第五話 男子禁制
海斗は校舎の角を曲がる。走るのと飛んでくる危険物を避けるのに必死だったのでわからなかったが、もう一周してきたみたいだ。海斗は校舎の中に逃げ込み、教室めがけて走り出す。
校舎の中では授業の時以外に校内で超能力を使うのは一応禁止されている。だから大河たちは校舎の裏の人気のないところだったらばれないと思ったのだろう。
流石にあいつらもここでは使わないだろう、と思って階段を上る。
「か、カイトォッ! 待ちあがれぇ~!」
大河が後ろで叫んでいる。その後ろからバタバタと足音が聞こえてくる。追いかけてきていた男子どもは全員息切れしていて、外でいた時より半分くらい人数が減っていた。海斗を追いかけながらあんなに力を激しく使ってたら普段運動していない人なら相当身体にくるはずだ。追いかけられている海斗だって汗はかいているし、息切れもしているのだから。
「殺そうとしてきている奴に待て、って言われて待つ奴がいるかよ!」
「いや、まて! 俺らやっぱりこんなことしなくていいんじゃねえのか?」
こんなことになったのはお前らが原因だろうが。
「説明させる気ゼロ、だったのにいまさらかよ!」
「やっぱり、何か、理由が、あって、そうなったんだな?」
本当に今更訊かれてもだな。
「そうだよ! 理由もなしに家に誘うかよ!」
「じゃあ! それを説明してくれよ! いまここで!」
大河たちの目は本気だった。海斗はこのまま逃げようかと考えたが、周りに先生やほかの生徒はいない。この状況で逃げだしても、大河たちにはまだ僅かに体力は残っているだろうし、攻撃してくるだろう。
そう考えた海斗はその場を収めるため、仕方なく昨日琴美とスーパーで会ったこと、夕食のメニューが一緒なので家に来ないかと海斗が言ったこと、そしてちょっとした不祥事で琴美が服を濡らしたから妹の服を貸したことをすべて話した。
だが、琴美と海斗が謎の男に襲撃されたことだけは話さなかった。
「――――だから、昨日俺んちに琴美がきていろいろあったんだよ。別に変なことはしていないからな!!」
海斗が説明し終えると、その場にいた者が「そうだったのか…」「それなのに俺らは…」と小さく団子になって話をしている。ようやく理解してくれたのか、みんなが「なあんだ、そんなことか」とため息をつく。
「はあ、これでようやく分かっただろ? じゃあもう追いかけてくるなよ。もう疲れたし」
そう言って海斗が教室に戻ろうとしたとき、
「あれ? でもその話だと結局カイトが飯誘ったってことになるんじゃね?」と大河が言った。
結局はそうなるが、なぜそうなったのかを説明するには襲われたことを話さないといけない。
だが、あの話をこいつらにしても信用してはくれないだろう。
「だ、だからそれはだな! 琴美の家は今あいつ一人だし、飯なんか一人で食べるより、みんなで食べたほうがおいしいだろ!? お前らもわかるだろ!」
「それにさ、カイトさっきから琴美ちゃんのこと馴れ馴れしく『琴美』なんて呼び捨てにしてるしさ、やっぱり許せなくなーい?」
(大河……うっぜぜぜえええええええええ!!!)
