始まりの物語(中)
ようやく時間ができた…
いつもどおりではあまりに芸がないだろう。
ようやく愛しの女神の領域へ踏む込むことができるのだ。
それなりの手土産は持っていかなければならない。
「そういった意味合いでも君の存在はありがたかったりするのさ」
「はぁ」
小高い丘の上でダンクの言葉を生返事にアリスは受け止めた。
「僕は彼女のことが大好きで大好きで、会うときは新しい刺激を提供してあげたいと常日頃から考えているんだよ。恋は盲目というのはすべての種族において普遍なく横たわる大事な共通文化だね」
「好きだと……こういうことをするんですか?」
アリスは誰もが抱いている質問をダンクに投げると彼はさも当然と言った風に頷いた。
「愛の主張の仕方は千差万別だよ。殺し合いをしているときは誰よりも相手のことを深く理解しようとする工程が不可欠だからね。殺し合いをしているとき、彼女は僕のことを理解しようと頑張ってくれる。頑張って僕の動きや癖や気持ちを理解しようとする。それってすっごく恋愛的だよ。誰よりも愛されているって感じられるもの」
「そういうもの……か。そうかもしれない」
アリスの回答にダンクは興味を覚えた。この恋愛感はかなり特殊で、畏怖をこめた反応を返されることが殆どであり、アリスのように理解を示されることは今まで無かったのだ。
「普通の恋愛でも相手の気持ちがわからなくて揺れちゃうことって確かにある。刹那的で極端でも、きっと貴方の感じ方は……恋愛以上のものを秘めている」
「ん?その言い方だと、僕の感情は恋愛ではないってこと?」
「恋愛なんて変動する絶対的なものじゃないし、一番強い感情だとも思っていない。むしろ、疑ってしかるべき感情だと思っている。けど、あなたは絶対的に強い感情を持っている。それが貴方の恋愛を絶対的なものへと押し上げている」
「一番強い感情?」
「執着」
つい口笛を吹く。
可愛い顔をして、中々に面白いことを言う女神だ。
「執着こそが全てを繋ぐ。争いも、平和も、愛情も、憎悪も、執着がなければ起こらない。根源的な感情にして絶対的な感情。執着が強ければ強いほど、それに付随する感情は強くなる」
「へぇ、中々に面白い意見だし、この意見から君が一体どういった神なのかをうかがい知ることができるね。じゃあ、君は愛情と執着は同一のものだと?」
「受け取り方でネガティブかポジティブになるけど、一緒のようなものと思っている。私にしたって、執着があるから、こういうことを許容している」
「面白いよ。君。すごく面白い。一瞬、愛し合いたいと思っちまったよ」
ダンクはいい笑顔を浮かべると、歩を進めた」
「さて、そろそろ僕は行くけど、ここから離れちゃあ、駄目だよ。契約だ」
アリスが頷くことを確認し、最後に問う。
「今の意見を君の婚約者が聞けばどう思うかな?」
アリスは少し考えて返答を返した。
「きっと、受け入れてくれるわ」
「そうだね。愛は許容の精神だ」
ダンクはそう言い残すと空間跳躍でアリスの目の前から姿を消した。
特に拘束をされたわけではないが、彼が空間を跳躍する神である限り、裏切りを察すれば、とてつもないしっぺ返しが待っているだろう。
アリスは眼下に広がる十月席の領土内にある平和な街を見つめた。
二階建ての民家が目立つのどかな街で、殺戮主義者の十月席の領土とは思えないほど、穏やかな雰囲気だった。ここからだと小さく見える天使達は井戸端会議をしたり、商店で交渉をしている様が確認できる。
闘いとは無縁な平和がそこにあった。
自分も神である前はああいう暮らしを送っていた。
すでに遠くなってしまった記憶が胸を締めた。
あそこのどこかに五月の神が降り立っているのだろう。
そう思ったとき、街の一角が球状に消失した。
目を見張る。
胸に痛みを覚えた。
あそこにいた天使達は永遠に何者ともつながらない。
耐えるように奥歯をかみ締める。
絶叫がここまで聞こえてくる。
突如起こった理不尽な破壊に町はパニックに陥ろうとしていた。
