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第十四話 首の皮一枚


 ――――ほんの数秒後。


 海斗が眼を開くと光がなくなっており、ただ月明かりにコンクリートが照らされている。

 そして、目の前には死体のように転がる男がいる。男は足をガクガクと震えさせながらゆっくりと立ち上がり、腕を膝につく。「あがッ…」口から血が吐き出される。口の中が切れたのだろう。息を切らしたままオーウェンスは上半身を支えている腕を膝から離し、拳を握る。


「止めときなさい」


 言ったのはいつの間にか海斗の隣に移動していたアナリアだった。

「アナリアッ…!」

 オーウェンスはアナリアを睨む。その表情には、つい先程までの余裕はもう無くなっていた。それでも前に体重をかけ、前進しようとする。だがアラモ・オーウェンスの身体は前には進まなかった。

「…な!?」

「わかったのならやめときなさい」

 約二十センチの銀の延べ棒が二歩ほど先にオーウェンスを囲むように地面に刺さっている。それがどのような脅威なのかが海斗にはわからない。オーウェンスにはアナリアの警告の意味が分かったのか、そこから一歩も動かない。


「…どういうことだ」

 なぜ殺さないのか、という疑問をオーウェンスは訊いているのだろう。

「それはこの人から聞いてよ」

 ため息をついてアナリアは海斗を指さした。

 オーウェンスの視線が海斗に移る。

「……俺は」

 こんなことがアラモ・オーウェンスという男に通用するとは思っていない。海斗自身、闘ってわかっていた。この男は好きで闘いを望んでいる、と。だが海斗にだって信念がある。


 その信念だって自分勝手なものなのかもしれない。

 架空の正義感なのかもしれない。


 だがそれでも。


「できるだけそういうのは避けたいと思っているんだ。殺す以外にも他の結末だってあるはずだ。だから俺はこういう選択肢を取ったんだ。だからもうやめようぜ。俺は人を殺したくないし、人が殺されるのを見たくもないんだ」

 ここから先は海斗にはどうなるかわからない。オーウェンスがどうでてくるかで対応が変わってくる。嫌な汗が体に流れ、余計に緊張させる。

「……これだから素人は」

 オーウェンスが海斗には聞こえないぐらいの声量でぼそりと言った。顔色が変わり、にやりと笑っている。

「ああいいぜ、じゃあ終わりにするか」

 話してみれば伝わるのもなのだな、と海斗は感心する。

 だがその感情はすぐに掻き消される。

 アラモ・オーウェンスはこれで終わらせるつもりはなかった。


「これで終わらせてやる」


 オーウェンスの拳がまた強く握られる。





 バゴッ!! とオーウェンスの右腕が勢いよくビルの屋上に肘まで埋まる。その姿を視界に捉えると同時に、海斗の視界は身体の方向転換によってぐるりと正反対の方向に変わった。


「くっそ、やっぱりそんなの無理だったか! 逃げるわよ!!」


 何かを察したのか、アナリアが叫んだ。海斗の腕を引っ張り、屋上ので出入口まで駆ける。


「ちょ、ちょっとまて! 何がどうなってるんだよ!」


 その時背後で聞いたことのない音が聞こえた。海斗はアナリアの速度に合わせて足を動かすのが精一杯で後ろを向けない。分かったのは背中に響くそれが建物の地響きや獣の鳴き声などではない、何か生けるものがいることだ。

 階段を二段、三段も飛ばして駆け下りる。海斗は最初の階段の折り返し地点に二〇という数字が筆記体で書かれているのを見た。ということは予想では屋上が二十階とすれば、残りあと何段降りれば地上にたどり着くのだろうか。そんなことを考えていると暗く狭かった空間が急に開けた。薄暗いが月明かりがガラスを通して建物内の照明替わりになっている。


 ビルの中心は吹き抜けで天井からは現代的なアートが吊るされている。『立入り禁止』という策を乗り越え、海斗とアナリアの足は止めずに次の階に降りれそうなエスカレーターに向けて走る。