口調がとても気に食わない。今すぐにでも殴りたいその顔を。
「そうだよ!! やっぱり許せるか!!」「一緒に晩御飯を食べたとか許さん!!」と瞬く間に批判の声がでてきた。
…まずいな。海斗は振り返り、また走り出す。
だが。
運悪く、海斗の足は階段の角に引っかかり、こけてしまう。
そして。
逃げ遅れてしまった海斗の後ろには大河たちがいる。大河が海斗の脇に手を入れ、がっしりと掴む。
「ようやく捕まえたぞぉ~、カイトぉ~!!」
「う、うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」
廊下に海斗の叫び声が響く。
その後海斗がどうなったのかは、ご想像のとおりである。
「いたた……大河のやろぉ~」
「大丈夫? 絆創膏貼る?」
「いや、貼っても意味ないと思いますけど」
見事なほどにぼっこぼこにされた海斗はその後の授業の記憶がなく、いつの間にか放課後になっていた。そして海斗は琴美の買い物に付き合い、サニーパークに向かって歩いているが、身体を動かす度に身体のどこかが痛む。
「ところでさ、今から何買いに行くんだ?」
海斗は学校で聞きそびれたので再度尋ねた。
「えーっとね、いろいろ見たいんだけど絶対に買わないといけないのは紅茶かな!」
「紅茶?」
「そう! なくなっちゃっててさー、あそこならいろいろあるし、美味しいの売ってるかな? と思って!」
「紅茶かー、俺はあまり飲まないなー」
家にはあるが妹と母ぐらいしか飲まない。海斗はインスタントコーヒー派なのでそこまで紅茶を口にしたことがない。
「そうなんだ! 嫌いなの?」
「いや、嫌いじゃないんだけど飲む機会がないんだよねー」と海斗はため息とついて首を振った。
「じゃあまた家にお邪魔するときは紅茶持っていくよ!」
「そっか、ありがとな!」
「うん!」
琴美がまたにこっと笑いかけてきた。毎度思うがその笑顔は海斗の心を溶かすことができるくらい、かわいい笑顔だ。
食べ物や飲み物のことを考えていると、海斗の腹が鳴る。
「それにしても腹減ったなー」
昼までの休み時間は全力で走っていたし、まだ成長期である海斗はすぐに腹が減ってくる。特にこの、夕方になり学校から帰ってきて晩飯を食べるまでの時間がよくお腹が減る。
「じゃあ着いたらなにか軽く食べよっか!」
ここで食べない、と答えたら海斗は腹減りすぎて帰り道で動けなくなるだろう。
「そうしよう。琴美はなにか食べたいものあるか?」
「うーん、あ! ちょっとまってね」
そういって琴美は携帯をポケットから取り出し、なにか調べ始めた。
「これがいいかな!」
琴美は海斗にスマホを「はい!」と言って渡した。
琴美の携帯にはいろんなパンを紹介しているサイトが表示されていた。
「これって……おいしいって評判のパン屋さんか?」
「そうだよ! 『ルヴィン』っていって、サニーパークに店舗が入ってるんだ!」
『ルヴィン』とはフランスに本店があるベーカリーカフェだ。最近日本にも進出してきたらしく、とても女性に人気があるらしい。友達と一緒に華夏は食べにいったと言っていた。
「とっても美味しいらしいよ! 特にクロワッサンが!」
この店が押している商品はクロワッサンらしい。なんでも生地にこだわりがあるらしくて、今女性が食べたいものナンバーワンだとテレビでも報道されていた。
華夏はとてもおいしかったと言っていたがだがまだ海斗は食べたことがない。何か食べられればいいと思っていた海斗は快くその提案を承諾した。
「いいね! じゃあそこにしよう!」
『ルヴィン』の店内はとてもおしゃれで高級感漂わせる雰囲気だった。海斗と琴美は窓際の席に座っていて、琴美はお目当てのクロワッサンを頬張りながら「ん~っ! 美味しい~!」と満面の笑みを浮かべている。
海斗は窓の外の景色を眺めている。火が沈みかけていて、空と雲が橙色に染まっている。だがなぜか、腹が減っているはずなのに、いっこうにパンに手をつけようとしない。それは別にぼーっとしているわけでもなく、腹が減っていないわけでもない。むしろ目の前にあるクロワッサンを今すぐに胃の中に放り込みたいぐらいだ。
また海斗の腹が空腹のサインをだす。
「どうしたのカイト? お腹減ってるでしょ?」
琴美が心配そうに聞いてきた。
「あ、ああ。ごめん、ぼーっとしてた」
海斗は周りをちらちらと気にしながらゆっくりとパンに手を伸ばす。頬には汗がたらりと垂れてきた。部屋はそこまで熱くない。
(…き、気まずい……!)
