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鋼杖師―the history shadow―  作者: tfride
第一章 鋼と呼ばれた者達
2/3

第一話 『鋼』

その昔、刀を作る際に刃の部分であった合金。

最初は刃の金と書いて『刃金』であったらしい。

明るい。


暗い。


明るい。


暗い。


明るい。


暗い…。


何度も訪れる明暗に瞼越しに眼球を刺激され瞼を開けた。

薄暗いコンクリートの冷たい壁の感覚が鮮明になる。

そこで気づくのは足元に感じる妙な重圧感。

そこに目を向けると、横たわる中年の死体が自分の足にのしかかっていた。


「重い…」


そう一言つぶやくと、片足で無理やりソレを退かす。

血がベットりついた死体が足からずり落ち、更に段差の先に差し掛かり、骨の折れる音を最後に静かになった。

ふと目線を自然体に戻すと排気口のタービンがゆっくりと回転し、彼の目を刺激していたらしい。

一度体を起こし固まった関節や筋肉を解していく。

寝てしまったのは…そう、昨日の夜中だっただろうか。

今は日の傾き方から、恐らく午前6時ごろであろう。

革の靴底にこびり付いた血を擦り落とし、タービンを潜り外に顔を出す。

この国特有の金髪に物腰が優しそうな顔。いつもしっかり開かれた黒い瞳はは、今は朝日の眩しさに少し瞼が落ちかけている。二十歳そこらの引き締まった体がチェスター・コートの上からでも分かる。


「ご機嫌麗しゅう皆様…」


伸びる煙突。レンガ造りの街並み。変わらぬ曇り空。

愛しき自分の街に一礼すると。

黒塗り装束の男はその場から…高さ100mはくだらない高さのビルから飛び降りた。


―――――

――――

―――

――


商人のトリスの朝は早い。毎日6時前に起きると、身支度を済ませ早々に出発。

今日も今日とて、牧場に干し草を届けるため、納屋の藁束をかき集め荷台に積めると南へ向かって馬車を走らせる。

お気に入りのパイプをひと吹きすると、昇る太陽を眺めて…。


瞬間。


何かが衝突したような音と共に荷馬車が揺れる。

それと同時に馬がその音に驚き、釣られて二匹目も嘶き主人の命令そっちのけで暴れだした。

なんとかトリスが押さえつけようとなだめるも時すでに遅し。

暴走特急と化した荷馬車は草原へと向かってかけ行ったのだった…。


という衝撃映像を後目に、100mダイブを終えた男は何事もなかったかのようにずれたフェドーラ帽を被りなおすと、藁葛をはたき落とし、これまた何事もなかったかのように歩き出した。

