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04.


 アリシアは、束の間瞳を見開いて、何も言葉を発することができなかった。それほどまでに、男の造型の美しさは飛び抜けていた。あまり容姿にこだわらない人であっても、その場にいれば必ず目を奪われてまじまじと見つめてしまうような輝きである。にも関わらず、折角のその祝福にまるで頓着していないかのように、深く刻まれた眉間の皺が、その印象を重くしている。一言で言えば、とんでもなく綺麗なのに、なんというか、偏屈そうだ。まだ二十の半頃だろうか。体系や顔の造型自体は若く見えるが、男が纏うその厭世的な雰囲気によってもう少し年上にも見えた。本当に驚くと、人間、声が出ないらしいということを初めて知った。



「……近隣の集落の『アルカナ』か?」


 男はアリシアの口から零れた「妖精」という単語に一瞬怪訝そうに眉を寄せたが、気にしないことにしたのか、すぐに表情を引っ込めた。彫像のような無表情が、事務的に質問を紡ぐのを聞いて、アリシアもはっと我に返る。が、我に返ったところで耳に入ったのは不可解な単語で、なんとも返せず困惑した。

 えーと、『アルカナ』とは一体なんだ。独り事のようではなかったから、恐らくアリシアに尋ねているのだろうけれど、全く聞いたことがない。

 なんとも言えない顔で立ち尽くしてるアリシアに、男は無表情のまま視線を下げた。下から上までアリシアの格好を一瞥すると、再び顔を上げる。こちらを捉えるその薄い色の瞳に一瞬、剣呑な光が走った。その眼光の鋭さに、思わず一歩後ろに下がりかけると、唐突にふいと視線を逸らされる。


「……」


 そのまま、男は何も言わずにくるりと背を向けてしまう。

 なんとなく声をかけにくく、黙ったままその背を見つめていると、どんどん歩いて行ってしまう。ちらりともこちらを振り返らないその背が遠くなっていくのを見て、つい考えるより先に声をあげていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 特に意図したものはない咄嗟の一言だったが、男はぴたりと足を止めた。背を向けたまま、首だけをこちらに捻って横目を向けてくる。その瞳にはやはり何の感情も浮かんでおらず、なんとなく居心地が悪かったが、そういえば何故わざわざここまで来たのかを思い出してぐっと堪えた。そうだ、文句を言ってやろうと思っていたのだ!いや違う、別にそんなつもりはなかったのだけど、そのことについて全く何も相手から言うことがないと言うのなら、文句の一つや二つは言ってやりたくなった。


「さっきの光がバチバチしてたマグナ術!あなたでしょ!どんだけ派手にやってるんですか、お陰で吹っ飛んできた木の巻き添えになりかけました!狩りならもっと穏便に……というか静かに!やってください!」

「狩り?」


 男は少し、虚をつかれたように言葉を返してきた。その様子があまりに無防備だったので、その態度にムカついていたアリシアも、つい毒気を抜かれて首を傾げる。


「……狩りじゃないんですか?」

「狩りではない」

「じゃあさっきの光は……」

「あれは私だが、狩りをしていたわけではない」


 やっぱりあなたじゃないですか!と憤ると、男は低い声で淡々と「それは悪かったな」と言った。

 あんまり気持ちがこもっているようには聞こえなかったが、あっさり謝罪されて口を噤むアリシアに、男は横目でこちらを見たまま続ける。


「間が」

「……あ、あなたのせいでしょーがー!!」


 呆気にとられたアリシアが、次いで怒りを爆発させても男は涼しい顔を崩さなかった。どころか横目で見ていた視線を逸らして、再び背を向けてどこかへ去っていこうとする。

 アリシアとて別にそれほど怒っていたわけではなかったが、仮にも見知らぬ他人を危険に晒しておいてこの対応はなんだ。この男が何者かは知らないが、こんな態度の人間をこのまま行かせてしまったら、また被害が飛んでこないとも限らない。アリシアは走って男の前に先回りすると、両手を広げてその行く手を塞いだ。険のある目で男を睨みあげる。


