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18 晩餐



 身支度の合間に掛けられる侍女たちの賛辞は、女主人が機嫌よく出かけられるようにと配慮されたものだということを、王族であるミスリルは知っている。そしてそれにいちいち反論するのは女主人として大人げない行動であることも。

「本当に素敵な御髪ですこと、陽の光を浴びたところも素敵ですけど、卓上の揺らめく灯りにもきっと映えますわ。結い上げてしまうのが惜しいくらい」

「お肌が綺麗なので化粧にも力が入ります。香りは如何なさいますか?薔薇?百合?ガーデニアなどもこの国の令嬢方には人気でございますが」

「田舎暮らしだったので疎くって。選んでいただけますか」

「では薔薇を。お食事なので控えめにつけましょう」


 ドレスを着つけられた後、香りに合わせて、庭園から薔薇の花が取り寄せられ、髪に飾られた。いつの間にか大粒の宝石をちりばめたネックレスが首を飾り、耳にもイヤリングが付けられる。薄青のドレスに合わせた品の良い物で、鏡に向かったミスリルはついこの間までの自らを思い出し、あまりの違いに苦笑した。

 最後に、五年間肌身離さなかった指輪を嵌めた。薬指には緩すぎたので、中指に位置を変える。

「お綺麗でございます」

 侍女たちの言葉は、戦地へ赴く兵士へのそれに似ていると、ミスリルは思う。


 寵姫であったエイダ様がお亡くなりになってから、誰も側に寄せないと言う話は、侍女たちからも聞いていた。

「なのでようやく、という思いです。ミスリル様ならきっと、陛下のお心を捉えることが出来ましょう」

 五年前に一度だけ会った、自信に満ちた華やかな方。自分がその方に代わることが出来るなどと思ってはいない。おそらく政略的なもの、そして放置していたこの国の落ち度を隠すために、丁重に扱われているにすぎないと思っている。今宵の晩餐についても、周囲にミスリルが側妃として扱われることを知らしめるためなのだろう。

 兄は距離を置けと言った、そうして時間を稼ぎ、ミスリルが国に帰れるよう交渉するつもりなのだと。それが国の為になるのだろうか、ミスリルはまだ判断できない。

 とりあえずは国王に対面して、出方を見なければ何とも言えない。

 五年前に輿入れしたはずの夫に会うのに、母国の事しか考えない自分に、ミスリルはまた苦笑する。

「如何しましたか」

 先導の侍女が訝しげにこちらを見遣る。

「いえ、なにも」

 言った瞬間からミスリルは表情を作った。小国の王女として、隙のない笑みを顔に張り付ける。



 晩餐の席は北の宮の中に設けられた。勧められた席に着いて国王を待つ。

「祭りの前で案件が立て込んでおりまして、しばしお待ちくださいませ」

 同じ言葉を数度同じ侍従から聞く。鷹揚に見えるようゆっくりと頷くが、内心は生きた心地がしない。

 完璧にセッティングされたテーブルの、飾りの一つにでもなったかのように、背筋を伸ばして待ち続けていたミスリルに、ようやく先触れが届き、席を立ってこの国一の権力者を出迎える。

 部屋からついてきた侍女が身なりを確認し、またお綺麗でございますと掛けた声に淡く笑みを返して、深い礼の姿勢を取った。


 ドアが開き、人の気配が近づく。下げた視線の先に、贅を凝らした靴が見えた。

「本日、療養より戻りましたミスリルにございます。陛下にはお忙しい中お時間をお取りいただき、恐縮でございます」

「ご苦労、顔を上げよ」

 口元に笑みを意識して、ミスリルはゆっくり顔を上げ、ぴたりと目が止まった。

 声を上げず、表情を変えなかった自分を褒めたいと思う。驚いたが、昼間の王弟殿下の顔を思い出し、ああ、なるほどとも思った。



 なぜ“あの人”なのか。いや、なぜ国王陛下があの家に住む自分に、姿を変え供も連れずに会いに来ていたのか。疑問が体の中を駆け廻る。先程とは違う緊張が、身体にぴたりと張り付いた。









