―Prologue―
むせ返るような群衆の群れ。
そのすべての人々が砦の頂点に立つ人物に罵声を浴びせていた。
ある者はゴミを投げつけ。ある者は怒鳴り散らし。
ある者は無力さに嘆き悲しんでいた。
その光景を砦の奥。自身の宮殿のバルコニーから見下ろす冷酷な王が其処にいた。
王が死去し、その権限は息子であるウィリアム・T・クロフォード・ローザム王子に移行した。
そもそもボートルダムという南に位置するこの国は飢えが深刻になっていた。干ばつが続き他国との貿易も砂漠に囲まれ、海路に頼るしかないのだが、近年増え続ける海賊に手を焼き、完全に食糧難が続いていた。
それだけでも民の不満は募っていたが。更にその不満を加速させたのはウィリアム王子による恐怖政治だった。
自室から出ようともせず、政治は部下に任せ、困難の解決策は増税。
完全に家柄だけでのし上がった権力者の象徴のような男だった。
戦う意志を見せる者は処刑され、民は飢えに苦しみ始めた。
前王のクロフォード・T・シェイカー・ローザムも、とても賢王とは呼べなかったが、ウィリアムが王位をついでから状況は悪化。
税は増え続け、民の負担も限界だった。
バルコニーから姿を消し、自室へと戻るウィリアム。
講義を続ける民を放置し、またすべてを部下に任せればいい。そう背中が語るのを、衛兵は心の中で哀れに思うしかない。
しかしこのままでは暴徒と化した民が門を打ち破るのも時間の問題だった。
執政がウィリアムに告げるも、彼は聞く耳を持たず歩き続ける。
がしかし、余りのしつこさにウィリアムは部下に告げた。
「何人か殺せ。それで静かになる。」
それだけ告げると自室のドアを閉じた。
背筋の凍るような命令に衛兵たちは静かに遂行するしかなかった。
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「門を開けろ!発砲準備!」
衛兵長がそう声を荒げると、重い木製と石造りの門がゆっくりと持ち上がっていく。
既に部下たちはマスケット銃を構え発砲体勢にあった。
二列に並んだ上下10門の銃口は確実にその門の向こう側にいるであろう民に向けられていた。
青い軍服に身を包んだ衛兵たちに緊張が走る。
自らが守るべき民をたとえ王の命令とはいえ撃ち殺さねばならない。
しかし、自然と抵抗感は湧いてこない。
そこにあるのはただ命令を忠実にこなす人形であった。
そういう風に彼らは訓練されてきたのだ。
「構え!!」
ついにその瞬間がやって来た。
衛兵たちは銃を肩に構え狙いを定める。
引き金を引き、後退し、次の射撃のために次弾装填。
そんな機械の様な作業がこれから始まると思うと、やはり気が重い。
少しづつ上がっていく、まだ見えぬ門の奥に狙いを定める。
しかし、その門の奥にいたのは民ではなかった。
まず目についたのは黒いフェドーラ帽。
顔は道化師の様な左右非対称の独特の仮面で覆われ、黒いチェスターコートに黒スーツ。
覗く革ベルトや体格から完全に武装している事がわかる。
まるで葬式に赴くような全身黒尽くめの四人が、門の前に立ちふさがっていた。
衛兵たちは一瞬、その異様ない出立ちに呆けてしまう。
あれは敵だ。
しかし、なんだか今にも消え失せてしまいそうなそのい出立ちに。
昼間では目立つ黒コートのハズなのに、まるで軽い眩暈のように一瞬思考が停止する。
「何をしている!」
衛兵長の言葉で我に返り、再び銃を構えなおす。
「構わん!撃ッ…」
吠える衛兵長の言葉は、そこで途切れた。
代わりに聞こえる肉を貫く音に、血しぶきが地面に滴り落ちる音。
そこに目をやれば、衛兵長の喉元には…、
…深々と一本の矢が刺さっていた。
刹那。
撒かれる手のひらサイズの金物に、吹き出る煙幕。
衛兵たちの視界は一瞬にして無くなった。
「おい!何が起こって……」
「列を乱すな!!点呼を……」
「みんな大丈……」
次々に消えていく声。
倒れ行く死体の音だけが惨状を物語っていた。
飛散していく煙幕の中、四つの黒装束が抜け出した。
その方向には砦内に高々とそびえ立つ城。
門を抜け開け放たれている城内へと続く道は、一つの声によって閉じられる。
『侵入者だ!!』
見張りの声によって城門が閉められ。兵舎から衛兵たちが次から次へと飛び出し、門を死守するため立ちふさがる。
一様に槍を持ち、後から続く兵士たちもマスケット銃を携え加勢し始める。
100は下らない兵士たちに対して、杖を持った黒服たちは全く動揺する仕草を見せずゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、とてつもない雄叫びと共に流れてくる、死を覚悟した戦士たちの姿。
ある者は鍬で、ある者はピッケルで、ある者は棒切れで。
武器は多種多様。ただ自由と解放のために人の波が黒服たちを避け、衛兵たちに牙を剥き始めた。
マスケット銃の掃射に怯むことなく、前方にいた仲間が倒れようとも、続く戦士たちが数の暴力となって襲い掛かる。
一人…また一人と衛兵が倒れていくその光景を後目に、黒服たちはいつの間にか衛兵たちの前から姿を消していた。
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門を抜けると、石造りの廊下。堅牢な城にふさわしく、仰々しい装飾の道を抜けると大広間に出る。
