第二話 『鋼杖師』
ハッキリとした起源は分からないが、その昔。
当時の愚王を暗殺した際、武器の持ち込みが禁止されていたため、やむなく杖に武器を仕込んだことが起源とされている。
その後200年以上経過しているが、杖に武器を隠すというスタイルは変わっておらず、しかしそのことを気にかけ杖の持ち込みすら禁ずる場所が増えてきたため、新しい暗器の開発が急がれている。
お前はこれから鋼となるのだ
ふと懐かしいフレーズを思い出した。
それは私が初めて鋼と呼ばれた日でもあった。
晴れていたのを覚えている。
私はある場所に連れて行かれた。
聖堂の地下。
下水を下り、ちょうど教会の地下にあたる場所に掘られた穴。
皆が故郷と呼ぶ不思議な場所だった。
教会の地下…普通に考えれば神への冒涜であるハズのその行為。
しかし、先人たちはあっという間に支度をすませ、祭壇を作り上げた。
聞けばこの行為自体に意味は無いらしい。けれど伝統的な仕来りを曲げるわけにもいかない。
私は黙って円陣の中に跪いた。
それからだ。
ロゼは死んだと錯覚した。
何かが蝕まれる。
心が噛み砕ける。
意識を解かされる。
何が伝統的な行為だ。
あれは完全に私を殺しに来ている。
ほぼ一瞬の出来事のハズなのに、なぜか私には長い年月をかけて汚染されていくように感じた。
そして、儀式が終わるころには。
私は死んでいた。
そして生まれ変わった。
そう錯覚した。
感情は消え失せ、喜怒哀楽もなくなり。正しく私は鋼となったのだ。
それから私は様々な場所に移動した。
時には洞窟。
夏場だったのにもかかわらずヒンヤリとした空間で三人葬った。
時には都。
仮面舞踏会に参加し客を装ったテロリスト1人を葬った。
私は鋼。
私には意志がない。
私達は刃金。
敵を葬るための刃。
私達に心も、意志も必要ない。
そう、皆が同じ道を辿ってきたのだと思った。
彼を除いては。
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―――
――
―
「よしチェコ、もう一度確認するぞ」
グレーンが青筋をたてて…いやそう幻覚が見えるだけだが…。
目の前に彼が立ちふさがっている。
正直怖い。
またbarに戻り事の顛末を伝えに戻ると、このありさまだった。
いつも行う血抜きもせずに、チェコを正座させ説教を始めたのであった。
武器も全部取り上げられて、逃げる訳にもいかず、チェコは説教を受けていた。
「俺の仕事はお前たちに仕事を与え、事の収束を図らせに行くこと。
そしてお前は、なるべく民に認知されずに事を収束させるのが任務だ。そこまでは良いな?」
正座がつらい。
最早言葉は出ず頷きだけで返事をするチェコ。
「なら今朝の新聞は何だ?」
グレーンは見出しが表になるように新聞をチェコの前に投げた。
―――人身売買の闇!!
―――オーナーに突き立てられる牙!!
―――裏切り者には死を!!
―――潜入!焼きそばパンの実態!!