「おいアナリア! 何がどうなって――」


 海斗は気付く。

 走る二人を追いかけるように何かの足音が身体に響くように迫ってくる。音が段々と近づいてくる程、空間の響きが強くなっていく。

「走れ!!」

 先行して走るアナリアが今の状況を説明せずに叫ぶ。

「なんだ――」

 その時。ズドン!! と重機をぶつけたような音が後方から轟いた。「う、おァッ!」海斗は風圧によって身体を前方に吹き飛ばされて一回転する。

「ヤバいわね…」

 手を後ろについて床に座り込む海斗の目の前には、フロアの天井すれすれの大きさで、目の赤い岩の巨人が仁王立ちしていた。穴が開いた天井から月明かりが漏れ出てくる。


「グァァァァァァアアアアアァァァァァアアアアア!!!」


 岩の巨人が唸る。

 身体が。

 皮膚が。

 天井が。

 空間そのものが震える。

 なんだ、これは。

 海斗はただそ呆然とその巨人を見ていた。赤い目が海斗の姿を捉える。


「オーウェンスから離れなさい!!」


 ズバチィ!! と。

 海斗の目の前、わずか十センチの間に閃光が走る。

「オー…ウェンス?」

 海斗には理解ができない。

「こいつが、オーウェンスだっていうのか…?」

 岩の拳と魔法陣がぶつかり合い、電気がはしるような音が耳に当たる。

「はやくそこから移動しなさい!!」

 はっ、と海斗は自分の身の危険性を感知し、身体をよじってアナリアのそばまでおぼつかない足取りで走る。

 どこを見ても人間、アラモ・オーウェンスという要素はない。だが岩石で造られた模造品でもない。それは生きていて、二人を狙っている。アナリアと黒滝の腕を封じていた岩と似ている。それは海斗には分かっているのだ。


 だが、それがもし本当にアラモ・オーウェンスそのものだというのなら、海斗はどうすればいいのか。


 海斗は人を殺したくない。無論、誰かに殺されるのを横で見たくはない。今はそう思っているのだ。だからそうしたい。だがこの状況でアナリアを守り、尚且つこの岩の巨人をどうにかして、だがどのようにしてアラモ・オーウェンスを殺さずに岩の巨人から引き剥がしたらいいのだろうか。

「この中にオーウェンスがいるのか!?」

「そうよ!」

 なぜこのでかぶつを見ただけでアナリアはオーウェンスが中にいるとわかったのかはわからないが、嘘をついているようには見えない。むしろ今、『冗談だよ冗談。ジャパニーズジョークだよ!』なんて言葉がアナリアの口から出てきていたらたまったもんじゃない。


「こいつを止める方法は!?」

 弾ける音で声が消えないようにアナリアに向かって叫ぶ。

「ないわよ!」


 ガラスの割れるような音が響いた。「逃げるわよ!」舌打ちをしてアナリアが叫ぶ。動きを食い止めていた魔法陣が壊れたのだ。

「ないならどうやってこの場から逃げるんだよ!」

「…………」

 アナリアが走りながら口を動かさなくなった。

「おい! どうなんだよ!?」

 海斗が責めるように追究する。


「……殺すしかないわ」


 ドクンと。

 心臓が大きく動くのが分かった。

 その言葉は一番海斗が聞きたくないものだった。


 なんとなくはわかっていた。だけど考えないようにしてはいたのだ。そんなことにはならないだろう、と。だがアナリアにも少しは慈悲があったのだろう。海斗が人を殺したくないと思っているのは話したのでわかってくれてはいるはずだ。間を開けて考えてもほかには思いつかなかったのだろう。

 進攻の妨げが解かれ、巨人のズシン、ズシンと重い足音が響く。重い身体は勢いがつくとさらに速くなり、じわじわと海斗との距離を詰めていく。


「あなたの気持ちはわかるけど、この場を切り抜けるためにはそうするしか手はないわ!」

「ダメだ! お前のあの銀の棒で何とかならないのか?」

 海斗は切羽詰まった思考回路の中で必死に考える。

「わたしの『ヴィルゴット』はあんな固いもの貫通できない! 逆にあんたの剣はどうなのよ! そっちだって何とかして止めたらどうなのよ!」

 剣であの五メートルはあろうかという巨人をどのようにして止めればいいのかわからないのだが。

「……出来ねえんだよ」

 走りながら海斗は呟いた。

 海斗は神印スティグマが光る腕に先程から力を込めている。必死に具現させようとしているのに、できないのだ。緊張しているのか、焦ってしまっているのかわからないまま段々と巨人との距離数値がゼロに近づいてくる。

