恥ずかしがり屋でシスコンだけど、ん?マザコンか? ま、この際どっちでも良いわ。セリスと同じくらい頑張り屋さんだから大丈夫。何しろこのあたしが産んだんだから!』
いや、そういう親の期待ほど重荷になるものは無んじゃないかな、と光は少し思ったけれど、アカネが頑張り屋だという事はその通りだから、なんとかなりそう、と思った。
あ、待ってよ、むしろ問題なのはそのシスコンだかマザコンのほうじゃないの?
アカネちゃんがアオイちゃんと離れた事なんてほんの僅かしかない。
あたしと一緒とはいえ、アオイちゃんと離れるなんて納得できるかな、それ心配。
光の心配は続く。
光の心配を思って雫が言った。
『アカネが竜の星に行きたいと思うかどうか、それはアカネ次第。だが、事はアカネ自身の問題でもある。呼ばれた以上、行かねばならないだろう』
それがアカネの使命、なのだろうから、と雫は思った。
「あ!」
光が声を出した。
肝心な事を忘れてた!
『雫さん、糸を手繰って行くとして、ですけど、あたし、遠くまで移ろえません。移ろえるなら、アカネちゃんの気脈を追って、あの時、その、ナーグに行く事が出来た筈ですから』
『糸を光が手繰ればそうなる』
その言葉で光は雫が思い描くナーグ行きの方法が理解できた。
『糸を手繰るのは、あたしじゃなくてアカネちゃんなんですね!』
『正解だ、光。アカネが糸を手繰る。光はそれを手伝う。共に手繰ればアカネの負担は少ない。それに糸は帰る時の道しるべでも有る』
流石雫さん。
光は安堵した。
『とすると、一番先にやらなくっちゃいけないのは、アカネを行く気にさせる事、となるわね。雫』
『そうなるな、アリス。明日、アカネをそちらに送る前に、話す方が良いだろう』
雫はそう言うと、盃を干した。
■光
三柱会議が終わると、やはり寝ずの番の疲労が抜けていないのか、光が先に舞い舞台を去り、部屋に向かった。
雫は一人、盃を傾けている。
傾いた十日余の月の光が舞い舞台を照らしていた。
『アリス、光が眠ったようだ』
『光ちゃん、大丈夫?』
『体調なら一晩寝れば復調するだろう』
『ええ。心配してるのは、心の方。少し乱れてるみたい』
『そうだな。アリス』
『アカネと光ちゃんでナーグに行く時、もしかしたら、リンク、届かないかも知れない。声が届かないと……』
『その場の判断のみ、となる。……不安か、アリス』
『それもそうだけど、光ちゃんの心の乱れが心配』
『灯は光に会いたかった。そして光の七つのお祝いの時にようやく会った。だが、会いたかったのは光も同じだ。その灯は……』
『光ちゃんは灯ちゃんから時の女神の力を譲られ、玄雨神社に来たけれど、本当は灯ちゃんと一緒にいたかった筈なのよね……』
『今も光の中に灯は居るが、語り合う事も触れ合う事も出来ぬ』
『やっぱり、光ちゃんが体の時を止めたのって……』
『先に進むのを拒んでいるのだろう』
雫は杯に酒を注ぐと、一口飲んだ。
『アリス、此度の異変。光にとっても必要な試練かも知れぬな』
『……そうね。二人が上手く乗り越えられるように、全力でサポートするわ』
『頼むアリス』
『万事アリスにお任せ〜』
そう言うとアリスのリンクの声は消えた。
雫は杯を持つと、天空の月を仰ぎ見た。
■灯と光
三柱会議の後、自室に戻ると光は床につく。すぐに眠りに落ちる。
アカネの寝ずの番の疲れは完全には抜けておらず、少しの酒で眠気を誘われたため。
そして光は夢を見た。
最近、幾度も見た夢を。
昔の記憶、と言っても良い。
初代時の女神の代替わりの祭、人に戻った初代時の女神は子を宿し、その子供が時を遡り初代時の女神と出会う。
そして、神の資質を受け継ぎ、次代の時の女神となった。
それが灯。
その灯と光は一卵性双生児。
光が見ているのは、光が胎児の時の記憶の夢。灯が旅立つ時の夢。
温かい水の中に浮かんでいる自分ともう一人の自分を感じる。
母の鼓動と、自分の心音、もう一人の自分の心音が聞こえる。
言葉は発する事は出来ないが、もう一人の自分が何かを伝えようとしているのが判った。
言っている言葉は、今の光が夢の中でその時感じた感覚を翻訳しているもの。
「あたしが行く」
待って。
「あなたは残って。あたしの分も人として生きて」
いっしょに居たい。
「あなたの持っている『力』を貰って行く。お母さんとあなたを救う為に」
行かないで、お姉ちゃん!