国旗やいくつかの装飾品が目につくが、彼ら杖突の標的は王の首。
圧政を敷いてきた王に天誅を下すこと。それが彼らの指名。
目線は中央に伸びる階段の先。
無駄に堅そうな扉の奥に向けられていた。
しかし、その扉の向こうから数十名が駆ける音が響いてくる。
足音からして軍の重装兵が流れ込んでくるのだろう。
それほどまでに兵たちは苦戦しているのだ。
黒服たちは互いに頷いた。
扉は開け放たれ、兵士たちがぞろぞろと階段を下り、誰もいない広間を抜け外に向かって駆け出す。
「隊列を乱すな!臆せずかかれ!」
隊長の声と共に流れていく兵士の群れ。
最後の兵士が扉を出ると、内側から鍵のかかる音が響いた。
つまり扉の奥にはまだ何人かの兵が残されている証拠だった。
最後尾の兵が、廊下の先に消える頃。天井から何かが巻かれるような異音が大広間に鳴り響く。
その正体である黒服たちは天井からゆっくり降りてくると、ベルトに取り付けたボックスを操作しワイヤーを回収。
兵たちを天井に張り付いてやり過ごしたのだ。
すると黒服の一人が、自前の杖を一回転させながら、扉の前に立ち包帯で巻かれた金属の箱を取り出す。
仮面の奥でニヒルな笑みを浮かべそれを扉に貼り付けた。
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爆音。
それに続く轟音ともいえる落下音。
そう、扉は爆破されたのだ。
王室にそれが響き渡ると、ウィリアムは自らの剣を携え五人の衛兵に指示を出す。
部屋の物陰に隠れさせ、敵が現れたら討てと命じた。
自分の剣に手を掛け、その時をじっと待つ。
静寂が訪れ、扉の向こうの音が聞こえてくる。
革靴特有の固い音が廊下に響き、少しづつウィリアムの心音を速めていく。
そしてその時は訪れた。
豪快に扉が蹴破られ、四人の黒服は自分の得物である杖を握り締め、部屋に突入した。
二人はウィリアム目掛け一直線。
残り二人は別の敵を警戒して構えていた。
すると案の定、物陰に潜む衛兵が飛び出し四人を襲う。
室内戦を考慮したソードブレイカ―を抜き放つ…。
この瞬間衛兵たちは思った。相手は杖だと。
打撲しか能のない子供だましの武器に内心余裕を見せる。
がしかし、杖突たちの杖が変形すると、衛兵たちの表情は変わった。
前二人の杖はそのまま引き抜かれ仕込み直刀が顔をのぞかす。
残り二人の杖も、一人は先端部を引き抜き銃口を覗かせ、もう一人の杖は刃が飛び出しまるで鎌のような形状に。
あわて距離を取り警戒するも遅かった。
一人はその鎌で衛兵の首を引っかけると、力任せに引っ張り昏倒させ、もう一人はその銃で一人を始末すると引き抜いた杖の先をさかさまに取り付け、飛び出す刃先を槍のように振いもう一人を絶命させた。
前二人も健闘虚しく倒れる衛兵を払いのけ、残る衛兵と王の二人に目を向ける。
「下がれ暗殺者ども!!」
猛々しい衛兵がそう叫ぶも、杖突たちは一向に退く様子もなく、ただ立ちすくんでいる。
一瞬の硬直状態。
刹那。
風切り音と共に深々と突き刺さる矢が、衛兵の命を奪った。
部屋の外。廊下へと目を向ければ、一人の男がその杖をクロスボウのように変形させ歪んだ笑みの仮面越しに王をにらみつけていた。
一人残された王は、肉となった元家臣たちを憎々しそうに睨み付け、その剣を引き抜いた。
「貴様ら…杖突共か」
そう憎しみを込めて尋ねる独裁者に、男たちは杖で答えた。
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―――
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乱戦状態にある砦前では、兵と民が激戦を繰り広げていた。
飛び散る血しぶきに鳴り響く火薬音。
銃剣と農具が激しくぶつかり、お互いは次々と倒れていく。
永遠と続くであろうと思われた。
しかし、突如としてその戦闘はいきなり突き刺さる棒切れが終止符を告げた。
王室にある式典用の槍がバルコニーから放り投げられ地面に突き刺さる。
その先端、まるでさらし者のようにウィリアムの首が突き刺さっており、それと同時に圧政の終止符をも告げたのだ。
劈く悲鳴のような勝利の雄叫びに、兵士たちは武器を取り上げられ、一か所に集められ両手を上げ降伏状態。
残党を探すため城の奥へと進んでいく民。
間もなくこの国は新たな王の選定にかかるだろう。
弱者の勝利をその仮面の下で微笑みながら見つめる五人の黒服…。
杖突と罵られた者たちは、その高い城壁から飛び降りた。
その五人の勇士たちの働きを、彼らは見る事もなく過ぎ去っていく。
ある者は記憶の片隅に追いやり、またある者は認知することもできずに彼らはその舞台から身を引いたのだ。
彼らの戦いの記録を湛える者も、記憶す者も。
この世には存在しない。
いつからか彼らが杖突と呼ばれるのかは定かではない。
人類のターニングポイントに彼らは現れ、正義の味方をし、自らにつながる痕跡は一切を残さず消えていく。
その仮面のようにすべてを隠して世界を練り歩く彼らは、その特有の仕込み杖から。
知る者からは杖突と呼ばれ、暗殺者集団と罵られた。
蝶の彫刻が施された杖を携え、道化の面を被り。
死臭を纏いながら、彼らは今日も杖を突いて歩くのだ。