「はあ!? なんでこういう時に魔法のができないのよ! さっきわたしの攻撃を防いだ時みたいにしたらいいんじゃないの!?」

「あの時は咄嗟にできたんだよ! ただでさえ発動条件がいまいち分かんねーのに今すぐに使いこなすなんて出来ねーよ!」

 何よそれ! 意味わかんない! と言ってアナリアが振り返る。

 その時、アナリアの視界に入ったのは恐ろしいものだった。

 巨人の身体は狭い空間のなかで空を舞い、ゴッ!! と後ろから圧をかけながら巨人の拳が振り下ろされる直後だった。

「あぶな――」

 アナリアが気付き、声を出して海斗に知らせようとする。だが、頭上から隕石のように振り下ろされる拳の被弾範囲にはアナリア自身も含まれていた。


(まずい、このままじゃわたしも――!)


 左は壁。

 右は吹き抜けで現在一九階。


 生身で飛び降りることは死を意味する。アナリアだけなら魔法の力で空を飛んでその場を脱出することができただろう。だが空を飛べない海斗をアナリアが担いで飛ぶのは無理がある。アナリアの小学生低学年レベルの身長と筋力では海斗を担ぐことすらできない。

 一条海斗は自分の身の危険性に最後の最後まで気付かなかった。


 ゴッシャァ!! と何かが潰れる音が階層に鳴り響いた。




「………ん、」

 黒滝レイジは気が付いたらそこには誰もいなかった。


 急に出てきたアラモ・オーウェンス。


 いつも慕っているアナリア・ヴァンス。


『原点』の力を持っている一条海斗。


 誰一人、屋上にはいない。


「…………」

 黒滝はフェンスにもたれる身体を動かす。そして自分がなぜ気を失っていたのかを思い出した。


(確か俺、オーウェンスの野郎に蹴飛ばされてそれで…)


 黒滝は自身の腕を見る。拘束していた岩はすでになくなっていた。蹴飛ばされたときにでも割れたのだろうか。

 もう一度辺りを見渡す。誰一人として黒滝の周りにはいない。

「もしかして…」

 黒滝レイジは自分の今の状況に気付く。


「もしかして俺、出遅れたああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!?!?!?!?」


 二人がどこに言ったのかも知らないが、取り合えず自分が放っていかれたのには間違いないだろう。


「ヤべえよ…こんなのねえよ…絶対アナさんに怒られるじゃん…!!」

 黒滝レイジは身体を小さくし、落ち込んでいた。感情に任せてかっこよくアナリアを助けようとしたものの、腕を封じられていることを忘れたまま突っ込んでいった挙句、オーウェンスに一蹴り入れられたなど恥ずかしくて言えるものではない。

 すると黒滝の足元で爆発音がこもった音が響き、地面が少し揺られた。黒滝はそれに気づき、思考する。


(…今の地響き、もしかしてまだ下で戦っているのか? いや、それしかねえ! それならまだ間に合うかもしれねえ!)


「ぃよっっしゃぁああああ!! 今から行くぞアナさん!! 海斗!!」

 うおおおおおおお!! と言いながら黒滝レイジは屋上にあいた穴にも目をくれず、出入口に突進していった。




「いってぇ~!」

 只今一条海斗は気が付いたら十九階層ではないフロアに後頭部を叩き付けられ、頭を押さえてうずくまっている。気が付いたら岩の巨人に後ろから殴りかかられ、床に穴が開いてそのまま何層か突き破ったのだ。瓦礫が周りに散乱し、少し埃っぽい。

 海斗は落ちてきた上を見上げる。海斗の身体一つ分の穴が開いた天井の先には赤い目がこちらを睨んでいた。海斗はそれを見てぎょっとする。

「うわあっ!!」

 反射的に身体をそらして目の見えない場所に移動する。いつあの巨人が降りてくるかわからない、もしかしたらこのまま上から突き破って落っこちてくるかもしれない、と考えた海斗はすぐさま壁を背にして身構える。

 だが、空いた穴はなんの変化もなく、重い足音が段々と遠くなっていくだけだった。

(? 迂回してくるのか?)