「ていうか、狩りじゃないならわざわざこんな僻地で何してるんですか!」

「調査だ」


 素っ気無く言い、男はアリシアの横をすり抜けて行こうとする。アリシアへの敵意は感じられないが、同時に会話をするのが酷く煩わしそうだった。だが、相手があからさまに嫌そうだからと言ってあっさりと通してやるようなアリシアではない。子どもの特権は、自分の感情に素直であれることだ。なのでアリシアは、男の言葉に感じた疑問を素直に鸚鵡返しにした。


「調査?何の?」

「…、……」


 そこで初めて、男がどこか戸惑ったような空気を出した。

 少し長すぎるように思うが、癖一つなく落ちた前髪に隠れた目が、何かを推し量るようにじっとアリシアを見つめる。


「……な、なに…」

「まさか、本当に近隣の村の子か」


 そして、ほんの少し溜息を吐いた。


「他の組織から派遣されてきた『アルカナ』にしては奇妙だと思ったが、そもそもこんな場所に子どもが一人でいること自体が奇妙だったな」


 独り事のようにぶつぶつと呟きながら、男は完全にこちらに向き直った。アリシアと会話をする気になったのかはわからないが、ひとまず立ち止まり、逃げる素振りはない。男の様子に戸惑いながらも、アリシアは先程から疑問に思っていたことを問いかけた。


「……さっきから、その、『アルカナ』ってなに?」

「そこからか。……君は何と呼ばれている?」

「え、名前のこと?」

「違う。まさか、周囲の全員が全員、君と同じというわけではないだろう」


 自分と同じ。ぱっとすぐさまその言葉の意図を理解できずに、アリシアは数秒なんのことかと考えを巡らせた。アリシアはどちらかというと、割と抜けているほうだ。自分よりも年下の子ども達のほうが、アリシアより遥かに裁縫が得意だったり、小道具の手入れの手際が良かったりする。アリシアの特異性と言えば、『森の海』に自由に出入りできることくらいで―――。


 はた、と動きを止めて、アリシアは男を見つめた。男も、相変わらず何を考えているのか読めない無表情ではあったが、アリシアを見返す。


「もしかして……『精霊憑き』のことを言ってる?」

「この地域ではそう呼ぶのか。だが、それは前時代的な呼び方だ。『庭』に言わせれば、の話だが」

「『ガーデン』?」

「いまだ辺境の地域では『精霊憑き』の名称は生きているようだが、それは元々蔑称の意味合いも一部では残る。『庭』はその歴史からの脱却のため、君のような存在を神秘の体現者として『アルカナム』と新しく名付けた」


 男はアリシアの疑問の声を無視した。いちいち取り合っていたら話が進まないと判断したのか、付け入る隙を与えずにそのまま淡々と言葉を続ける。


「『アルカナ』は単数形で個人の能力者を指す。『庭』は常に群の組織だから、自らをして『アルカナム』と呼ぶがな」

「……よくわからないけど、さっきは私のことを『アルカナ』って呼んだから、つまり「『精霊憑き』か?」って聞いたってこと?」

「この場にいる時点で、アルカナであることは自明の理だ。私が言ったのは、近隣集落の……ああ」


 男は僅かに呻くような声を上げると、首を振った。俯き加減になった顔に、ただでさえ長い金髪がかかって表情が隠れる。


「面倒だ」

「……は?」

「面倒な仕事が増えた」


 横顔も隠れていて見えないが、たぶん溜息を吐き出している。男はそのまま無造作に自身の顔に手をやると、片手で顔を覆い隠した。そうやって男が考え込んでいたのは、恐らくは数秒にも満たない僅かな時間だったのだろうが、その間アリシアは微動だにせず男を注視していた。

