16 姫、入城
数日間、ミスリルは宰相の館でもてなしを受けた。丁重だが、独りに慣れた身には落ち着かない。侍女や夫人がいちいち容姿を褒めるのだが、子供の頃からベールを深く被って生きてきた身には、それが心から出たものか、企みがあっての嘘なのかも分からない。
仕立て屋が話す言葉は、おべっかが混じることくらいは分かっている。
「限られた時間で作らなければならないのが残念でなりません。もちろん王都で最上級の生地ばかりを使いましたので、見劣りするなどということは決して。ですがもっと繊細な刺繍を施して、もっと凝った造りのドレスを仕立てたく思います。このような美しいお方に着ていただけるのなら、徹夜が何日続いても張り切りたくなるというものです」
「急がせてばかりで申し訳ありません」
「いえいえ、そのようなつもりでお話ししたのでは!私はただ、貴方様の美しさを引き立てるドレスを作らせていただき、光栄だとお伝えしたかったのでございます」
何と答えたらいいものか、曖昧に笑みを浮かべながらミスリルは疲れを感じていた。
仕上がったドレスは六着、どれも眩いばかりの出来栄えだ。それに手袋や靴などの小物も、たくさん届けられミスリルの眼前に運ばれる。意に染まぬ物は告げて欲しいと言われるが、最新流行も分からぬミスリルが選べるはずも無い。
「ちょっと数が多いのでは?」
「まあ、何をおっしゃいますやら。まだまだ足りませぬ。衣裳部屋ひとつを満たす数だけ作るようにとの仰せにございますのに」
「あの、その命はどなたが?」
「もちろん陛下にございますわ。さあミスリル様、この次は夜会服を御造り致します。どの生地に致しましょうか。御髪に映える色を見つけませんと」
鏡の前で仕立て屋が次々と生地をあててゆく。小柄な身体の割に長くひょろりとした手足、この国の人よりも白すぎる肌、同じ人のいない髪の色。どこが美しいというのか。賛辞を目の前に人知れず溜息を吐く。
「リューン国へのお手紙は今日中に届くでしょう。五年ぶりの入城にきっと父王様も御安心なさいますよ」
「だといいのですが」
ようやく体裁が整ったところで、ミスリルは兄に伴われて城に向かった。宰相家からの馬車の中で、窓越しに王都の様子を見て息を呑む。
「街にはずいぶん人が多いのですね」
「ああ、リューンとは大違いだな。でも、日頃はこれほどではないはずだ。祭りを前に、国内外から見物客が押し寄せているから、賑わっているのだろう」
「祭り?」
「夏至祭の話を聴いたことは無かったか?夏至の前後十日間にわたって開かれるイスタルド最大の祭りだ。今年は他国からの招待客も多くて、王城はもっと騒がしいぞ」
兄の話に顔が引きつった。
「どうしましょう……」
「大丈夫だミスリル、お前には疾しいことなど無いのだから、堂々としていろ。リューンの王女として、胸を張れ。それに、お前を今か今かと待っている方がいらっしゃる」
その言葉に首を傾げた。今更国王陛下がミスリルの登城を待っているなどとは思っていない。では誰の事だろう。
「着き次第すぐお会いできるさ」
正門から入城、馬車を降りたところまでは五年前のあの日と同じだと思った。でもこれほどに、人は居なかった。
「おかえりなさいませミスリル様、本復を心よりお喜び致します」
にこやかに出迎えた壮年に差し掛かる年齢と見受けた男性は、宰相だと名乗った。歩み寄った途端に目を瞠り絶句する姿に身体が強張るのを感じたが、何とか笑顔で挨拶できたと思う。掛けた言葉に開けていた口元を慌てて引締めた宰相だったが、視線はまっすぐ顔に固定されていて、ミスリルは息苦しさを感じた。
「細君に任せきりでございましたが、滞在中不都合なことはございませんでしたか」
「いいえ、手厚いおもてなしで恐縮するほどでございました」
宰相自らの案内に、戸惑いながらミスリルは歩き出した。兄とその護衛が両脇を固め、さらには多くの騎士が前後を固めた状態で廊下を進む。何故自分がこれほどまでに手厚く遇されるのかも分からない。それに行きかう人々の目。必ずミスリルの姿に目を留めて、驚きの表情を隠さないのだ、貴族も、使用人たちも。
リューンでは限られた人にしか会わず、イスタルドに来てからは人に会うこともなかったミスリルにとって、知らない人々の視線は恐怖だ。身体が震えるのを止められなかった。
「リル、胸を張って。怯えていては侮られる」
兄が小声で囁く。すぐに姿勢を正し、前を見た。出会う人には目礼だけを返しながら、巨大な王城の長い廊下を歩き続ける。そのままきっと後宮に向かうと思いきや、西の離れに行くと兄は言う。
「イスタルドの後宮は四年ほど前に閉鎖された」
「え?」
じゃあ、エイダ様は?
