5 始まり
小さな身体を屈めて、草を取っているらしい。背後から音を立てずに、ゆっくりと近づいた。動きからいって老婆では、決してない。
やはりあの時の娘か、とほくそ笑んで肩に触れようと手を伸ばした時、それより早く小さな身体が振り向きざまに―――――――
「くっ!待て!」
目つぶしを食らった。口の中にまで土が飛び込み、じゃりっとした感触に頭に血が上る。
女と思って油断していた自分に腹を立てながら土を払い、逃げていく姿を視認すると共に、首に掛けていた犬笛を吹く。
あらかじめ閂を外していた門を押して、猟犬が二匹飛び込んできた。あっと言う間に小さな身体の行く手を阻み、涎を飛ばしながら吠え立てる。
「いやっ!」
逃げられずにしゃがみこんだ身体に、犬が襲い掛かる。人を噛まない様に躾けているので、クラウドは手巾で顔を拭きながら、ゆっくり歩み寄った。
犬の爪が頭の布に掛かり、巻き取るように剥がしていく。
「返して!」
現れた髪は、銀。この国の民には見られない色だ。いや、他国にもいない、青みを帯びた銀は、クラウドが愛用する鎧の輝きを髣髴とさせる。頭を振るたびに陽光に煌めく、上質な絹糸のように真っ直ぐな髪。指先を差し込み、梳いた感触はどんなものだろうかと、怯える娘を前にふと思った。
「下がれ!」
クラウドの声に犬たちが引く。なお目を惹きつける髪を乱したまま、小さな身体はぶるぶる震えている。犬が立てた土埃で汚れているらしいが、顔は俯いていて分からない。
「逃げるから悪い」
正面にクラウドの声に白い顔がキッと上を向いた。
「背後から声も掛けずに近づく者から、逃げてはいけませんか」
気丈な言葉だが、発した声は小さく、震えている。潤んだ瞳は紫がかった深い青。みるみるうちに涙の粒が盛り上がり、一度決壊するとそのまま頬を伝ってゆく。
無意識に触れようとして延ばした指から、娘は座り込むように身を引いて逃げた。
「触らないで」
興味を引いた相手から、抉る様な言葉が放たれて、クラウドは目を瞠り動きを止めた。
クラウドは王である故に、幼いころから拒絶されるという経験が無い。激高して首を刎ねても仕方がない一言を、この娘は簡単に吐いた。
反射的に手が剣に掛かる。怯えろ、命を請えと、心の中で叫びながらひらりと抜いた。
高く上げた刃は、気が遠くなるほど長い時間、そのままの位置に留まっていた。
――――――――何故。
娘は刃が抜かれた途端、膝立ちになり両手を組み、祈りの姿勢を取った。そのまま頭を垂れて、刃を受ける瞬間を待っている。
泣き叫ばれたり、逃げ出そうとするなら勢いで切って捨ててしまったであろう。抵抗しない娘の首を、そのまま刎ねてしまうのは、さすがにクラウドでも気が引ける。
頭が、冷えた。
もとより、村の狩人のような成りをしているのだ。一人暮らす娘が、いきなり現れた見知らぬ男から逃げるのは当たり前だ。それを踏まえて、背後から忍び寄ったのではないか。
「すまなかった……悪ふざけが過ぎた」
頭上からの声に、娘がおずおずと顔を上げる。寄せた眉根と噛み締めた唇に、警戒心がありありとしている。土が頬を汚し、流した涙に濁った色を付けていた。それでも。
それでも、こんなに美しい娘を、クラウドは初めて見たと、思った。
「道に迷った。とりあえず水をもらいたい」
クラウドの声に娘は無言で頷いた。立ち上がったが逃げることはせずに、ゆっくりと井戸に向かう。
釣瓶の縄を引いて、水に満ちた桶を抱えて「お手を」を言われて両手を差し出す。少しずつ注がれる水で手を清め、顔を洗い、口を漱いだ。深い井戸なのか、水は冷たく、口に含むと甘みすら感じる。
「代わろう、お前も酷い顔だ」