もう一人の心臓の鼓動の音が消えた。
朝日が登る前の薄いが光の部屋の前の障子越しに光の顔に触れた。
光は目を覚ます。上体を起こすと両手で顔を覆った。
「……灯お姉ちゃん……」
覆った両手の手首を伝って涙が流れ落ちた。
■アカネの決意
舞い舞台下手袖に雫、光、アオイ、アカネが揃った。
朝の稽古が終わり、食事の後の事だ。
それぞれ座布団を敷き、正座している。
雫と光はアカネが落ち着かない様子なのに気がついた。
アカネは右側にいるアオイにそっと右手を伸ばすと、その左手を握った。アオイも握り返す。
その手の温かさに後押しされ、アカネは口を開いた。
「あたし、あの竜の星に行って、夢で見た殺されちゃった小さい竜を助けたい!」
雫、光、そしてアオイもアカネのその言葉に驚いた。
「きっとあたしがあの夢を見たのって、あの星の誰かが『助けて』って伝えたかったんだと思うの。あたしにそれができるなら……」
アカネの語尾が弱々しくなった。
アオイが左手に少しだけ、力を込めた。
アカネも右手に力を入れて、それに応えた。
「できるなら、助けてあげたいの!」
決意はあるものの、脅えも含む顔で雫、光、そして最後に、今にも泣きそうな顔になってアオイの目を見た。
ふっとアカネは息を吐き出した。
「昨日、夢を見たの」
アカネの髪の色が赤く染め上げられて行く。
「あの小さい竜の夢」
アカネは目を閉じた。
「同じくらいの小さい竜達が沢山居て、その中で、じゃれあっててとても楽しそうにしてる夢」
ゆっくりと目を開けると、目の前にその光景が見えるかのように、微笑んで虚空を見つめている。
「小さい竜が他の竜の長い首に、自分の首をすり付けて、とても嬉しそうな声で鳴いてるの……」
ああ、これはあの時の小さい竜なんだ。
黒い竜に殺されなければ、こうやって幸せに暮らせたんだ。
助けて欲しいって、あたしに伝えたんだ。
「だから、助けてあげたいの。あの小さい竜を」
そう言うと、アカネの両目から涙がこぼれ落ちた。
アカネはアオイの左手を放す。アオイもアカネの右手を放した。アオイはアカネを見つめている。
アカネは両手を床につくと、頭を下げた。
「だからとうか、力を貸してください。雫さん、光さん」
そう言うと頭を上げて、アオイの方を向く。
「助けてあげたいの。とっても怖いけど。助けてあげたいの! お母さん」
アオイはじっとアカネの顔を見つめていた。
優しく頷くと、「うん、助けてあげて、その竜を」と言った。
そしてそっとアカネを抱きしめた。
『此方から話す必要は無かったようだな、アリス』
ん?アリスからの返事が無い。
『どうしたアリス』
『うわ〜ん、ママ嬉しいよぉ〜。あの恥ずかしがり屋でシスコンのアカネちゃんが、こんな立派な事を言うなんて〜!』
おいアリス、嬉しいのは良いが、少々大げさだぞ。
『ん? 待てよ、いや、ちょっと待ったあー。アカネ、もう一人お願いする相手がいるんじゃない!』
アリスの声は女神の方のリンクだけで、アカネには届いていない。
アカネちゃん、アリスさん、一人だけお願いされなくて怒ってるよ、ほら気がついて。
光は声に出さず、アカネに目配せする。だが、抱きしめられたアカネの視界に光は入っていない。
気付いたのはアオイだった。あ、という表情が刹那浮かぶと咳払いして、アカネから離れる。
アカネは、ん?という顔をする。そしてあ!という顔になった。
『アリスママもお願い! 小さい竜を助けてあげて!』
アリスリンクにアカネの声が響く。
『まっかせなさーい!』
アリスリンクと女神のリンクの両方に、アリスの大声が響いた。
きゃ、と声を上げると、アカネは両耳を塞いだ。雫もしかめっ面をしている。
『アリス、調子に乗り過ぎだ。それにうるさい』
こほん。と雫は咳払いした。
「アカネ、その星の竜を助ける申し出、実は此方からお願いしようと思っていた」
アカネは、え?という顔をした。
「アカネちゃん、アカネちゃんが竜の星の夢を見たの、あたし達もいろいろと考えて、あの星の誰かが助けを求めた為、だからアカネちゃんが呼ばれたんだと、考えていたの」
アカネは光の方を見た。
雫は頷いた。
「だから、昨日の夜、礫殿の所へ行って相談してきた。そして、あの星の竜を助ける為にどうしたら良いか、考えた」
光が後を続ける。
「あたしとアカネちゃんで、あの星に行って、竜を助ける。今日はそのお願いをしようとしていたの」
「お願い出来るかな?」
雫がそう言うと、アカネは雫の方に体の向きを変えると、再び床に手をつき、頭を下げた。
「アカネ・ゴールドスミス、日の本の国の神のお話、慎んで承りました」
言い終わると頭を上げて、にっこりと微笑んだ。
■準備開始
光はアカネと舞い舞台前の境内に降りると、「空の穴」を成し、アリスが居る米国のファイブライン社のアリスの執務室にアカネと共に飛んだ。
アリスの執務室の中央に、漆黒の球体が現れると、すぐに消え、そこには光とアカネの二人が居た。
「いらっしゃい。光ちゃん。お帰り、アカネッ!」
椅子から立ち上がって一言言ったと思ったら、執務机を飛び越えてアリスはアカネに向かって飛んだ。
きゃ、とアカネは小さい声を上げた。
まずい、このままだと、アカネちゃんが吹っ飛んじゃう!
