第6話
巨木の根元……その木に背を預けて眠る青年は非常に整った容姿をしていた。
長い髪は射干玉(ぬばたま)の黒さを持ち、長いまつ毛が薄く影を落としている。
衣装は斎や和将の着ているようなものでもなく、ましてや吉兼の着ているようなものでもない。
なんというか……そう、それよりもかなり古い時代のもののようだ。
「もしかしてこの人が…………」
様々な事柄を考えてみた結果、ほぼそうだと考え至る。
目の前で眠っている青年こそが目的の妖だと。
では、どうすれば彼の封印を解くことができるのだろうか。
『朔良様』
頭の中で声がした。
『聞こえますか? 私です。斎です』
「え……斎さん?」
当たりを見回すも、その姿はない。
『残念ながら私は今、都で執務を行っている最中です』
「あ………」
そうだった。
あはは、と笑う朔良に、斎は呼びかけてくる。
『ようやく目当ての妖をお見つけになられたのですね』
おめでとうございます。
『妖は眠りに就いているのでしょう?』
「見えてるんですか?」
『いえ、封じられているのでそうではないかと推測したまでです』
そしてあなた様が何をためらっておられるのかも少しはわかります。
そう告げる。
『そこまでの道中に妖に襲われたのでしょう?』
「ど……どうしてそれを?」
動揺する朔良に、斎が苦笑を漏らしたのが分かった。
何もかも知っているような笑いだ。
『その社周辺は妖が最も出没しやすいので滅多に人は近づきません。近づく者があれば必ず襲撃されます』
「…………出発のとき、どうしてそれを言わなかったんですか?」
言ってくれればもっと用心していたはずだ。
そう言おうとしたが、反対に斎に言われてしまった。
『では言ったとして襲撃は回避できましたか?』
「それは…………」
『吉兼がいましたし、それにやたらと心強い助っ人が来たでしょう?』
「…………和将さんですか?」
そうだ。
彼には危機を救われた。
それには感謝している。
だが。
『それよりもまず目の前の些事(さじ)を片付けてしまいましょう』
文句を言おうとしたが、斎に先手を取られてしまった。
『あなた様が、黄龍が施した封印式の中に入ることができるのは存じていました。ならば妖の封印を解くことも容易です』
「でも妖なんでしょう?」
『心配ありません。無差別に襲い掛かるのは低俗な妖のみです』
安心させようとする優しい声音。
朔良は彼が言うのなら大丈夫と胸に手をやって呼吸を整えた。
『妖の傍に寄って、その手を握ってください』
その言葉にしたがって朔良は眠る青年の側へと歩み寄る。
恐る恐る手を握ると、わずかに温かみがあった。
封印されているということは眠っているのと同じなのだと実感する。
『これから私が言う言葉を復唱してください』
「…………わかりました」
そう答えると、斎はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
その後に従い、復唱する朔良。
そうしてしばらく経った頃だった。
ふわりと目の前を蛍が舞う。
蛍は明滅を繰り返しながら青年へと近づき、そして消えた。
青年の指先がかすかに震えたのに気づく。
ついで瞼が震える。
薄く開かれた口からは苦しげな呼吸が漏れた。
それを見た朔良は思わず後ずさりしてしまう。
「…………ぅ……」
長い間、声を出すこともなかったのだろう。
言葉ではなく、かすれた声が漏れる。
『眠りから醒めればあとは大丈夫です。では都にてご帰還をお待ちしております』
斎はにこやか口調でそう述べると術を行使するのをやめたようだ。
もうこちらから呼びかけても返事はなかった。
「て……これからどうすればいいのよ」
妖への態度をどうすればいいのかわからなかったが、とりあえず先制的主導権を握った方がいいと判断した。
呼吸を落ち着け、再び青年の傍へと戻る。
その頃には青年の意識は徐々にはっきりしてきたようだった。
こちらの存在を認識し、何者であるのかを探っているようだ。
「私は朔良っていうの。響朔良よ」
名乗らないことには前に進まないと思い、名乗ることにした。
青年の口元がゆっくりと動く。
”さくら”と。
「私はここじゃない世界からきたの。戻るためにはあなたの力が必要で……。だから力を貸してちょうだい」
言って手を差し出した。
「…………」
青年は朔良の顔と差し出された手を交互に見ていたが、ようやく手を差し出してきた。
その手を取って握り、朔良はようやく緊張が解け小さく笑みを浮かべた。
「声は出せる?」
手を引いて立ち上がらせる。
