12、 美味しん坊将軍
中学に入って、 コタローが剣道を始めた。
知らされたのは、 学校の昼休み。
いつものように対価交換をする時に。
小4から始まった対価交換は、 中学生になっても継続中。
中学生になって塾を卒業すると、 流石に用事もなく塾の廊下をウロウロ出来ないので、 今はコタローにボウルの写真を撮って送ってもらい、 そこから私が希望の1個を選んで知らせるという手段を取っている。
受け渡し場所は、 学校の屋上に続く階段の踊り場だ。
「はい、ハナ。 これ今日のチョコ。 クロワッサンで良かったんだろ? 」
「うん、 これこれ! コンビニ限定品なんだよね〜。 うん! サクサクしててバターの風味が濃厚! 」
「俺、 剣道始めるわ」
「えっ? 」
「俺、 剣道部に入ったから、 今週から水木金は一緒に帰れないからな」
ーーええっ?! ついでみたいにサラッと言われたけど、『入る』じゃなくて『入った』?!
いきなり言われて驚いたけど、 私が止める理由もない。
「…… 私もやろうかな」
「あんな打ち合いとか大声で叫ぶのとかお前は無理だよ。 それに、 防具はめっちゃ暑いし臭いぞ、 やめとけ」
そりゃあ、 うるさいのも臭いのも苦手だけど……。
正直、 コタローなら始める前に相談してきそうなもんだし、 絶対に誘ってくるもんだと思ってた。私が言い出すまでもなく『一緒にやれよ』って言われると思ってたから、『やめとけ』という言葉に軽く傷つく。
「相談してくれれば良かったのに」
「…… 相談したら、 お前、 なんて言うの? 」
「…… 別に…… 何をしようが勝手だし」
「だろ? だから言っても言わなくても同じなんだって。 どうせ俺はもうやるって決めてるんだし」
顔をクシャッとさせながら、『なっ?』と屈託なく私の顔を覗き込んでるけどさ……。
幼い頃から多くの時間を一緒に過ごして、 沢山の思い出を共有してきたのに、 いきなり突き放された気分。
例えるなら、 マラソン大会で『ずっと一緒に走ろうね』って言ってたのに、 いきなりスパートかけられて置いてかれた…… みたいな?
まあ、 私たちは『ずっと一緒に走ろうね』とも『ずっと一緒にいようね』とも言った事はないし、 何かを約束してる訳でもない。
気付けば一緒にいた…… というだけの間柄では、 所有権も拘束力も発動されないのだ。
従って、 コタローが勝手に習い事を始めて、 そこでどんな出会いがあろうとも、 私が口を出す権利は…… 一切ない。
「まあ、 俺と一緒に帰れなくて寂しいだろうけどさ、 家に帰って大人しく『美味しん坊将軍』でも見とけよ」
「寂しくないわっ! 『美味しん坊将軍』は見るけどね! 」
知らない人のために説明すると、 『美味しん坊将軍』はシリーズ3まである人気の時代劇ドラマである。
将軍様が身分を隠して城下町の料理屋に出没しては庶民の味を堪能するのだが、 毎回お約束のように何かしら事件に巻き込まれる。
御付きの隠密と共に刀を抜いて悪人を成敗すると、 身分を明かさずに白馬で去っていくという、 グルメと人情とチャンバラを堪能できる痛快活劇なのである。
私が母と共にこの将軍様にハマっていて、 夕方から再放送しているパート2を欠かさず見ている事を、 コタローがからかっているというわけだ。
「…… ということで、 この話は終わり。 それじゃ、 今日の対価をお願いしま〜す」
「えっ? ああ、 はい。 対価ね」
コタローがいつものように膝を曲げて顔を突き出す。
「ちょっと、 目をつぶってよ」
「はいはい」
コタローがクスッと鼻で笑いながら目をつぶるのを待って、 チュッと唇を当てて、 すぐ離した。
「ハハッ、 お前、 いつまで経っても慣れないのな。 めっちゃ緊張してんじゃん」
「うるさいなっ! コタローは緊張しなくていいですねっ! 」
「…… 俺、 緊張してるよ。いつも」
「えっ?…… 」
コタローが一瞬すごく真面目な表情になった気がしたけど…… それをもう一度確かめようと思った時には、 アイツはもう階段を下り始めていた。
「ねえ、 コタロー! どうして剣道をしようと思ったの? 」
踊り場の手すりに手を掛けて、 先に下りていくコタローの背中に問いかけたら、 パッと笑顔で振り向いた。
「将軍様より強くなりたかったから! 」
なんだか分かったような分からないような複雑な気持ちのまま、 前を行く背中に追いつこうと、 急いで階段を駆け下りた。