017 彼のために
数が多すぎる。
このままでは、なぶり殺しにされるのをただ待つだけだ。
「…………っ」
振り向きざま、腰から三本のダガーナイフを引き抜いて流れるように投げ放つ。
トストストスッ、と見事に後方を追いかける喚ばれ人らにそれぞれ突き刺さった。体内にまで食い込んだダガーは、ただの人間なら確実に即死の傷を負わせているが、それはほんの時間稼ぎにしかならない。
勢いの衰えない喚ばれ人の集団は、更にスピードを増して差を詰めてきた。
エミリアの体にはすでに痛々しいほどの傷痕がちらほらと見え隠れしている。喚ばれ人達も馬鹿ではない。速さで追いつけない相手と知れば、得物を投擲することも考えるのだ。実際、エミリアの傷は喚ばれ人が投擲した武器によって傷つけられたものだ。
十字の分かれ道を直進する。交差点を通り過ぎる間際、左右に少量の敵の存在をを確認して、更に走る。
「…………ッ」
すぐさま直進を選んだエミリアの中で後悔の感情が灯り始める。目の前から新たな喚ばれ人の大群が押し寄せて来ていた。数は十をゆうに超え、目で捉えきれないほどだ。すでに後方は視界を埋め尽くす喚ばれ人によって行く手を塞がれていた。
ガシャガシャと耳に残る鎧の音を鳴り響かせ、喚ばれ人達はエミリアに迫る。エミリアは腰から短剣を引き抜いた。 諦めろ、とは言われていない。エミリアの目的はあくまで時間稼ぎだ。
ユーマのための時間稼ぎ。
「……ふっ……」
お腹から息を吐き出し、自らの感情を殺す。
今は任務中。感情などいらない。
だが、
「バァアアア!」
「────ひっ」
喚ばれ人の咆吼がこだまし、エミリアからは悲鳴に似た声が漏れる。
数は力だ。力は恐怖を呼び起こす。恐怖は、刃を鈍らせる。
一瞬でも恐怖と同質の感情を抱けばすなわち、それは敗北を意味するのだ。
エミリアは女の子だ。
人殺しの術を与えられた、ただの女の子なのだ。暗殺者でもあり女の子なのだ。
だから、駄目だ無理だと知って恐怖することもある。助けを求めることだって、ある。
「やっぱり、死ぬのは怖いよ、ユーマぁ……」
短剣を握ったまま、エミリアは膝から崩れた。
瞳からは涙がこぼれる。熱い液体が手の甲に落ちた。
「……はっ、ははっ。怖いよ、ユーマ。死ぬのは、怖い……っ」
恐怖を通り越し、笑いすら出る。
マオには、『死ぬかもしれない』と再三言われていた。しかし、その時大見得を切った自分を後悔したりはしない。決して甘い覚悟でついて来たわけではない。
それでも、怖いものは怖い。
「バァ……アァァ」
そんなエミリアの様子にも関わらず、喚ばれ人達は侵入者を排除する指令を全うすべく、近づいてくる。
手に持った短剣を握り締めることもできず、エミリアは瞳を閉じる。
死の瞬間、人は走馬灯を見るという。生きている頃の思い出が映像となって目の前に映るらしい。しかし、死の覚悟を決めたエミリアは、それとは別の、空から降る声を聞いた。
「やあ愛弟子よ。久しぶりだな」
「うそ……っ!?」
その懐かしい声に、エミリアは思わず目を見開いた。
見上げた屋敷の屋根の上。
月明かりを背に浴びて、その人は立っていた。
首に巻いたマフラーが夜風に揺れて映える。
その人が金属光沢を持つ何か──おそらく鋭利なもの──を指間に挟み持っているところまでは、エミリアの目でも捉えることができた。
が、次の瞬間。
まばゆい光と鼓膜を震わす爆音が訪れ、それと共にエミリアを取り囲んだ喚ばれ人達の姿が跡形もなく消し飛んだ。消し飛ぶとまではいかなくとも、爆発の余波を浴びた喚ばれ人はまるで何かに恐怖するかのように我先にと逃げていく。
