6 再度
更新後、ご指摘受けた部分を見直して、6月9日朝に訂正しています。見直しが甘いと独りよがりな文になっちゃうんですね。ううう。
「陛下、ご署名を」
「ん?あ、ああ」
「なにかお気に病むことでも御有りですか?」
「いや、なにも」
クラウドが執務中に物思いに耽るようになったのは何時からであろう。宰相の任が漸く板についてきたサリエリは、書類を待つ間にクラウドの旋毛を眺めながら考えた。
前宰相の失脚以来、ひたすら国政にのみ神経を注いできた若き王が、治政の安定した現在、少々気を緩めたところで、揺らぐような国ではない。しかしこう、気のない返事が増えてくると側近たちも浮き足立ってくる。
何がクラウドの心を占めているのか、サリエリは知らない。数少ない執務以外の話題を、最近のものから順に思い返す。さて。
一言二言かわした話など、きっかけが無い限り思い出せないものだ。記憶力には自信があったつもりなのだが、と三十路を超えたばかりの宰相は自嘲した。
「夏至祭には久しぶりに近隣諸国にも招待状を出しましょう」
「…………まあよい、好きにいたせ」
言質は取ったとサリエリはほくそ笑む。受け取った諸国の王族は、これぞという姫君たちを送り込んでくるだろう。その中の誰かが、頑なな国王の心を溶かしてくれぬものかと、願ってやまない。
「そうそう、リューンの王が近々に、退位して息子に位を譲るつもりの様でございます」
「リューン?ああ、あの国か、ミスリルが採れる」
「そうでございます」
「あそこの王は……まだ五十にもならんが」
「ここ数年病みがちであると報告を受けています。王太子も二十八。国が安定しているときに譲位しておきたいのでございましょう」
「ふむ」
「譲位前に一度、王太子が謁見を、と願い出ています。夏至祭は良い機会となるでしょう」
「そうか。あの国とは五年前から同盟を組んでいたはずだな。他に動きは無いか」
「いえ、特には」
実はひとつ、耳に入れておかなければならないことがあるのだが、ひと月以上先に来る者に関することだ。ここで今わざわざクラウドの機嫌を損ねることでもないと、宰相は考えた。
サインされた書類を受け取り、自分の執務室へ戻り際、扉の前でサリエリはクラウドに礼をしようと振り向いた。
ペンを持ったまま、クラウドはまた何かを思っていた。視線は紙の上で無く、斜め下。顎に手を当てて、伏し目がちな顔は、いつもの鋭さが抜けて、僅かに残る少年の風情が浮き出ている。不意に口の端がきゅっと持ち上がったのが、俄に信じられずにサリエリは目を瞠る。
「どうした宰相、そんなところで呆けて」
ふと顔を上げたクラウドに指摘され、サリエリは慌てて礼を取り、部屋を後にした。
おかしい。
機嫌が良いのは何よりだが、あの様な表情はこのところ目にすることも無かったのに。
「気に入った女性でも現れました、かな」
小さくつぶやいた言葉に護衛が何かと聞き直してきた。
「なんでもない、ただの独り言だ」
それは無いだろうと、自ら出した声を頭で否定した。あれ以来国王は、重度の女性不信
だ。近づくのも厭だという姿勢を崩さない。そう、ありえないことだ。
この頃、ふとした時に脳裏に浮かぶ姿がある。粗末な衣服を身に着けた小柄な身体。折れそうに細い手首、水仕事で荒れている小さな手。涙を浮かべて怯えながらも、ピンと伸びた背筋。
さらりとした銀の髪。
何故あのままにしておいたのか、自分でもよく解らない。放っておけと言いながらも、何故こうやって何度も思い出してしまうのかも。
名前すらも教えてくれぬ、気丈な娘。
ウィルが商人から訊いた話が真なら、二年ほどたった一人で、誰にも会わずに暮らしていることになる。魔女にとらわれていたのなら逃げ出せば良いこと。
会っても尚、疑問だらけの娘なのだ。
「また行かれるのですか」
