53、 コタローの消沈と絶望
「コタロー、 ちょっと顔を貸してもらえる? 」
クラスの仲間と中庭で弁当を食べ終わって教室に戻ったら、 待ち構えていた京ちゃんに肩を叩かれた。
親指を立ててクイッと顎を引く動きはまるで不良の呼び出しのようだが、 俺には彼女の用件の見当がついている。
「…… 分かった」
弁当箱を机の上にコトリと置いて、 彼女の後をついて行く。
お互い無言だったけれど、 彼女の背中にはくっきりと怒りの色が浮かんでいた。
体育館に続く渡り廊下で立ち止まると、 彼女は振り向きざまに口を開いた。
「コタロー、 どういう事? なんで別々に登校してるの? どうしてランチも一緒じゃないの? 」
「…… ハナからどこまで聞いた? 」
「言わないからコタローに聞いてるの! ハナが朝1人で階段を上がってきたから、『どうしたの? 』って聞いたら、『対価交換をやめた』って一言だけで…… 」
「じゃあ、 そのまんまだよ。 対価交換を終了したんだ。 だからお昼も一緒にいる理由がない」
「『理由がない』ですって?! 」
いつも温厚な京ちゃんが、 目を思いっきり吊り上げて、 下から睨みつけてくる。
「コタローはハナの事が好きなんじゃなかったの? 『好きな子と一緒にいたい』じゃ理由にならないの? 」
ーー くそっ、 こっちはその『好きな子』に嫌われたんだよ。
京ちゃんは本当に友達思いのいいヤツだ。
俺のことだってずっと応援してくれている。
…… だけどな、 今はその親切でさえ、 俺にはツライんだよ。
1から順を追って説明するだけの気力も余裕も無いんだ。
「…… 悪いな、 京ちゃん。 ちょっと俺、 やらかしたんだわ。……で、 色々いっぱいいっぱいなんで、 しばらく放っておいて欲しい。ハナが落ち着いたら話すと思うけど、 全部俺が悪い」
「コタロー…… 」
さっきまでの怒りの表情を消して、 今度は同情を含んでいるその目に向かって、 俺は無理やり笑顔を作る。
だけど、 これ以上何かを喋れば、 みっともなく泣いてしまいそうだったから、 彼女を置き去りにして足早に廊下を戻った。
3日前は俺の人生史上、 最低最悪の誕生会だった。
まさかの『甘いもの禁止令解禁』、 しかも4ヶ月も前から。
もちろん驚いたし、 なんですぐに言わないんだよ! って、 最初は思った。
だけど、 その次に俺の胸に込み上げてきたのは、『期待』と『喜び』だった。
だってさ、 俺に内緒にしてたってことは、 ハナが『対価交換』を続けたいと思ってるってことで……。
『対価交換』を続けるってことは、 即ち俺と昼休みを一緒に過ごすことも、 それから…… キスも嫌がっていないということで……。
そんなの誰だって期待するだろ?
最近なんだかいい雰囲気になってるんじゃないか? って思ってた相手が、 俺の隣で顔を真っ赤にして俯いてるんだ。
もしかしたら自分を好きでいてくれるかも知れないって思ったら、 理性だって吹っ飛ぶだろ?
ハナが家を飛び出して行ったとき、 もちろん心配もしたけれど、 それより何より俺の頭を占めていたのは、『両思いになれるチャンスだ』っていう考えだった。
ここでお互いの気持ちを確認し合うことさえ出来れば、 晴れて念願の恋人同士になれるんだって浮かれて調子に乗って…… 俺は選択を間違えた。
ハナの性格も、 こういう時にどういう思考に陥るかも十分に分かっていたのに。
だからこそ、 大事に大事に、 それこそ真綿で包むように、 争いや怖いものから遠ざけて、 近くで守ってきたはずなのに……。
その俺が、 ハナを追い詰めて傷つけて、 泣かせた。
あんなに号泣したハナを見たのはいつ以来だったろう。
俺が口づけた時の、怯えた瞳。
あの涙でいっぱいの瞳を見た瞬間に、 俺は、 自分が今まで守ってきたものを自分自身で壊してしまったって、 気が付いたんだ。
だから京ちゃん、 俺はまだ、 ハナに会えないよ。
ハナの顔を見るのが怖いんだ。
またあんな瞳で見られたら、 俺はもう真っ直ぐ立っている事さえ出来ないよ。
一度失った信頼関係は、 ひとたび崩れると、 それ以前の関係よりも、 大きく後退する。
なあハナ、 恋人になり損ねて、 幼馴染の信用まで失った俺は、 どうすればいいんだろうな。
俺たちは、 これからどうなってしまうんだろうな……。