90、 愛だろっ、愛っ!
「延長戦、 始め! 」
主審の声を合図に、 恩田選手と俺が立ち上がり、 竹刀を交える。
「ヤァーーーーッ! 」
「ウォーーーーッ! 」
鍔迫り合いをしながら、面の中からグッと睨み合う。
視線を外したら負けだ。
集中力と気迫の勝負。
「ヤーーーーッ! 」
「ハァーーーーッ! 」
大声で自分を奮い立たせながら、 チャンスを窺うが、 相手だって一歩も引かない。
そりゃあ、 そうだろう。
延長戦は、 どちらかが1本取るまで続くサドンデス。
勝敗がほんの一瞬の隙で決まってしまうことを、 俺たちは知っている……。
ーー くそっ!
相手は俺が竹刀をちょっと動かすたびに、サッと顔面の防御に入る。
俺が面しか打っていない事に気付いているんだろう。
試合は延長戦に入ってから、 既に4分以上は経過していた。
決勝戦トータルで考えると、 8分近くの激闘だ。
お互いに何度か打ちには行っているけれど、 決め手に欠けて旗が上がらない。
ーー マズイな……。
気合いは充分なのに、 気持ちに左足が付いて来ない。
腫れが酷くなってきたのか、 指先の感覚が鈍くなってきた。
このままでは全く動けなくなり、 案山子のように立ち尽くしたまま、 好き勝手に打ち込まれてしまうだけだろう。
ーー 動けるうちに仕掛けるしかない…… だけど、 いつだ?!
相手が狙ってるのは、 得意技の『面返し胴』だろう。
俺が面を打ちに行ったタイミングで胴を打つ気だ。
その証拠に、 さっきから何度も誘いをかけてきている。
だけどそんな挑発には乗ってやらない。 俺は俺のペースで、 俺のタイミングで行かせてもらうからな……。
この勝負は、 焦れた方の負けなんだ。
試合時間が5分を過ぎると、 恩田選手は完全に面のみを守るようになっていた。
小手と胴がガラ空きだ。
今なら小手と胴のどちらに打ち込んでもキマるだろう。
ーー 小手に行くか……。
そう考えて、 すぐに思い留まった。
ーー いや、 俺はあくまでも、 面で行く!
優勝が懸かっているこの局面で、 そんな事に拘るなんて馬鹿げてるのは、 自分でも承知の上だ。
だけど、 ハナに捧げる一本は、 正々堂々と、 ど真ん中で勝負したいんだ。
なあ、 じいちゃん。 じいちゃんは『無心で挑め』って言ったけどさ、 俺にはそんなの無理なんだよ。
俺の頭ん中はやっぱりいつだってハナのことでいっぱいで、 ハナの前では強くてカッコいい俺でいたいって思っちゃうんだよ。
だけどさ、 じいちゃん、 俺の目標を高く引き上げてくれるのも、 そのために頑張ろうって思わせてくれるのも、 いつだってハナなんだ。
強くなるのも賢くなるのもハナのため、 剣道でここまで来ることが出来たのも、 ハナがいてくれたから。
だからさ、 こんな時くらい、 男の見栄を張ったっていいだろう?
ハナのお陰で立っている大舞台で、 ハナのための一打を打ち込んだっていいだろう?
だってさ …… 最後に勝つのはやっぱ、 愛だろ、 愛っ!
「コタロー、 イケーーっ! 」
沢山の声援の中から、 たった1人のその声だけが聞こえた時、 アイツがテーピングをしてくれた足元から、 全身に力が漲ったような気がした。
「うぉーーーーーーっ! 」
気合いを込めて、 腹の底から大声を張り上げズイッと一歩前に出ると、 相手の視線が一瞬たじろぎ、 剣先が僅かに下がった。
ーー今だっ!
「メーーーーーーン! 」
相手の面めがけて、 俺は渾身の一撃を打ち込んだ。