片手で自前の杖を一回転させると、陽気に街を練り歩く彼。それと同時に様々な人たちが入り乱れはじめた。

夜の様な静寂な時間は終わり、人が生活を始める時間に切り替わったのだ。

様々な人種が馬車を走らせ、荷物を運び、仕事に走る。

その間を縫うようにかき分け進んでいく男は、少し青い顔で路地に入った。


「人間酔いしそうだ…」


体質的に受け入れられないものはある。彼はどうしてもこの朝の時間帯は苦手らしい。

少しズルをしようと、ベルトのボックスを弄り…。


「…え?うそッ」


しかしうんともすんとも言わない相棒に思わずそんな言葉が出てしまった。

最近酷使しすぎたのかもしれない。そんな少しの罪悪感と、やり場のない地味な怒りをスッと飲み込み、そのまま大通りに出て一言叫ぶ。


「御者!」


その声に反応した馬車が目の前で止まった。


―――――

――――

―――

――



特有の振り子時計の時を刻む音が店内に響く。

50を超える大小様々な時計が陳列する中、その奥に白髪の老紳士が一つの時計と戯れていた。

歯車や小さなパーツは、老人の手によって瞬く間に一つの銀の懐中時計に生まれ変わっていく。

震えることなく工程を踏んでいくその手さばきは正に職人であった。

その時、来客を知らせる鈴の音が鳴る。


「…いらっしゃい…」


少し顔を上げ力のない声で呟くと、すぐさま時計に視線を戻し、作業を再開した。

杖が木目を打つ音が徐々に近づいていく。

老人の作業台の前に来ると、男はその作業台にバックルを…正確には、バックルごと、ベルトについている機械を叩きつけた。


「…ベルトワイヤーは先週メンテナンスしたばかりだろう、チェコ」


再び力のない声を上げながら、一度時計を作業トレイにまとめると、ベルトワイヤーを慣れた手つきで分解し始めた。

その言葉にしれっと答える。


「ルイス爺さん、アンタのメンテが雑なんだ」


そう悪態をつきながら青年…チェコは、店内に所狭しと並ぶ時計を眺めはじめた。

するとルイスはワイヤーを全て抜き取り始める。


「既定以外の方法で使うなとあれほど言っただろう。これは壁を登ったり、天井にぶら下がるための道具だ。人を拘束するための道具じゃない。」


そういいながらワイヤーにこびり付いた皮膚片や血を指さしながらルイスはチェコを睨み付ける。

彼の無茶はかなり前から知っていたし、今更な部分もあるが、こうも頻度が増えると愚痴の一つや二つ言いたくなるのも当然であった。

ルイスの言葉に何も言えないのか、苦い顔をしてへーへーと呟くと、そそくさと店を後にする。

去り際に「午後に取りに来い」と言われ、ひらひらと仕草だけで返事をすると、再びメインストリートまで歩いて行った。


―――――

――――

―――

――



「また…杖突か…」


薄暗い部屋の中。

オイルランプだけが部屋を照らす中、御老体は何もない暗闇を睨み付けた。


「主よ、半年の間に15件。同志たちは次々とやられていきます。」


「何か策を弄した方がよろしいのでは?」


人のみで組んだ円陣はオイルランプを中心に組まれていた。

月明かりが部屋に差し込む。

その中でも威圧感のある鋭い眼は、やはり何もない虚空を睨み付ける。

黒い外瘻を身にまとい、顔以外の肌を晒さないその服装人物は、ゆっくりと立ち上がると静かに口を開く。


「案ずるな…計画に支障はない。今一度同志を集め連れてこい。」


それだけ告げると早々に退出してしまった。

それに態度で示すかのように、他の面々は次々に部屋を後にする。

主の導きがあらんことを…。

皆が一様に同じ言葉を続け、外で待機する馬車に乗り込む。

その光景を黒い外瘻の男は自室の窓から眺める。


「手紙を…」


「はい…どなたに?」


そばで待機していた使いが懐から用紙を取り出す。

万年筆を器用に動かすと、手紙を折りたたみ男が受け取る。

蝋を垂らして封をしたそれを使いが宛名を綴る。

宛名は…。


「カバックのシェイ兄弟に…」


ボートルダム国の貿易相手。カバックへのものだった。


―――――

――――

―――

――



チェコの視界は逆さになっていた。

天空から建物が突出し、地上は底なしの星空が広がっている。

チェコはこの光景が好きだった。こうすると町の一部になったみたいで無心になる事が出来る。

この周辺で一番高い時計塔からぶら下がるからか、もしくは夜という天然の迷彩効果が相まって誰もチェコに気付かない。そんな人たちを見下ろし見上げ、彼はゆっくり息を吐く。

