19 北の宮にて
サブタイトル思いつかない(汗)
手巾で涙を拭き、取り繕い廊下に出るも既に国王の姿は無く、所在無げに待っていた若い騎士に付き添われてミスリルは客室へ戻る。
侍女たちによって夜着に着替えさせられたが、送り出す時とは打って変わった言葉少ない様子に落胆の色を感じ、息苦しい思いをした。
ようやく一人になり、整えられた寝台に腰を下ろす。重い身体を横たえ、ミスリルは目を瞑った。
あのひとが、国王陛下だったなんて。
森で唯一出会った人は、ミスリルの心にずっと残っていた。共に行こうと言われ、拒絶したことを後から悔いた。あの手を取ればいつ終わるかもわからない孤独の日々から逃れられたのにと、何度も思った。
でもそれすらも、嘘だったのかもしれない。
あのひと、国王は自分の身を明かさぬまま、私を連れ出そうとした。何故そのようなことをと、疑問が湧きあがる。兄が来る前に密かに入城させたかったのだろうか。リューン側にミスリルの置かれていた状況を知られたくなかったなら、なにも国王自らが何度も足を運ぶ理由がない。ではどうして?
――――――イスタルドの落ち度を隠すために、わざと惑わせたのかもしれない。長い間孤独だったせいで、一言二言話しただけの素性も分からぬ男が去っていくのを辛いと思うくらい人恋しかったミスリルだ。実際食事を差し出したり、お茶に誘って家に入れるなど、あっさりと警戒を解いてしまった。
もしあの時、手を取ってついて行ったなら、誰とも分からぬ者に簡単に誘われる愚かな王女と詰られ、そこに付け込まれてリューンの不利となっていたのかも―――――――
溜息がこぼれた。
森にいたころは寂しかった。いつ終わるともない孤独が辛かったが泣くのも叫ぶのも自由であった。
ここは怖い、隙を見せると自分だけではなく、生国にまで害を及ぼしそうで、身が竦む。やっと会えた兄は怒りが先走っていて、取り返しのつかないことをしないか心配でたまらない。
いったい、どうしたらいいのだろう。
うっすらと目を開ける。寝台の天蓋と、そこから垂れ下がる幕がまず見える。
身を起こすと豪華な室内。品の良い調度類、自分が身に纏っているのは手の込んだ刺繍がされているとろりとした絹地の夜着。
でも、心はあの樹の上と何ら変わらない。場所が変わっても、私は膝を抱えて困り果てている。
眠ろう。疲れ果てた頭で考えたところで、結論など出やしない。
また目を瞑ったミスリルの脳裏に、森で初めて会った国王の姿が浮かぶ。粗末に見せかけた上質の衣服。狩人に化けていた癖に、洗練された身のこなしだった。
あの時も突然怒り出した。ミスリルが土を掛けて逃げようとしたから。剣を抜かれたときはもう終わりと覚悟した。
でも、そのあと謝罪していた、次に来た時も。大国の王ならばそのようなことはしなくても良いのに。
三度の来訪で、国王はミスリルにくちづけて、連れて帰ると言った。指輪を出して断ると、端正な顔を強張らせた。
伸ばされた手が下がった時の表情が、今も心に焼き付いている。痛みを堪えるような、悲しげな面持ちだった。それを思い浮かべて、ミスリルは幾度となく切ない気持ちを噛み締めていたのだ。
晩餐での国王は、終始顔色を変えなかった。それが本来の姿なのだとしたら、森での最後の表情は一体―――――――――
ミスリルはそっと自らの指先を唇にのせた。
あれも、きっと、偽り。
くたくたに疲れていたのに、浅い眠りしか訪れないまま夜が明けた。やって来た侍女たちの言うままに身支度を整えて、朝食の席に着く。そこへ現れたのは太王太后だ。
「良く眠れましたか」
穏やかな声に、はいと返す。実際は目の隈を白粉で誤魔化している状態だ。太王太后の目が不自由であることを、不謹慎にも感謝した。
向かい合った席で食事をとっている途中、突然訊かれた。
「クラウドはどうでしたか」
「どう……とは?」
意図が分からずに訊き返す。失礼かとは思ったが、余計な事も言いたくなかった。
「話は弾みましたか」
「……私が不調法なもので、あまり」
「そうか……」
