第三話 神様驚愕 なんだよこいつら!?
今回はちびっとばかし棗君のテイストが違うのです。
昼休みも終わり、授業開始の鐘が響く。
鐘の音と共に教室に入って来たのは、濃紺のスーツに身を包んだ女性。
「……なんか、教師にあるまじき艶があるんだが」
思わず神の口から言葉が漏れる程、その教師には色気が漂っていた。
生徒達も同意見のようで多数の男子、稀に女子が目元を緩ませている。
明らかに授業とは異質な視線を纏いつつ、女教師は余裕溢れる口調で授業を開始した。
「さて、今日は十六頁からだったわね? じゃあ……ん〜、そうねぇ」
指を顎に当てて考える女教師。選ばれた者にしかする事を許されないこの恰好に、神は彼女に注がれる視線が濃さを増した気がした。
が、本人は特に気にしていないらしく、時計を見ながらのほほんと艶たっぷりに話し出す。
「今日は二十日だから、東雲くんね」
言った瞬間。何故か教室が少しざわめく。
「ん、なんだ?」
唯一人、神だけが理由が解らず不思議そうな声を上げた。
ざわめきの答えは、東雲と呼ばれた生徒の言葉によって明らかにされた。
「泉先生、俺出席番号十一番ですけど……?」
東雲の言葉に、神が意外そうな声を上げた。
「あれ、棗じゃん。ふーん、棗の苗字は東雲っつーのか。ま、いいや」
思わぬ所で棗の苗字が分かったが、さして興味も無いように流す。
「ん〜……だから?」
棗の疑問に泉は少し唸り、何故か疑問で返した。
想定外の返答に棗がうろたえる。
「いや、だからって……普通ニ十番に当てません?」
「まあ、細かい事は良いじゃない。ねぇ?」
棗に向けられて投げられたのは、余りにも甘い、甘い呼び掛け。
瞬間。
「「「「イエス、マム!!」」」」
泉の信奉者達の叫びが、全員一致のタイミングで繰り出された。
「いや、あんたらよくても俺よくねーし。てかお前等どこの軍隊だよ」
呆れたように棗が切り捨てる。
無論、こんな行動をする相手がそんな一言に納得するような普通の神経をしている筈がない。当然の如く棗に食って掛かった。
「貴様! 泉様に異を唱えるつもりか!!」
「つもりじゃなくて唱えてんだよ馬鹿、考えて物言え馬鹿、つか黙れ馬鹿」
威勢良く息巻く信奉者に、引く所か畳み掛ける棗。
「おおっ、自分の意思を貫けない筈の棗がこんなにバッサリ言うなんて!」
今までの認識を覆された神が感嘆混じりに言う。
神が物珍し気に眺める中、別の信奉者達が棗に噛み付く。
「お前、何が気に入らないんだ! 泉様に当てて頂いた癖に!」
「そうだ、本来なら喜びの咆哮を上げてもおかしくないんだぞ!!」
「黙れ変態共。明らかに関連ないだろニ十と十一。小学生からやり直せ低脳。こちとら当ててくれなんて頼んじゃいねんだよ腐れ頭。お前、吠えたいんなら明日から犬小屋に住め駄犬」
「東雲君口悪いわよ。それに女性は大事にしなさいよ。心が狭い人って最低」
「大事にするってのは自分殺して我慢するこっちゃないだろ? それは堕落を容認するだけじゃん。それに俺、変態は反吐が出る程嫌い」
「お前! 泉様が変態だとでも――」
「変態はお前だ脳無し。いや、お前に脳なんて勿体ないな空頭。良いから黙れ、お前が喋ると人間の価値が下がるんだよ木偶」
「「「「テメェ!!」」」」
口では勝てないと理解したのか、棗の辛辣な言葉に我を忘れただけなのか、信奉者達がいきり立って一斉に立ち上がった。
だが、不思議な事に、教室は和やかな雰囲気を崩さない。
「あらら、随分単純な奴等だな〜。……っつーか、この和やかな雰囲気はなんだ? 私刑なんて日常茶飯事なのか? んむ、とりあえずこんなトコで怪我なんぞしたら放課後ぶっ潰れるし。準備だけはしとこ」