しかし神秘的な光景は、彼の血の巡りが限界を迎えたことで終わりを告げた。

逆さ吊りから元に戻ると、一度地上に降り立ちワイヤーを回収する。

射出されたワイヤーの先には矢じりのように返しがついており、引っかかるととることは難しいが、回収の際はこの返しが稼働し簡単に抜けるようになるのだ。

ワイヤーが元に戻るのを確認すると、ベルトにねじ込んだ杖を引き抜き何度か血の巡りを戻すためにジャンプする。

すると何時ものように杖を突きながら、夜の街に繰り出した。

少し前に腹に詰めたサンドイッチが戻りそうになるも、グッとこらえて目的の建物を目指す。

ふとポケットに忍ばせた勲章を取り出し、月に翳してみる。

まるで矢じりの様に見える勲章を何度か眺め、手の中で転がす。

昨日の夜。

仕留めた男のジャケットにとまっていたものだ。

おそらく何か組織的な目印なのだろうが、いかんせん何も聞かされていないため思考が其処で止まってしまう。

一応、なにか宗教的な雰囲気の漂う男だったため、その方面の何かなのだろうが…。

そうこうしているうちに、目的の場所にたど着いた。

デカデカと『bar』とだけ書かれた看板を見上げると帽子を一度脱ぎ、入り口に歩み寄る。

まるで西部劇の様な入口を通ると、中で繰り広げられるピアノセッションがチェコの耳をくすぐる。

あからさまなチンピラたちの間を縫っていくと、すぐさまマスターと目が合う。

相手はチェコを手招きした。


「なんだ?ついに俺も人気者か?」


そうあいさつ代わりの冗談を口にすると、マスターはあきれた口調で返す。


「お待ちかねだよ」


そういいながらバーの裏手を親指で指さす。

その一言だけで全てを察したチェコは観念したかのようにバーカウンターの奥に入り、階段を上る。

ただ心の中で「怒ってませんように」と願うと、昇り切った廊下の奥に見える扉まで歩き、ドアノブに手を掛ける。

ゆっくりとドアを開けると、チェコより一回り年老いた男性が木目の椅子に腰かけていた。


「遅いぞチェコ」


渋い声がチェコに刺さる。自分と同じ金髪をオールバックにきめた顔の堀が深い男。

男は早く寄こせと言わんばかりに手を伸ばす。

それに答えるように、くすねてきた勲章と自身の杖を手渡した。

暖炉から火が上る。

夜の風とは違い、乾燥した暖かい空気が部屋を包む。

何も言わない…何も言えない。

一応ベルトワイヤーの修理のためとはいえ、店に立ち寄り、更には別のバーで時間を潰していましたなんて口が裂けても言えない。


「何故こんなに遅れた」


唐突の質問。


「ベルトワイヤー修理してもらってる間にバーで遊んでましたごめんなさい」


即座に全てを白状したチェコ。

嘘をつけば後が更に怖いのだ。

勿論嘘を吐いたことはあるさ、でも何故かその嘘は必ずばれてシゴかれるのだ。

男は慣れた手つきで仕込み杖の直刀を引き抜くと、柄から刃を引き抜き中にある血受けを取り

出した。


「グレーン…その勲章は何なんだ?」


切り出したのはチェコだった。

流石にこのまま何の説明も無しは無いよなと、遠回しの意味も込めて。

対する男性…グレーンは血受けの血を濡れた白い布で拭うと、布を箱に詰め杖を元に戻す。

すると懐から一枚の手紙を取り出した、


「数週間前、隣国から届いた封書だ。」


そういいながらチェコに手紙を渡すと、グレーンは続けた。


「そこにはある組織がこの国に潜伏し国家解体を目論んでいるとある。目印は今回お前に回収させた勲章。」


チェコと同じように勲章を手のひらで転がすグレーン。

だが、その勲章はそのまま暖炉の中に投げ入れられてしまった。

それもそうだ、どのみち彼らに近い道はないのだから。


「海賊が場所を移動させ、国が貿易で潤い始めたこの時期に、国家解体を目論む輩が潜伏している。理由はどうあれ結果的に再び民が飢えに苦しむことになるだろう。」


そう言うとグレーンはチェコの前に立つ。


チェコ・オズバーン()よ。議会は私たちに事の収束を任せたらしい。それが鋼杖会の決定だ。」


そういうと杖をチェコに手渡す。

頼むぞ。

無言でそう言われた気がした。

チェコは何も言わず手紙を返すと、扉に向かった。


「はいはい頑張りますよ…」


そう答えると、一人部屋から出ていく。

その背中を見つめるグレーンは手紙を暖炉に突っ込んだ。

仲間からの伝令は、皆に伝え終わると燃やしてしまう。

それが決まりなのだ。




対するチェコは一人ため息をついていた。


「とは言ったものの…」


階段を下り、愚痴をこぼす。

議会も勝手だと、この場にいない人間に八つ当たりしたくなる。

そんな感情を腹に抱えたままカウンターに行き、ウイスキーを一杯頼んだ。

今日は一杯ひっかけて寝よう。

そう思い、出されたショットグラスに手を付け…。


――――――――――

【黙レ!!】


男性の罵声だ…


【母ァサン…】


子供の声だ…


【マダ工場二着カナイノカ!?】


【モウ少シデス】


再び男性の声、もう一人いる


――――――――――


「…わりぃマスター、これ後でもらうわ」


チェコの聴覚は既に声の主…その馬車を捉えていた。

一言だけマスターに告げると、速足で外に出る。

優れた聴覚がすぐにその発生源を教えてくれた。

外見は上手くワインの荷馬車に偽装しているが、樽の中には子供や女性。恐らく人身売買の類のハズだ…。

ならばチェコのやるべきことはすでに決まっていた。


「まずは目先の不幸を片付けますか」


チェコが駆けだした。

すぐさま馬車道に出ると手ごろな馬車の背後に飛び乗り、件の馬車の追跡を開始する。

馬車から馬車へ飛び移り、後を追い続ける。

追跡すること10分。

標的の工場は近場にあったらしい。

工場…というには随分背が低い物件だ。

この国では綿工場などは縦に機械が伸びるので高さが要求される。ならばここは本当の工場ではなく、人身売買の本拠地の様なものであろう。

門の前に馬車が停められ樽が下されていく。幾つかは本当のワイン樽らしいが、その殆どが人間が詰め込まれているらしい。明らかに扱い方が違うそれを、丁重に運んでいく屈強な男たち。