咄嗟に光が扇で風を送り、アリスのジャンプの勢い落ち、ゆっくりとアカネに抱きつく形となった。
「サンキュー、光ちゃん♡」
うわ。流石策士のアリスさん、すっかり、うまいコトつかわれちゃった。
抱きつかれたアカネは「う〜」と少し苦しそう。
「あ、アリスママ、苦しい」と押し返す。
「キャ〜、カワイイ〜〜!」とアリスは再び抱きしめる。
だんだんアカネの顔が苦しそうになってくる。
「んもう!」
アカネのその声と同時に、抱きついていたアリスは後ろに吹き飛ばされた。見ればアカネの髪の毛の色が真っ赤になっている。
光は風を起こし、吹き飛ぶアリスの動きを止める。
「ごめんごめん、アカネ。ママとても嬉しくてつい、ね」
「もう、ほんとに苦しかったんだからぁ」
と言うと、アカネは巫女装束の襟を正した
あれ? この光景、なにかどこかで見た事があるような。あ!
光はその光景が、いつものアリスが雫に抱きつくのに似てると思ったのだった。
「光ちゃん、またありがとね!」
「アリスさん、あんまり無茶はしないでくださいね」
「うふふ」
襟を正したアカネは手を後ろで組むと、もじもじしていた。
「あ、あの、アリスママ、雫さんと光さんから聞きました。いろいろ準備してくれるって」
そう言うとアカネはアリスに抱きついた。
「ありがとう」
アリスも優しく抱きしめて、アカネの頭を撫でた。
「でも、抱きつく時は優しくしないと、あたしアリスママ嫌いになっちゃうぞ。リンクで大声も禁止!」
一瞬、アリスはう゛という顔をしたが、「はいはい」とアカネの頭を再び撫でた。
親子だなあぁ、と光は思った。胸が暖かくなった。と同時にちくんと胸の奥が傷んだ。
今朝見た夢を思い出していた。
「さて」というアリスの言葉で光は現実に意識を戻す。
「ここで作戦会議というか、準備会議を始めます。じゃ、二人ともコレ首の後ろに付けて」
そう言うとアリスは小さい装置を二人に手渡した。白い柔らかそうな素材で覆われていて、所々に青い細い線が入っていた。アカネが自分で付けようとしたが、上手くいかないので光が付けてあげると、アカネも光に付けてあげた。
「起動」
アリスがそう声を発すると、ヴンという音が自分の首の後ろにつけた装置からするのを二人は聞いた。
「あれ? 何か見えてきた」
アカネの視界の中に、別の光景が半透明で現れてきた。
光の視界も同じだった。
クリームイエローの壁に茶色の床の部屋のようだった。
「視覚系と聴覚系に直接情報を送ったり取り込んだりできる装置なの。まだちょっとデリケートな部分があって、あまり遠くとは送受信できないんだけど、ま、すぐに解決すると思うのね。で、今見えているのは、今回の作戦専用のラボの中」
そう言うとアリスは少し歩いて居る位置を変えた。
「こっちを見て」
二人が視線をそちらに送ると、半透明の一人の人物がそこに居た。
細身で背の高い浅黒い肌をした20代中盤の男性だった。タートルネックのセーターの上に白い研究用の服を着ている。頭は剃っていて、黒っぽい眼鏡をしていた。ちょっと見ると競泳用のゴーグルのようだった。
「彼が今回の作戦支援の装置開発リーダーで、惑星ナーグ調査の担当でも有るナーグ君よ」
「初めまして、光様、アカネお嬢様。ご支援させて頂きます、ナーグです」
半透明の人物が二人にお辞儀をした。
習慣的に光もお辞儀を返す。
アカネは半透明のナーグ氏がお辞儀をし始めたとき、それを触ろうとして、つい手を伸ばしてしまっていた。
手がすり抜けるのを見て、小さく「きゃ」と言うと慌てて手を引っ込める。
光がお辞儀をしているのが判ると、慌てておぴょこんと辞儀する。ちょっと顔が赤くなっている。
「どお?」
アリスはナーグに声をかけた。
「はい。アリス様、アカネお嬢様の夢の記憶、特定できました。あくまでアカネお嬢様が夢で見た視覚情報だけですが」
アリスは頷いた。
アリスは考える。いずれ、アカネが伸ばした気脈が届いた竜の星のある時の線とこの時の線の時空関係を術者の記憶から読み出せるようになりたいと。
そうすれば、もし、次にこんな事があっても、場所を見つけやすくなるから、ね。
「さて」と言うと、二人の視界にA4サイズくらいのウィンドウが開いた。
アカネがそれを触ろうとすると、触った感触は無いけれど、それが動く。
「触角系は接続してないからね〜。触った感覚はないけど、持って動かす事はできるわよ」
ウィンドウには、作戦準備のレジュメが書かれていた。
惑星情報の収集。これはアカネから読み取ったら終わり。
スーツの作成準備。二人のスリーサイズとかを測る。でも、装置を付けた段階で採寸終了。
ん? 最後のスリーサイズとかってなんか言い様がイヤらしい。あ、アリスさんの茶目っ気か。
でも、これだと、この装置を付けたらほとんど終わりなんだ。
