第九話 願いはきっと届く
「……あー、もういいや。なんか疲れたわ」
海斗はため息をつき、怠惰の神様に怠惰の表情で言った。
「で? あなたに勘違いで魔術師にされ、その力をつかう方法がわからないまま敵に追いかけまわされ、挙句の果てには殺された俺ですがこの後どうしたらいいんだ? 神様よぉ」
「どうしたらいいと聞かれても…でも確か、わしは一応使い方を教えたはずじゃぞ?」
「は???」
海斗は説明などされた記憶がない。説明されていて、その力をつかいこなせていたらこんなことにはならなかっただろう。
「わし言ったはずじゃぞ? 『自分を信じろ』って」
「言われたけど…それがなんだよ? 世界最強の魔法でも発動するってか?」
海斗は冗談まじりで言った。魔法で世界を滅ぼしたり、世界中の女子からちやほやされてハーレム状態になったり、葉っぱを諭吉さんに替えたりするものがつかえればとは思ったが、そんなものは魔法の中に存在するのだろうか。
「そうじゃよ」
「……え?」
あっさりと。
そう言った神様は話を続ける。
「お主に与えた力は最強といえるくらい、強いものじゃ。だがその力を使つかいこなせる者はほぼおらぬ。それにつかう者によってかわるのじゃ。力がな」
「――力が…変わる…?」
「そうじゃ。それはまるで千変万化じゃ。炎や水を操れたりする魔法使いや刀で勝負する剣士、銃で敵を一発で仕留める砲兵などの、ゲームとかでよくあるタイプや属性のようなものがあるじゃろ?」
「随分と詳しいな…」
神様だからだろうか。
妹の琴美はアニメが好きだったから時々暇なときに同じものを見ていてすこしだけそちら側の知識はあると思うが、そこまで海斗自身はアニメやゲームに没頭したことがない。
「そんな奴らは大抵、その力しかつかえないのじゃ。魔法使いが剣を握って闘ったりするのはあまり聞かないじゃろ?」
「…まあ確かに。違和感があるよな」
「だがお主に与えた力はそんな制限はない。つまり何にでもなれるのじゃ」
…なんとなくわかったような、わからないような気がする。
「つまり、俺は剣士にでも魔法使いにでもなれるオールラウンドな力を手に入れてた、ってことか?」
確かにそんな力がゲームの中にあれば最強の主人公が出来上がると思う。
「そのとおり! じゃがそれゆえにつかえる者が少ないのじゃよ」
「…ん? なんで少ないんだ? オールラウンドな力なんだからそれなりに少しくらいは使えるものなんじゃないか?」
「それが無理なんじゃ。基本の幅が大きく応用性もある力だから、その分使える条件も非常に多いのじゃ」
「どういう条件なんだ?」
「謎がおおい力じゃから詳しいことは分からんが、一番重要なのはさっきも言ったが『自分を信じること』が大切なのじゃ」
なんだ。と海斗は思った。もっと寿命が削れるとか身体を壊すとか、何かを代償にしたりしなければならないのかと思っていた。
「その、『自分を信じる』ってのは具体的にはどういうことなんだ?」
「その言葉のとおりじゃ。わしにはそうとしか言いようがない」
「…随分と投げやりだな」
「自分自身を『信じる』というのは人それぞれじゃ。一瞬でできるものもおれば一時間かかってもできないものもいるだろう」
「そうか」
なるほど。
海斗は言われたことの意味が分かった気がした。つまりその力を使うのには精神面で個人差があるからあなたが説明しても意味がない、と。
「それでその力を持っていた俺はなんで殺されたんだ? なんか理由でも―――――、っえ」
海斗の周りにふわふわと白い光が舞い上がる。
それが視界に入り、先程まで何もなかった空間になにか現れたのかと思ったがそれは違った。
その光は海斗の足元から来ていて、海斗は光の根源をみる。そこには、少し消えかかって透明になっている海斗のつま先があった。
「……そろそろ、か」
海斗ではない、見えない神様が悲しそうな声で言った。
気付いたのだろう、海斗がどこか遠い世界に行ってしまうのを。
「…………」
何も言うことがなかった。海斗はただ、自分のつま先からじわりじわりと自分の身体が消えていくのを見ている。
消滅していく身体に痛みはない。いや、死んでしまってはそんな感覚はないのだろう。
「なにか言い残すことはないか、少年よ」
生きてきて初めて『少年』という呼び方で呼ばれた。
だが、もうどうでもいい。
『言い残すこと』、か。自分でもわからなかった。
こんなにあっけなく人の命は果てていくのか。未だに自分の中に秘められている、まだつかったことのないその力のおかげでこんなに急に死んでしまったからやりたかったことや後悔していることはたくさんある。それは『言い残すこと』に含めてもいいのか。
――ふと頭の中に、琴美の顔がよぎった。それは笑っている顔でもなく、怒って顔を赤くしているのでもない、死ぬ前に見た顔だった。
