84、 ハナ、 テーピングだ!
「あなた…… 何を言ってるの? 滝高に入るですって? 」
「はい」
「冗談でしょ? うちの学校に高校から外進で入りたい子は、 2年生か、 遅くても中3の春から受験対策を始めてるのよ。 あなた進学塾には通ってるの? 」
「いいえ、 塾には通ってません ……でも、 優秀な先生の個人授業を受けてるので」
「個人授業? 家庭教師ってこと? 」
「…… はい。 コタローのおじいさんの宗次郎先生に、 週2回、 家に来てもらってるんです」
「ああ…… 塾講師の特別授業ってわけね。 家族ぐるみでお付き合いなんてされたら、 もう勝てる気がしないわね …… 挫けそうだわ」
「…… それと、 宗次郎先生に剣道のこともちょっとずつ教えてもらってるんです。 剣道部のマネージャーになりたくて…… 」
「剣道は個人競技だし、 そんなもの必要ないわよ」
「だけど先輩は中学でマネージャーしてましたよね」
「…… それはまあね、 下心があったから…… 」
「私も下心なんで。 でも、 やるとなったら真面目に働きますよ」
色葉先輩は半分笑ったような、 でも苦虫を噛み潰したような複雑な表情をして、
「まあ、 受験生に落ちろとは言わないけれど…… 出来れば来ないでいただきたいわね」
と呟いた。
「言ってるようなもんじゃないですか」
「ふふっ…… あっ、 虎太朗くんたちが竹刀と面を持ってコートに向かったわ。 次がうちの学校の試合よ」
「はい」
私たちは落ち着いて試合を観るために、 私は京ちゃんと宗次郎先生の間の席、 先輩は通路を挟んで反対側の自分の席にそれぞれ座った。
団体戦は5人チームで、 先鋒から順に1対1で戦っていって、 勝者の多い方が勝ち。
コタローは大将だから、 戦うのは一番最後だ。
第1試合は2対2で大将戦に持ち込まれたけれど、 コタローの2本勝ちでどうにか次の試合に勝ち進んだ。
「あいつは面だけで戦うつもりだな」
隣で宗次郎先生がボソリと呟いた。
「えっ、 どういう事ですか? 」
「花名ちゃん、 今日の虎太朗はな、 最初の試合からずっと、 面以外を打ってないんだよ」
「それって良くないんですか? 」
「悪いことではない。 あいつは面打ちが得意だから、 得意技を使うのは普通のことだ」
「それじゃあ別に…… 」
「花名ちゃん、 侍が剣を竹の棒に持ち替えたのが剣道だ。 相手の額を叩き割り、 腹を掻っさばき、 手首を切り落として戦さ場で戦う代わりに、 剣道ではコートに立って、 面や胴、 小手を打つ。 生きるか死ぬかの戦場で、 勝てるチャンスがあるのに、 そこを狙わないのは大馬鹿ものだ」
「コタローは狙ってないんですか? 」
「ああ、 面に拘っているから、 無駄に試合が長引く。 相手も虎太朗が面しか打ってこないと分かれば、 防御するのは頭だけでいいから守りやすい」
「どうしてそんな無茶を…… 」
私がそう言うと、 宗次郎先生はニヤッと笑って耳元で囁いた。
「花名ちゃん、 愛だよ、 愛」
「ええっ?! 」
「俺はアイツが大馬鹿ものだと思うけどね、 虎太朗の試合は虎太朗のものだ。 アイツが何を打とうが、 どこを狙おうが、 誰にも止めることは出来ないよ。 こちらで出来ることは、 ただ応援するのみだ、 そうだろう? 」
「…… はい」
そうだ、 私たちは応援するためにここに来ているんだ。
コタローを信じて、 ひたすら声を張り上げて、 コタローに心を届けよう……。
そんな私たちの願いも虚しく、 第2試合は残念ながら、 コタローの順番になる前に相手が3勝してしまい、 早々にチームの負けが確定した。
だけど最後まで試合は続行されるので、 消化試合でコタローはコートに立っている。
竹刀をかまえ、 主審の「始め!」の声で試合は始まった。
開始早々にコタローの面が決まり、 1本先勝。
この勢いで早々に勝敗が決するかと思われた時に、 事故は起こった。
チームとしては勝負が決まっているものの、 大将のプライドを賭けて必死になった相手選手が、 死にもの狂いになって乱暴に打ち込んできた。
近い距離から無理矢理コタローの懐に飛び込んできて、 コタローの左足を踏みつけた状態で、 そのまま2人揃ってひっくり返った。
「コタロー! 」
コタローが床にお尻をついたまま、 左足を押さえてじっとしている。
「あれは捻ったかも知れんな」
「嘘っ! まだ試合があるのに! 」
不安になりながら見守っていると、 コタローは左足を引きずりながらゆっくり立ち上がって、 審判に礼をした。
このまま試合を続行するつもりだ。
ーー あの状態で?!
案の定、 コタローは左足を上手く動かせず、 戦いも精彩を欠くものとなった。 守るので精一杯という感じだ。
「あんなに辛そうに…… もう十分だよ…… 」
見ている方が辛くなってくる。 ボクシングの試合のように、 タオルを投げて止められたらいいのに……。
短くて長い3分が過ぎ、 コタローは最初に取っていた1本のお陰で辛勝した。
コタローが面を取り、 足を引きずりながらこちらの方に来ると、 左足だけ伸ばしてズルリと壁際に座り込む。 やはり痛むようで、 顔をしかめている。
「コタロー! 」
「虎太朗くん! 」
私と色葉先輩が、 同時にガタッと立ち上がって叫んだ。
お互いに顔を見合わせて黙り込む。
「…… 私が行くわ。 あなたじゃ応急処置は出来ないでしょ」
「出来ます」
「えっ? 」
「練習しましたから」
そのとき下から、 私を呼ぶ声がした。
「ハナ! 」
慌てて手すりに掴まり下を覗き込むと、 観覧席の下で立ち上がり、 こちらを見上げているコタローがいた。
「ハナ、 テーピングだ! 来い! 」