 この何者かも知れぬ男は、とにかく奇妙な男だった。美しすぎる容姿もそうだが、先程のマグナ術の威力を見る限り、高度の術者でもあるのだろう。アリシアはとにかくあまり外部の人間と関わる機会がなかったし、こうやって全く知らない他者を見るというのは、なかなかに久しぶりで新鮮で、ついまじまじと観察してしまう。


「……君、名前は」


 男は、ゆっくりと顔から手を離した。薄い金色の眼と視線が合い、一瞬びくりとする。その温度の浮かばない瞳は決して厳しくはなかったが、だからと言って優しいわけでもなかった。完全なる無感情。先程まで見せていた微かな煩わしさえも、すでにその瞳からは消えていた。


「あ、アリシア……アリシア・シルバ」

「ではアリシア」


 たじろいで思わず身構えたアリシアを気にせず、男はあっさりと言い放った。


「村に戻っていろ」

「え……」

「後で迎えに行く。確か、この周辺に村は一つしかなかったな」


 そう言い捨てると、話は終わったとばかりにまたさっさとどこかへ行こうとする。あまりに一方的な会話の打ち切りに――というかそもそも会話として成り立っていなかったが――困惑していたアリシアもようやく正しく苛立ちをぶつけた。


「さっきからアルカナとか、ガーデンとか、一体なんなんですか!いや、まあそれはいいけど、とにかく私を殺しかけたことについて謝るとかないんですか!っていうかそんなに急いで何してるんですかぁ!」

「人を探している」


 謝罪についての部分は黙殺したが、男はアリシアの問いに短く答えた。

 ただし歩く速度は変わらず、慌ててその後ろを追いかけるアリシアに配慮する素振りはない。立ち止まれば、間違いなく置いていかれるであろう速さでどんどんと先に行ってしまう。


「人?一人じゃなかったの?」

「……」


 男は答えない。雪に足を取られないように気をつけながらなんとかアリシアはその隣に並んだ。背の高い男を横から見上げると、瞳を開いてじっと雪原を眺めている。その瞳から、微かにヂリとした光が屈折して伸びていた。


「…?なにして」

「いた」


 釣られてアリシアが同じ方角を見ても、たっだ広い雪原が目に鮮やかなだけで遠くに見える巨大な石以外は何も見えなかった。だが、男は何かを見つけたのか、通常より僅かに大きく開いていた瞳を元に戻す。その拍子に、その眼球から出ていた光の線はかき消えた。


「……目、いいの?」

「視覚強化のマ術だ。別に特別良くはない」


 恐ろしく会話が成り立たないかと思えば、返事をする時はちゃんとしてくれる。

 相変わらずどこか壁に向かって話しかけているような気分は拭えないが、一応完全に無視されているというわけではないようだった。まあ、相手もほとんど独り事を言っているような感じだし問題ないだろう。あっさりと納得して、アリシアは半歩遅れてその後ろを追う。

 ついてくるなとは言われなかったから、まあいいだろう、と村に戻っていろと言われたことは都合よく頭の隅に押しやった。




 無言のまま歩き続けて辿り着いたのは、先程まで遠目で見えていたあの巨大な石だった。

 石というか、ほとんど岩山だ。近くに来て改めてその桁違いな大きさがわかる。全身に雪を被った巨石はどのようにしてこの場所にぽつんと存在することになったのか、全く予想がつかない。

 ――――――空から落ちてきたとか?いやいやまさかね。

 なんというか、川辺にあったら飛び込み台にされそうな立派な岩だなあ、と思いながら仰ぎ見ていると、岩石の周辺をぐるりと歩いていた男がある箇所で足を止めた。


「……」


 無言の男の後ろから覗き込んだアリシアは、思わずあっと声を上げた。

 巨大な岩石の足元。深い雪の上に、ほとんど埋もれるようにして、男と同じ黒いコートを着た男が意識を失って倒れていた。

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