チェコの瞳には既にターゲットの人相が事細かに刻まれていた。

中肉中背の髭を蓄えた男性。しかし彼は工場長ではないらしい。その焦り方は事の発覚より自分より上の立場からの圧がかかっているようだ。

ならば敵はこの工場とやらのどこか。

さらに詳細に把握するためチェコは背の高い建物を探した。

近くの手ごろなアパートを見つけるとコートをはらい、直したばかりのベルトワイヤーが顔を覗かせる。

ワイヤーの銃口を屋根に向けるとフックが射出され屋根の木目に突き刺さる。

更に操作しワイヤーを巻き取ると、そのまま壁を足で一気に上り詰める。

屋根に上るとやはり丁度いい感じに壁の向こう側が見て取れる。丁度離れの小屋に樽が詰め込まれていた。恐らくそこで開封し、別の方法で運び出すのだろう。

ならばと次は工場長の番である。

しかしそれらしい人物は見当たらない。自室で寛いでいるか、もしくは時間が時間だけにここにはいないか…。

屋根の上に一度しゃがみ込み、時を待つと同時に情報の整理を始めた。



―――――

――――

―――

――



目標は此処の工場長の拘束

また捕えられた人質、奴隷の解放

従業員という名の体の見張り複数


チェコの頭の中で今から侵入する場所の大まかな情報を整理していく。

このまま突っ込むことは得策ではない。それはチェコが一番理解していた。ならば工場長が来るまで待つべきか。

しかし人質の移動までに工場長を探し出し拘束。そこから人質の救出というのは些か無理がある。

何か別のアプローチが必要なのだが……。


「…チェコ・オズバーン」


ふと慣れ親しんだ声が背後から聞こえた。

誰か。その疑問はすぐに拭われた。

そもそも登る場所がないこの場所に平然とやってこれる人間は限られるのだ。

振り向けば、これまた自分と同じ見慣れた黒チェスター・コートに黒スーツ。見間違えるわけもないその姿にチェコはため息を一つ吐く。


「何か用かロゼ・アドルフ」


チェコよりも少し若い出で立ちの女性が立っていた。

この国では珍しい赤みがかったロゼワインの様な髪色に同じく赤い瞳。丸顔のボブヘアがいつも通りに風になびいている。


「貴方が考え事とは珍しいわね。お困り?」


感情の籠っていない声でそう尋ねると、チェコの隣に座った。


「まぁそんなところだ、親玉をとっ捕まえて、あそこにいる商品解放して…両方行う方法が分からなくてな。」


お手上げ…。そう言わんばかりの両手を上げるポーズの彼に、ロゼは一度立ち上がる。


「なら、親玉はあなたに任せるわ。」


そう告げると屋根の端に足を乗せ飛び降りる体勢に入る。

一度チェコの方に振り返ると。


「ところで…グレーンからの依頼?」


その問いにチェコは誤魔化す気すら起こさず。


「通りすがっただけだ。事後報告になるな」


そんな適当な返事にため息を一つ吐いた。

大まかな内部の事情、樽が運ばれたことをロゼに告げると、彼女はは飛び降りた。

ベルトワイヤーを駆使し、ゆっくりと降りたった彼女はそのまま落ち着いた足取りで敵地に赴く。

隠密活動に定評のある彼女なら問題は無いだろう。

ならば自分は与えられたことをするまでだ。


チェコも立ち上がると、自身も


夜の道へとその身を投げた。


―――――

――――

―――

――


潜入方法は全部で三つ

一つ。ワザと姿を晒してロゼの潜入をたやすくし、かつ親玉の下まで一気に進んでいく。

却下


二つ。先ほどの商品のように紛れて中に潜入する。アリではあるが、そうすると同じように倉庫にもっていかれる可能性があるためややこしくなる。


三つ。堂々とベルトワイヤーを使い屋根から侵入する。

これはチェコの上等手段ともいえる方法なのだ。

今回はこれにしよう。


人の気配の薄い壁に近づきよじ登る。

そのままベルトワイヤーで屋根へと一気に上り詰める。

屋根を歩けば見張りの狙撃兵が一人。これを見逃しておくとロゼの潜入が難しくなるであろう。

一瞬のうちに口元を抑え首を締め上げる。

ぐったりと全身から力が抜けるのを確認すると、ゆっくりと横たわらせた。


そのまま屋上で一息つくと、懐からもう見慣れた道化の仮面を取り出した。

半分が笑顔で、半分が悲しみの表情である道化の面。

チェコはその仮面の裏側をゆっくりと、眺めると。

仮面を自分の顔に合わせた。

仮面の隙間から覗く瞳には、もはや生気が失われ、そこにあるのは一つの殺人マシーンであった。


――――――――――


【今日ノ収穫ハアッタカ?…】


【ウチノ嫁サンガ…】


【昨日ノ新聞見タカ?ナンタッテ…】


――――――――――


馬車を見つけた時と同じ感覚がチェコを襲う。

感覚を研ぎ澄ませ、目当ての人間を探す。


――――――――――


【コノ程度ノ人数デ、需要二応エラレルト思ッテイルノカ?ナンダ今回ノ仕入レハ!!】


――――――――――


その中でも一際怒鳴り散らす男の声が聞こえる。

この男に違いない。

ワイヤーにぶら下がり静かに窓を開け放つ。barとは違い木目調が目立つその家は、少し薄汚い印象であった。

件の男は奇跡的に同じ階の奥の部屋にいるようだが、如何せん標的以外の人間が多いのが息遣いや声で分かる。

その内の何人かはおそらく彼らの言うところの商品であろう。

どうにかして標的だけを仕留め、無傷で人質を解放したいところではあるが…。


すると下の階から駆け昇ってくる足音が聞こえてくる。

慌てず誰もいない部屋に入り、運よく衣装箪笥が見つかったのでその中に隠れる。

と、その時足元に感じる違和感。隠れた衣装箪笥の中…、やけに広いと思ったその箪笥の中は、死臭であふれていた。

よく見れば服一つ纏っていない男女の遺体が足元に転がっている。

思い返せば、この部屋の真ん中に敷かれていた絨毯に、黒ずんだ染みがあった。

瞼を開けば瞼は爛れている。恐らく彼らはこの部屋に連れ込まれて、裏で蔓延している薬物を…


そこまで推測し、チェコは虫唾が走り考えるのをやめた。

人身売買までなら憲兵に突き出すだけでよかったのだが、このような外道だと命を絶つほかない。

そうチェコは結論付けた。

このままこの死体がばれずに彼が憲兵に捕まれば、禁固刑が精々。そうすれば出所した彼はまたこの世界に足を踏み入れる。それは許されない。たとえこの死体を晒しても、部下がやったと言い張られるだけだろう。