「陛下、そろそろ北の宮へ。もう刻限を過ぎておりますれば」

 侍従の言葉にクラウドは羽ペンを持つ手を止めた。

「この後はわたくしで充分でございます。陛下は明朝までゆるりとお休みくださいませ」

 傍らで書類に目を通していた宰相が、あくまでも淡々と声を掛けてくる。しかしそのうちに込められた意図は、煩いくらいにクラウドに伝わる。

「さあな、明日もまた忙しい。仕事を残すのは得策ではないから、また戻るつもりではいる」

 そう告げると、あからさまに肩を落とす。

「妃と言えどまだお目にしていないからでしょうな。でもきっと、お会いしたら気も御変わりになるでしょう」

「宰相は出迎えたのだったな」

「はい、妻よりの手紙で知ってはおりましたが、百聞は一見にしかずとは正にこの事。輝くように美しい姫様にございました」

 宰相の言葉にあえて反応せず、クラウドは執務室を出た。護衛が慌てるほど足早に歩きながらも、どのような面で会えばいいものかと思案する。

 どちらにせよ晩餐の間は、使用人たちの手前表向きの言葉しか掛けられぬ。すべては姿を見てからと腹を決めて、側妃の待つ部屋へと入った。



 貴婦人と言うべきなのだろう。夜会よりはやや控えめな、それでも充分に贅を尽くしたドレスに身を包んだ小柄な身体が、頭を低く礼を取って控えていた。帰城の挨拶のあと、ゆっくりと上げた顔に、どう応えたらいいのかも決めかねながらも対峙する。

 妃として目の前にいる娘は、クラウドの顔を見て一瞬だけ目を瞠った。おそらくは気付いたことだろうと思う。しかし次の瞬間には、もう微笑を張り付けた仮面を被る。ああ、この娘も生まれた国を背負っているのだと、クラウドは理解した。


 今まで見たことも無いほどに美しいと、飾らない時でさえ思う程だった娘だ。それが丁寧に磨き上げられてクラウドの目の前に妃として立っている。しかし表情から感情は透けず、肩の線は強張っている。これ以上ないほど整った顔が、天才職人が魂を傾けて世に送り出したかのような、精巧な人形を思わせる。


 



「もう身体の方は良いのか」

「五年間かけて、ゆっくりと治してまいりました。今のところは」

「……ならばよい」


「宰相様のお屋敷で、たくさんのドレスや靴、それに装飾品を誂えていただきました。ありがとうございます」

「礼には及ばぬ」

「……はい」



「帰城早々ではあるが、夏至祭が近い。病み上がりの身で苦労を掛けるが、最低限の行事には出るように」

「かしこまりました」

「明日にでも女官長から日程と心構えを教わるがいい」

「はい」



“療養先から戻った側妃を労わる国王”と、“それに感謝する妃”を装った会話が、途切れ途切れに交わされる。しかしすぐに沈黙が部屋を包み、空気の重さに支配される奇妙な宴だった。妃も食が進まず、目線が卓から上がらない。

「久しぶりの城で疲れたか」

 投げた言葉に顔を上げたものの、ずいぶんと長い間迷った挙句の返事は、聞き取れぬほど小さいものだった。

「…………はい」

「そうか」




「久しぶりの城で疲れたか」と訊かれた時、兄の言葉を思い出し、迷った。

“疲れた”と言えば、その日のうちに名実ともに、と言うことは無くなるのか。でもこちらの都合など斟酌されることはないと弁えたほうが良い。疲れたなどと口に出すのは不敬ではないのか。

 考えあぐねてミスリルは、卓を挟んでグラスを手にしている国王の姿を見詰めた。

 表情から、何を考えているのか推し量るのは難しい。子供の時分からベールを被って他人と距離を置いた王女にとって、こういった駆け引きのような会話は経験がないのだ。しかも国王は、快も不快も表情に出さない。それがなおさら、威圧的だ。