 海斗は少し身体の力を緩めた。周りには女性の衣服を取り扱う店が静かに立ち並んでいた。全ての店には緑色の網がかけられており、誰もいない。ただ月明かりが海斗の視界を明るくする。


「おいアナリア!」

「う…」

 瓦礫と一緒にアナリアが倒れているのを見つけ、海斗は駆け寄って手を貸す。


「おい、大丈夫か!?」

「大丈夫よ…」

 本当に大丈夫か? とアナリアを気に掛けるがそれはいらないものだとわかる。立ち上がるなりアナリアは鼻を鳴らして足のつま先を踏みつけた。

「あんたねえ! 後ろにちょっとは神経がいかないのかしら!? わたしが防御魔法《ボルク》張らなかったらあんたマジで死んでたわよ!」

「痛い痛い!! 足踏んでる!」

「わざと踏んでるのよ!」

 ミシミシと海斗の足が悲鳴をあげて、海斗自身も奇声を発している。

「あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」




「――――で? ここからどうするんだよ」


 身体を丸め、痛めつけられた足先を押さえながら海斗はアナリアを睨んで言った。


「そうね。ここにいるのはわかっているはずだからどうにかして打開策を考えないと。でもわたしの『ヴィルゴット』は使えないし、かといってあなたは『グラム』をつかえないし。ほんとにどうしたらいいのかしら~」

 アナリアがキリッ、と睨み返してきた。この顔は恐らく(あなたがどうにかしてあいつを止める方法を考えなさい!)と言いたいのだろうと、手に取るようにわかった。


 海斗が『殺したくない』と言い出さなかったら、今頃オーウェンスは殺されていて、海斗はこんなところで足先にダメージを受けてなどいなかっただろう。『自分で考えろ』と言われても言い返しはできない立場にあるのは分かっている。


「……あーわかったよ。考えればいいんだろ」

 怪訝そうに海斗は言い捨てた。

「話が早くて助かるわ」

 アナリアはなぜか満足げに平らな胸を突き出して『前ならえ』で一番前にいる子のポーズをとる。

「それで? どーやってオーウェンスをあの固い岩から引っこ抜きゃいいんだ?」

「は? そんなの知らないわよ。自分で考えなさいよ」

「は?」

「第一、自分で考えるって言ったんだからそこら辺は自分で考えなさいよ!」

 思考が一瞬停止した。

 何かしらの情報提供があってもいいのではないかと思っていた海斗がバカだった。彼女自身も海斗は魔術にはさっぱりわかっていないことは知っているはずなのに、それなのに助言すら与えてもらえないのはどうかと思うが。


「いやいやいや! ちょっとはなんかあるでしょ! なんか弱点でもないのかよ!」

 海斗がそう言うと、アナリアは腕を組んで考える素振りを見せる。

「弱点といっていいものは見当たらなかったし、そうね。今からあなたに魔法を消す魔法なんて大層なものをつかえって言っても無理そうだから結局どうにかしてあいつの動きを止めてからでないとどうすることもできないわ。わたしにはどうすることもできないからあなたが考えてもらわないと困るし、あなたがどのぐらいまで闘えるのかが分からないし」

「オーウェンスはあの岩のなかで巨人を操っているんだよな?」

「そうよ。あれは身体に周りの石を引き寄せて簡易的なゴーレムを作っているのよ。召喚魔法に比べて魔力の節約にもなるし、自分自身で動き回るから複雑な術式回路を組まなくて済むのよ」

 そうなのか、と海斗は感心して呟いた。確かに体格ががっちりしていてパワーで闘っていた様子から考えると、その複雑な作業を好まなさそうな雰囲気が分かるような気がする。

「まあ、よい点としては普通のゴーレムと比べて少し小さめで小回りが利くのと消費魔力の制約ぐらいかしら。でもあれ単体が狙われると殺されるってのが一番のデメリットなのよね。ゴーレムならすぐに代わりが作れるからまだいいんだけど」