「寵姫が病死して、嘆いた国王がそう命じたらしい、それ以来国王は側室はおろか、婢も側に置かぬと聞いている。城下では当時の悲劇が吟遊詩人に謳われている」
進むにつれ行きかう人の数が減った廊下を歩きながら、兄が教えてくれた。話の途中何か言いたげに宰相が振り返ったが、言葉を挟まずにまた前を向く。
「後宮を開くよう王命が下されましたが、夏至祭が終わるまでは手も付けられない状態で。ミスリル様にはご不自由でしょうが、それまではこちらでお過ごしくださいませ」
渡り廊下の突き当りに、壮麗な扉が立ちはだかっていた。
「あの、こちらは?」
ミスリルの問いかけに宰相が答えた。
「私どもは北の宮と呼んでおります。今はイスタルド王の祖母、マルグリット太王太后陛下のお住まいでございます」
「太王太后陛下……」
騎士たちによって扉が開け放たれた先には、本城より落ち着いた色彩の廊下が続いていた。そしてまた、ひとつの扉の前に一行はたどり着く。
「陛下は、ミスリル様の到着を、今か今かと楽しみにしておられました」
その言葉と同時に開けられた扉の奥は、大きな窓が印象的な広間だった。一段高いところ中央の大きな椅子に、白髪の女性が鎮座している。
「リューン国王女、ミスリルにございます」
「クラウドの妃、ミスリル殿ですね、はじめまして」
最上級の礼と共に発した言葉を柔らかく直されて、ミスリルは慌てた。
「あ、あの、申し訳――――」
「ああよいよい、そなたはこの国に来てからずっと療養していたと聞く。妃として遇してこなかった我が国にも非がある。頭を上げなさい」
慌てたのは挨拶の言葉を訂正されたからではない、目の前のお方の声だ。口調は彼女より柔らかで、のんびりとしたものだが、声そのものが。
中腰のまま頭を上げたミスリルは、目を瞠った。ふくよかな体型は全く似ていない。白髪を高く結い上げ、ゆったりとしたドレスに身を包んだ姿もまるで違う。ああ、でもお顔が――――――――
「リル?」
訝しげに兄が低く囁く。それに今は答えられない。
「どういたしました?病み上がりの身体にここまでの道中が辛かったのやも知れませんねえ。アンヌ、お部屋に御通しして」
側に控えていた侍女が、ミスリルに近づき、礼を取った。
「ここにいる間はあなた付きにした侍女です。他にも三名ほど。とりあえずは部屋に落ち着いて、後でお茶でも致しましょう。兄上様はこちらに。貴方にもここに部屋を用意させました」
にこやかな太王太后陛下にまた深く礼を取り、ミスリルは広間を後にする。
兄も去った後に残されたのは、宰相と椅子から動かぬ太王太后だ。
「あの子が、先の宰相が隠した娘かえ……なるほど」
「私もさきほど初めて会いましたが、驚きました」
「先の宰相とエイダの父親は通じていたのだろう?なぜあのような娘を差し出させて隠した」
「既に当人たちは故人ですし、周囲の者も粛清されていますから憶測にしかなりませんが」
宰相は簡単に説明した。ミスリルの容姿についての噂、いざ来てみたら真逆だったのに慌てて理由をつけ城から出したのだと。
「それならすぐに命を取るだろうになぜ……ああ」
太王太后は顔を顰めた。
「あれは有名な好色だったな。それで……。今回の事は貴族たちにはどのように?」
「五年間鄙の地で療養させていた側室が、本復したため城に戻すと先日の定例で。それからは蜂の巣を突いた様な騒ぎにございます」
「聞くに堪えない噂もあろう」
「そう……ですね。五年前に一晩しか後宮に留まらず、陛下の寵も受けぬまま城を出た側室の噂を思い出した者も多かったので、先の宰相絡みで何かと」
「そのようには見えぬが、口さがない者は多いであろう。姫には申し訳ないが早急に」
側の者に何事か囁く、頷き出口に向かう姿を目で追って、太王太后は溜息を吐いた。
「して、どのような顔なのだ」
「また御目が?」
宰相の短い問いかけに太王太后は浅く頷く。
「三歩離れると輪郭がぼんやりとしか分からぬ。近づいてもらっても顔は全く」
そうですかと相槌を打った後、宰相は言った。
「これほどまでに美しいひとを見たのは初めて、というのが正直なところです。人形のように完璧な美貌と言いましょうか」
「人形……それは褒め言葉ではなかろうに」
それから時をおかず、ミスリルの元に医師と、もう一人、老婆が差し向けられた。診察の後、行われたそれを、ミスリルは当然の事として受け、結果はすぐに太王太后の元へ届けられた。
太王太后は国王への使者に、声の大きな古参の侍女を選び、彼女は国王の執務室で、告げられた言葉を一字一句違えずに、朗々と声を張り言上した。
―――――この度、北の宮に入りました側妃ミスリル様におきまして、侍医の見立てを申し上げます。病は本復なれどお疲れのご様子。数日は御心安らかにと。その後の産婆の申す事に、ミスリル様はまごう事無く“乙女”である――――――
内容は光のごとき速さで王城中の人々の口に上った。五年もその地位にありながら乙女である側妃が城に入った。なぜこの時期に?