チェコがそう誓ったさなか、駆けあがる足音はそのまま一直線に奥の部屋に入っていく。まるで慌てふためくその足音に、再びあの感覚がよみがえる。


――――――――――


【とーますサン…。表二憲兵ガ】


【何?バレタカ?】


【イエ、恐ラク樽ヲ運ブノヲ見ラレテちくラレタノデハ?】


【クッソ、面倒ダナ…適当二理由付ケテ追イ出セ。】


【分カリマシタ。】


【ソレト、コノ中古ヲ戻シテオケ。オ前ハソノママ残レ】


――――――――――


その会話を最後に男は部屋を後にした。

人質を連れて下りていくのを確認すると、チェコは窓越しに離れの小屋を眺める。

なぜそこに目線が行ったのか。それは至極単純だ。

既にロゼが一芝居打ってくれているようだった。

小屋から漏れ出す白い煙。

ドアの隙間から止めど無く漏れ続ける煙は、外の事情を知らない見張りが扉を開け放つには充分であった。

そしてとどめの一撃。


「か、火事よぉ!!誰か来てぇ!!」


それは完全にロゼの声であった。

いつもの感情がこもりにくい彼女の声が、今は火事に慌てふためく少女の様な声であった。

その言葉で憲兵は人を押しのけ小屋に近づいていく。

ぞろぞろとその場にいた憲兵だけじゃなく、通りすがりの野次馬までやって来た。


「何!?火事だと!?」


慌てふためく工場長…トーマスの声が聞こえる。

恐らくは部屋の窓から小屋の惨状を見ているのだろう。

しかし、時すでに遅し。

憲兵が小屋を覗くと、そこにはたくさんの商品が寿司詰め状態だった。さぞ驚いたであろう。

窓越しでもその慌てふためく姿が分かる。

ついに付近の憲兵たちも駆けつけ、ことは大きくなってきた。

全くロゼ様様だろう。

人質の件は憲兵たちに任せてもいいだろう。

と、忘れていたトーマスに耳を傾けると、そそくさと退散の準備をしていた。


「金は持ったか!?帳簿も忘れるな!!」


「は、ハイ!!」


哀れなものだとため息を一つ吐くが、部屋から聞こえるガコンッという開錠音が鳴った瞬間、チェコはしまったとその部屋の扉を開け放った。

既に人の姿は無く、別の隠し通路があったようだ。風が通る音がその奥から聞こえてくる。

苦虫を噛み潰したような顔になるがもう遅い。

後を追いかけるようにチェコはその扉をくぐった。


―――――

――――

―――

――



既にトーマスは荷物を革鞄に詰め込み部下と夜の街を走っていた。

肥えた中年男性にありがちな思い足取りで走り続ける。

と言っても、証拠は全て持ち去ってきた。

憲兵もこちらに気付くまでに十分時間がある。

ならば走ることはあっても、慌てる事は無い。何を急ぐことがあるのか。しかし内心平常心を保ちながらも、未だに野次馬が集まりつつあるこの場所から早く退散しなければならないのは事実だ。