ウィルの声には、呆れや好奇心、揶いが見え隠れしているが、気付かない振りを通した。激務のなか、時間を作っては城外へ出ていく国王を訝しむ声が、付き従うウィルに向けられている様子だが、それを飄々と躱しているらしい。
前回同様、狩りを半日ほど行ってから、森へ入ることにした。待機するよう言いつけたところで、さっきの言葉がクラウドに投げられたのだ。口の堅い男には感謝しているものの、自分でもうまく説明できない心の内を、話すつもりはクラウドに無い。
今回も前と同じく村の狩人を装ったが、犬は置いていく。あのように怯えさせてしまうつもりなど、無いのだから。
「そうだウィル」
「はい」
「民の間では、銀髪が不吉などという言い伝えがあるのか?」
「は?」
ウィルが口をぽかんと開けた。
「さあ……聞いたこともありませぬが……それがなにか?」
ウィルの返事に、クラウドは眉を顰めたが、返事はしなかった
一人森に入り、泉を抜けて下草が踏みしめられた小道を歩く。鳴子を付けた縄の位置は違っている。おそらくあの後張り替えたのだと気付くと、途端に足が鈍った。
この森の中の物が全て、クラウドのだという事実は正しい。だが娘はそれを知らない。クラウドの正体も伝えていない。あの行動には何の落ち度もないのだ。
娘から見たら、自分こそ暴漢なのだ。
「嫌われても、仕方がないな」
自らが呟いた一言が、心に刺さった。
三度目の訪問時、家の外に娘の姿は無かった。
裏手に回ると、盛り上がった土の上に丸太が立ててあって、根元にしおれた花束が置かれているのが見えた。
「墓……か」
おそらくは、二年ほど前に没した、魔女と呼ばれた女のものだろうと近づき、帽子を取って弔意を示す礼を取った。身体を直し、振り向いたところに、紫がかった藍色の目に行き当たる。
「あ……」
驚きのあまり固まっていたらしい娘が、一歩下がったところへ慌てて声を掛けた。
「待て」
クラウドの声に、娘の身体がびくりと跳ねる。
「先日の謝罪と……礼を。手荒なことなどしない」
娘は身動きせず、ただじっとこちらを見ている。子供の頃庭園で見つけた猫のようだ。目を逸らしたら負けとでもいうのか、心の底でも覗き込むかのような眼差し。
ずいぶん長いこと見つめあっていたように思うが、先に動いたのは娘だった。
「……魔女様の、縁の方でしたか?」
クラウドが首を振ると娘は小さく息を吐く。
「そうですか……」
「魔女の墓なのか?」
顎で墓を示していうと、娘はそうではなくて、と強張った顔をほんの少し緩めた。
「名前を教えていただけなかったのです。魔女と呼べなどと言われていたので、それで」
クラウドの横を通りぬけて、娘は墓の前で黙祷する。前と同じく、あの綺麗な髪は粗末な灰色の布で覆われていて、クラウドにはそのきらめきが一筋も見えない。外せばいいのに、と思うが、謝罪に来た身でさすがにそんなことは言えない。
「魔女様のお客様にお会いするのは、初めてだと思ったのですが……違いましたか」
残念そうに、娘が呟く。
「ずいぶん昔から住んでいると聞いているが、素性も分からぬのか」
「聞いておりません」
「そうか」
話が途切れたところで、改めて先日の詫びを入れた。
「この間は無礼を重ねた。すまん」
娘は黙って首を振る。
「いいのです、それよりもここにはもう」
来るな、という言葉は濁された。言えばまた暴力に走ると思われているのかもしれない。
自業自得、ということか。
「ああ」
こちらも、もう来ない、とは口に出さない。それでも了承と捉えたのだろう。
ホッと息を吐く音が、聞こえた。
「…………そろそろお茶にしようと思っていたのですが」
「は?」
帰れ、と告げられるとの予測が外れ、一瞬クラウドは娘の言葉の意味をとらえ損ねた。
「あの、あの、こんな森の中で大したおもてなしも出来ませんが、それでも宜しければ」