そう光が思っている間、さっとレジュメを読んだアカネは、ウィンドウを押したり引っ張ったりして遊んでいる。
このあたりは子供である。
その光景を、アリスは穏やかな笑顔で見つめていた。
■修行開始
「じゃ、スーツとかもろもろ準備するから、修業頑張ってね。アカネ」
別れ際、アリスはそっとアカネを抱きしめると、そう言った。
「はい。あたし修業頑張ります」
「さ、アカネちゃん」
光はアカネの手を取ると、成した「空の穴」に飛び込んだ。
翌日から二人の修業、竜の星に行く為の修業が始まった。
修行の開始に先立ち、アカネに雫は言った。
「アカネ、アカネが助けたい竜を助ける為には、充分に準備をする必要がある。こちらでどれほど時間を使おうと、アカネが夢で見たその時の竜の星にたどり着ける。だから、落ち着いて稽古する事だ」
焦りは修業の妨げにしかならない。
アカネの不安を取り除く為の言葉だった。
だが。
実は時間的制約は存在した。
アリスが考えた術者の移動した時の線の記録装置、それが無い以上、刻一刻とその時の線の情報はアカネの脳内、気脈から失われて行く。
あまり失われすぎると、無しの扇をそこに置き、糸をそこから伸ばす事が出来なくなる。
雫の占いでは、その期限は次の次の満月まで、と出た。
およそ一月余り。
この事を知るのは、雫とアリスのみだった。
焦りが修業の妨げになるのは光も同じだったからだ。
雫と光はまずアカネに「無しの扇」、気脈で作る扇の修業の始めた。
光が直接教え、雫が見守る、という形式を取った。
光が直接教えるのは、光とアカネの信頼関係を高い精度にする必要があるため、というのもあった。
時の狭間を越えて竜の星にたどり着くには、二人が密接に協力する必要がるためだ。
光が「無しの扇」を気脈で形作ると、それを手に持ち、舞う。
玄雨流巫術では、気脈を舞で操る。気脈を操る事で事象に干渉するのである。干渉する対象は術者の技量と才能に関わる。天候、物質、心理、時間、空間など様々である。
時の女神は時間、空間に干渉する能力が高い。
これは他の巫術師には無い特色だ。
光の「無しの扇」の舞を見て、アカネが同じ事を行う。
三才から玄雨神社で修業してきただけあって、「無しの扇」を形作り、舞う事まで容易に行った。
才能、という事もあるが、小さい竜を助けたい、というアカネの決意がそれを大きく後押しした結果、と言えるだろう。
次はアリアドネの「糸」。
これは光も扱った事が無い。
雫が手本を見せる。気脈で「糸」を作る。
そしてそれを際限なく伸ばして行く。
雫は「糸」を上空に延ばした。左手に持った糸の先には「無しの扇」がある。「無しの扇」を上空に飛ばしたのだった。
その高さは成層圏に達した。
「巫術は心象が肝心。どれ程遠くとも、あると思えばある」
だから、糸は切れないのだと、雫は言った。
光、アカネも行う。
光はすぐに行えたが、アカネは途中で糸が途切れてしまう。
そこで、雫は指導役を光と代わり、見守る方に回った。
アカネが失敗すると、光に指導の仕方を指導する。
光は自分で行うより、教える方が数倍難しい事を実感した。
教える光も、学ぶアカネも12月の寒さを忘れ、うっすらと汗さえかいている。
「アカネちゃん、『無しの扇』は気脈でできてるの。だから、強くそこに『有る』と思わなければ、上空の霊脈に流されないわ。でも、思うのが弱すぎると『無しの扇』は消えてしまうの」
アカネは頷くと、何度目かの「糸」と「無しの扇」を無し、上空に飛ばした。
強く思い過ぎれば霊脈に流されてしまう、弱ければ消えてしまう。バランス、バランス、バランス。
目を閉じ、髪を赤く燃やし、アカネは必死に気脈を操る。
やがて、アカネの「糸」は成層圏に到達した。
「できました!……たぶん」
アカネのその声を聞くと光は、身の回りの空気を風の技で固め、その「無しの扇」を目印に出口の「空の穴」を成し、飛ぶ。
そしてそこに雫の「無しの扇」の隣に「アカネ」の「無しの扇」が並んで輝いているのを視る。
素早く「空の穴」を成すと、地上に戻った。
「アカネちゃん!成功!」
光はそう言うと、アカネに抱きついた。
あ、あたし、アリスさんみたいなコトしてる。
抱きつこうとした刹那、光の意識の一部に、そういう思いが浮かび上がったが、嬉しさが優先された。
「やりました。光お姉ちゃん!」
共に修業をする内、アカネは光の事を「光さん」から「光お姉ちゃん」と呼ぶようになっていた。
その様子をアオイは舞い舞台の前の端の客席に最も近い所に腰かけ、足をぶらぶらさせながら、懐かしそうに眺めていた。
『成したようですな』
アオイの隣に小さなカエルの焼き物があり、その背には蕗の葉を持つ蛙に似た小さな仙人の姿があった。
九十九神の蛙仙人だった。
雫がまだ時の女神となる前の光に送った蛙の焼き物に宿る九十九神。
光はそれをアオイに渡していたのだった。