様々な新聞が面白おかしく取り上げているそれは、まさに昨日の夜彼が成した暗殺事件の見出しだった。
それだけならまだしも、問題なのは殺害した場所だった。
一人は路地裏で倒れ、一人は馬車道で街頭に縛り付けられ。
完全に人目に付く上にアウト極まりなかった。
死体の位置や事の大きさが民に要らぬ不安を与えているのは、間違いなくこの金髪男だった。
勿論金髪が悪いという話ではない。
チェコ自身に問題があるのだ。
「東洋の謝罪方法に『ハラキリ』というのがあるらしい。やってみるか?」
「いや。あの。ほんとマジすみませんでした。」
チェコが本日何度目になるか分からない謝罪をした。
反省していることが伝わったのか、グレーンは自分の机に戻り血抜きの作業を始めた。
其処にはロゼの杖も置いてあった。
彼女も少なからず敵を殺めているのだ。当然と言えば当然である。
再び杖を分解すると血受けから血を拭い取る。
拭った布を昨日と同じ箱にしまうと、杖を元通りにしチェコに返した。
「…だが結果は置いといて、お前の行動自体は評価しなければならない。」
そう語るグレーンの手には、チェコが回収した工場の帳簿が握られていた。
買付から売り出しまでの経路が記されたその帳簿には、国内外からの受け渡しの場所…。
つまり、国外に支社、もしくは本社がを構えている可能性。
そしてそれは、その組織の大きさを示していた。
更には、工場長『トーマス』から回収した『矢じりの勲章』。
事の重大さを指し示すには充分だった。
かつて城そのものと対峙したことのある彼らにも、今回の相手は強大だと指し示す物差しになるには十二分だ。
「朝一番にこの事を議会に知らせた。明日までには全支部に通達が来るだろう。」
そういうグレーンの背後の机の上には、身支度を済ませた鞄や杖が置かれていた。
「俺も夜には一度議会に顔を出す。」
呼び出しだ。そう付け加えると机に置かれたもう一つの杖を手に取る。
「すまないが、ついでにロゼの杖も頼みたいんだ。下の階で杖を待っている。」
そういうとチェコにロゼの杖を渡してきた。
ロゼの杖もチェコの杖も…彼ら杖突たちの杖は全て外見は同じである。
それらを僅かな模様の差で判別しているのだ。
一般的なT字型の黒塗り一本杖。持ち手だけはその表面は金属であり、蝶の彫刻が施されている。
勿論機能的な面では同じ杖は二つとないが、外見からでは一般人には区別はつかないだろう。
ロゼの杖を受け取ると、そのまま下の階へと…。
「それと」
その前に肩を掴まれ、四角い箱を手渡された。
所謂、血抜き作業に使われる使用済みの布が詰められた箱だった。
戸惑うチェコにグレーンは告げる。
「明日弔いが始まる。その前に届けてくれ。」
そういうとチェコを無理やり部屋の外に追い出し、鍵まで閉めてしまった。
半ば無理やり手渡された箱を懐にしまうと、階段下に待機していたロゼが其処にいた。
「ロゼ、終わったぞ」
そういうと杖を手渡すチェコ。
勿論血抜きの話なんて、こんな大衆の前でするわけもない。
そのフレーズだけで理解したロゼは杖を受け取り、礼を言うとそのまま店の外に歩き出す。
昼間から酒に浸るごろつき共を掻い潜り、誰にも気づかれることなく外に出る。
「ホント可愛げのないやつ」
そう吐き捨てるとそのままチェコも店の外へ。
丁度真上から照らしてくる太陽が、帽子越しに暑く感じる。
全身黒尽くめなのもいただけない。
そそくさとその場を後にし、時計屋へと足を運ぶ。
行ったり来たりを繰り返す馬車に目を右往左往させながら歩道を歩く。
時に子供と戯れ、時にナンパし、道という遊び場を堪能しながら進んでいく。
―――――
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―――
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ルイス時計店には相変わらず人がいない。