そう、大丈夫。

そう心の中で呟きながら振り向くと。



そこに道化の面を被った黒服(――死神――)がいた。



フェドーラ帽から覗く道化の面。

半分泣き顔、半分笑顔の白黒の面がこの瞬間以上に恐怖に感じた事は無いだろう。

本能がトーマスに告げる。


「逃げろ!!」


その掛け声とともにトーマスは走り始めた。

部下の事などすでに頭の中にはない。

とにかくあの仮面から逃れるため、死の宣告から逃れるためトーマスは死ぬ気で走った。

路地に入り、あらゆるゴミや通行の邪魔になるものを増やしながら逃げる。

振り向けば変わらぬ距離のままあの仮面がついて回った。


逃げる。


振り向く。


虚空に謝った。


逃げる。逃げる。


振り向く。


泣き叫んだ。


逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。



路地を曲がり、路地裏広場に出た。


誰もいないその空間、振り向くと…。


…あの道化の面はいなかった。


あたかも最初から其処にいなかったかのように。


肺はすでに限界を迎え、心臓はこれでもかと体中に足りない酸素を送り続ける。


しばらく待つも、一向に現れない事に安堵した。





それは一瞬であった。


自分の喉に違和感を覚え、視線を下げると。


そこには自分の喉元から伸びる一本の鋭い針が…。



そうか……………

…………これが主が言っていた……。


彼の頭が働いたのは、それまでだった。


―――――

――――

―――

――


チェコは突き立てた長針を引き抜くと、杖の装飾の一部だった針を元の位置に差し込んだ。

トーマスだったものが膝から崩れ落ち、そして動かなくなる。

それを見届けると、死体を仰向けにし手を組ませ目を閉じさせる。

どんな悪党であれ死を軽んじてはならない。

簡単な弔いを済ませるとチェコはその場を…。

直前になって気づく。

服の上からでも分かる妙な凹凸が気になり、ジャケットをめくる。


やはりか


そう呟いたチェコの前眼には、あの矢じりの勲章が輝いていた。


―――――

――――

―――

――


仮面を外し大通りに出ると夜の徘徊者が野次馬という別の括りとして群がっていた。

憲兵が立ち入りを禁じ中には入れないが、その隙間から囚われていた商品とやらが憲兵の馬車に被害者として乗り込んでいく。

そこまで見届け立ち去ろうとした矢先。

一本の杖が彼の肩に引っかけられ無理やり後ろを振り向かされる。


其処に立っていたのはやはりロゼであった。


「そちらは済んだようね。やればできるじゃない」


そう皮肉をぶつけてくるあたり、少しばかり呆れそうになるも言葉を反す。


「そりゃどーも、そっちも無事に終わって何よりだ」


その言葉にロゼは少し顔を曇らせる。


「実は、あなたに言われた通りあの小屋には『商品』が並んでたわ。けどその中にあなたが言う樽もなければ、新しい人もいなかった」


ロゼのその言葉にチェコも少し顔をゆがませた。

確かに自分は小屋に運ばれるワイン樽を見た。

ならばその樽はどこに行ったのか。


――――――――――


【何回運バレレバイイノヨ…】


――――――――――


二人の感覚は同時に同じ音を拾った。

一瞬顔を見合わせ、お互い仮面を被り走り始めた。


そう、新しい樽は混乱に乗じて運ばれたのだ。