『ところで、アオイ殿。その所業、ちと行儀が悪うは御座いませぬか?』
「あ」と言うと、アオイは境内に飛び降りた。
「えへへ」と照れ笑いする。
「あたしも昔もああいう事があったなぁって」と懐かしそうに言った。
アオイには母セリスの記憶がある。その記憶の中で、セリスもまた初代時の女神と共に修業した事を思い出したのだった。
アオイの視線の先には、抱きあっていた光とアカネは両手を繋ぐと、ぴょんぴょんと飛び跳ねている姿があった。
「さて、修業の次の段階」
雫がそう言うと、二人は急いで雫の前に行く。
「光、アカネに『空の穴』を教えてあげなさい」
「はい。雫さん」
そう言うと、光はアカネの方を向いた。
「いい? アカネちゃん、ゆっくり舞うから一緒に動いて」
くるりとアカネに背を向ける。
「そして、舞う時、出口の『空の穴』を成したい人の事を考えるの。今は練習だから雫さんの事を考えると良いわ」
光は舞扇を右手に持つと、ゆっくりと舞い始めた。
アカネもそれに続く。
舞が終わっても、「空の穴」は現れなかった。
失敗したのかと、アカネが肩を落す。
雫が声をかけた。
「アカネ、その技は出来ないのが当たり前。時の女神が現れるまで、誰も為しえなかった巫術だったのだから。私もアリスがまだ巫術師だった頃、二人がかりでようやく成しえたほどの難しい技だ」
少しうつむき加減だったアカネの顔が上を向く。
そこに声援が飛んできた。
「頑張れー。アカネー!」
その声の方にアカネが視線を向けると、腹の底から声を出して、真っ赤な顔をしているアオイの姿が見えた。
お母さん。
じんわりアカネの胸の内が暖かくなった。
でもちょっと恥ずかしい。
アカネの顔も赤くなる。
その様子を見ていた光は思った。
なんだか、運動会みたい。
いいなぁ。
ちくり。光の胸の奥が傷んだ。
思わず左手を胸に置く。
大丈夫。今は考えない。お姉ちゃんの事。
その様子を見守っていた雫の唇が極僅か薄くなった。
頑張れ、光。
雫は心の中で、そう呟いた。
■時を移ろう
修業は翌日も続いた。
数回の失敗の後、アカネは「空の穴」を成せるようになる。
そして、「無しの扇」を両手に形作り、舞えるようにまでになる。
僅か二日で、アカネは時の女神の技をわが物とした。
そしてこの先は、本当の意味で時の女神だけしか教えられない技を、光がアカネに教える段階となった。
境内に夕日が差し始めた。
「では、光。二人で」
「はい。雫さん」
光は体の向きをアカネの法に向ける。アカネから見ると逆光になる。
「アカネちゃん。ここから先は教えられない」
え?という顔をするアカネ。
「その技は口伝ではなく、自ら感じ取って成さねばならない、という事」
雫が言葉を添えた。
アカネの視線が雫を向き、光に戻と、光が頷いているのが判った。
光は右手を差し出した。
「さ、握って」
アカネは頷くと、その手を取った。左手で握り返す。
『聞こえる?』
驚いたアカネは右手で口を覆った。
光お姉ちゃんの声が、リンクの声で聞こえる!
『聞こえます!』
アカネがそう応えると、光は微笑んだ。
「読心の術の応用。繋いだ手を気脈で結んで、即席の『リンク』を作ったの」
あ、なるほど!
でも、読心の術、もう学んでるから、これが教えたい事、じゃないんだ。
「さて、ここからが本当の技」
光はそう言うと、じっとアカネの目を見つめた。
その真剣さに、少し怯むアカネ。
「これから時を渡ります。一緒に付いてきて。この手を決して離さないで」
光が右手に力を込めたのがアカネにも判った。アカネも左手で握り返す。
「始めます」
途端にアカネの視界が歪んだかと思うと、真っ暗になった。
きゃあ。
アカネは声を上げたが、その声は己が耳には届かなかった。
『大丈夫。ここは時の狭間』
光のリンクの声が聞こえてきた。
光の姿は見えないが、手を握られている感触だけはある。
『光お姉ちゃん……』
『怖がらないで、アカネちゃん。これからある「時」に行くわ』
『どこ? あ、いつ、か』
『とても大切な時。あたしも一度見てみたかった時』
アカネの視界が急に開けた。
そこはどこかの商店街だった。
「さ、そこに隠れましょ。アカネちゃん」
光はそう言うと、アカネをビルとビルの間の路地に引き入れた。
「こんな格好の美少女二人が居たら目立っちゃうからね」
巫女装束の少女が二人、確かに目立つ。何かのコスプレって思われちゃう。
アカネは真っ赤になった。
二人が隠れている前を中学校の制服を着た男子が歩いて行った。
その人物を、光はじっと見ていた。その視線を追って、アカネもその中学生男子を見る。
なんだか、告白の相手を物陰からのぞいてるって感じ、なんだけど。
妙な感想をアカネは抱いた。
その中学生男子は、一六堂と看板のかかった店を覗くと、その中に入って行った。
「さ、帰るわよ。アカネちゃん」
え、これだけ?
