第2話
障子を開けると、真円の月が昇ってきたばかりだった。
早々に寝付いたはずだったが、いつの間にか目を覚ましてしまっていた。
時刻はおそらく真夜中を過ぎた辺り。
宿の周辺は寝静まり、ことりとも音が聞こえない。
朔良は窓辺ににじり寄り、障子窓を少し開けてもたれかかる。
「…………龍興国(たつきのくに)、かあ」
夕食後、吉兼に教えてもらったこの国の名前。
龍興国。
南北に細長い島国であり、その形が龍に似ていることから名付けられた。
首都は興(き)と呼ばれる地にある。
その首都の周囲には東西南北の都が存在し、それぞれの土地を将軍と呼ばれる者が治めている。
他国とは海を隔てており、複雑な海流が周囲を巡っているためか二百年程前までは殆どこの国に近づく船はなかった。
だが操船技術が飛躍的に進歩したのだろう。
百五十年ほど前に交易を求めてきた大陸の国を皮切りに、現在は五つの国と交易を行っている。
帝は交易を行うにあたり、交易の拠点を定めることとした。
それが西の都であり、今ではもっとも賑わいを見せている場所だ。
最もその他の都もそれぞれ独特な雰囲気を持った場所であり、街道も交易品などを積んだ馬車と呼ばれるものが行き交っていたりする。
「うーん……やっぱり違うなあ」
ぽつりと呟く。
服装も髪型も何もかもが違っている。
そしてなにより季節が違っていた。
今までいたのは冬、しかも大晦日だった。
だが、ここは聞けば晩秋だという。
そういえば、と先ほどの話を思い返す。
この国の話を教えてもらった際に、簡単に国の成り立ちを教わった。
それによると、この国は神代の頃に大陸から渡ってきた邪悪な龍を天より遣わされた黄龍が討ち滅ぼしたとされ、今の帝を含め代々の帝はその黄龍を祖に持つという。
龍が興した国……だから龍興国(たつきのくに)。
「どこの国も同じだよねえ。実際は人間なのに」
溜息をつく。
そろそろ眠気も出てきたようだし、寝よう。
そう思って朔良は障子窓を閉めて床へと潜り込んだ。
しばらくすると規則正しい寝息が漏れ始める―――
濃い霧の中だった。
霧はねっとりと体に絡みつくような感触で、息苦しささえ感じられる。
ここが夢だと分かったのは、自分が昼間着ていた服装だったからだ。
その時だった。
霧が風に流され、周囲の景色が見え始めた。
まずは足元。
草原のようだ。
そして…………
「朔良様?」
一度聞けば忘れられない声が背後からした。
驚いて振り返ると、そこには。
「驚きました。あなたがこのような場所にいらっしゃられるとは」
驚いているのだろうが、それでも余裕の笑みでゆっくりとこちらに歩いて来るのは大陰陽師と呼ばれる賀茂斎(かものいつき)だ。
「ここは人の世と神の世とを結ぶ場所。高位の陰陽師はここで神の声を聴き、帝へ助言申し上げるのです」
しかし本来であればこれは帝がなされること。
そう告げる。
「確か今の帝って……」
吉兼の話にも出てきていた。
「そうです。今はまだこの場所にまで来る精神力が備わっていないため、代わりに私がしております」
そうだった。
目の前の大陰陽師は、帝の補佐として政治を取り仕切っているのだと吉兼が言っていた。
「あなたがいらっしゃったのは、神がお呼びになったからでしょう。神の赦しがなければここには来られませんからね」
でも長居は無用ですよ。
にこりと斎は微笑む。
「長く体を留守にしていては妖につけいられてしまいますから」
そう言うと、朔良の肩をゆっくりと押した。
体の均衡が崩れ、朔良は後ろへと倒れ込む。
「!!」
落下感に驚いて飛び起きた。
浮き出た汗で髪が張り付いている。
それを払い、周囲を見回した。
昨晩泊まった宿の部屋だった。
だが、草原の草いきれや風の感触はいまだに残っている。
そして斎の声も。
「…………」
外が少し明るくなっている。
そろそろ着替えないといけないだろうか。
そう考えた直後に、声がかかった。
吉兼の声だった。
「起きていらっしゃいましたか。朝餉にいたしますのでそろそろお召替えを」
「ありがとう」
声をかけ、床から出た。
服に着替えながら、夢の内容を思い出す。
現実味のある夢だった。
斎はそこを人の世と神の世を結ぶ場所、と言った。
行くために相当な精神力が必要である、とも。
ではなぜ自分はそこに行けたのだろうか。
「…………戻ったら聞いた方がいいかな」
専門家でもないため、そうしたほうがよさそうだと結論付け、朔良は着替え終えると部屋を出た。