静かに時を刻む時計たちは全て寸分狂わず動き続ける。
その奥でルイスは静かに全てのパーツを組み立て続ける。彼はこの時間が最も好きであった。
何もかもを忘れ、時計たちと対話し続ける。
そんな静寂に包まれた空間に奴はやって来た。
「爺さん?生きてるか?」
その言葉と共にチェコが店の扉を開ける。
その瞬間ルイスの手が狂い歯車が一つ外れる。
それを境に組まれていったパーツが彼の手の上で崩れ落ちた。
そんなことはつゆ知らず、チェコはルイスのそばに寄って。
全てを理解した。
「…ごめん、爺さん」
どんどん声が小さくなる…。
思わず手元の道具を取りこぼすルイス…。
しかし一呼吸終えるといつも通りチェコに向き直る。
「それで?今日は何を壊した」
早く寄こせと言わんばかりに手のひらを突き出す。
というより、早く帰ってほしいんだろう。
目線と皮肉がチェコにそう語りかけている。
視線が痛い。
「だから悪かったって…それに今日は修理じゃない」
その言葉にルイスの目は見開く。
「ほう。お前がモノを壊さずに事を終わらせたか。」
そう呟くルイスの手には、あの新聞が握られていた。
察したチェコはその新聞を奪い取る。
「爺さん?俺はさっきグレーンに、みぃーーっちり絞られた後なんだ。これ以上何を絞られるのかな?…ん?」
そう語るチェコはすぐさま新聞を店のレジに放り投げ、話を続けた。
「寄った理由なんだけど…少しばかり相談がってだな」
チェコは続ける。
「こう、遠い敵を無力化できるものとかって…あったりしない?」
そう続けるチェコには前回の潜入時に、標的に逃げられて最終的に路地裏で仕留めるという事態に至ってしまった。
もう少しマシに、例えばそう…遠投から敵を仕留められたら早いのにとふと思ってしまったのだ。
その言葉にルイスは少し顔を歪ます。
「それはお前たちのやり方としてどうなんだ?」
少し眉が動くチェコ。
「まぁ…そうなんだけれどもね」
しかし、いつまでも伝統に囚われているだけでは、いつか自分たちは廃れていくと思っているのもまたチェコなのだ
そこを何とかとルイスに手を合わせる。
「だが、無いこともない。試作ではあるけれどもな」
そういうとルイスは部屋の奥の扉を開ける。
その時に扉の奥にある杖…。
自分たちと同じ杖が立掛けあるのをチェコは見た。
そう。ルイスもかつてはチェコ達と同じ杖を握り締め戦ってきた者達。
黒服に道化の面を付け、闇に溶け込んできた者たちなのだ。
何か訳があって今は裏方に回っているが、相当のやり手だったとグレーンは語っていた。
そんなことを思い出しているうちに、ルイスが奥から戻ってきた。
その手には、よく見かけるシガレットケースが握られていた。
「それで?今回はどんな仕掛け?」
まるで新しいおもちゃに興味津々の子供のように目を輝かせるチェコ。
その様子に、まるで新しいおもちゃを買い与えるようにルイスは語った。
「このシガレットケースを開けると、中にパチンコを折りたたんでいる」
そう語るルイスの通り。
ケースを開けると中にはパチンコのゴムが固定されており、ケースを持ち手にしてそのまま撃てるらしい。
すると中には緑色の球体がいくつか用意されていた。
「爺さん、これは?」
それを手に取り一度地面に叩きつける。
すると球体が地面に着いた瞬間、衝撃で粉々に砕け、欠片が霧状に飛散し、すぐに無色になって消えてしまった。
「なぜお前は人の説明を聞かんのだ」
呆れるルイス。
曰く、先ほどの霧は催涙効果があり一瞬で眠らせてしまうとか。
効果は絶大だが、空気に触れると催涙効果は無くなってしまうから、精々一発で一人を眠らせるのが限度らしい。
「相変わらず恐ろしいモノ発明するよな」
そういうと試射するようにゴムを伸ばしながらルイスに狙いを定める。
危ない。
「間違っても当てるなよ」
が、時すでに遅かった。
手元から催涙弾はすでに無くなっており、チェコが気づいた時にはすでにルイスが前のめりに倒れ行く姿だけだった。