場の空気に自分なりの分析を加え、神は右腕に桃色の光を集束させる。
「……相変わらず、単純な生物共。はあ、めんどくさ」
和やか空気の中に、棗の物凄く嫌そうな声が流れた。
明らかな侮蔑の台詞に、信奉者達は呼応するように叫ぶ。
「いつもいつもふざけやがってぇええ!!」
まさに一触即発。彼等の心を敵意と侮蔑が支配し、力と言う古よりの優劣判断法に従い、今こそ破壊衝動の奔流に身を委ねようと身構え、
「喧嘩は駄目よ」
「「「「僕達と東雲君は親友です!!」」」」
一斉に泉に敬礼した。
彼等が棗に飛び掛かろうとした瞬間。泉の呟きが、一瞬で荒々しい空気をぶち破ったのだ。
「へぇ、親友なんだ」
楽しそうに泉は頬を緩めると、一番左端にいる信奉者を指差して言った。
「じゃあその心意気を評価して、十六頁から和訳、お願いね」
「うぉおお任せ下さい泉様ぁああああ!!!!」
「こーら、女王様、でしょう?」
あくまでも余裕に、艶たっぷりに宣う泉。
瞬間。
「っ!? がはっ!!」
「ぅおお!? 真壁、真壁ーー!!!!」
当てられた信奉者、真壁が鼻血を噴き出して昏倒した。崩れ落ちた真壁を別の信奉者が抱き起こし、声を荒げる。
「しっかりしろ真壁! まだお前にはやる事が残っている筈だ!!」
「…………」
しきりに真壁の名を叫ぶが、既に彼は声の届かない所に逝ってしまったらしい。鼻血を流しながら白目でぐったりとしている。
それはもう輝かんばかりの笑顔で。
「うう、真壁、お前の死は無駄にはしない……女王様!! 真壁の代わりに私を!!」
真壁を抱き起こしていた信奉者が辺りに唾を撒き散らしながら泉に言った途端、他方からも声が上がった。
「いえ僕を! 女王様!!」
「私がやります!!」
「ワタシニオマカセクダサーイ!!」
次々に主張を始めた信奉者達に、泉が悩まし気に声を上げた。
「ううん、そうねえ。じゃあ」
少し考え、ぴっと人差し指を立てる泉は、にやりと笑顔を浮かべて言った。
「東雲くんにお願いしようかな」
「やっぱり俺ですか!?」
「「「「何故ぇええ!!」」」」
ともすれば悲鳴とも取れる素っ頓狂な声を上げた棗と信奉者達。因みに他生徒は喜劇でも観るような目で諸々の事態を眺めている。
教室内の構図を眺めている神は何やら納得顔で呟いた。
「ははぁん。……ふっ、はっはっは。成る程ね。つまり、全てはあの泉って教師の掌の上、か」
苦い表情で和訳する棗を、神は笑いながら眺めていた。
「棗を構えば奴らが食ってかかる。どうやら棗は嫌いなもんに容赦しないタイプみたいだから奴らに臆さない。奴らは泉に絶対服従。はは、あっという間に三流喜劇の完成だ」
何故、当事者達以外があんなに落ち着いていたのかを理解した神は、感心したような、面白いものを見るような笑顔を泉に向ける。
「ったく、とんだ狐も居たもんだ。ま、自分に正直に愉しくやってる奴ってのは、嫌いじゃないけどね」
言って、神は嫌な予感を覚える。びしりと固まった笑顔と流れる汗をそのままに、唐突に脳裏に現れ、あっという間に自分の内を不安で満たした考えを打ち消そうと努める。
「いやいや、そんな事は。ない、うん。腐っても教師だ。授業も今はそれなりにやってるし、まさかそんな事は、なぁ?」
誰に向けるでもない問い掛けは発した本人の耳の中だけに響く。
不安を退け、時に唸り、時に祈った神を置いて、授業は着々と進み、そして、終わった。
終業の鐘が響き渡り、生徒の緊張が目に見えて解けていく。
「………」
音が止み、教科書をしまった泉を見て、神は自分の不安が収まるのを感じ、安堵の息を吸い込むと、