集まり始めた他国の者達も、この噂には驚きを隠せない。どういうことだ。側妃がいたなどとは聞いておらぬ。しかも乙女だと?
中途半端な情報は憶測を呼ぶ。あらゆる説が人々の間を飛び交い、それは勝手に尾ひれがつき、膨らみ、王城全てを覆い尽くしているといっても過言ではない状態。
ただひとつ、北の宮だけが嵐の只中の無風の如く、静けさに包まれていた。
城の噂など何も知らぬままミスリルは、太王太后の招きに預かり、兄と共に小さなサロンの茶会の席にいた。
「到着してすぐ、侍医の診察で慌ただしかったであろう。疲れはないか?」
太王太后の気遣いに、ミスリルは答えた。
「大丈夫でございます。ご配慮恐れ入ります陛下」
「ああ、畏まらずともよい。陛下ではクラウドと混同するであろう。私の事はマギーと」
「いえ、そのようなわけには」
「私が良いと言うておる。短い間だがこの宮では、家族のように打ち解けて欲しいものだ」
「……ありがとうございます。マギー様」
優しい言葉に、こらえていた涙が一筋こぼれた。
「リル?」
「どうかしたか?」
兄の差し出したハンカチで目を拭いていたのだが、太王太后はそれが解らない様子だった。
菓子や茶器を手に取るときに、僅かに探るような指の動きには気付いていた。
「目が、悪くてな」
笑みを崩さずに、太王太后が言った。
「この齢だからあちこち悪くしておるが、目が一番困るものだ。白そこひ(・・・)が年々進んで、今や擦りガラスを通して物を見ているようなのだ。ただでさえ退屈なのが、こうなると殊更でな。そなた達を招いたのは年寄りの退屈しのぎよ、他意は無い。若い者が来てくれると華やいで良い。ここは王城と違って煩いことをいう者もいない故、祖国に居る如く気楽に過ごしてほしい」
ミスリルは震えそうになる声を無理に抑え、兄が感謝の言葉を述べたのに続き、小さな声で返事した。太王太后の率直な物言いに、確信を深める。でもそれを言っていいものなのか。
「どうしたのだミスリル」
怪訝な兄の問いかけに、笑顔を作り答えた。
「マギー様のお言葉に、感激してしまって」
「そうか」
言ってしまえば取り返しがつかない、今はまだとミスリルは判断し、胸に留める。
この国の太王太后は、ミスリルが三年間生活を共にしたひとに、あまりにも良く似ていた。
「おや、騒がしいね」
太王太后の言葉にドアを見ると同時に扉が開いた。
「おばあ様のお見舞いに参りました」
ドアを開けて入り込んできたひとは、そう言いながらも珍しそうにミスリルを見詰める。
不躾な視線に耐えられず、ミスリルは俯いた。
「せっかく来たのに顔が見えないのは困るな。顔を上げて」
「まったく貴方ときたら」
挨拶を先に致せ、と叱られて、闖入者は礼の姿勢を取る。その姿は優雅であった。
彼も誰かに似ていると、明るい茶の髪を見詰めてミスリルは思った。
また非道な目に遭っていますね。どんだけかと。
手直しが甘いままの更新になります。直せるのは週明け。何かありましたら教えてください(汗)
追伸:と言いつつすぐに誤字と重複表現直したので(改)付きです。