「馳走する、と」
「あ、お厭でしたら断っていただければ」
耳を赤くして俯く娘の姿に、胸が熱くなった。
「招ばれよう」
娘は無言で頷くと、踵を返して家の中に駆け込んだ。
室内は以前入り込んだ時と同じく、寂しいくらいに質素だ。でも、その中で動き回る娘がいるだけで、暖かな空間に思えてくる。
どうぞおかけになってと勧められ、席に着いた。
厨房のテーブルに白いテーブルクロスが掛けられ、模様も無い皿に盛られた焼き菓子。
カップも庶民が使う厚手のもので、紅茶とは明らかに違う香りに、クラウドは首を傾げた。
「薬草茶は、お嫌いですか?」
娘が心配そうに見ているので、いや、と答えて一口含んだ。草の香りにわずかに残る甘み、紅茶とは似てもいないが、これはこれで旨いと思う。
「初めて飲んだが、嫌いではない」
聞いた娘の表情が、ゆっくりと解けていく。柔らかなその微笑みが、愛らしいと素直に思った。
手を伸ばした焼き菓子は、以前盗み食ったものと同じだと思っていたが、噛むとわずかに味が違う。よく見ると香草が練り込んであるようだ。これはこれで悪くない。
「二月ほど前に」
娘が柔らかな声で話し出す。
「焼いた菓子を醒ます間に、近場で苺を摘んでいたのですが、その間に誰かが入り込んだようで」
「あの時の菓子も、これとは違う味だが旨かった」
貴方だったのですか、と吐息混じりに娘は言った。
「あのようなことは今まで一度も無かったので、とても怖かったのです」
「…………ああ、黙って入ったのは悪かった」
じっと見つめる深い藍色の目が、不思議そうにクラウドを見据える。
なにか不味いことでも、と考えて、謝罪の言葉は何度か告げているのに、一度も頭を下げていないことに思い至った。
国王になってから、臣下に頭を下げることは無かった。それは王の威厳を損ねる行為だからだ。でも今、クラウドは身分を隠してここにいる。
「この前の事も……すまなかった」
椅子に座ったままではあったが、きちんと頭を下げて謝った。
「もういいです。近づいた人に突然土を投げた私だって悪いのですから」
娘はそう言って話を畳んだ。それからは、言葉を出さずにただ、カップを傾けている。
ゆっくりと飲んだつもりでも、どんな話題を出したらいいものか迷う相手と差し向かいでは、カップの中の茶はすぐに尽きてしまう。二度目のおかわりをもらったところで、沈黙に耐え切れなくなったクラウドが切り出した。
「名は、何と申す」
娘はただ、首を振るばかりだった。
「何故ここにいるかも言えぬのか」
少し間が空き、答が返る。
「はい」
そしてすぐ、娘は立ち上がった。
「これ以上お引止めしては、帰り道で陽が落ちてしまいます」
お気をつけて、と送り出す体を取られてしまった。
門の外まで見送ってくれた娘が、別れ際また言った。
「もうここには来てくださいますな」
「何故?」
疑問には応えず、娘は言葉を重ねる。
「ここでの事は忘れてください。私も……忘れますので」
言うが早いか娘は門の中に駆け込み、扉を閉め、閂を掛けた。
押してもびくともしないそれを、腹立ち紛れに拳で殴る。
「お気をつけて、お帰り下さい」
扉の向こうからの声が、震えているように感じるのはなぜだろう。
「また来る」呟いた言葉は、厚い木戸越しにはおそらく届かない。胸を掻き毟りたくなるような焦燥を無理やり押え込んで、クラウドはその場を離れた。
あまりの嫌われように反省させてみました。
でも書きながら「反省だけならサルでもできる」という言葉も思い出した(笑)
サブタイトルはできるだけ短めにと心がけました。でもいいのかこれでって感じで。もしかしたら内容変更なく、また変わるかも。
いや、それより本文進めるべきか。文字数の割には進展してないじゃん。
ああでも不器用vs頑なってのも、王道要素かもしれません(と自分擁護w)