89、 勝利の女神
「チクショー、 めちゃくちゃ痛ってぇ〜」
俺は面の内側で小さく呟いた。
先制攻撃は最初から考えていた。
『イケそうなら開始直後に打ちかます』
それが見事に功を奏して、 試合開始後ほんの5秒で1本目を先取することが出来た。
『2本取ったら勝ち』の剣道において、 最初の1本の重みはとても大きい。
相手の恩田選手には相当なプレッシャーになっているはずだ。
だが、 問題はここからだ。
今のは立ち上がり直後の隙をついた遭遇戦のようなものだ。
これで相手は警戒を強めるから容易くは打たせてもらえないだろうし、 死に物狂いで1本を取り返しに来るだろう。
それに…… 今の衝撃で、 左足の痛みがさらに悪化した。
靭帯か軟骨を損傷しているのかも知れない。
少し動かすだけでも、 叫び出しそうになるくらいの激痛が走る。
ーー さあ、 ここからどうするか……。
こっちは既に1本取ってるんだ、 このまま時間稼ぎをして一本勝ちという手だってある。
ーー いや、 駄目だ!
やっぱりこんなのは俺らしくない。
そんなんじゃ勝ってもハナに自慢できない。
あれこれ策を弄せず、 俺らしい、 いつもの攻めの剣道をやるのみ……だ。
そう決意して試合に挑んだはいいものの、 やはり思うように動けず、 防戦一方になってきた。
鍔迫り合いで面越しに睨み合い、 お互いに頷いて距離を置こうと退がる途中で、 パシッと竹刀を叩き落とされ反則を取られた。
ーーくっそ…… やられた!
別れ際の竹刀落としか…… 。
恩田選手はこんな戦い方はしないと思っていたけれど…… そう思い込んでいた俺の油断がいけないんだな。
気持ちを引き締め、 次は相手の攻撃を躱し、 下がりながら引き面を仕掛ける。
ズキン!
ーー 痛っ……!
いつもの調子で下がろうとしたら、 左足が邪魔をした。
そこを見逃さなかった恩田選手に勢いよく押され、 俺はあっけなく場外へ……。
ーー くっそ……!
痛い、 苦しい、 辛い……。
ここに来ての同点は、 精神的にも肉体的にもかなりのダメージだ。
3分ってこんなに長かったっけ?
全身の汗が半端ないんだけど。
額を伝う汗が、 目にしみる。
足がズキンズキンするし、 左足を庇うせいで、 右足の筋肉まで吊ってきた。
ーー シンドいな……。
そう思っていた刹那、 天から声が降ってきた。
「コタロー! 立って! 」
ーーえっ?!
「コタロー、 立って戦って! 」
ーー ハナ…… なんだよお前、 目立つのが嫌いなんじゃなかったのかよ。
なに1人だけ立ち上がって叫んでんだよ。
めちゃくちゃ注目浴びてるぞ。
お前バカじゃないの?
こんなの…… 嬉しすぎるだろっ!
「コタロー、 まだ試合は終わってないよ! コタローはまだ頑張れる! 勇往邁進! 」
弱りきった心にストレートに刺さる、 励ましの言葉。
それは 俺が今、 一番言って欲しかった、 何よりの激励だ。
そうだよな、 まだ俺の試合は終わってない。
俺が諦めない限り…… まだ勝利への道は閉ざされていないんだよな。
ハナの声を皮切りに、 会場中が声援で包まれる。
だけど俺には、 勝利の女神の声だけが、 ハッキリ耳に届いてきた。
「コタロー、 これからカッコイイとこ見せてくれるんでしょ! 私はちゃんと最後まで見てるよ! 」
なんだよハナ、 今日のお前はカッコ良すぎるだろ。
俺だって負けてらんないじゃん。
お前がそんなコト言うなら…… カッコいい俺を見せないわけにいかないだろう?!
目をしっかり見開いて、 最後まで俺の勇姿を見届けろよ!
俺はゆっくり立ち上がり、 首をグルリと回してから、 2階最前列のハナを見た。
俺の視線の先にいるのは、 全身で俺を応援してくれている最愛の彼女。
チョコレート色のシュシュをつけた、 勝利の女神。
「ハハッ…… 俺の女神、 くっそカワイイわ。 こんなの負ける気がしねぇな」
大丈夫、 こんな強がりが言えるうちは、 俺にはまだ余裕があるってことだ。
延長戦ということは、 お互い一からの仕切り直し。
疲れてるのは相手だって同じなんだ……。
「ハナ…… 見てろよ」
俺はニヤッと口角を上げると、 いざ決戦の舞台へと、 ゆっくり足を踏み出した。