言わずもがな、『帰還』の魔法だ。この場合は、投げ針に『帰還』の魔法を付呪させたものだった。
「いかなることにも準備は万全に。エミリア・ヴァイス。私が与えたその名前はお飾りか?」
「ルキ先生!」
その人──ルキ・ヴァイスは微笑を携えてエミリアの前に立つ。エミリアは尊敬と懐郷の想いでその名を呼んだ。
「お手伝いは少しだけ。もう一度、剣を取れるか?」
瞬く間に投げ針を回収し終えたルキは、その一本をエミリアに差し出しつつ提案する。付呪と言えど、その効果を無限に使えるわけではない。付呪の際に注入した魔力量によって効果の持続回数も変わる。
つまりルキの提案は、その投げ針と技術、頭脳を使いどれだけ時間が稼げるのか、とあくまでエミリアを試しているに変わりなかった。
そしてルキの問いに対し、エミリアは、
「はい、もちろんです! 先生!」
断る理由など無い。
「私はここで見ているよ」
ルキは道具も使わず一飛びで屋根の上へと登って言った。
残されたエミリアの表情に、こんどこそ諦めというものはない。
師が見てくれている心強さ。
そして、ユーマとの約束。
「……ふぅッ!」
呼気と同時に全身へ力を込める。前方から新たに現れた喚ばれ人達に向かって走りだした。
体が軽い。まるで翼を得たかのようだ。
体を縛っていた恐怖という鎖はとうに断ち切れている。
暗殺者としてではなく、素の自分として剣を持つ。
そういうのもアリなのだ。決まりなどない。
「──シュ!」
向かう集団の先頭を行く敵の顔面に、右手の裾に仕込まれたダガーナイフを突き刺した。
攻撃を受けた者は悶えるように呻くが、他の者は怯みもせず斬りかかってくる。普通、その出来事に周囲も慄くか逃げ惑うくらいはすることだろう。それが人間と喚ばれ人との差だ。恐怖という感情の処理が、喚ばれ人達の方が上手なのだ。
「あら、よっ」
だが、エミリアはそれを軽い身のこなしで回避する。喚ばれ人の顔面に突き刺さったダガーナイフを支点に前方へと回転、後続の頭の上に器用にも着地していた。そのまま足を止めること無く、喚ばれ人達の渦の中心へと、踏み台となる喚ばれ人の頭をとっかえひっかえ渡っていく。
傷ついた体であるにもかかわらず、まるでそれを感じさせない速さでエミリアは移動していき──。
「せーのっ!」
更に頭を踏みつけ空高く飛び上がり、あの投げ針を力いっぱい投げ放つ。投げ針が地面に接すると同時、マルステン中に響く爆音と閃光が巻き起こる。
投げ針の直撃を受け、声を上げる間もなく溶けるように姿を消す喚ばれ人。
地面に突き刺さった投げ針は、その衝撃で魔力として内包していたエネルギーを全て波動に変換し、放出する。投げ針を中心に生まれだす球形の魔力波。まるで臆病なまでに逃げ出す喚ばれ人の群れ。
だがそれでは遅かった。
やがて瞬く間に喚ばれ人達を飲み込んだ魔力波は、風船が割れるように弾け、景色に溶けこむように空気に馴染んで消える。
その後に残ったのは、短剣を握り、満足気な表情をしたエミリアの姿だけだった。
「ありがとう、先生! あれ……?」
屋根の上を見上げて恩師に礼を言おうとした手前、ルキの不在に首を傾げるエミリア。
見上げた先から落ちてくる一枚の紙を拾い上げ、エミリアはすぐさま顔色を変えて走りだした。
「そ、そうだ。ユーマ!」
紙面にはV.L.というイニシャルと、『ユーマ君によろしく』という文面が小さな文字で書き記されていた。