アカネには何の事かさっぱり訳が判らない。
「ここは、25年間の世界。時渡りは成功したのよ、アカネちゃん」
そう言うと、光はアカネをぎゅっと抱きしめた。
「これであなたも時の女神。女神のリンクには入っていないけど、時の女神と同じ力を持ってる事が証明されたの。ううん、時の女神以上の力をアカネちゃんは持ってる」
そして、まっすぐにアカネを見つめる。
アカネも光の目を見つめた。
「あの小さい竜を」
光は頷く。
「さ、戻りましょ」
その言葉が届くと同時に、アカネの視界はまた真っ暗になった。
■小望月
光たちが過去から戻ると、雫は言った。
「上手くいったようだな」
光とアカネは声を揃えて言う。
「はい、雫さん」
その様子に雫は頷く。
そこにアリスからの声が届いた。
『業務連絡。スーツは明日完成予定。着用者は受領に来る事。よろしくね〜♡』
早いなアリス。これは雫。
アリスママ、ありがとう! これはアカネ。
そして光は。
あーきっとあのナーグさん、今ごろ血眼になってスーツ作ってるんだわ。なんだか可哀想。
アリスが猛獣使いの格好をして、鞭でピシピシやっていて、ナーグ氏がミシンで超高速の裁縫している姿を思い描いていた。
夕餉が終わると、アカネはすぐに休んだ。
アカネは食事の最中からうとうとしていた。やはり、修行の疲れが出たのだろう。
アオイはアカネに付き添って行ったので、舞い舞台下手袖には雫と光の二人が残った。
小望月が山の端から姿を表す頃、二人は杯を持ってそれを眺めていた。
幾杯かの盃を乾した後。
「光。私は光が悲しんでいる事を知っているよ」
雫は月を見ながら、そう言った。
「……雫さん……」
月を見ながら、再び言う。
「悲しいのを、無理に我慢する必要はない。押さえ込んだ分、それは大きくなる……」
雫は杯を乾した。
月が雲で隠れた。
下を向いたまま光の持った杯に、涙が落ちた。小さな波紋が広がった。
光は杯をお膳に戻すと、体を傾け隣に座る雫の体を両手で抱きしめた。肩が震えていた。
雫もそっと光を抱き留めた。
風が木々を揺らし、雲が晴れ、月が再び顔を出した。
その光が寄り添う二人の姿を舞い舞台の上に浮かび上がらせる。
雫はやさしく光の髪を撫でた。
■これがスーツ?
翌日、光とアカネは順に「空の穴」を成すと、アリスの元へ飛んだ。
アリスの執務室に、光、アカネの順に姿を現す。
アカネが姿を現すと、アリスが抱きついた。
「キャ〜、アカネちゃん! 一人で『空の穴』出来るようになったのね〜!さっすがあたしの娘!天才だわ〜!」
アリスに抱きつかれ、頬を頬にぐにぐに押し付けられて、アカネは両手でアリスを押し離した。
「もう止めてよアリスママ!アカネは小さい子供じゃありません!」
怒っている。
「もう〜。アタシから見たら小さい子供よぉ」
アリスさん、そういうの子供の側からしたら、とてもイヤなものだと思うんだけど……。
と光が思った通り、アカネはキッとアリスを睨んでいる。
その視線をさらっとかわして、アリスは執務机の上にあるアタッシュケースを手に取ると、蓋を開けて中を二人に見せた。
「じゃーん。竜の星用宇宙服よ!」
これが?? と光。
これ服じゃないよ! とアカネ。
「光ちゃんは覚えていると思うけど、太陽まで飛んだ時に着た宇宙服『ベネット』。あれから改良を続けてて、女神用、正確には巫術師用の宇宙服の最新モデルを、竜の星用にチューニングしたものなの!」
「でもアリスさん、コレ、服には見えないんですけど……」
光が言う通り、スーツケースのクッションの中にはめ込まれたそれは、服というよりも、猫背の姿勢矯正のサポーターの背中側に電気刺激で筋トレする装置が付いているようなものだった。
「これを下着の下に装着して起動すると、外部の熱、気体の遮断、外気のフィルター、空気の供給、巫術のアシストとかもろもろサポートすのよ!」
目をぱちくりさせる光とアカネ。
「しかも! 動力源として、ご神体を解析してできた、霊脈高圧縮集積装置、圧縮くんを2本セットでお付けしてお値段は!」
アリスは両手の人さし指と親指で、どうみても単4乾電池みたいなものを摘んで持っている。
アリスの言うご神体とは、玄雨神社の旧ご神体である銅鏡の事。それには大量の霊脈が封じられていた。その用途は「霊脈の枯れたる地に赴く時」の為。霊脈を蓄える一種の巨大容量のバッテリーのようなものだった。
あー。悪乗りアリスさん大登場〜。ネーミングセンスも相変わらず。と、ちょっとうんざりした感想を光は抱く。
「きゃ〜アリスママ、素敵〜♪ ね!他にどんな機能があるの〜!」
え、アカネちゃん、ノリノリ? なんで……。
「さすがアカネ、良っく判ってる〜♪ とっておきは、このAIメタアリス!」
あ、なんだか嫌な予感がする。
「ぽちっとな〜〜♪」
アタッシュケースの中の電気刺激で筋トレする装置みたいなもののスイッチを押した。
「初めまして。メタアリスです」
とその装置から声がした。
「今は音声通話だけど、装着すると直接視覚聴覚系と繋がってコミュニケーションできるのよ!二人が行動した事もぜーんぶ記録されるから、戻ってきたら、あたしも竜の星がどんなのか、知る事ができるのよ。知るというより、二人が体験した事ぜーんぶメタアリスが記録して、あたしも後からそれを仮想体験できる、ってワケ!」
光は思い出した。
『その竜ってなんなのか、とても気になるのよね、あたし』
確かにアリスさん、そんなコト言ってたわ!