「あっ…」
すやすやと眠るルイスを…。
なんとなく仰向けにして手を組ませる。
実際ルイスが起きていれば「殺すな」と言いそうだ。
まるで逃げるかのように自分の荷物を持って、チェコはその場を後にした。
ルイスが目覚めたのはそれから5時間後であった。
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彼を初めて知ったのは、新しく支部を結成する際に渡される仲間の情報ファイルを見た時だった。
勿論、露見されるのは危険なため基本的な情報しか記載されてない。
それにこの紙は読んだらすぐに燃やす必要がある。
そんな紙に書かれていた彼のプロフィールは『問題児』という烙印だった。
任務中に別の民間人を助け、護衛対象を危険に晒し。
大勢の目の前で暗殺し民を混乱させたり。
もうやりたい放題の履歴であった。
けれど、そんな彼に会ってみたら印象は違っていた。
というより、私達と何かが根本的に違う。
いざ仮面を付ければ闇に溶け込み、敵を討つ一つの殺人マシーン。
だが仮面を外せば、そこらにいるおおらかで気の良い青年であった。
私達にとって仮面は、ただの素顔を隠す道具に過ぎない。
しかし彼にとっては、その仮面自体が一つの切り替えスイッチのように、彼の何かが変わるのだ。
いや、彼の根源であるところは例え仮面をつけたとしても変わらない。
初めて出会ったのは、あのbarの前。
店の前で他のチンピラ達と酒に酔い痴れている彼。
私たちが守るべき民となんら変わりないその出で立ちは、私達と同じなんて到底思えなかった。
そんな彼が今。
時計屋から逃げるようにこちらに走ってきた。
ロゼの事には気づいていないだろうが、とにかく少しばかり焦っているのが見て取れる。
一体何があったのか。
少しばかり気にかけてみるも、こちらに気付いたのか、向こうからやって来た。
「おぉロゼ、何してんだ?こんなところで」
平静を装って入るが、イマイチ隠しきれていない。
まさしくオウム返しのように同じ質問を返した。
「貴方こそ何をしているのですか?時計屋から慌てて出てきたみたいですけど。」
そのそう質問しながら少し体を傾け時計屋の方に視線を向ける。
するといきなり肩を掴まれ元の位置に戻されると、強制回れ右をされ無理やり歩かされる。
「そうだロゼ!腹減ってないか?お兄さんがランチを奢ってやろう。そうだそうしよう!」
そう言いながら時計屋から遠ざけられる。
きっと、言いたくないことがあったのだ。
そう解釈しながら、素直にご厚意に甘える事にした。
と言っても、私達の様な人間…と言うより、私達の姿で行ける店は大体決まっている。
そう思いながら何時も外食の時にお世話になる『馬面』という喫茶店に入店した。
十字路の角にあるその店は窓の多い店だった。
外からも中からも様子がわかる造りだ。
20ほどの四人席が並ぶ中、チェコ達が座ったのは角の窓際の席。
腰掛け、簡単にコーヒーとサンドイッチを注文すると少しばかりの沈黙が訪れる。
チェスターコートは背もたれに掛けたせいか、いつもよりお互いが体つきがよくわかる。
チェコはスーツの上からでも分かるほどに鍛え上げられ、人相からは想像できない、戦うための体であった。
対してロゼは女性らしい体つき。胸はサラシで巻いているのか男性と変わりない。
やはりコートを着たままだと冷たい人相と相まって女性とは分からないだろう。
お互い…ロゼは相手を観察するように。
チェコは相手を品定めするように眺めていると、奥から品が運ばれてきた。
会話が始まったのはお互いの料理が運ばれ、店員が去った後だった。
ロゼが切り出す。
「昨日のお仕事はお疲れ様でした」
まるで皮肉を言うかの如く切り出された会話に思わず苦笑いになるチェコ。
「皮肉か?相変わらず可愛げの無い後輩だことで」
そう言うとサンドイッチに手を伸ばす。
ロゼもコーヒーに口を付ける。