「逃げる…ってのは意味がなさそうだな」


 海斗は恐る恐るアナリアに質問した。ここから逃げ出すことができてもオーウェンスは確実に海斗やアナリアを殺しに来るだろう。

「そうね、逃げたりなんかしたらあなたも狙われるどころか、周りのお友達や家族も狙われてしまうでしょうね」


 予想はしていた。だが。

 緊張で身体がこわばる。

 このままじゃ殺される。

 逃げても殺される。

 そして余計に周りのみんなにも危険が及ぶかもしれない。


 そんな極限状態で一条海斗はこの状況を打破することができるのか本当に心配になってきた。海斗自身、自分は天才だとは思ってなどいない。ぱっとこの状況を打開する策が頭にでてくるのなら今すぐにでも行動に移しているはずだ。

 海斗の作戦次第で生死が決められるかもしれない。もちろんアナリアだってその中に含んでいる。そんなことを考えてしまって海斗は余計に頭が回らなくなりそうだ。

「…どうしたの?」

 俯いて黙り込む海斗にアナリアが話しかけてきた。

 どうしたの? と聞かれても、別に何かあったわけではない。今精一杯に頭をフル回転させて、最善の選択肢を探している最中なのだ。


「いやぁ、逃げ場はないし、魔力切れを待つのも無理、アナリアの攻撃も当たらないってなると本当にどうしたらいいのかわからなくなってきたわ」

「あんた、そんなに考えるからダメなのよ」

 海斗が今の心境をありのままに口にしたのを、アナリアがため息ついでに吐き捨てるように言い放った。


「闘いで考えることは重要だけど考えすぎるのは一番よくないのよ。考えれば考えるほど頭がこんがらがったり、理詰めになってしまって動きが鈍る場合があるわ。それじゃあまともに闘えないからわたしなら相手と組んでいる最中とかはあまり考えずに動くけどね」

「つまり臨機応変に対応しろってことか?」

「まあそんなところかしら。人それぞれだからわからないけどあなたの力からしたらそっちのほうがいいんじゃないかしら」


 先輩アナリア・ヴァンスが超初心者一条海斗に『闘いの極意』というのもをお教えになさる。偉そうな言い方をして目上感をあらわにしてくるが、命を何度も助けてもらっている海斗は頭が上がらない。

「…なんかありがとな。守ってもらってばっかだし」

「まったくよ! もっとつかえると思ってたのに全然じゃない! 守ってくれるんじゃなかったの!」

 アナリアが頬を膨らませてむすっとした顔で海斗を睨む。その顔をみて、やっぱり華夏に似ているな、と思ってしまい、くすりと笑う。

「なんで笑ってんのよ! わかって――」


 アナリアの後ろの天井にある大きな穴のうえから握り拳一つ分くらいの石の塊が落ちてきた。少し薄暗く静かな空間に突発的に音が響く。よほど驚いたのか、石に背を向けたままアナリアが「にょあっ!」と謎めいた奇声を発す。

「……ど、どうやら、あの石からは守れたみたいだな」

 石は地面に落ちて細かく割れている。海斗はよそ見をしながら言った。

 はっ、とアナリアは自分の手が何をつかんでいるのか気付いた。小さなアナリアの細い腕は海斗の身体に巻き付いていた。アナリアは顔を真っ赤にして海斗を押し飛ばす。


「な、な、な、な、何言ってんのよこのっ、変態!!!!」


 なぜ俺が突き飛ばされなければならないんだ、と心の中で怒っているがそれ以上騒がれては困る。


「落ち着け!! 今気づかれたらヤバい!! ものすごくヤバいから!!」


 海斗は自分の口元に人差し指をつけて、『静かにしてくれ!!』という意思表示をする。策が練られていない中、騒がれてオーウェンスが一目散に駆けつけてきたらお陀仏なのだから。

「……覚えておきなさい」

 今にも飛びかかってきそうなアナリアは自分の感情を胸の中に抑え込み、「後で絶対に殺してやるんだから…!」という復讐心にかられていた。

 海斗はアナリアの様子が落ち着いた(実際には落ち着いてはいない)ところで立ち上がった。

(……それにしても、あんなでかい石どこから落ちてきたんだろう。見事に粉々になってるし、結構高いところから落ちてきたのかな――――――――――――)