「わかっていた……。予想できていた……」
五月の神は狂っている。
自分と十月席以外は愛玩動物くらいにしか思っていない。
高速で街に向かってくる気配を察した。
それは鋭い一本の矢で相手を殺す気で満ちていた。
緑の光が眼下を走ったかと思うと、球状の破壊が起こったクレーター中央で激突した。
五月席と十月席が戦闘を開始した合図だ。
「関係ない。私はこの破壊とは無関係な位置にいる」
わざと自分が思っていることと逆のことを言って落ち着きを取り戻そうとする。
自分の世界と関係ないことなんかひとつだってない。
深呼吸をする。
街から十月席と五月席がファクターを激突させながら徐々に遠ざかっていることを確認する。どうやら十月席は街を守ろうとしているらしかった。
「…………ごめんね。ロウアー」
戦闘の参加は厳禁。
そんな事前に言われたことを守るつもりなんかない。
戦闘を行う神々を見据え、決意を固めた。
爆音と共に荒野に着地した七月席はロウアーとオールを見て獰猛に笑った。
名実共に最強である神を倒すという目的を燃やし尽くす炎をまとって彼は大地に立った。
「わざわざ招待してくれるだけあって気の入ったいい面をしてんじゃねぇか」
熱風が天使達の頬を打ち、前回の闘いの記憶を呼び起こさせた。
膝が震えそうになるのをかろうじて堪える。
まともな神経をもっていればこの神に戦いを挑みはしない。
純粋な身体能力のみでこちらを圧倒したのだ。
オールのファクター無効は完全に無効にしているわけではない。
オールに対してのファクター発動、またはオールが対象に触れたときのみ無効にするのだ。前回は単に七月席が遊んだからあの大火力を受けずに済んだというだけだ。
正常な思考をしないように注力する。
正常を麻痺させなければこの神とは戦えない。
「この間は遊んじまったからな。お陰でとり逃しちまった。さて……今回はあんまり遊ばないぜ?いいな」
七月席の両腕から炎が立ち上がる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」
オールが雄たけびを上げる。
「ああああああああああああああああ!」
ロウアーもそれに続いた。
恐怖を打ち据える裂帛の気合を発し、天使達が動いた。
「我が名は『打ち貫く者』!」
「我が名は『定めし者』!」
同時に命名を告げる。
それを確認したバーンズがますます笑みを濃くする。
前の戦いで天使達が楽しめる相手であると認識しているが故の笑みだった。
オールが繰り出した拳とバーンズの炎をまとった拳が接触する。
拳と拳がぶつかり合い、同時に両者のファクターが干渉しあう。炎が霧散する。
(よし!)
オールが内心、安堵する。自分のファクターが神に対して有効であるということを再確認できた。バーンズが拳を引き、さらに炎をまとった逆の拳を恐るべき速度で突き出してきた。しかし、オールの腹に直撃する寸前で、再度、拳を引き、バーンズはオールから距離をとる。後方からロウアーの鎖が神に狙いをつけて飛翔してきたからだ。眼を寸分たがわず狙った攻撃は神を後退させた。
「ぼうっとするなよ。義父さん!」
「お前にそう呼ばれる筋合いはない!」
オールが皮肉に返答しつつ、後退したバーンズと距離をつめる。距離をつめなければ神のファクターを無効化できない。
「ははは!いいぜ。お前らぁ!」
狂ったように笑う闘争の神はなお余裕を崩さない。拳を突き出すオールをかわすと、ロウアーのほうに向かう。すぐにオールはきびすを返し、挟み撃ちの形をとる。オールの両腕の鎖がバーンズの急所を狙い飛翔するが、バーンズはそこに鎖が来ることがわかっていたかのように鎖を掴み取った。
「急所狙いってのがばればれなんだよぉ!」
神の掌に高熱が発生し、鎖を融解しようとした所で、バーンズは鎖を放り出し、上空へ跳躍、足裏から波動を発し、加速したオールの正拳をかわす。
「ぼぅ」
神の指先から炎が放たれ、ロウアーを狙うが、途中で霧散してしまう。
(隙あり!)