次に口を開いたのはチェコだった。
「いつから此処に来たんだ?」
それは何時ここに派遣されたんだという含みである。
その問いにコーヒーから口を話すと。
「なぜ聞くんですか?」
「純粋な食事中の会話だろ?」
「良くわかりませんが、それに答える意味がありますか?」
「意味は無いかもしれないけど…。大事だろ?そういうお互いの事を知っておくのは」
「私はあなたの事を知っています。拝見しました。」
「そりゃどうも。」
「貴方も私の資料を見たはずです。」
「そりゃもうミッチリと。仲間の詳細は把握している。」
「でしたら尚更必要ないでしょう。」
しばらくの沈黙。
チェコはサンドイッチにかぶりつくき、咀嚼の後飲み込んだ後、続けた。
「まぁそうだな。今の出だしはあまり面白くなかった…忘れてくれ。」
「いえ…」
もう一度コーヒーを啜るロゼ。
「ならそうだな…なら、どこに住んでいるんだ?」
ため息も吐かず、しかし表情が若干あきれ顔のままロゼは口にした。
「なんでそうなるんです?」
「お前は先輩と楽しくお喋りしながら食事を楽しもうとは思わないのか?」
その答えは態度で返された。
コーヒーを一気に飲み干すと、ロゼはそのまま自分の伝票を持って行ってしまった。
それを何も言わずに見届けるチェコ。
「ホント、可愛くない」
そんなに奢られたくないか。
そう思いながら最後の一切れを口にした。
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チェコ達が集うbarはボートルダムの南、ハイライト街にある。
対して今回チェコが向かうのはハイライト街を西へ、隣の港町であるアークロイアルと呼ばれる場所。
煉瓦造りの家が立ち並ぶその町の少し海からはなればところにある教会であった。
馬車を降り、御者に代金を払うと、協会の扉を叩いた。
すでに夜が更け、町は寝静まった頃である。
そんな時間に開いている教会も少ないというのに、チェコは教会の扉を叩き続ける。
すると、協会の大扉がゆっくりと開いた。
「何用で?」
そう切り出すシスター。
上下を白と黒で統一した修道服に身を包む彼女は、おそらくこちらを説教を聞きに来たのかと思ったのだろうか。
しかし、チェコは自分の杖の柄を見せる。
独特の蝶の模様の入ったそれを見せるとシスターは密かに眉を上げた。
「鋼だ」
それだけ聞くと、シスターは扉を開いた。
中はより教会らしい造りではあったが、如何せん明かりはシスターの持つ蝋燭だけ。
それが物々しい雰囲気を醸し出し…、なにより恐ろしい。
聖なる場所にそんなこと言った日には天罰でも喰らいそうだが。
シスターに続くと牧師室に通された。
明かりも付けづにそのまま待っていると、本棚がゆっくりと横にスライドした。
これはまたベタな造りを…、そう思うチェコだったが、何も言わずについていくことにした。
本棚の裏には扉があり、開けると地下に続く階段であった。
「お気をつけて…」
それだけ告げると、シスターは自室にでも行くのか部屋から出て行ってしまった。
しかしチェコは気にも留めず礼を言うと、階段を下っていく。
転々と明かりが灯されており、見えないわけではないが明るくもない。
冷たい石階段。壁までも石…というより、石を削ったように見える。
階段は長く続かず、しばらくすれば石の廊下。
荒削りの石廊下が、歩くにつれて段々と明かりが増え始め、最後には木目と煉瓦の色彩が際立つ豪華な壁。
足元もいつの間にか赤絨毯が敷かれていた。
「チェコ・オズバーンだな」
不意にとても野太い声で呼ばれた。
目の前にはいつの間にか180cmは下らない大男。
髭を蓄え黒髪黒目で、服の上から分かるほどの筋骨隆々。
そして何よりチェコと違うのは服装だった。
チェコが黒スーツにチェスターコートなのに対し、相手はコートこそ同じだが体にベルトを巻き、投げナイフやポーチなどが見え隠れする。