「あ、東雲君。放課後生徒指導室にいらっしゃい」
「ブハッ!? ゲホッゲホッ!!」
噴き出し、噎せた。
「……俺、なんかしましたっけ?」
苦々しい様子で棗が問う。
「え〜、あれだけ授業妨害してそれは無いんじゃない?」
「やっぱりか!? ちょっとでも期待した俺が馬鹿だった!!」
最後の最後に期待を砕かれ踏みにじられた神が吠える。
「いや原因は多大にそちら側に間違い無く確実に僕は巻き込まれた側かと」
「え? ん〜、……ねぇ?」
棗の質問に対しまたもや疑問系で聞き返す泉。
「いや、俺に聞かれても、……ねぇ?」
「えっ!? いや、俺? えぇぇ、俺に聞くの?」
いつもならここで棗が戸惑う所なのだが、そこは棗も学習したのか、なんと、いつ異を唱えようかと待ち構えていた信奉者に流したではないか。
思わぬ棗の先制攻撃に信奉者内に波紋が広がっていく。
「う〜ん。どうよ?」
「いや、俺巻き込まないで」
「私は、……ん〜不可抗力に一票」
「僕は棗が原因に一票」
「私は…………私達に一票」
「「「「「え?」」」」」
一人の女生徒の発言に、それまで思い思いに好き勝手宣っていた面々が一斉にその女生徒に注目した。
「いや、俺等じゃなくない!?」
「原因じゃあないよね、間違い無く」
「つか僕達は関わったの一番最後だし、ねぇ?」
広がる困惑。
揃って否定的な意見を出す彼等に、元となった言葉を発した女生徒は若干興奮気味に、勝ち誇ったように呟いた。
「そう? じゃあ貴方達はいいわ。原因は私だけって事で、放課後私一人で生徒指導室に行かせてもらうわね。ふふ、女王様と二人っきり」
「「「「「!?」」」」」
衝撃。
信奉者達の間を溢れんばかりの動揺と納得が伝播する。
「そ、そうか、もし原因になれば」
「ほ、放課後女王様と……」
「誰も居ない教室で」
「…………ぶはっ!?」
「うおお、真壁!? 真壁ぇええ!!」
真壁、再び轟沈。
未だ覚めやらぬ動揺に震える信奉者達を他所に、その女生徒がとどめとばかりに口を開く。
「ま、そうよね。貴方達は原因じゃな――」
「「「「「原因に一票異議無し文句無し!! すいませんでした!!」」」」」
一斉に意見を翻し、打って変わって女生徒を褒めたたえる信奉者達。
賑やかに賞賛が飛び交うのを生温い目で眺めていた神は、ふと棗と泉がいつの間にか移動した入口付近で奇妙な視線を交わしている事に気が付いた。
「あれ、あいつら……?」
神が訝し気に呟くと、視線を交わしていた二人がふっと笑った。
「相変わらず、弄るのがお上手ね?」
「いい加減、俺を餌にペットを愛でるのは止めてくれませんか?」
「良いじゃない、愉しければ?」
「俺は迷惑です」
間髪入れず返した棗に、泉は声を潜めて囁く。
「今度小テストの大まかな範囲教えちゃうから、さ」
「やれやれ、あんまり派手にならないよう、気、付けて下さいよ」
「当然」
「こ、こいつらグルやぁああああああ!!!!」
神が驚愕の事実に絶叫する。
まさか棗と泉が二人して信奉者達を弄っていたなど、誰が考えていただろうか。
「な、棗って、こーゆー一面もあったのか…………く、黒ぇ」
笑う黒幕、騒ぐ道化、眺める傍観者。
世界の縮図を見ているようだと、神は呆然と三つの陣営を目に映した。
時間と共に、各陣営は静寂を取り戻し、いつもの雰囲気を取り戻す。
今や、当然のように普段通り。
「なんか、出番なかったのは良かったが……びみょうな気分」
疲れ切った空気を纏い、神はため息を吐く。
放課後まで、残り一限。
はい、黒棗君でした。次回からはまたノーマル棗君ですよ……多分ですけど(笑