周りの人がひそひそとこちらを見ながら話している。女性に人気がある店だからか、男性が一人もいない。仕事帰りのOLや学校帰りの学生の女性しかいない空間にただ一人、男の海斗がいるからとても目立つのだ。
「ちょっと見て! あの子かわいい~!」「もしかしてデートなんじゃない?」「絶対付き合ってるよ!」と海斗の後ろでキャーキャーと女子高生が騒いでいる。周りから見ると、この状況はデートに見えるのだろう。だがこれはデートではないし、まず付き合っていない。ただ友達の代役をしているだけだ、と海斗は心に言い聞かせる。
海斗はクロワッサンに手を付け、一口かじる。
「うんまっ!」
海斗の身体に衝撃がはしる。いままで海斗が食べてきた中で一番おいしいパンだった。
「でしょ! 食べれてよかった!」
「琴美は食べたことあったのか?」
「これはいつも売り切れで食べれなかったんだ~。これ食べれるのってけっこうレアなんだよ!」
初めて来て食べることができたので、どれだけレア度が高いのか海斗にはわからないので「へー、そうなんだ」としか答えることができなかったが、この美味しさと琴美の喜んでいる表情で察するに相当ラッキーだったのだろう。
その後は琴美の友達の話や家族の話などで盛り上がって、周りの目など気にしていなかった。
「いやー美味かった! 琴美、ありがとな!」
バケットの中が空になったところで海斗が言った。
「いいよいいよ! わたしもクロワッサン食べることができたし、ありがとう!」
「それにしてもこの店全然男子がいないな。店員も女性ばっかだし」
結局、食べ終えても店内では一度も男性を見かけなかった。
「女性にとても人気があるからねー、男一人では入りづらいんじゃない?」と笑いながら琴美は言った。確かに海斗なら一人ではこの店には入ることができないだろう。入っても周りの視線が痛くて逃げ出すに違いない。
「まさに女性の空間、って感じがするな」
コーヒーを飲み終えてから海斗が言った。
「じゃあ帰ろっか!」と琴美が言って席を立った。
「そうだな! って、あれ?紅茶は買わなくていいのか?」
「あ、そうだった! クロワッサン食べてて忘れてた!」と、てへへと笑いながら琴美は恥ずかしそうに言う。
海斗も席を立ち、会計をしてから店の外に出ると外はもう暗くなっていた。携帯をみると時刻は6時半を過ぎている。もうすぐ華夏が部活から帰ってくる時間だ。そう思った海斗は華夏に『帰り遅くなるから先に食べといて』とメールをした。
「華夏ちゃんにメール?」
琴美が海斗の携帯をみて言った。
「ああ、多分家に帰ってきていると思うから先に飯食っといてって」
「ごめんね遅くなってー」
琴美が申し訳なさそうに言った。
「いやいや! 別にいいよ! あんなにおいしいパン食べることができたし! それじゃあ買いに行こう!」
そう言って海斗達は歩き出した。
「……たっか」
琴美が入った店は先程のパン屋さんより高級感のあるところだった。男性の店員ははタキシード、女性はメイド服を着ていて、照明にはシャンデリアが使われている。
琴美は紳士的な男性店員と「どのお茶が人気なんですか?」と平然とどれにするか選んでいる。海斗はどうしたらいいのかわからず、琴美の隣で紅茶を眺めていた。
「……ケタ一つ多くないですか?」と海斗が琴美に言うと、「え? これがふつうじゃないの?」と軽く返された。
「こちらはどうでしょうか? インドから直接取り寄せたものでございます」
そこにはいかにも高級感のある箱で、中には5つほど茶葉の種類が瓶で分けられているのが入っている。海斗は箱のあった場所についている値札を凝視する。そこには海斗が飲むインスタントコーヒーの値段をだいたい五倍くらいにした数字が手書きで書かれてあった。海斗は見間違いではないか、と思い、眼をこすってから再度みるが値段に変わりはない。
琴美はその箱を手に取ると、「じゃあこれで!」と店員に渡した。
「おいおい! お前こんな高いの毎日飲んでるのか!?」と、海斗は驚いた表情で琴美に尋ねた。
「え? わたしとしてはまだ安いと思うけど?」
『まだ安い』だと?