「あーー!!」


 海斗が目を見開いて叫んだ。アナリアには「静かにしてくれ」と言ったのに自分は守らないのか。アナリアが突然の出来事に驚いて身体がビクン、と痙攣する。

「な、なによ――」

「これだ!」




 ズシン、ズシン、と重い足音が段々と、確実に海斗達に近づいてくる。

 石の巨人と化したアラモ・オーウェンスは海斗達が墜落した地点にいた。大きな身体をねじらせて周りを見渡す。

 二人の姿が見えない。

 だがその近くに海斗とアナリアは息を殺して潜んでいた。


「――いけるかアナリア?」


 海斗が声をできるだけ小さくして話しかける。


「――大丈夫よ」


 オーウェンスが背を向ける洋服店のショーケースの裏に海斗達は仲良く膝を地につけて隠れていた。


「いいか? 俺がゴー! って言ったら始めろ。後は俺がやるから」

「こんなのでほんとに成功するんでしょうねえ?」

 アナリアが心配そうに質問する。

「大丈夫だ……と思う」

「なにその曖昧な感じ! 頼むよほんとに!」

「うるせえ! いくぞ!」


 海斗が小声で言う。海斗は息をのみ、アナリアは大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。


「3…」


 成功するかわからない。


「2…」


 もしかしたら、失敗するかもしれない。


「1…」


 だがそんな、『かもしれない』を考えてばかりでは何の進展もない。失敗したら、その時はその時だ。臨機応変にその場を切り抜けて、『成功させる』のだ。


「ゴー!」


 アナリアが立ち上がり、オーウェンスに真っ直ぐ腕を伸ばす。

「『ヴィルゴット』!」

 岩石の巨人は声に反応し、振り返る。

 アナリアの命令で四本の銀の延べ棒が勢いよく飛んでいく。だが、これはあの岩は貫けない。当たっても表面が欠けるぐらいなのだろう。

 だが。

 これはそんな奇跡の可能性に賭けるようなものではない。

「落ちやがれ!」

 四本の棒には店の前にたくさんつけられていた緑のネットが一枚括り付けられていた。棒はオーウェンスの石化した身体には当たらず、横を通り抜ける。緑のネットがオーウェンスの身体に引っかかる。オーウェンスは避けることもできず大きな身体をそのまま後ろにもっていかれる。紐は頑丈で切れる様子はない。


 バリバリバリ!! と悲鳴をあげながらガラスが割れ、手すりがへし曲げられる。吹き抜けに押し込まれたアラモ・オーウェンスの身体はネットから離れ、重力に従って落ちていく。ゆっくりと落ちていく岩石の身体は急降下して地面に叩き付けられた。だが、オーウェンスの身体は周りの必要としない部分の岩が多少崩れただけでダメージは浅い。損傷が多いのはむしろ建物のほうに思える。


 アラモ・オーウェンスの身体はまだ動く。



 だが海斗はそうなることを予測していた。



「うおおおおおっっっっ!!」

 一条海斗が命綱のないバンジージャンプをする。

 身体は速度を増し、落ちるガラスの破片よりも速く、仰向けに倒れるオーウェンスに向かって落ちていく。

 何も考えがないわけではない。

 ただ臨機応変に対応した。それだけだ。

 海斗は空中で拳を握る。


 そして。


 拳は赤い目を光らせるオーウェンスの顔面を捉える。顔面の岩は粉々に割れ、剥がれ落ちる。岩が取り除かれた部分から本来のアラモ・オーウェンスの顔が現れた。痛みに歪んだ表情は驚きを隠せてはいない。 オーウェンスの口と思われる岩の隙間から声が漏れる。


