21 サロン三つとバルコニー
前半兄で後半ヒロイン視点です。
今、王城内で最も賑わっているのは、日頃使わない部屋まで全て貴人で満ちている賓客向けの一角だ。これぞという妃候補たちが侍女や護衛を引き連れて宿泊している。祭り前からそれぞれがお互いを観察し足を引っ張り合う様子を傍目に、リチャードは自らの策謀を推し進めていた。
「リューンの王太子殿下でございますね」
サロンに入るとすぐに、某国の公爵夫人が微笑みを張り付けて近寄ってきた。相手国の力を頭に浮かべつつ、物腰柔らかに対応するのにも既に慣れた。
挨拶、お互いの国への賛辞、イスタルドの繁栄ぶりを軽く語り合うと、夫人はさっそく本題に入ってくる。
「妹君が長患いしていたと御聞きいたしましたが、もう御身体の方はよろしいのですか?」
ざわついていた部屋が、水を打ったように静かになった。
この国の側妃が突然現れた日、このサロンは恐慌状態だったと連れてきた侍従が話していた。使用人たちに質問攻めにされ、往生したと。
側妃が五年前に後宮に入り、すぐに病で療養していたとその時知った貴人たちは、今後ミスリルが側妃として居座るのを危惧している。入城したときに垣間見た美貌も、一度だけ国王が晩餐を伴にしたことも、そのあと閨までは行かなかったことまでも城中の噂となっていた。
「ああ、まあ、はい」
曖昧な言葉を苦笑と共に返す自分に、サロン中の目が耳が向けられているのをリチャードは意識している。そのうえでの行動だ。
「五年も伏していたのなら、なかなか元のようにはいきませんわよねぇ」
念を押すような夫人の声に、リチャードは頷きつつ目を伏せる。妹を案ずる優しい兄を印象付けるために。
「ただでさえ小さな山国の出である妹が、このような大国の妃をというのも身に過ぎた事ですのに、大任が務まるものか私も父王も心配しております」
「無理もありませんわ。わたくしもイスタルドへ参りましたのは初めてで、この国の偉大さに恐れおののいてしまいましたもの。このような大国の国王陛下をお慰めするなんて、本当に大任でございますことよ」
ねえ、と周囲を見回す夫人に、大げさなくらい深く頷く人々が話に入ってくる。これはという娘を連れてきた諸国の者達だ。
「妹君はこのまま王宮に?なんでも塞いでいた後宮を開くというお話も耳に致しますが」
リチャードは緩く首を振った。
「妹もわたくしも、今後の事は知らされておりません。後宮のお話もなにも。今は太王太后様の元で、沙汰を待っているところです」
「まあ」
嘘はついていない。ただ、目線と表情で、ミスリルが国王にとって薄い存在であることを示唆するのみだ。あとは勝手に尾ひれがつくことだろう。
「やはりイスタルド王の心の中には、まだあのお方がいらっしゃるのかしらね」
寵姫エイダの悲劇は、大陸中に知れ渡っている。
成人したばかりの王と美しき乙女との出会い。自分の娘を推すために妨害する貴族たちを抑えての後宮入り。貴族たちやそれに操られた侍女からの嫌がらせにも屈せず愛を育む二人。虐げられる寵姫の扱いに疑問を抱いたことから発覚した宰相横領と背任。自ら暴き断罪する王を恨んで宰相の愛人が後宮に入り込み毒を盛る。何も知らずにそれを口にして倒れる美しき妃。駆けつけた時には何もかもが遅く、冷えていく身体を掻き抱き、嘆く王。
それさえ上演すればどんな劇団の舞台でも満員御礼となるほど人気の演目だ。余程の芝居嫌いで無い限り貴族なら何度も観ている物語。誰もが知っているこの国の王の悲しい過去。
故に国王は未だ妃を娶らぬのだと誰もが信じている。だから寵姫に似た娘ならばと考えの浅い者は簡単に思いつく。
祭りを前に各国から送りこまれた娘たちの多くが、かつての寵姫と同じ色の髪と瞳を持っている。よくぞこれだけ金髪碧眼の美女を集めたとリチャードは感心する。その娘たちが皆似たドレスに身を包み牽制しあう様は、煌びやかでありながら見苦しい。
だが、この中の誰かが大国の王を射止めてくれるのなら話は早い。やる気を削がないためにも退屈している娘たちを褒め称えておこうと、リチャードは美辞麗句を無理やり思い浮かべつつ、またざわめきだしたサロンを泳いでいく。
「アレクセイ」