海斗は鮮明に覚えている。半泣きしながら青ざめた顔で上から覗く顔。それは多分、海斗をとても心配していなかったらできない顔だ。あんな女の子の表情は初めて見た。
(琴美、どうなったんだろう。無事にあそこから逃げ出したのだろうか)
死んでからこの何もないところで話している間に琴美はどうなっているのだろうか。気になったが、そんなもの確かめようがない。
(でも、確かめたい――)
――また頭の中に誰かの顔が現れる。華夏だった。
そうだった、華夏は今どうなったのか。病院で治療を受けているのだろうが、けがの具合はどうだったのか。家だってぐちゃぐちゃのままだ。両親はまだ帰ってこないから、華夏が全部片づけないといけないのか。
食事だってどうなるんだ。華夏は一人で料理ができない。包丁を握ればどうなるかわからないあいつに食事など作ることはできない。口は悪く、テレビばかり見ていて、海斗には暴力的な妹だ。が、根はとってもいい奴なのだ。
(華夏には、俺がいなきゃ――)
何一つ守らず、勝手に死んで、ああ死んだのか、などと自分の身勝手さに気付かず、てきとうに考えていた自分を殺したいくらいだ。唇を噛み、俯く海斗の拳に力がはいる。
死んでしまってはそばにいてあげることすらできない。
海斗は自分自身に腹が立った。自分が死んでもよかったことなど何一つなかった。
(このまま消えて、琴美や華夏はどうするんだよ)
華夏には迷惑だけかけて謝りもできず、琴美にはその場にいていたのに助けれなかったという重い荷をかけてそのまま死んでいくのか。
「……なあ神様よぉ」
長い沈黙が終わった。
「俺はさ、あの時自分が死んでも琴美だけは守るって考えてたんだ。死んでも守るって。だけど今さら気付いたよ。そんなことをしても誰の得にもならない。守れてたとしても、琴美には自分を守るために殺させてしまったという重荷を背負わせてしまった。華夏だってそうだ。あいつには俺がいなきゃ飯を食えないし、金だってない。それなのに俺は――」
言葉に詰まる。自分のみじめさ、勝手さ、弱さに気付いてしまい、怒りと悲しみが込み上げてきた。
その時海斗の足はくるぶし程まで消えかかっていた。バランスを崩した海斗はガクッと膝を落とし、地面に手をつく。悔し涙をだしながら海斗は「くそっ!!」と怒りを力に変え、右拳を地面にたたきつけた。
「…………」
自称神様は何も話さない。
みじめに思われているのか、同情しているのかは分からない。それでも、神様にもらった最強の力を手にしているのに、何もできない自分自身を海斗は許せなかった。
「なあ神様! 俺はやり直したい! あの野郎をブッ飛ばして、琴美を守りたい!! 華夏の飯を作ってやりたい!! これが俺の『言い残すこと』だ!!!」
海斗は顔だけを斜め前を向けて叫んだ。言い残すというより『願望』に近いものだ。だが、海斗の心の中はその言葉しかない。生きて琴美を救って、また三人で飯を食いたい。それだけだった。
「…………」
海斗の身体はくるぶしを越してふくらはぎまで消えかかっていた。このままだと五分も経たずに身体全体が消滅するだろう。まだ神様は何も言葉を発さない。ただ悔し涙を流す海斗が消えていなくなるのを黙って見続けているのか、もう既に神様に見放されたのかすらわからなくて、海斗は悲しみが込み上げてきて、下を向く。真っ白でなにもない床は本当にそこに地面の面があるのか、そこに手をついているのか分からないほどの無色だ。
「……仕方がないのお」
声が聞こえる。
海斗は涙でいっぱいになっている顔を上げた。
「どうやら、お主の気持ちがわしの心を動かしたのかのぉ。それとも……、いや、そうなのだろうな。分かった。その気持ち、絶対に叶えるのじゃぞ」
「………え」
最初聞き取ったとき、すぐにはその言葉の意味が分からなかった。
「だがわかっているのじゃろうな。絶対にその琴美とやらを助けてやるのじゃぞ!! わかったな!!」
だんだんと理解することができた。流石は神様だ。生き返らせてくれる。足元を見ると、先程まで消えかかっていた足が元に戻っていた。もう一度チャンスを与えてくれるのか。海斗はゆっくりと立ち上がり、涙を拭って自信満々に叫んだ。
「おう! あったりまえだ!!」
「よくぞ言った! それでこそ男よ! 次の命、絶対に捨てるんじゃないぞ!!」
次の瞬間、強い風が前から吹き抜けてきた。前にもこんなのがあって、後ろに飛ばされそうになったが今回は違う。しっかりと眼を見開き、前を向いて踏ん張って風に負けないようにしている。
もうこの場所には来れない。
いや、戻ってはいけない。
光が強くなってきても海斗は目を閉じない。真っ直ぐ前を見てみんなのことを考える。この気持ちは絶対に忘れてはいけない。絶対に。
一条海斗はそこにいた。
海斗は仰向けになっていてさっきまでとは正反対の真っ黒な天井があり、いくつか星が見える。視界には学校の壁が視界の上方に見えた。