海斗はなにも言えなくなってしまった。住んでる世界が違う。そう感じた。もしかして、琴美ってめちゃくちゃお嬢様な生活をしているんじゃないか? と思った海斗は琴美に恐る恐る「もしかして、琴美の家って金持ちなのか?」と訊いてみる。
「いや、そんなことないよ~。いたって普通の家だと思うし、普通の家族だよ~」
そう言って琴美は笑いながら答えた。そして琴美はレジのほうに行ってしまった。
安いものなら華夏にお土産として買ってもよかったが、こんな高級なものは海斗の財布が空になっても買えない。この店の一番安いものでも多分、今持っているお金の半分が飛んでいってしまうだろう。
海斗はなぜか店の中にいるだけでとてつもなく仲間はずれにされているような、悲しい気分になった。周りの店員も冷たい目で見ている。きっと「なにも買わないのに、なんで店の中にいるのかしら」と思われているのだろう。これなら最初から外で待っていればよかった。
するとメイド服をきたひとが海斗に対して、「なにかお探しですか?」と効いてくるではないか。それは今の海斗にとって火に油を注ぐようなものだった。
そして一言。
「買いません!!!!」
一方一条宅では――――
「ただいまー、ってあれ?」
家に帰ってきた華夏は玄関に置いてある靴をみるなり、自分の兄の靴がないことに気付く。
「兄いどこ行きやがった! ――ってメールか」
かわいらしい着メロが鞄の中から聞こえた。携帯を開くとそこには海斗からのメールが届いていた。
「『帰り遅くなるから先に食べとけ』だとぉ!? 兄いほんとにどこに行ってるんだ!!」と靴を脱ぎ捨てて、一人で怒りながらリビングに荷物を投げ捨ててキッチンに入る。
「ったく、こっちは頑張って練習してかえってきてんのに、ご飯勝手に食べろとかひどいわー! それはないわー!」
イライラしながらカレーのなべに火を付けてからリビングに戻り、テレビの電源を入れる。
放送されていたのは華夏が好きな『魔法少年オサム』のオープニングが始まるところだった。
「おお!」
華夏はテレビの前に正座してテレビをしっかり眼に焼き付けるように凝視する。
因みにこの『魔法少年オサム』とは、主人公オサムの家に空から突っ込んできた魔法少女リンカーテ=サローニャがサイトに『おまえを魔法少年にしてやるから、私を養え!!』と言って強制的に家に住みつかれ、オサムは魔法少年になるための訓練をリンカーテ=サローニャから受けさせられるという、ところどころ意味の分からないアニメである。
そんなアニメだがなぜか人気がうなぎのぼりで、元々は深夜に放送されていたのだが最近になりゴールデンに放送されはじめるにつれ認知度が上がってきている。
オープニング後のCMが終わり、本編が始めると華夏は「きたきたきたぁ~!」と叫んでいる。なぜこのようにテンションが上がっているのか。
そう、わたし一条華夏は世間一般でいう、『オタク』なのだ。
華夏はこのアニメ以外にもたくさんのアニメを愛している。「これだけが好き!」などではなくて、ほぼアニメ全般が好きなのだ。華夏の部屋にはたくさんの漫画とDVDとフィギュアがたくさんある。お小遣いのほとんどはそれに化けている。
友達との話は時々通じない時が多いが、友達関係に支障はない。だが生活習慣は乱れまくっている。深夜アニメでもリアルタイムで見たい華夏は自分の部屋にあるテレビ(録画はすべてアニメ)で見ている。そのため、見終えてから寝ても就寝時間が2時間ぐらいしかない。それに見たアニメで興奮したり、泣いてしまったりすると余計に寝る時間が減っていく。そして学校に行かなければならないという、永遠の寝不足ループが続くのだ。
「あっはははは!!」
誰もいない空間に華夏の笑い声がリビングに響く。
テレビに夢中になっていて華夏はカレーを温めているのを忘れかけていた。CMに入った時にキッチンからぐつぐつと音がすることに気付いて、華夏は急いでカレーの火を止める。
「うわっ、焦げてる! 兄い怒るかな…」
お玉で底を混ぜると黒い焦げみたいなのが浮いてきた。一瞬焦った華夏だが、「兄いが帰ってこないから悪いんだ!」と言って鼻を鳴らす。
器にご飯を入れて、カレーは焦げが入らないように上のほうをすくう。急いでリビングに戻り、ソファーの前にある机にカレーを置いた。そして「いただきまーす」と言って華夏はカレーを食べ始めた。またCMが終わり本編が始まると華夏はだまってテレビを凝視しながら少しずつ昨日の残りのカレーを食べる。
するとインターホンが鳴った。
(こんな時間に誰だろう? 宅配便かな?)
だが華夏はなにかを注文した記憶がないし、兄からも何も聞かされていない。するとまたインターホンが鳴る。
「あーい、ちょっと待ってー」
そういいながら華夏は廊下にあるモニターを見る。一条家のインターホンにはカメラが付いていて、カメラ越しでマイクを介して話せるようになっている。
モニターに映っているのは何やら怪しげな、フードを被ったおっさんが立っていた。顔がよく見えないがどうやら宅配便ではないようにみえる。
『どなたですかー、うちは新聞と宗教の勧誘はお断りですよー』
華夏はだるそうな声で画面に話しかけた。
『…一条海斗はいるか』
まだ男の顔はフードで見えない。顔を見せないとは失礼な奴だな。そう思った華夏はめんどくさそうな態度をとりながら答えた。
『兄い? 兄いは今家にはいませんけど、兄いの友達ですか?』
『…………』
華夏の質問に男はなぜか答えない。
『あのー、いま兄いはいないんでもしよかったらお名前を教えてもらえ――』
『まあいい、入るぞ』
『は?』
数秒後、バンッ!! と玄関の扉が家の中に吹き飛んできた。