自分が竜の星に行けないから、仮想体験でその星に行く気なんだ。
「じゃ、アリスママも一緒に行くのと同じ?」
「だいたい同じ! メタアリスのAIはあたしの思考パターンを元にしてるから、困った事があったら言うと良いわよ。あたしと同じように超絶明快な答えを言ってくれるから!」
アカネは目をキラキラさせている。
「はい、これアカネの」
アリスはスーツケースをアカネに手渡した。
「ぅわーい。アリスママありがとう!」
アリスの頬にキスをする。スーツケースを受け取ると、ほんとうに嬉しそうに抱きしめた。
アリスはアカネにキスされて、でれでれになる。
「えへへへ。はい、こっちが光ちゃんの」と、でれでれを引きずったままスーツケースを光に渡した。
アカネとは対照的に、ちょっとだけおずおずとスーツケースを受け取る光。
「はい、最後に重要説明事項! 圧縮くんに入っている霊脈は1本で地球時間の1日分。で、空になると、もう一本の方に切り替わる。空になった方は、周囲の霊脈を吸い込み始めて、半日くらいでいっぱいになる。だから原理上、無限に活動可能。なんだけど、問題があるの。吸い込んでいる間、周りの霊脈が薄くなるから、巫術が使いにくくなるの。その間は、供給している方の圧縮くんの霊脈を使って。これ重要。忘れないでね」
ちょっと光は考える。
「あのアリスさん。吸い込む霊脈って、装着したら体のどっち側が多く吸い込むとか、あります?」
なるほど。という顔をアリスはした。
「そうね! 装置は背中側に付けて、術者の気脈を吸わないように調整してるから、主に背中側から吸うようになってるわ」
光は再び少し考えると、うん、と頷いた。
「判りました。上手く操れば、スーツの方の霊脈を使わなくても済みそうです」
アリスはにっこりと微笑んだ。
「流石時の女神ね」
アリスは懐かしそうにそう言った。
光はアカネがきょとんとしているのに気がついた。
「アカネちゃん、普段は術を使う時、周り全部から霊脈集めるでしょ」
「うん」
「その充電中になったら、体の前の方だけから霊脈集めるようにしたら良いって事みたい。こんな感じ」
そう言うと、霊脈を集め「無しの扇」を作った。
アカネには光の前の空間の霊脈が集まって、「無しの扇」になったように視えた。
「判った!」
光は一つの事に気がついた。
「アリスさん、もし、充電中に二人が背中合わせになっちゃったら、どうなります?」
「あ、その点は大丈夫。装着者の気脈を吸わないようになってるから。二つ同時稼働して、テスト済みよ〜。ま、充電率は大分落ちて、満充電まで半日が1日になっっちゃうけど」
さすがアリスさん。
「で、これは予備の1本。でもこれは空のヤツ」
空の圧縮くん、つまり、空のご神体。
光はその意味に気がついた。
「鬼をそれに封じるんですね」
アリスは頷く。悪乗りモードは店じまいしたように真剣だった。
「光ちゃんは鬼払いの経験というか記憶があるでしょ。礫みたいに女神は鬼を解きほぐせないから、これに封じるの」
アカネも「鬼」について教わっている。
だから、アリスが何を言っているか良く判った。
死に神である礫は、鬼の思いを解きほぐし、霊脈に戻す事で鬼を消失させる事が出来る。だが、それは死に神の業。女神達には難しい業。そこで、鬼も霊脈で有る事を利用して、空の圧縮くんに封じてしまおうというプランだった。封じられた鬼は時間と共に鎮まり、元の霊脈に戻る。これはご神体を使って既に行われていた事だった。
光もアカネもアリスの言葉に頷いた。
ぱっと花が咲いたようにアリスが笑顔になった。
「じゃ、スーツの最終テストね!」
ちょっと考える光とアカネ、とある事に気がつく。
「あの〜、確かこのスーツ、下着の下につけるって、さっき……」
「そうよ。はい、さっさと装着する。急いだ急いだ」
アカネが真っ赤になった。真っ赤になっただけでなく、目がぐるぐるしている。
光も頬を朱に染めている。
「ナニ赤くなってるのよ。女同士なのに」
アリスは意地悪そうな笑みを浮かべている。
しばらく光とアカネの様子を眺めた後、さらっとこう言った。
「ちゃんとソコに更衣室準備してるわよ。さっさと装着してくる!ホラ!」
ぱんとアリスが手を叩くと、それをスタートの合図のように、アタッシュケースを抱えたアカネが猛ダッシュで更衣室に飛び込んだ。
その勢いで執務室に風が起こるほど。
その様子を見ていた光が思わずアリスに言う。
「アリスさん、そうやって子供弄るのは、教育上良くないと思います」
それを聞くとアリスは更に意地悪そうな笑みを浮かべた。
「じゃ、光ちゃんを弄るのは良い訳だ〜」
ひゅん。そういう擬音がぴったりくる程の速度で光も更衣室に飛び込んだ。
二人がわたわたとスーツの装着をしていると、外からけたけたというアリスの笑い声が聞こえてきた。
光は心の中で叫んだ。
もう、アリスさんの莫迦ぁ〜〜。
■最終テスト
二人はぶつぶつ文句を言いながらスーツを装着し、巫女装束を身にまとう。