空になった桶を取り上げ、井戸に落として縄に繋がれた逆の物を引き上げる。先程された様に地に注いだ水を、娘は小さな手で受け止め、手と顔を清めた。
「ありがとうございます」先程よりも口調は柔らかくなったが、ほんのわずかな笑みも浮かばない。水で泥を流しただけの顔には、絶妙なバランスで目鼻が配されて、滑らかな肌と相まって夜会に来る娘たちのそれよりも数段も上等だ。
「お前、名は?」びくりと、分かりやすいくらいに娘の肩が跳ねる。
「どうした、まさか名が無い、などと言うわけでもあるまい」
警戒心がまた首をもたげたようだ。娘は口を噤んだままだ。
「まあいい、ここにはお前が一人か?」
「いえ」
女が一人で暮らしているなどと、簡単に言うわけないことは承知の上だ。
「ほかには誰が住んでいる」
「なぜ貴方に話さなくてはいけないのです」
気丈な言葉をぶつけてから、娘はちらりとクラウドの腰に下がった剣を見遣った。
ああ、斬られるのを覚悟の上での黙秘か、と思い至る。
「ただの興味だ」
そう言ってクラウドの方から話を切ると、娘の肩の線が下がる。
どうも調子が狂う、ここに住むものを確かめて、どうするつもりだったのかも考えずに来てしまった自分が迂闊だった。
王だと名乗り、城に連れ帰って尋問するべき、なのだろう。
ここは侯爵から奪った、己の私領だ。言うなれば家も畑も、この旨い水を湛えた井戸もクラウドの私産だ。
勝手に住んでいた娘に非があるのだ。
だが、なぜか、そうするつもりになれなかった。
長い長い沈黙の後、先に声を出したのは娘。丁寧な口調だが拒絶が含まれている。
「今からここを出たなら、門の前を真っ直ぐ進めば、日暮れまでには村に着くはずです」
「そうか」
「なにか、食べるものをお持ちですか?」
「は?」
強張った顔のままで、娘は言った。
「朝は何か召し上がりましたか?」
「あ、ああ。夜明け前にだが」
クラウドはこの日、湖で水鳥を何羽か仕留めて、始末をウィルに任せてから森に入ったのだ。言われてみれば昼時はとうに過ぎ、空腹を覚えている。
「では何かお持ちしましょう。貴方はここで待っていてください」
突拍子もない申し出に唖然としているうちに、娘は裏口から家の中へ入って行った。クラウドも続こうとドアに手を掛けたが、既に閂が掛けられ、びくともしない。表に回ったが、そこも同様だった。
飯は恵んでくれるらしいが、仲良くなるつもりは無いと言うことか。
力づくでドアを壊すことなど造作もないが、それはせずに犬を呼び、井戸から汲んだ水を飲ませたり、その辺にあった薪を一つ投げて犬を追わせ持ってこさせる、などという、子供の様な遊びをしながら暇をつぶした。
それほど待たずに、娘は小さな籠を持って現れた。
「こちらをお持ちなって下さいませ。では」
踵を返す娘に、思わず声が出た。
「おい!」
またしても顔を強張らせて振り向く娘に、訊いた。
「ここで食べてしまってもいいか」
ホッとした顔を見せて、娘は返事をする。
「ここで構わないのなら、どうぞ」
井戸の近くに置かれた切り株に腰を下ろして、クラウドは娘の作ったものを取り出した。
色の濃いパンを薄切りにして、間に具を挟んである。一つ手に取り、噛り付いた。
オムレツと葉野菜か。オムレツは少し塩味が濃いが、葉野菜と一緒に咀嚼するとちょうど良い。何よりオムレツの温かさと、挟んだばかりの野菜がしゃきしゃきと歯触りよく、食が進む。
「旨い」
何も考えずに出た一言に、娘が反応した。
口元がきゅっと上がり、ほんのわずかに目が細まった。一瞬の笑顔。
「…………どうしましたか?」
「あ、いや、なんでもない」
呆けたように見惚れてしまったことが恥ずかしく、クラウドは慌てて手の中のサンドイッチを口に放った。