オールとロウアーが同時に攻撃を仕掛ける。
上空へ向けての回し蹴りと、鎖の二重攻撃。
十分に威力を乗せた攻撃はまともに喰らえば神といえど、甚大なダメージを受けるものだった。
神はそれに対し、すばやく反応。
天使達に悪寒が走る。
バーンズが笑っている。
闘争による高揚は彼を幸福にしていた。
誘いこまれた!
バーンズが鎖を乱暴に掴み、オールの蹴りをその鎖で受け止めると、反動を利用し、そのまま上空へと身体を舞わせた。
「燃えちまいなぁ!」
オールのファクター範囲外にでたバーンズが極大の火球を造り、次いでその火球を掌に圧縮。そして開かれた掌に現れた火球は小さいながらもマグマのごとく赤黒く滾っている。
「下がれ!」
ロウアーは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
オールはその言葉を聞く前にすでに全力で逃げ場を探っていた。
オールのファクター無効は確かに有効だった。
それでも、あの威力は無効に出来ない。
単純に出力差でやられる!
しかし、その火球はてんで関係のないところに飛んでいった。
ロウアーのはるか右方向へとんでいった火球は着弾と同時に凄まじい熱風を発生させた。地面がえぐれ、火球が地面を融解させながらゆっくりと沈んでいく。メルトダウンのようだ。なんとかオールがロウアーの前に立ち、熱風から自身のファクターで守る。ロウアーはその間に神からの攻撃に備えたが、その気配はない。
両掌を鳴らした音がした。
途端に、火球を消失し、熱風も途絶える。
「悪い、悪い。お前らが楽しませてくれるからついやっちまった」
バーンズが笑う。
天使達は戦慄した。
今の出力は無効化できない。
そして、あの神はその気になればあの手の攻撃をいつでもできると表現している。
一度、ファクターの無効範囲からのがれたが、彼はあんなことする必要はない。
オールの絶望が濃くでた顔からそれを察することができた。
「まぁ、そう気落ちすんなよ。確かに、おっさんのファクターでは俺の炎は消せない。けど、それをやっちまうと戦闘の味ってもんがなくなっちまうぜ。今みたいな攻撃はもうやらねぇから、心置きなくかかって来いよ。おっさんのファクターは有効だってことにしておいてやるからさ」
神はああいっているが、今の力を見て尻込みしないやつはいない。
想定以上に格が違いすぎる。
本当に前回の戦いは遊んでいたのだ。
もはや相手の戦力が測れない。
目の前がぐらぐらと揺れる。
この神には絶対に勝てない。
クゥに撤退の合図をするか?
いや、この神に背を見せれば今度こそ殺される。
あの力から逃れる術は無い。
ついやった?
馬鹿を言うな。
今度は逃げ場なんかない、と思い知らせる為にやって見せたのだろう。
天を仰ぎ、そして神を見る。
こちらに期待をこめた視線を送る神はこちらの攻撃を待っている。
どこまでも余裕を見せている。
馬鹿にするな!
「うああああああああああ!」
ロウアーが半狂乱で神に突っ込もうとする。
オールはそれを制止しようと手を伸ばすが、届かない。
「ああ?なんだ?そりゃあ?」
バーンズが心底がっかりしたような顔を浮かべたその瞬間――。
それは莫大な破壊の力を伴って堕ちてきた。
はるか上空。
それこそ空が途切れ、星の世界に届こうとする場所から堕ちてきた。
速度は光に届かんばかりの神速。
重力と自身のファクターを利用した自爆にも似た特攻攻撃。
遠くから見れば『流星が落ちてきた』と誰しもが言うだろう。
十二月席のたった一つにして、これのみを極限として練り上げた最強の蹴り。
『メテオ・インパクト』
地面が爆ぜた。
死を覚悟しつつ、全力で防御するが、焼け石に水。腹や肩に石がめり込む。何より、衝撃波が全身を打ちのめし、意識を繋いでいること自体が奇跡的だった。
木の葉のように上空に巻き上げられながらも、着弾点を見極めようとする。
七月席は死んだのか?
次は何時になるかみていです