明らかに戦闘のために仕立てられた服である。
所謂特別部隊というわけだ。
「アイリッシュ・キュルテンだ。グレーンから手紙が来た。君の事は聞いている。」
チェコは一度帽子を脱ぎ、会釈をする。
「それはどうも、チェコ・オズバーンです。お見知りおきを。」
簡単に済ませると帽子を再び深く被る。
するとチェコは懐に手を伸ばす。
グレーンに渡された箱を取り出した。
「これは?」
そう簡単に尋ねる。
するとアイリッシュは手を差し出し。
「こちらに」
箱がアイリッシュの手に渡ると、更に奥の方に案内される。
重厚感あふれる扉を開くと、そこにはとても開けた場所だった。
先程とは違い、完全に岩を削った壁が天井まで続く。
そして中央にまるでキャンプファイヤーの準備中のように、長い木材を組んでいた。
「鋼杖師の弔いへようこそ、と言っても準備中だが。」
そう語るアイリッシュ。
鋼杖師…即ちチェコ達の別名でもある。
杖突と呼ばれることもある彼らだが、それはあくまでチェコ達の姿を見た者たちがつけただけであり。正しくは鋼杖師と呼ばれる。
するとアイリッシュがこちらに箱を渡してきた。
それは先ほどの箱とは違うらしく、重さが違った。
「これをグレーンに。新しい弔い箱だ」
それだけ聞くと、チェコは新しい箱を懐にしまう。
ここでは、彼ら鋼杖師が葬った人々を弔うために、各地域から杖の血受けに溜められた血を拭う布を燃やす儀式である。
代表として、その場を取り仕切る者が一枚一枚弔いの祈りを込め燃やしていくのだが、今回チェコが届けたのは、まさしくその布であった。
自分の殺した相手の血が、預けた箱に入っていると思うと、少し罪悪感に見舞われる。
もちろん、殺した相手は殆どが外道であるため、その者に対する罪悪感は全く湧かないが、その親族や友人に深く同情はせざる負えない。
勿論代表だけでなく、鋼杖師であれば誰でも自由参加であるため、明日になれば此処も鋼杖師達でいっぱいになるのであろう。
そんなこと思っていたチェコにアイリッシュが更にあるものを渡してきた。
「もう一つ…頼みたいことがある。」
そういうと渡してきたのは、ただの茶封筒。
中を確認すれば、一枚の似顔絵と招待状だった。
「先日報告があった。その招待状…アルマーニの舞踏会で国王と王妃が出席する。」
現在の王位はウィリアム・T・クロフォード・ローザムが暗殺され、後継ぎがいなくなったことにより、
当時甥であったであったジェニフォード・ローザムが引き継ぎ、カナディアン・ローザムを王妃として招いたのだ。
その二人が舞踏会に出席…なんら悪い事ではない。しかし問題なのは、先代のウィリアムであった。
彼に反対するものは勿論多く、そして中には「ローザムの血を絶やせ!!」と血の気の多い者たちが時に暗殺に来るのだ。
「要するに、守れと?」
「そういう事だ。舞踏会は二日後…一度持ち帰り支部で話し合ってくれ。一応人数分の招待状を用意させた。」
それだけ告げるとアイリッシュは弔いの儀式の準備に足を運んだ。
残されたチェコは、その無駄に豪華な招待状を何度か眺めると、もう用はないとひづきを返した。
チェコが去った後しばらくして、アイリッシュの下に一人の老体が歩み寄る。
白髪の多いその老人はすでに現役を引退しているのか、牧師の服を着ていた。
「どうだったかね、チェコ・オズバーンは。」
その声にアイリッシュは老人を椅子に座るよう促すも、よいと二文字で返されてしまう。
「これはカルヴァドス老師。」
一度軽く会釈をし、今一度彼がいた扉を見つめる。
「あれは何なのでしょうか…私達からすれば雑念の塊みたいなものです」
そう答えるアイリッシュ。
それは鋼杖師からすれば侮辱以外の何物でもないのであろう。
しかし、カルヴァドスはまるで懐かしいものを見るかのようにゆっくり微笑んだ。
「あれが…試練を耐えてしまった者だよ」
アイリッシュはふと憐れむようにため息を吐く。
「可哀想な…。」
カルヴァドスがアイリッシュの肩を叩く。
