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79、 決戦前夜


虎太朗(こたろう)、 これからみんなで俺の部屋に集まってオヤツを食べながら、 去年の試合の動画を見ようかって話してるんだけど」


「ああ、 俺はいいや、 自分の部屋で休んどく」



お風呂上がりの部員の誘いを断って、 1人でホテルの部屋に向かう。



去年の動画なら、 試合が終わった翌日から、 もう何十回も、 それこそあの時の動きをそのまま再現できるくらい、 何度も何度も繰り返し()てきた。


敗因は何だったのか、 あの時自分はどう動くべきだったのか……。

何度も考え、 シミュレーションを繰り返し、 対戦相手の研究もした。



だから試合の前日である今日は、 あの時の動画を見る必要はない。

そんなのは逆に、 負けた時のイメージを自分に植え付けて逆効果になるだけだ。


今の自分に必要なのは、 心と体の安定と休息。


だから……。



「ああ、 ハナに会いたいな」


ベッドに腰掛けながら、 思わずボソリと呟いた。



ーー アイツ、 泣いてたよな。



自分の試合みたいに緊張してるって言ってた。

たった2時間の距離なのに、 明日にはまた会えるのに…… 遠くに行っちゃうみたいだって、 涙をポロポロ(こぼ)して……。



抱き枕を胸に抱いて(ふる)えていた小さな背中を思い出すと、 胸がギュウッとなって苦しくなる。


俺が長年抱えてきたのと同じような気持ちを、 今ではあいつも持っていてくれる。

そう思うと、 なんとも言えない満足感と幸福感で胸がいっぱいになって、 (あふ)れた分を大声で叫び出したくなるくらいだ。



ーー やっと…… やっとここまで来た。



だからこそ、 明日の試合は絶対に負けるわけにいかない。

そう思うと、 背筋にピリッと緊張が走った。




「やっぱ声を聞いとこ」



枕の上に放り投げてあったスマホを手に取り、 大好きなあの子の名前をタップする。



緊張した心を(ほぐ)すには、 勝利の女神の甘い(ささや)きが何よりなんだ。



***



明日の荷物をバッグに詰めていたら、 枕の上に放り投げてあったスマホが鳴った。



ーー えっ、 コタロー?!


すぐさま画面をタップして、 スマホを耳に当てる。



「コタロー、 どうしたの? 」

「ん? ハナがちゃんと泣き止んだかな〜と思って」


「バカっ! 流石にもう泣いてないよ! 」

「ハハッ、 今なにしてたの? 」


「明日の荷物を準備してた」

「準備って、 お前は日帰りで試合を見るだけだろ」


「それでもいろいろ準備があるの! 」

「そっか…… 俺の芝犬(しばいぬ)は元気? 」


「うん。 あっ、 ごめん。 涙で汚れたかも」

「鼻水な」

「ちがうわっ! 」



急に電話してきた割に、 話の内容はとりとめもない事ばかり。

もしかしたらコタローは、 こうやって試合前の緊張を解そうとしてるのかもしれない。



「ああ、 そう言えば、 その芝犬な、『ハナ』って名前なんだぜ。 可愛いだろ」



ーー はああっ?!


「何言ってんの、 この子は男の子でしょ? 私はいつも心の中で『シバ君』って呼んでたんだけど」


所有(しょゆう)権は俺にあるんだから、 命名(めいめい)権も俺にあるに決まってるだろ」



「自分で自分の名前の枕を抱きしめてるって、 私がバカっぽいじゃん」


「…… 分かった。 そんじゃそいつは男の子ってことでいいよ。 その代わり『コタロー』って呼んで全力で()でてやって」



「はぁああっ?! バッカじゃないの?! 」

「ハハハッ、 お前、 今、 絶対に真っ赤になってるだろ」


「なったわっ! 真っ赤だわっ! 」

「ハハハッ」


「真っ赤ついでに恥ずかしいこと言っちゃうよ! この子をコタローだと思って全力で()でとくから! 全力で『頑張れ!』って頭を撫でておくから! …… だから、 私の夢でも見ながら今夜はグッスリ寝なさいよ! 」



顔を見ながらでは絶対に言えないようなセリフを吐いたら、 電話の向こうのコタローが黙り込んだ。



「コタロー? 大丈夫? 」


「…… 大丈夫じゃねえわ! (もだ)え死ぬわっ! 」

「えええっ?! 励まそうと思ったのに! 」




「…… 違うよ、 本当は俺がお前を励まそうと思って電話したんだよ」


ーー えっ?



「…… どういうこと? 」



「お前…… 今朝、 泣いてただろ? 」

「うん」


「やっぱ、 ビビってんのかな…… って思って」

「…… ああ」



やっぱりコタローにはお見通しなんだ。


私の中に、 コタローの彼女になりたい気持ちと、 新しい関係に踏み出すことを恐れる気持ちがあるということを。



「だからな、 土壇場(どたんば)でドンデン返しされないように、 プレゼンさせてくれ」

「プレゼン?! 」


「そう、 決戦前の最終プレゼンだ。 言うぞ。 まずな、 お前の好みも何もかも知り尽くした上で、 お前のわがままを全て叶えられるのは世界中で俺しかいない」


(おっしゃ)る通りです」



「俺の気持ちは年季(ねんき)が入っている。 今更お前が鼻水を垂らそうがイビキをかこうが幻滅しないし揺るがない」


「イビキなんか……かかないよ」

「お前、 自分で気付いてないのかよっ! めちゃくちゃかくっちゅうの! それでも俺はいいって言ってんの! 」

「はああ?! 」




「だからな…… 俺を選んどけ。 一生大事にするから。 いろいろ不安なのは分かるけど、 それを乗り越えて、 飛び込んでこいよ」


「…… うん」



「まあ、 要は、 お前の方から胸に飛び込んで来るくらい明日の俺が輝いてればいいんだよな。 うん、 ハナと喋ってたら気力が湧いてきたわ。 ありがとうな、 ハナ」


「ありがとう……って、 私は何もしてないのに…… 」



「いや、 お前のお陰でリラックス出来たし、 いい意味で気合が入った。 もう俺にはトロフィーを抱えてる自分の姿しかイメージ出来ないわ。 勝つよ…… 俺」



「うん、 勝つよ、 コタローは」




電話を切ってからも、 私はしばらくスマホを握りしめたまま、 会話の余韻(よいん)(ひた)っていた。



ーー コタローは絶対に勝つ。 そして私は…… 覚悟を決める。



決戦は明日、 コタローにとっても私にとっても運命の試合まで、 あと12時間。


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