 国王がじっと、ミスリルを見ている。その視線が、迷いも恐怖も見透かしているようだ。

「…………はい」

 嘘はつけなかった。吐いたところで、分かってしまうのではと思う。

「そうか」

 短い返事では、国王が何を思っていたのかを推測すらできない。







 互いに進まぬ食事をようやく終え、最後の皿を下げる時に妃が給仕に何かを小声で告げた。

「何を言ったのだ」

 クラウドの声に妃は戸惑いながら、答えた。その声は先程よりもしっかりとしていた。

「ほとんど食べられなかったので、申し訳ないと伝えました」

「ふむ」

 そのようなこと言わずとも、と思ったが、些末なことと受け流した。



 人払いをして二人きりになって、初めてクラウドはミスリルに今までの事を謝罪した。

「宰相の策略だったとはいえ、それを企んだのは私が付け入る隙を与えていたからだ。そして粛清の際にそなたの事を思い出しもしなかった。非はこちらにある」

 妃は黙ってそれを聞いていた。顔も歪めず、姿勢よくまっすぐに前を見てすべての言葉を受け止める。その一方で、クラウドの耳に心地よい返事もありはしない。謝罪を受け入れたのか、受け入れたくないのかさえクラウドには分からない。

「しかしこの事実を表沙汰にしても、両国に益は無い。そなたも口さがない者たちの話の種になるのは不快であろう。今のところ事実を知っているのは私と宰相、騎士の一部、そなたの兄上だけだ。他の者に話す必要はない」

「……心得ましてございます」

 臣下としての受け答えは、側妃として正しいものだ。なのになぜ自分はこれほどまでに苛立つのかとクラウドは思う。


 そしてまだ決めかねていた。この後も目の前の娘を、妃として扱うか否か。己が手を伸ばしさえすれば、否を言うはずがないことは分かっている。そしてそれが、同盟を保つのに不可欠なのだと言うことも、王としての正しい解なのだ。

 そして娘は、自分が妃だと(わきま)えている。なにを迷うことも無いのだ、手に入れてしまえばいい。王である自分の義務で、権利だと。

 なのにそれを後ろめたく感じてしまうのは、どうしてなのか。



 話が弾むことなど、最後まで無く、クラウドは席を立った。二人きりなので妃の立席を介添えするのは、自らの役目である。

「恐れ入ります」

 そう言って差し出した手に乗せられた指先に、森で見た指輪が光るのを見て、死んだ者への憎悪が噴き出した。

「これは」

 クラウドの目線をたどり、妃は首を傾げた。

「城を出る時に頂きました。側妃であることの証だと」

「そのような覚えはない」

 妃の細い手首を掴んで、クラウドは薄青い石の嵌った指輪を毟り取る。

「あ」

 そのまま床に叩きつけると、絨毯の上で一度跳ね、椅子か卓の陰に紛れたようで、指輪は二人の視界から消えた。それを目で追っていた妃の指先が、クラウドの手から落ちた。


「―――すらも―――ですね」


「何と言った」 

細い声が聞き取れず、クラウドは訊き返した。



「……指輪すらも、嘘なのですね」


 絞り出すような声を上げ、妃はクラウドを見上げた。

 王族としての儀礼的な笑みは消え失せ、口元は歪み瞠った目は潤んでいる。


「望まれてもいないのに輿入れをして、嘘の理由で隠されて、証と渡された指輪すらも偽りで……嘘ばかりなのですね」



 盛り上がった涙が、一筋頬を伝う。思わず延ばしたクラウドの手が届く前に、妃は身を引いた。

 強張り震える妃の身体に、自分への憎しみを痛いほど感じ、触れることは出来ないとクラウドは目を瞑る。


「…………詮無きことを申しました。お許しください」

「いや、気にする事は無い」

 自らの立場を思い出し、謝る妃がいじらしいと思う。

「遅くまで引き留めてすまない。ゆっくり休むがよい」


 クラウドは妃に背を向けた。扉の外に待機していた近衛に、部屋まで送り届けるよう言い付けて北の宮を離れ、執務室へ戻る。


 五年前の馬鹿な国王を殴りたい。長い間、人ひとりを踏み躙り続けて気付きもしなかったのは他でもない自分なのだと、痛いほど思い知らされた。

 触れることが出来るなどと、僅かにでも思っていた自分が愚かすぎて笑えてくる。


 


 償わなくては、でもどうやって?自問自答しつつ夜は更ける。

 明日からはまた賓客が増える、国を挙げての祭りが終わるまで、妃との時間を取るのが難しいことは解っていた。そのことに軽い不満を抱いていたが、今となっては救われた気持ちだ。


 何もかもは祭りが終わった後にと、忙しい国王は目の前の書類をめくり始めた。

 





 


微妙感漂う再会でした。


時間が取れなくて推敲が足りないままの更新です。変なところあったら教えてください。夜中にコッソリ直します。


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