すると。
すっと気分が楽になった。というよりも意識が鮮明になった。
体全体が薄い光を放っている。
体が楽に動かせるのに気がついた。
アリスの弄りへの不満はたちどころに消えて行った。
「どう?気分は」
二人が更衣室から出てくると、アリスが声をかけた。
「すごく気持ちいい!とても遠くまで視渡せるみたい!」
アカネが上気した顔でそう言った。
光は薄く光を放っている自分の両手を見た後、アリスに言った。
「アリスさん、これって」
「そう、神脈よ」
女神の体調が此の上なくよい時に現れる気脈の状態。それを神脈と称している。
「女神だけでなく、巫術師ならその領域に到達できるように調整したの」
アカネも薄く光を放つ自分の両手を見て「きれい」と言った。
「さて、宇宙空間に飛んでみて。月くらいが適当かな」
光は頷くと、アカネに言う。
「月に『無しの扇』を作ってみて」
アカネの髪が瞬時に赤くなる。扇を振る。
「え?」
アカネは『無しの扇』を月面上に作ったと実感できていた。しかし、それがほとんど負担無く行えた事に驚いていた。
「じゃ、アカネちゃん、飛ぼう」
「はい!」
アカネは光に応えると、「空の穴を」の舞を舞う。
光も舞う、同じ舞を。
「行ってらっしゃい」
アリスがそう言い終わった時には、二人の姿は消えていた。
「きゃあ」
アアネは悲鳴をあげた。地球と同じつもりで動いて、大きくジャンプしてしまった為だ。
光がゆっくり動いて、アカネの手を取り、着地させる。
「こんなに体が軽く感じたの初めて。光お姉ちゃん」
月面だから体が軽い、という事をアカネは言っているのではない、と光も判っていた。
体が軽く、舞を舞いやすい。巫術を行うのがとても容易になっている、と感じた。
「光お姉ちゃん、地球が見えるよ」
「うん。綺麗だね」
月面の地平線の向うに、上半分だけ見える地球が浮かんでいた。
「空気が無いのに、有るみたいに感じるし、普通に喋ってお話できるんだ」
くすり、と光が笑いをこぼした。
「ホントにアリスさんは人を弄るのが好きだけど、マッドサイエンティストとしての腕は超一流ね。ますます磨きがかかってる」
「ほんと!」
二人は声を出して笑っていた。
『はいはい、そろそろコッチに戻って来て』
リンクの声でアリスがそう言った。
「じゃ、アカネちゃん、戻ろうか」
「はい!」
再び二人は「空の穴」の舞を舞う。そして消えた。
あまりにも自然に舞を舞えた為、二人は全く気がつかなかった。そこが月面で、地球の重力の六分の一しかない事に。
それほどスーツのサポートは完璧だった。
「はい、お帰りなさい」
二人が執務室に現れるとアリスが二人にそう言うと、何か指示しているような様子だった。
あ、アリスママ、サーバントに何か指示してる。
アリスは多数のサーバントを持つ。アリスとサーバントも女神のリンクのように会話できる。
アリスは視線を二人に戻した。
「さっきの月面でのを見て、環境への適応を最適化したの。すぐに地球と同じになるように調整したから」
あ、さっきあたしがうっかりジャンプしたの見て、調整したんだ。
少しだけ、アリスが真剣そうに言う。
「月面と違って竜の星は未知の世界。その星の環境でもすぐに地球と同じように動ける方が良いものね」
その後急に意地悪そうな表情を浮かべると「アカネがちょっとドジっ娘で、最後の調整が出来たわ!」と言った。
「ゔ〜。アカネ、ドジっ娘じゃないもん!」
ちょっとだけ赤くなっている。
「でも、アリスママ、あたしの事、心配してくれてるの判る。スーツありがとう。アリスママ大好き!」
アカネはアリスに抱きついた。
意地悪アリスは溶けてなくなり、でれでれアリスになった。
その様子を見て、光はこういう感想を持った。
はあ。アリスさんも相当だけど、アカネちゃんの方が上手かも。
くすり。光は小さく笑った。
■満月
光とアカネは玄雨神社に戻った。
別れ際、アリスは光とアカネの順に抱きしめた。
ぱっと離れると、「じゃ、頑張ってね!土産話楽しみにしてるから!」と楽しそうに言った。
二人が戻ると、雫は二人に休むように言った。
「出発は今宵の満月が南中する時。それまでゆっくり休むと良い」
二人が休むと、雫はアリスにリンクで話しかける。
『二人は休んだようだ。アリス』
『こっちは最終テストのデータを解析して、最後のチューニングを終わらせて、それをスーツのAIに覚えさせてるところ。向うに行ったら、AIが調整し続けるから』
アリスは入念に準備していた。
雫は二人に必要と思われる修業を行った。
『私たちは無事帰るのを待つだけだ』
それでも、遠い時の線に渡る業を行うのはぶっつけ本番。
『だからこそ、できるだけの準備をしないとね』
『ああ、宜しく頼む。アリス』
『万事アリスにお任せ〜』
軽口をきいて、アリスのリンクの声は消えた。
玄雨神社の境内を夕闇が覆いつつある。
暫くすると、山の端から満月が昇ってきた。
雫は満月を見ると、静かに祈りを捧げると、一差し舞い始めた。