つまらない時をを過ごした後サロンを出て錬成場に足を運び、リチャードは最近別行動を取っている腹心の騎士を呼び出した。騎士はつけていた面を外してリチャードの前に踏み出し、軽く礼を取る。
「どうだ、感触は」
「ごくたまに手応えのある者もおりますが、それほどでも」
「お前の腕ならそうであろう」
リチャードは自国の騎士を眺めつつ満足げに頷いた。
「それよりも、ミスリル様についての噂が騎士たちに広まっております。だれが言い出したのかは分かりませんが」
声を潜めた騎士に顔を近づけて内容を聞いたリチャードは、口角を上げた。
「リューンの者と知られますと、必ずと言っていいほど真偽を問われます」
「そうだと言う必要もないが、否定はするな」
「はい」
「それを訊いた者たちの反応は」
「皆我こそはと思っているようなのが、忌々しいと言いますか……お耳に入ることを考えますと」
「ああ、その心配はない。ミスリルは余程の事がない限り北の宮から出ないだろう。放っておくがいい」
それよりも腕を磨け、という皇太子の声に、騎士は深く頷く。
その頃、北の宮では、幼き姫が大叔母である太王太后を見舞っていた。明るい笑い声を遠くに聞きながら、自室にいたミスリルだったが、途中から招かれて本宮よりもずっと小さなサロンに合流する。
長椅子にゆったりと腰を下ろす太王太后のそばに、人目を惹きつける華やかさを持った姫が座っている。ミスリルを見た時にぽかんと開いた口が、子供らしくてミスリルは微笑んだ。
この方は国王の側妃、と太王太后が言うと、アンリエッタ王女は目を丸くする。
「側妃様……なのですか」
「長らく患っていて城を離れていた。この度本復して戻っていらしたのだ」
王女の大きな目が少しの間泳ぎ、ああ、と声が漏れた。
「昨日少しだけサロンに行った時に、皆が騒いでいた話ですわ。思い出しました」
話し出そうとする王女を、太王太后は手を上げて制止した。
「ああ、もうよい」
一瞬、きょとんとした王女が何かに気付いたらしく、目に見えて狼狽えた。
「あの者達は皆、エイダの後釜を狙っているのだったな。ならば噂の内容もおのずと知れている。訊くまでも無い」
ミスリルに視線を向けたまま王女の眉が下がる。気にする事は無いとミスリルは微笑でそれに応え、問いかけた。
「たくさんの賓客が見えていると聞きます。本宮はここに比べてにぎやかなのでしょうね」
「それはもう。賑やか過ぎて煩いくらいです」
話が変わって安堵した勢いか、王女は砕けた物言いになる。
「各国の王女や貴族の姫君が、にこやかに語らいながら陰で罵りあってるって感じです。どこぞの国の後宮を思い出すくらい」
「アンリエッタ、そなた一国の王女であるなら子供っぽい言動を改めなければなるまいな」
そんなところに居るのなら、と太王太后が王女を諌める。
「明るく闊達なのは好ましいが、相手を選ばねばならぬ」
「心得ておりますわ」さらに王女の口が尖った。
「大叔母様もミスリル様も、あそこにおいでの皆様と違いますもの。あの方々にこんな物言いは致しません」
第一子ども扱いで、話に入れてももらえませんわ。と語った王女は眉を思い切り顰めて拗ねた表情を隠さない。
「アンリエッタ、そなたミスリルへの挨拶もまだだな」
はっとした王女が立ち上がり、慌てて自己紹介した。その仕草には品があり、王族として厳しくしつけられていることが伺える。
「大変失礼いたしました。あまりに居心地が良かったので、羽を伸ばしすぎました」
最後にそう言って破顔した王女に、ミスリルはついに噴き出した。
元より太王太后も、さっぱりとした人柄で、何度も声を上げて笑ってしまう程楽しいひと時をミスリルは過ごす。
「まあ、ではミスリル様は王都を全くご覧になっていないのですか?」
「ええ、馬車の窓も閉めたまま城に入ってしまいましたので」
「とても大きな街ですのよ。私の国の王都なんて比較にもならないくらい」
ミスリルの母国はカスクールよりも小さいから、想像もつかないと応えると、王女が突然立ち上がった。
「太王太后様!これから城で一番見晴らしの良いところへ、ミスリル様をお連れしても?」
太王太后はやれやれと首を振り、近衛を呼んだ。
「そなたには敵わん。ルイス、この二人を本宮のバルコニーへ案内せい」
「かしこまりました」