「お仕事がお忙しいようでございます。せっかく時間を取っていただいたのに、申し訳ないことを致しました」
「よいよい、クラウドは誰にでもああなのだ。口数も少ないし表情も変えぬ。さぞ退屈な時間だったであろう。婆が代わって謝らねば」
そうか、と呟いた太王太后が、仕方なさ気に微笑んだ。
朝食を終えてしまうと、とくにすることも無くミスリルは部屋に戻り、女官長より夏至祭の予定を聞いた。
「夏至祭は我が国独自の祭りですので、この期間に国外から訪れる客人が多いのです。特に今年は、例年より盛大に祝うことになっております」
「なぜ、ですか?」
ミスリルの問いに女官長は一瞬怯み、早口で答えた。
「陛下が戴冠してから戦や内乱などがあり、祭りが行われない年もありました。ここ数年は治世も安定したので、それを国外に知らしめるため、と聞いております」
「そうですか」
ミスリルは療養を終えたばかりなので、最低限の行事のみの参加となるらしい。前夜祭と称した夜会。翌朝、バルコニーで国民への顔見せ。そして最終日の夜会。パレードや日中の国民を交えた催事はほぼ欠席でと、説明された。
「イスタルドは剣を尊ぶ国なので、祭りの期間中毎日、剣技大会が催されます。もう既に予選は始まっていて、国内外の剣士が集っております。リューン国からも幾人か出場しておりますね。ご覧になりますか?」
「良いのですか?」
「警備の関係上、事前に伝えていただけるのでしたら」
「……兄と相談してみます」
「それがよろしいかと」
夜会や顔見せについての細かな決まり事を一通り聞いた後、女官長は尋ねた。
「ご不自由なことはありませんか?何か欲しいものがありましたら何なりと」
「充分良くして頂いております」
そう答えながらもミスリルは、しばし考え頼みごとをふたつした。女官長はすぐに手配すると笑顔を見せる。
「良い心がけでございます。刺繍の件は直ちに、もう一つは宰相に問い合わせて明日からでも」
「ありがとうございます」
女官長の退出後、昼近くになって兄が現れるまで、ミスリルはぼんやりと窓の外を見ていた。
祭りの支度をする喧騒は、北の宮までは届かない。人気のない庭の花が風に揺れるさまを目で追い、時を過ごす。
森に居た頃よりも寂しいと感じてしまうのは、手持無沙汰なせいかもしれないと自嘲した。二度と会えないと覚悟していた肉親にも会えて、本来居るべき場に戻ったのに。小国の王族として、大国の側妃としての務めが始まるのに。
「リル、どうしている。まだ疲れが抜けぬようだな」
訪れた兄は、椅子に腰かけるなり侍女に聞かせるように大きめの声でミスリルを気遣う。
「顔色も悪い。昼からは休むと良い」
その前に話さぬかと侍女を下がらせて、兄妹は小さなテーブル越しに会話を始めた。
「祭りの前で国王の身体は空かぬと踏んでいたのだが、まさか昨日現れたとは。後で聞いて肝が冷えたぞ」
何事も無くて良かったと兄は言う。
「お前は初めて会ったのだったな。どうであった?」
兄は知らない。森で出会ったひとのことを、ミスリルは誰にも話していないのだ。ましてやそれがイスタルドの王であったなどとも。
伝えた方が良いのだろうか?でも国王に反感を持っている兄にこれ以上の事はと思い、ミスリルは兄に話を合わせた。
「どうと言われましても……気質が分かるほど話をしたわけでは無いので。威厳ある大国の王なのだとしか」
「ああ、そうだな。大国の王らしく、慎重な物言いで表情も読めぬ男だ。お前の事で内々に謝罪を受けた時も、余計なことは口にしない奴だと思った。隙を見せぬ。ただ」
途中で話を切った兄が、片頬だけで笑った。
「ただ?」
含んだ物言いに問いかけると、兄は口調を変えた。
「今回のリルの件は、あの王にとって初めての失態らしい。なので気には掛けている。そこに付け入る隙はあるのではと、わたしは思うのだよ」
そう話す顔には、幼い頃より見慣れた優しい兄では無く、初めて見る色が浮かぶ。
このひともまた、国を背負う王族なのだとミスリルは悟った。
「夜が遅かったので朝食には間に合わなかったが、太王太后は何か言っていたか?」