はっ、と海斗は元に戻ってきたことに気付いてすぐさま身体を起こす。
そこに見えたのは、焦げたコンクリートの中央から少しだけあがっている煙と久しぶりに感じる校舎だった。焦げ臭い匂いが鼻にくる。
「――そうだ、琴美!」
周りを見渡すが琴美の姿はどこにもない。海斗が意識を失ってから少しは時間が経っているはずだからまだ近くにいるのかもしれない。そう考えて海斗は立ち上がるが、ズキッという痛みが後頭部からはしった。「うおっ!」前方にふらつくがなんとか踏みとどまる。こんなところでこけていられないのだ。
「神様と、約束しちまったしな」
海斗はゆっくりではあるが先に進み始めた。
――音が聞こえる。運動場のほうだ。
海斗はずっしりとくる頭の痛みに耐えながら歩いていた。
「こっちか…?」
ようやく運動場が見える場所までたどり着いた。海斗は校舎の裏で一旦立ち止り、呼吸を整えて心を落ち着かせようとする。
(大丈夫、大丈夫。絶対にだいじょうぶ――)
「てか痛ってえ!!」
後頭部が痛すぎてつい声が出てしまった。
(あんの神様、生き返らせてくれるならついでにキズも直してくれればよかったのに…)
まったく気の利かない神様だな、とため息をつくとふと思い出したことがあった。
「そういえば、俺の力は自分を信じれば何でもできる、んだったよな。じゃあ、この傷も…」
どのようにすればいいのかわからなく、「うーん」と困った表情で悩むがさっぱりだ。とりあえず、『治る! 治る! 治る!』とでも口にしたらいいのだろうか。
悩むより行動だ。行動に移さなければいつまでたっても変わりはない、と思って海斗は口に出してみた。
「痛みなんか治る治る治る! 今すぐこの頭の痛みはどっかに飛んでいく! ――痛ってえ」
痛みに変わりはなかった。頭を使ったせいか、余計に痛くなったかもしれない。それに今の状況を誰かに見られていたら、海斗は恥ずかしくて泣いてしまうだろう。現に今も恥ずかしくて顔が少し赤い。
「……時期に治るか」
そう呟いて海斗は校舎の角から首を出し、運動場の様子を見る。運動場の真ん中で黒滝と琴美がいるのが見えた。
今は話し合っているのか、どちらとも攻撃をしない。今のうちになにか仕掛けよう、と思い、海斗は運動場に降りる階段を降りた。ゆっくりと草の深い茂みに隠れて様子をうかがう。まだ琴美も黒滝も海斗には気付いていない。
少しずつ距離を縮めていく。段々と話し声が聞こえてきた。
「――っせえな。殺し合いに男女なんか関係あるか。死ね!」
空中に浮いている黒滝の周りの空に無数の炎の球が現れる。それらが琴美に向かって急降下しだした。琴美は走り回って避けながら黒滝に一所懸命に攻撃をしているが、海斗から見ると琴美の攻撃は全て弾かれていた。だが避けるので精一杯の琴美にはそんなことを気にしている余裕はなさそうだ。
「琴美!」
海斗は声を押し殺して叫んだ。琴美を助け、今すぐ応戦したいがそれでは隠れている意味がなくなる。だが出るタイミングがまだできない。海斗は今、黒滝の目の前にいる。今、前に出ると黒滝の視界のど真ん前に飛び出していくことになるのでそれは避けたい。
琴美が黒滝の周りを走り回っていると、だんだんと黒滝の身体が少しずつ横を向いてきた。琴美の動きに合わせて黒滝は海斗に背を向けたのだ。「今だ!」と、海斗は茂みから飛び出し、黒滝の背後に近づく。
(よっしゃ! このまま……)
黒滝はまだ海斗が後ろから走ってきていることに気付いていない。だから背後から何か仕掛けることは容易だろう。
だがそれはできないことになった。
琴美だ。
今、琴美は背中を向けて浮遊している黒滝を挟んで海斗の目の前にいる。海斗の目に映った琴美はさっきまでの逃げ回っている姿ではなかった。地面に手をつけて空にいる黒滝をただ呆然と見上げていた。ダメージを受けたのか、転んだのかは何一つ分からない。だがこの状況をみて、琴美が危険ではないと思う人はほぼいないだろう。海斗は黒滝の背中に標準をあわせるのではなく、琴美を捉えている火球にあわせる。
琴美を守らなければ。
「ことみ!!!!!」
先程よりも地面を強く踏み、大きく前に足を出す。だが今の海斗の速度では火球より先に琴美にたどり着けない。琴美はもう目を閉じてその場から動かない。これでは琴美が――。
その時。
ドクン、と心の底から響くような声が聞こえてきた。
『自分を、信じるのじゃ』
その特徴的な語尾で正体が分かった。あの人は多分、心の中で海斗の手助けをしてくれているのだろう。
そして海斗は強くまぶたを閉じる。
強く願う。
自分を信じて。
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!! ことみいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!」
その時、海斗の手には光るものが見えた。