64、 コタロー、じいちゃんの言葉に覚醒する (2)
じいちゃんは目の前の碁盤を横にどけると、 自分も座布団の上で胡座をかいて、 本格的に話をする態勢に入った。
「コタロー、 塾のガラスボウルのチョコレート、 あれを毎日じいちゃんが追加してるのは知ってるだろう? 」
「うん、 塾が始まる前にキッチンで入れてるよね」
じいちゃんは、 そうだと言うように頷いてから、 話を続けた。
「あれな、 じいちゃんがただ適当に追加してると思うか? 」
「えっ、 どういう意味? 」
「塾に来る生徒達は、 あのチョコレートをもらうのを楽しみにしてくれている。 たかだか10円や20円の、 どこでも買えるチョコなのに…… だ。 何故だか分かるか? 」
「うん…… 分かるよ。『選べる』からだ」
うん、 それは俺にも良く分かる。
だってハナがそうだから。
大きなボウル一杯に詰まったいろんな種類のチョコの中から、 たった1つのお気に入りを選ぶ、 宝探しのような時間。
ハナも、 みんなも、 それを楽しみにしてるんだ。
そして俺だって…… 今日のチョコレートの写真を送りながら、『ハナはきっとコレを選ぶんだろうな……』なんて予想して、 それが当たっていた時には密かにガッツポーズをして浮かれたりして……。
スゲえよ、 チョコレート。
たった1粒の中に無限の夢と可能性が詰まってるんだぜ。
「 チョコのポテンシャルがハンパないな」
思わず呟いたら、 じいちゃんが目を細めて頷いた。
「その通りだ。 みんなその1個のために、 目をキラキラさせながらボウルの中に手を突っ込んで行くんだ。 だからじいちゃんは、 ボウルを棚に戻す前に、 観察することにしている」
「観察? 」
「そうだ。 ガラスのボウルをいろんな方向からじっくり眺めて、 ここに残っているのがどんな種類のチョコで、 どんな色が多いのかを覚えておく。 チョコの種類も大事だけど、 いろんな色があることも大事なんだ。 色彩のインパクトも重要だからな」
「ああ…… 」
じいちゃんの言ってることが呑み込めてきた。
じいちゃんはチョコレートをバランス良く追加するために、 毎日塾が終わってからボウルの中身をチェックしているし、 キッチンの棚の中に残っているチョコレートも調べている。
種類に偏りがあったり不足しているようなら、 翌日お店に行って買い足さなくてはいけないから。
そして塾が始まる前に追加しようとボウルを見たら、 昨夜あったはずのチョコが1個だけ無くなっている。 翌日も、 その翌日も。 決して気のせいではない。
『犯人は誰だ』とちょっと考えたら、 状況証拠から見て、 容疑者の確定なんて容易いことだったのだろう。
「じいちゃんは、 知っててどうして黙ってたの? 」
『甘いもの禁止令』のことは知っていただろうし、 囲碁の時間をズラしたのだって、 チョコレートのためにじいちゃんを利用したようなものだ。
怒ってたっておかしくない。
するとじいちゃんは、 歯を見せてニッと笑うと、 身体を前に乗り出してこう言った。
「花名ちゃんも俺の可愛い生徒だからな、 うちのチョコレートを食べる権利があるんだよ。 それにな…… 男は女を落とすためにせっせと貢ぎ物をする生き物なんだよ。 同じ男として、 孫の恋路を邪魔するわけにはいかないだろ? 」
ーー 貢ぎ…… 恋路って!
身内からそんなセリフを吐かれたら、 普通に聞くより1000倍照れる。
俺は耳まで真っ赤になりながら、「黙っててくれて、 ありがとう」と呟くしかなかった。
俺はじいちゃんの、 こういうユーモアがあるところも大好きなんだ……。
「それでな、 虎太朗、 ここからが本番だ」
「えっ? 」
俺がモジモジしていたら、 急にじいちゃんの表情が真剣なものに変わった。
俺はこの顔を良く知っている。
これはじいちゃんが説教を始める時の表情だ。
俺は崩していた足を引っ込めて再び正座をすると、 背筋をピンと伸ばして居住まいを正した。