29、 コタロー癒しを求める
時刻は午後4時過ぎ。
家でシャワーを浴びて、 ポロシャツとジーンズに着替えると、 机の引き出しから『きなこもち 』と書かれたチョコレートを取り出して見る。
「くっそ…… ハナのやつ、 結局返事してこなかったな」
昨日アイツが怒って帰ったあと、 何がいけなかったのかとあれこれ考えた。
『試合に来るな』と言ったのがいけなかったのか、 『テーピング』の件が良くなかったのか、 それとも笑ったことが逆鱗に触れたのか……。
ーー その全部だろうな。
俺がからかうような言い方をしたのも悪かったし、 口調もキツかったけれど、 なにもあそこまで徹底的に無視することも無いだろうに……。
チョコレートをポケットに入れて階段を下りたところで、 母親にばったり出くわした。
「あら、 虎太郎、 出掛けるの? 」
「うん、 ハナんとこ」
「試合から帰ったばかりで疲れてるんじゃないの? 足も痛むんでしょ? 」
「いや、 大丈夫」
ーー 分かってないな…… 疲れてるからハナに会いたいんだよ。
今日の試合は最悪だった。
第1試合の時から足首に多少の痛みはあったものの、 この程度なら大丈夫だと高を括っていたのが良くなかった。
第2試合で面を打とうと踏み込んだ瞬間、 右足首に激痛が走り、 動けなくなった。
どうにか延長戦まで持ち込んだものの、 最後はあっけなく面を1本取られて終了。
今まで負けたことのない、 格下だと思っていた相手だった。
これも全て、 俺の自己管理の甘さから。
たかが捻挫だと軽くみて稽古に顔を出してみたり、 親が車で送るというのを断って徒歩通学したり……。
でもさ、 徒歩通学してみたかったんだよ、 ハナと。
小学校の時は登校班だったから、 縦に並んで歩かないと班長にフエを吹いて注意されるし、 お喋りもゆっくり出来なかった。
まあ、 アイツのプラプラ揺れるポニーテールを後ろから眺めてるのも嫌いじゃなかったけど……。
実際やってみたら、 ハナと肩を並べてゆっくり歩く学校までの20分間は、 結構…… かなり楽しかった。
これが恋人同士で、 手を繋いで歩けたらいいのにな…… なんて考えてたのは内緒だ。
まあ、 そんな雑念だらけだったから、 試合にも負けたのかも知れないな。
気合いだけで乗り切れるほど、 『剣の道』は甘くない…… と言うことだ。
その悔しさが表情に出ていたのかも知れない。
「天野くん、 大丈夫? 眉間にシワが寄ってるけど、 まだ痛む? 」
試合後、 廊下でパイプ椅子に腰掛けてボ〜ッと考え事をしていたら、 色葉先輩に顔を覗き込まれてハッとした。
彼女は3年生の先輩で、 剣道が上手くて優しい、 我が部のマドンナ的存在だ。
後輩にも気さくに話し掛けてくれて面倒見もいい。
難を言えば、 妙に距離感が近いから、 知らない人が見たら『いい雰囲気』に見えなくもなくて、 ちょっと困る。
この前の部活の時だって、 「テーピングくらい自分でするからいいですよ」って言ったのに、 「足を捻挫してる人は黙って先輩に任せなさい! 」なんて言われて従ってたら、 案の定ハナに見られてめちゃくちゃ焦った。
あれだけでも冷や汗ものだったんだから、 今日の試合の後のやり取りを見てたら、 絶対またハナに「ニヤけてる」って軽蔑されるとこだったな。
ーー それにしても、 人差し指でふくらはぎをなぞるのは反則だよなぁ……。
「やめてくださいよ! 俺、 くすぐられるの苦手なんですから! 」
って真剣に言ってるのに、
「いいこと聞いちゃった♡」
って、 あれ絶対にまたやる気満々だぞ。
まわりの部員もみんなで囃したてるし、 ああやってからかうのは本当にやめてほしい。
「さっ、 ハナの機嫌を取りに行こ」
ハナはすぐに拗ねるけど、 あっけらかんとしてるから、 機嫌を直すのも早いんだ。
今回のチョイスはアイツの大好きな『きなこもち 』。
これならハズすことはないだろう。
とりあえず謝りたおしてチョコを渡したら、 きっと笑顔になるはずだ。
そしたら俺も、 笑顔になれる。
「ああ〜っ、 早く癒されて〜っ! 」
『疲れた時には糖分を摂れ』ってよく言うだろ?
だけど、 俺に必要なのは、 甘いお菓子じゃなくてハナの笑顔なんだ。
ハナの甘々な笑顔を見れば、 疲れなんて一瞬で吹き飛ぶさ。
もう一度ジーンズの右ポケットに手を当てて、 そこに四角い塊がちゃんとおさまっていることを確認すると、 俺はハナの部屋のドアをノックした。