太王太后はミスリルに、子守を頼むと声を掛け、テーブルに置かれていた書簡を侍女に預けてから、もう一人の侍女の介添えで自室へ戻ろうとする。その途中で足を止め、アンリエッタを呼ばわった。
「アンリエッタ、そなたこの宮に滞在する気は無いか?」
王女の目がまた大きく見開かれ、次の瞬間頬に押されて細められた。
「嬉しい!ありがとうございます大叔母様!」
素直な喜びの表現に、その場にいる皆が笑顔になった。
「ミスリル殿も、煩くなるであろうがよろしく頼む」
そう言ってゆっくりと歩く太王太后に頭を下げていたミスリルは、王女に手を取られて北の宮を出た。
「ああ嬉しい、祭りの間中、あの女狐たちと一緒かと思っていたから本当に嬉しい。ミスリル様よろしくお願いします」
「こちらこそ。何もわからない田舎者なので、助けて下さいませね」
歩きながらの会話は行儀が悪いと叱られますね、と言いながら、二人はくすくす笑った。
北の宮からバルコニーまでは、本宮の回廊を通らなくてはいけない。途中出会った貴族たちは、皆一様に驚き声を掛けようと近寄るが、あっち?先を曲がるのねなどと言いながら、近衛を追い抜く勢いで小走りに先を急ぐアンリエッタ王女に手を引かれるミスリルは、軽く会釈するくらいしか応えることが出来ない。
近衛に案内された部屋は、王族用のサロンのようだ。開け放った大きな掃出し窓から外に出ると、一気に視界が開ける。
「太王太后陛下のご許可でお通しできました。本来なら立ち入ることのできないところですので、そのおつもりで」
近衛の言葉に耳を貸さないアンリエッタが、歓声を上げる。
「わあ、城壁の向こうまで見える!ほらミスリル様、素晴らしい眺めでしょう?ああでもあの鐘撞き塔の上のほうが絶対遠くまで見えるのに。あそこに登らせてはもらえないものかしら……ミスリル様?」
「ミスリル様?」
そっと腕を掴まれて、ミスリルはようやく我に返った。
「どうかなさいました?」
「いえ……ただ驚いておりました」
圧倒されていた。城壁の向こうに開けた街並みに。
それは眼下に広がる景色の大部分を占めていた。
平地に建てられた城を中心に四方に伸びる道には、石が敷き詰められている。その間には隙間なく、これも石造りの建物が並んでいる。それが遥か遠くまで続いている。そこを横断するように河が流れ、行き交う船が小さく認められる。船がぶつからないように弧を描いた橋が架けられ、豆粒のような人々がその上を歩く姿がかすかに分かる街中で河はいくつかに分かれ、支流が道に沿って伸びている。そののが建物越しにわかる。
これほど大きな、見事な街を目の当たりにして、言葉も出なかった。
ミスリルの生国は山地で、攻め込まれることを念頭に置いた山城に暮らしていた。細く伸びる道の先にある王都も、教会や貴族の館や商家が坂に沿って建てられていて、密集することなど無い。国の規模にに見合った小さなちいさな街だ。いいや、ここに比べたら村や集落と呼ぶべき規模かと考える。
五年前、イスタルドの街道沿いの街に入るたびに、「ここは王都?」と訊き違うと何度も笑われたことを思い出す。
「王都はこんな小さな街ではございませんよ」
その王都には入る前から馬車の窓を閉められた。そして病と偽って城を出た時も、今回の入城でも外を見ることなど無かった。
本当に、今初めて、ミスリルはイスタルド国の王都を目の当たりにしたのだ。
「ミスリル様?」
「……私の国リューンはとても小さな国でしたので」
「先ほどもそうおっしゃっておりましたわね。私も驚いたのですから、ミスリル様は尚更なのですね」
「そうです……ね」
「カスクール王都はここの半分にも満たない規模ですの。そしてこれほど美しくもありません。いったい何が違うのかしら。平野が広いから?河から延びる運河?ねえミスリル様、どう思います?」
話し続ける王女に相槌を打ちながら、ミスリルはバルコニーから王都を眺め続けた。
たしかに美しく、素晴らしい街並みだと思う。でもそれ以上にミスリルは「怖い」と感じていた。
スカイツリーはまだ未経験ですが、東京タワーとか高層ビルに上った時霞んでも続く建物が怖かったです。このお話の首都はそんなでかくないはずですが。
書くたびに糖度が減っていくような。とにかく話進めないと。