「な……ぜ…………」


 足が前方に倒れ、海斗の身体が床に倒れるオーウェンスの頭上を通り越して一回転し、オーウェンスと同じように床に転がる。

「なぜ、ここまで……」

 海斗は荒くなった呼吸を抑えつつ、話す。

「…なんでなんだろうな」

 海斗はゆっくりと震える足で立ち上がる。

「…………」

 オーウェンスは黙ったままだった。地面に打ち付けられた衝撃は相当な強さだろう。あれをもし生身で受けていたら内臓が飛び出す以上にグロテスクになるはずだ。

「あんなにあーだこーだされて、死にそうになっても殺意が芽生えない自分はどうかしてるよ」

 海斗は地面に散らばるガラスの破片を踏み、オーウェンスに接近する。

「どうする? まだやるか?」

 顔だけ生身のオーウェンスに問う。

 するとオーウェンスは無言のまま目を瞑り、武装していた身体を解いた。

「……もう落とされるのはごめんだ」

 目を閉じたまま口を動かす。

「…そうか」

 その一言しか出てこなかった。


 この人は今、何を思っているのだろう。

 闘いに負けて、悔しいのか。

 それとも任務を遂行できなくて悔やんでいるのだろうか。

 命を助けられて嬉しいのだろうか。


 魔術も。


 闘いも。


 任務も。


 何もわからない海斗にはアラモ・オーウェンスの心情は分からない。ただ無表情でその単語を発することしかできなかった。すると、海斗の身体がふらつく。

「海斗! 大丈夫!?」

 上の階層からアナリアがふわりと飛びながら舞い降りてきた。時々アナリアは海斗の名を口に出すが、大抵その時はなぜか頬が赤い。

「なんとか、な」

 相当身体に疲労や物理的なダメージと精神的にもきているのだろう。身体が痺れて話すことさえままならない。海斗は上を見上げ、ガラスが割れている階を見る。


(……あそこから飛び降りたんだな、俺)


 普通の人間ならその高さはうちどこらが悪ければ『死』、よくて『病院送り』だ。まず、普通に買い物にきたお客はそんなところから飛び降りようとは思わないだろう。あの自殺行為はあの状況でしかできえないものだ。『原点』という最強の力の持ち主であっても一条海斗という存在はただの人間なのだ。恐怖も感じるし、痛みも感じる。むしろあの高い場所から飛び降りることができた自分を褒めたくなった。


「でもよくやったわね。あの高さから命綱なしで飛び降りるなんて頭おかしいんじゃないの?」

 一息ついたアナリアが海斗を冷たい目で見ながら言葉を投げ捨てる。


「これしか思いつかなかったんだよ! 一番楽してたのはお前だろうが!」

「はあ!? あんな重くてでかいのをこのか弱い女の子にやらせておきながらよくそんなこと言えるわね!」

「お前のほうが武器持ってて強いんだから当たり前だろ!!」と高校生と小学生(?)がぎゃーぎゃーと文句を言い争う。


「……まあいい。助けてもらったことには変わりないしな」

 海斗は、わかりましたよと怪訝そうな表情をしながら口喧嘩を自ら止める。沈黙が周りを包む。こういう時、何を言えばいいのかわからない海斗はアナリアから視線を外す。すると、「……ありがと」とアナリアが下を俯きながらぼそりと言った。それを聞いた海斗が「え?」と声を漏らす。

「ありがと、って言ったの! これでも結構感謝してるんだからね!」

 アナリアが顔を赤らめて海斗に叫ぶ。

「は、はあ…」海斗はアナリアの態度をみて、(こういうのがツンデレというものなのか…? なら華夏もツンデレというのに――)と思考する。

 微妙な反応を示す海斗を見て、アナリアがむっとした顔をした。

「分かってんの!? 分かっていないのならッ…!」

 アナリアが何かしてくる、と感づき、海斗は顔を腕で守るような構えをする。


「分かりましたよ分かりました! こちらこそありがとうございます!」

 ほぼ投げやりの気持ちで海斗は叫んだ。そっぽを向いてアナリアは「…分かっているのならいいわよ」と文句ありげな顔をしている。怒ってはいないがツンツンしている。

 海斗はそう怒るなよ、とアナリアの背中に声をかけようとする、


 だが。


「……え」


 海斗の視界が歪む。

 身体は地面に叩き付けられ、立ち上がろうとするにもピクリとも動かない。前にもこんなことがあった気がする。眠くないような、眠たいような、そんな感覚がまぶたを重くする。

「お、おい! どうしたんだ!! しっかりしろ!!」

 意識が途切れる前にアナリアの声がかすかに聞こえた。

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