青年は喉に手をやって声を出せるか試しているようだ。
その姿を改めて眺めた。
背は高く、細身。
顔は……かなりの美形だ。
上位の妖といわれる者たちはみな、美形なのかと疑ってしまう。
「どう?」
「…………大丈夫のようだ」
ゆっくりとだが、声を出す。
低音で心に響くような声。
これが本物の人間であれば世の中の女子は放っておくまい。
そんな邪なことを心の内で思っているとはつゆ知らず、青年は朔良へと視線を向けた。
「お前が私の封印を解いたのか?」
「え……あ、そう。言ったと思うけど、私はこの世界の人間じゃなくて……」
紅いルビーのような瞳に見つめられ、あたふたしてしまった朔良は自身の身に起こったことを話し始める。
「友達と新年のカウントダウンイベントにきてたんだけど、あと一秒っていうときに急に辺りが真っ暗になって……」
気づいたら都にいた。
そして目の前に大陰陽師と呼ばれる青年が…
「私にここの封印を解いて助力を請いなさいって言ったのが賀茂斎っていう陰陽師の人で―――」
「少し待て、朔良よ」
そこで青年が待ったをかけた。
恐らく情報量が多すぎて対処しきれていないのだろう。
こめかみを軽くもみほぐしながら朔良の話を頭の中で整理しているようだ。
「お前は元の世界に戻るために私の力が必要だと言ったな?」
「ええ」
こくん、と頷く。
「では聞くが、お前は誰に呼ばれた?」
「えっと………大陰陽師の賀茂斎さん、です」
正直に答える。
「その賀茂斎とやらに帰る方法を聞くといいだろう。私が呼んだわけではないから帰してやれん」
「…………」
しばしの沈黙。
「それにしてもここは結界の中か? なぜ私はこのような場所で眠っていたのだ?」
お前は知っているか?
そう尋ねる青年。
どうやら目覚める以前の記憶が消えてしまっているようだと朔良は気付く。
「私は知らないけど……」
その時、ふと脳裏に思い浮かんだのは和将だった。
彼なら情報を持っているかもしれない。
「結界の外に知っていそうな人が一人待ってるから早く結界を―――」
次の瞬間、ぶわりと突風が背後から吹き付けた。
突然であったため、朔良は前のめりに倒れ込みそうになる。
それを青年が支えた。
「外から結界を破った余波だろう」
見る間に空がひび割れ、岩壁へと変わってゆく。
「娘さん!!」
声がした。
振り返ると、今まさに脳裏に思い浮かんだ人物が立っていた。
得物を構えていることから考えて、どうやらそれで結界を破壊したようだ。
「和将さん!」
青年の傍らを離れ、和将へと駆け寄る。
「よかった。来てくれたんですね」
「ここにいるっていうことはすぐにわかったが、強力な結界が張ってあったからそれを破るのに手間取った」
朔良の無事を確認し、ほっと吐息をこぼす。
その視線が前方へと向けられた。
「妖、か」
和将の纏う空気が一瞬にして下がった。
それに気付いた朔良は慌てて口を開く。
「私はこの通りぴんぴんしています。大丈夫です! それに、あの人は封じられる前の記憶が全くないそうです! だから問題はありません!!」
「…………」
その声があまりに大きかったのだろう。
和将が目を丸くしている。
だが気が削がれたのか、いつの間にか纏う空気が戻っていたので、朔良は安堵の溜息をついた。
「怖がらせたか。すまなかったな、娘さん」
手が伸ばされ、頭を撫でられる。
「で、記憶がないってことは名前も思い出せないのか?」
これは青年へと投げかけられた問いかけだ。
朔良は撫でられながらも青年へと振り返る。
「名前…………」
青年は顎に手をやって考え込んでいたが、何かを思い出したように顔を上げた。
「あかつき……」
「あかつき? それがあなたの名前?」
「…………わからないが……今、その名を思い出した」
しかしその名はいったいどこから出てきたのかわからないのだろう。
そしてそれから導き出される記憶もない。
「本当の名前を思い出したらそっちを呼ぶことにして、今は暁ってことにすれば?」
「娘さんはやたらに前向きだな」
将来は大物になるな。
そんなことを言いつつ、その意見に同意する和将。
「…………そうだ、な」
青年は小さく頷き、その提案を受け入れることとした。
「では朔良。私の名は暁と呼べ」
そう口にすると、なぜだかしっくりと馴染んだ。
だが同時に胸がチクリと痛んだ。
「じゃあこれからよろしく、暁」
「仕方ないな」
満面の笑みで答える朔良。
そしてあきれた表情でそれを受け入れる和将。
こうして朔良は封じられていた妖……暁を目覚めさせるのに成功したのだった。