ならばどこから?

人身売買を目的とした造りの建物なら答えは簡単。

搬出場所はあの小屋の扉以外にもあったのだと仮定できる。

だからこそチェコの目の前にはドーム状に布が張られた荷馬車が然も無関係のように荷馬車を走らせていた。

さすがに馬車に人間が勝てる筈はない。

何かないかと周りを見渡すチェコ。


「後ろ!!」


そのロゼの言葉につられ振り向けばどこから持ってきたのか移動用の馬車を走らせるロゼの姿。

構わずその馬車に飛び乗り、操縦を彼女に任せる。





「…ちなみにこの馬車は?」


「パクってきた」


さも当然のように答える相棒に頭痛を覚えた。





「殺さないでよ」


ロゼの忠告に背中で答えるチェコは一定の距離を保ったままの馬車から身を乗り出し、ベルトワイヤーをベルトから取り外す。

使用用途が違うとルイスに忠告されたばかりだが知ったことではない。

そのベルトワイヤーを馬車に向け射出。

ドームの骨組みに絡まりそのまま飛び上がると同時に出力全開で巻きはじめる。

一気に馬車との差を詰め、一度地面を思いっきり蹴りあがると勢いそのままに馬車に突っ込んだ。

幾つかの樽にぶつかり停止するチェコ。

衝撃で樽が割れると、やはり中身は人間。それも子供や女性がボロ切れを着せられ、環境は最悪と見える。

子供たちを後目に積まれた樽を乗り越え、席に向かと、暢気に鼻歌を歌う御者が一人。

余計な手間を増やすなと、渾身の力で蹴り飛ばした。


―――――

――――

―――

――


いきなり視界がグチャグチャになり地面を二転三転した男は訳も分からずその痛みに動けなくなる。

ぼやけながらも自分が操る馬車が速度を落とし、誰かが下りてくるのが分かる。

それと同時に反対方向からゆっくりと馬車が近づく音も聞こえる。

一体何が起こったのか。

商品を一度、別の場に避難させるため…いや、持ち逃げしようと企てた矢先このありさまだ。

襟首を持ち上げられ、街頭に自分を縄で固定する道化面の彼らに心の中で「クソ野郎」と呟いた。











憲兵の鳴らす笛の音が近づくと、再び人質は解放されていく。

その光景を屋根の屋上から眺める二人の杖突。

仮面を外したロゼが歩み寄る。


「今回はお手柄なんじゃない?」


そう言い残すと、ロゼは姿を消した。チェコも感知できないほど静かに消えたロゼ。

残されたチェコは杖にもたれかかりながら、仮面を外す。

そして代わりに取り出したのは、先ほどの矢じりの勲章。

その彫刻の細かさから、技術力の高さを思い知らされると同時に、ひとつの疑問がチェコを悩ませる。


もう一つ。


懐にねじ込んだ帳簿…中身を開けば顧客の詳細な情報と言ったところか。

記載された住所はすべて受け渡し地点なのだろうが、その場所が問題であった。

国内のみならず国外まで搬出先が記載されているその帳簿が指し示すのはただ一つ。

その組織は国外に、しかも秘密裏に自分たちの品を届けられるほど強大な勢力なのだろう。



自分たちは強大な何かに喧嘩を売っているのではないだろうか。



不安感と共に夜の風がチェコを襲う。


帳簿をねじ込みながら地面に降り立つチェコは、まだ眠らない夜の街に溶け込んでいった。


次回 鋼杖師―the history shadow―


『鋼杖師』


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