54、 コタロー惨めになる
「ねえ天野くん、 今度一緒に滝高の学園祭に行かない? 」
放課後、 道着に着替え終わってストレッチを始めようとしていたら、 色葉先輩に声を掛けられた。
剣道部の3年生は8月の全国大会までで引退だったけれど、 色葉先輩だけは今もこうしてちょくちょく顔を出してはマネージャー業務を手伝ってくれている。
それは色葉先輩が、 剣道の実績と、 常に学年上位の成績を認められて、 私立滝山高校への推薦入学をほぼ確実にしているからだ。
「滝山高校の学園祭…… ですか? 」
「そう。 この前、 滝高の剣道部の見学に行ったらね、 顧問の濱口先生が、『天野くんも是非連れておいで』って」
滝山高校は有名大学への合格率が高いことで有名な進学校で、 演劇部や吹奏楽部が全国大会に出場するなど、 文科系の部活が強いことでも名が知れ渡っている。
最近は運動系の部活にも力を入れ始めていて、 数年前に武道場を新設したというのは有名な話だ。
「俺も滝高には興味があったんで、 見学に行きたいとは思ってたんですけど…… 2人ではちょっと…… 」
「あら、 前に私と友達になってくれるって言ったわよね。 友達と学園祭に行っちゃダメなの? それともあの幼馴染のハナちゃんに叱られるの? 」
「いや、 ハナに叱られるとかじゃなくて…… 」
『俺がハナに誤解されたくないんですよ』と言おうとしたら、
「そうよね、 あの子は関係ないわよね。 彼女自身が『関係ない』ってハッキリ言ってたもの。 それに、 あなた達が別れたっていうのは有名ですもんね」
「えっ、 別れた?! 有名って…… 」
別れるも何も、 俺とハナはそもそも付き合うところまで行ってないのに、 いつの間にそんな噂が出回ってたんだ……。
だからなのか。
最近下駄箱にラブレターが入っていたり、 武道場の前のギャラリーが増えたのは。
「…… ったく、 勘弁してくれよ」
思わず愚痴がこぼれる。
これ以上ハナを刺激しないようにと距離をとってる最中なのに、 違う方向から精神攻撃をされたら、 アイツがますます離れてしまう。
「色葉先輩、 俺やっぱり学園祭には…… 」
「えっ、 学園祭?! 俺も行きたいッス! 」
「俺も! 色葉先輩、 俺も行っちゃっていいですか?」
「ええ、 もちろんよ。 みんなで待ち合わせて行きましょうよ」
断りを入れようとした時に、 他の部員もわらわらと集まってきて、 色葉先輩がニコニコしながら詳細を説明し始める。
「天野くんも剣道部を見に行くでしょ? 濱口先生に伝えておくわね」
「…… はい」
俺はため息を一つ吐いてから、 計画を立てている仲間の輪に加わった。
俺とハナの関係はと言うと、 あの日を境に1万光年くらい距離が離れてしまっている。
もちろん実際には家が隣同士なのは変わらなくて、 ただ心の距離だけがぐんぐんと広がっているという状態だ。
あの事件の翌週、 自転車で家を出ようとしたら、 同じく家を出ようとしていたハナと玄関前で鉢合わせした。
「ハナ…… おはよう」
「…… おはよう」
ーー 良かった、 とりあえず無視はされなかった。
「あのさ、 金曜日は…… 」
謝りの言葉を言う前に、 ハナはフイッと視線を逸らして自転車に跨った。
あの件には絶対に触れられたくないと言うことなんだろう。
いつもなら並んで登校するところだけど、 ハナの強張った表情が、 それを拒絶していた。
だから俺は、 少し遅れてハナの後ろから自転車を走らせた。
ハナはゆっくりだから、 ちょっとスピードを上げれば、 すぐに追いついてしまう。
小さな背中とピョコピョコ揺れるポニーテールを遠目に見ながら、 追い付くことも、 追い抜くことも出来ないまま、 ノロノロと自転車を漕ぎ続ける。
ーー ハハッ…… これじゃ俺、 マジでストーカーみたいだな。
いつもなら楽しい時間だったはずが、 苦痛以外の何ものでも無い。
たった5分の通学時間が、 その日は永遠のように感じた。
自分が惨めで情けなくて、 鼻の奥がツンとした。
思わず喉から笑いが込み上げる。
その翌日から俺は、『早朝練習』という名目で、 1時間早く家を出ることにした。