具は三種。クリームチーズに塩を振った薄切り胡瓜も、酸味の効いたジャムも、この上なく美味だった。
瓶に入った水で流し込むのが惜しいくらいだ。
あっという間に食べ終え、「世話になった」と礼を言うと、また同じ笑顔が返ってくる。
胸の中に温かいものが流れてくるように、感じた。
それでもクラウドを追いたてようという気は変わらないらしい。クラウドもウィルの元に戻ろうと考えた。いつまでも戻らなければ、忠実な騎士であるウィルが小隊でも率いて森に入りかねない。
門を出る間際、ここにはもう来ないほうが良い、と娘が言った。
「どうして」
「ここは侯爵様の狩場に接していますので、村の人が入ると罰を受けるかもしれません。それに、魔女の呪いについて、お聞きにはなっておりませんか?」
「なんの話しだ」
わざととぼけたクラウドに、娘は首を傾げる。
「このあたりの方ではないのですか?」
「あ、まあ、そうだな」
「魔女の許しを得ずに森に入った者は、永遠の苦しみを受けるそうですよ」
じゃあなぜお前はここにいる、と言い返そうとして止め、クラウドは皮肉気に違う言葉を吐いた。
「古くから魔女が住むという話は耳にしたが、もしやお前がそうなのか」
娘は口元だけで笑い、言った。
「だとしたら、どうしますか?」
「馬鹿馬鹿しい、魔女など、子供だましの話に過ぎぬ。お前がそうだとしたら、なにか証になるものでもあるのか」
娘は少しだけ沈黙し、自分の髪をさらりと撫でた。
「この髪」
「なに?」声が小さかったので、もう一度訊き返す。
「おかしな髪の色と思いませんか?この国では呪われた色なのだそうです」
「なんと」
銀髪の呪いとか、不吉だなどという話は、クラウドは耳にしたことも無い。民の間の迷信でもあるのだろうか。
もう一度、娘は自分の指で髪を梳く。手を離れた途端にさらりと毛先が地を目指す。
動いたときに反射する微かな光を眺めていると、もう一度娘が言った。
「もう、ここにはいらっしゃいませんように。私の事も口にしないほうがよろしいかと」
硬い声音に気圧されて、クラウドは犬を連れて帰路に着いた。
「おかえりなさいませ。森の女にはお会いに?」
「ああ、若い娘だった。泉で会ったのはあの者に違いない」
「そのままにしてきたので?」
「特に害もなさそうだからな」
ウィルは耳を疑った。思えば前に森に行った時も、クラウドの様子が違っていた。
宰相の件以来、疑り深くなった若き王は、小さな疑惑の芽も逃さない。自ら選んだ側近たちに仕事を割り振っていても、突然チェックしようとする時もあり、文官は気が抜けないとぼやいているのも、ウィルは知っている。
狩猟場に隣接する森に暮らす女、確かに何をするでもないだろうが、連れてきて尋問することなど、王が一言指示するだけなのだ。あとは騎士たちが勝手にやってくれる。
「他言していないな?ウィル」
「はい」
「ならいい、このまま捨て置け」
クラウドは興味もなさそうに言った。だが、その後の狩りは、今一つ身が入らぬ風であった。
初めてきちんと会った王様とヒロインのはずが、まさかの低糖度で。
そういえば「なろう」では月も含めて一度もラブシーンというモノを書いていなかったことに気づきました。
今後大丈夫なんだろうか自分orz
ここまで来て「サブタイトルつけた方が親切?」と迷い中です。そのうち突然付いてるかもしれません。
更新してから、状況説明足りない?と反省。
王様は一応、村人(職業狩人w)仕様で。でも態度は思い切り王様。
娘さんもカッコはまんま村娘。頭の布がちょっと異様です。でも仕草には育ちが出ています。
とりあえずここで補足。時間あるときに本文に組み込んどきます(行き当たりばったりで申し訳ない)