「そう悲観的になるようなことでもないぞ…彼こそ、まるで空のように様々な事を加味する事が出来る。」
その言葉を聞けど、アイリッシュはその青年の事を哀れに思うしかなかった。
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馬車に揺られること3時間。
ようやく帰宅する事が出来た。
ハイライト街のbarを南に15分ほど歩くとチェコの自宅がある。
この辺の建物が煉瓦造りなのに対して、この家は木造3階建て。チェコはその1階に住んでいた。
11号室のドアを開けると、そこには質素なベッドと衣装箪笥。使われた形跡のない暖炉。
1DKのその部屋には生活感がなかった。
唯一丸テーブルと棚にグラスやボトルなどが置かれているのみ。
そこからウイスキーボトルと小さいグラスを…。
「あれ…?」
やけに軽いボトルを振ってみると、少量のウイスキーがチャプチャプと音を立てるだけ。
そう言えば昨日注ぎ終わった後、少ないと思い買い足さなければと…。
そこまで思い出したところで深くため息を吐いた。
チェコは寝る前にいつもグラスになみなみ注いで楽しむのが好みであり、これだけの量は論外であった。
しかし、もう服も脱いでしまって出かける気など毛頭ない。
ボトルを持ったまま固まり、しばらく悩んだ末…。
チェコの部屋から鍵をかける音がする。
しばらくすれば、コートを着込んだチェコが寒そうに家を出てストリートに足早に進むのが見える。
結局アルコールの欲には勝てなかったのだ。
深夜まで開いている酒屋があるため、そこに買い足しに行く。
その時だった。
「あ」
そう呟く視線の先には、昼に会ったばかりのロゼが歩いていた。
向こうもこちらに気付いたらしく、軽く会釈をしてくる。
「よう、こんばんは。何してんだ?こんなところで」
「こんばんは。今帰宅中です。あなたこそ何をしているんですか?」
昼間とさほど変わらない言葉をかけてくるチェコ。
その言葉に同じくさほど変わらない言葉を返すロゼ。
「今から買い物。寝る前にアルコールをね、血液に流さないと寝れないんだわ」
その言葉にそうですかと返すと、そこで会話が途切れてしまう。
少しの沈黙。
不意にロゼが視線を下げると、寒そうに身を屈めるチェコを察したのか、道を開ける。
どうぞと。
「お気になさらず」
「そうか?悪いな…おやすみなさい」
そういうとそそくさとロゼを通り過ぎ、チェコは歩いていく。
その後ろ姿を眺め…。
「チェコ」
不意に呼び止められた。
振り返るチェコは、首をかしげた。
「このような状況で聞くことではないのですが。」
そう言葉を詰まらせるロゼ。
しかし、訪ねなければならない。そんな気がして。
「どうした?」
意を決したかのように口を開く。
「貴方は…なぜそこまで感情豊かなのですか?」
不意にチェコの眼が一瞬見開かれる。
ロゼは続けた。
「貴方の行動ははっきり言って異常です。物事を主観でとらえ、善悪を自分の中の定義でとらえています。本来、鋼杖師は感情を消す生き物のハズです。」
何故。
その問いにチェコはしばらく固まる。
なぜ。
一度視線を下すチェコ。
変わらずチェコを見続けるロゼ。
しばらくして視線を元に戻したチェコはゆっくりと口を開いた。
「俺は」
その答えに、今度はロゼが目を見開いた。
チェコの自室。
棚で隠されてはいるが、その棚を退かせば。
その裏には紅いペンキで文字が書かれていた。
指で書かれたのであろうその文字は。
『ジン・オズバーン』
『俺はお前を忘れない』
「あの儀式に耐えちまったんだよ。」
次回 鋼杖師―the history shadow―
『覚悟』
おまけ
「間違っても当てるなよ」
が、時すでに遅かった。
手元から催涙弾はすでに無くなっており、チェコが気づいた時にはすでにルイスが前のめりに倒れ行く姿だけだった。
「あっ…」
【すやすやと眠ルイスを…。】
眠ルイス