31、 コタロー不審に思う
ハナがおかしい。
なんか変だ。
たぶん昨日あたりから。
俺がチョコを持っていったら、 珍しくシュンと萎れていて、 俺の足を気遣ってくれて、 それから……。
髪を優しく梳く指先。
こめかみにそっと落とされた柔らかい唇の感触。
唇が離れる瞬間にかかった吐息……。
ーー う……っわ…… ヤバい!
日曜日のやり取りを思い出した途端、 首筋からこめかみまでが一気に沸騰した。
勉強机の椅子に座ったまま、 思わず両手で顔を覆って俯く。
「乙女かよ…… 」
変なのはハナだけじゃないな、 昨日は俺もなんか調子に乗っていた。
だって、 ハナがやけに素直で優しかったから……。
窓から射し込む夕陽が部屋中を柔らかい色に染め上げて、 その中ですっぽり2人だけの世界に収まったような、 不思議な時間。
あの時の心地よさを思い出すと、 胸がむず痒くなって、 自然に顔が綻んでしまう。
あの時は、 確実にいい雰囲気になっていた。
なんとなく、 いつもとは違う…… そう、 なんだか恋人同士みたいな空気感で……。
「そうなんだよな〜 。 なんだかいい感じだったんだよ」
だから余計に、 今日のハナの態度が腑に落ちないのだ。
朝、 自転車で並んで走ってるのに、「おはよう」しか言ってこなかった。
教室の前で分かれるまで、 殆ど目を合わせてくれなかった。
昼にチョコレートを渡そうとしたら、 ドタキャンされた。 しかも直接言わずにメールで。
極め付けが放課後。
『あっ、 コタロー、 私今日、 京ちゃんと遊ぶ約束してたわ』
何が約束だよ。
お前が教室に来てそう言ったとき、 後ろで京ちゃんが「えっ? 」って小声で言ったのを俺は聞き逃さなかったぞ。
なんなんだよ、 一体。
俺が悪いのか?
俺が何かしたのか?
あれか? 俺がその前の晩にショートメール連投したからか?
チョコレートを「あ〜〜ん」なんてやったからか?
もしかして、 俺がキモい執着野郎っていうことに気付いてしまったのか?……。
昨日の会話を思い出す。
『ハハッ、 ストーカーみたいだったよね』
『そうそう、 俺はハナのストーカー歴13年…… って、 ストーカーちゃうわっ! 』
ノリツッコミの空手チョップで誤魔化したけれど、 あのとき本当は、 結構、 かなり傷ついていたんだ。
だって、 俺って本当にストーカーみたいじゃね?
13年とまではいかないまでも、 少なくとも5歳の歯科受診の時以来、 俺はずっとハナ一筋なわけで……。
なのにアイツは俺を弟みたいに思っていて、 俺のインデックスは『便利で使えるやつ』になっていて……。
ーー だからか…… もう口にキスしないって言ったのは。
「ハハッ…… なんか不毛すぎて笑えるな」
それでも俺はキモい執着野郎だから、 やっぱりハナのために必死になってしまうんだ。
だから今日も俺は、 チョコの入ったガラスボウルの写真を撮りに行く。
ギシッと音を立てて椅子から立ち上がったら、 階下から母親の声が聞こえてきた。
「虎太郎、 花名ちゃんがそっちに上がってくからね〜! 」
ーー ええっ?!
噂をすれば…… だな。
俺は今立ち上がったばかりの椅子に慌てて腰を下ろして、 机の上の本を適当に開いて読むフリをする。
トントン
ノックと同時に開くドア。
俺は呼吸を整えて、 なんでもないよって顔をして、 椅子ごと振り返る。
「おっ、 ハナ、 どうしたんだよ」
「ん〜…… チョコレートを貰いに来た。…… あと、 昼間はドタキャンして…… ごめんなさい」
目線を足元に落としてモジモジしながら呟いている。
ーー く〜〜っ、 可愛いな、 このツンデレ娘!
俺は机の引き出しから、 ハナご所望のミルク味のチョコレートを取り出して手渡す。
「ん〜っ、 濃厚なミルククリームが最高! やっぱり定番はハズレなしだね」
「…… 美味しい? ハナ」
「うん、 めちゃくちゃ美味しい。 ありがとうコタロー」
俺はコイツの笑顔を見ながら、 今日もコイツの幼馴染であることに感謝する。
家族ぐるみで付き合いが長いことの特権。
親がストッパーにならない。 出入り自由。 居留守を使われない。
徒歩1分のドアツードアで、 コイツの笑顔に会える。
うん、 そうそう、 この感じ。
今はまだ、 俺とコイツは、 こんな感じでいい。