「昨夜の様子を訊き、やや気落ちしたご様子でした」
ふん、と兄は鼻を鳴らした。
「祭りにかこつけて国内外から美姫を集めた癖に」
意味が掴めず首を傾げたミスリルに兄は説明する。
「イスタルドの夏至祭が例年になく盛大なのは、正妃を娶らぬばかりか後宮も封鎖した国王に痺れを切らした臣下たちの発案だそうだ。この機会に以前の寵姫を超える娘が現れることを国中の者が望んでいるらしい。その気が無いのは国王だけというのが、城内の噂だ。ここで誰も選ばぬ、と言うわけにはいかないように仕向けられているがな」
その中でも鳴り物入りでやって来るのが、太王太后の生国であるカスクールの第一王女だと兄は言う。カスクールはイスタルドの南側に位置する中堅国家で、長く友好関係を築いていると、ミスリルは子供の頃学んだ。
「その象徴が太王太后の存在だが、なにぶんもう御歳だ。次の世代で縁を結んでおかなくてはと、カスクールは考えているはず。太王太后の後押しがあるから、おそらくこの王女が正妃となるのではと囁かれている。もしこれが実現したら、王女の後ろ盾となる太王太后が、リルを帰国させることに手を貸してくれるかもしれぬ」
なのにリルを国王に近づけようとするのは少々解せぬがと、兄は首を傾げた、
「王女は今日、城に入る。他の姫たちも続々集まっているようだから、祭りの期間中はお前に構う暇は、国王には無いだろう。その間に流れを読んで、なんとかしたいと考えている」
あくまでもミスリル帰国の道を、兄は探るつもりのようだ。
それから侍女を呼び、お茶を飲みながら夏至祭の予定について兄と話した。
「お前の出番は最低限なのだな。それはそれで結構なことだ。いくら本復したとはいえ、無理は利かぬ身体なのだから」
兄は侍女に聞かせようと、通る声でミスリルの身を案じた。
「剣技大会は事前に話せば観覧できると聞きました。リューンの剣士が出ているとも」
聞いた兄の顔が、誇らしげに緩んだ。
「ああ、お前にも話そうと思っていたところだ。護衛には腕に覚えのある者ばかりを選んで来た。三人出場して二人が予選を勝ち抜いた。一人は……あれは当たりが悪かったな。昨年の次点だった者に敗退したのだから」
その者達が出る時には行こうぞと、兄は上機嫌だ。
「トーレス公爵家のアレクセイを覚えているか?」
「はい?」
兄の学友たちに会うことが出来たのは、ベールを被る前のことだ。十年も前に数度しか言葉を交わしていない。王族としての名前は知っていたが、顔が一致するひとはいなかった。
「公爵家の末のお子様としか……どのような方でしたか?」
「覚えていないか」
残念そうな兄の口調に、気まずさを感じながら頷いた。
「アレクはお前の事を良く覚えているようだったぞ」
「そう、ですか」
「まあいい、アレクは元々剣に秀でていて、今や我が国一の腕だ。この大国でどこまで通用するか、わたしも楽しみにしている。お前も見てやってくれるな?」
「はい」
そして夜会の事について。
「ダンスが少々不安です」
もう五年も踊っていない。
「では練習の時間を設けねば。リューンの王女が相手の足を踏むような無様な真似は出来まい」
昔は付き合わされて良く足を踏まれたものだと兄は笑う。その言葉に昔を思い出し、ミスリルは頷いた。
侍女の手配で楽士を呼び、兄を相手におさらいをした。初めはうろ覚えだったステップも、数曲踊るうちに思い出し、軽やかなものとなる。
「思い出したようだな」
兄の声に応え、くるりと身をひるがえす。リズムを刻むうちに心が浮き立っていく。跳ねるようなステップに足が縺れ、笑いながら抗議した。
「待って、お兄様、足がついていかなくて」
それに構わず踊り続けながら、兄が優しい声で言った。
「やっと楽しげなリルに会えた」
「……おにいさま?」
「何が楽しいのか、一日中庭で歌い踊っていた、あのころのリルが帰ってきたようだ」
そう、元来ミスリルは明るく活発な娘だった。この国に来てからは、それすらも忘れていたのだ。
予告編みたいな章になりました。
固有名詞については、完全に語感だけで決めてます。ので結構めちゃくちゃ。