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15 姫、森を出る

前半姫視点、後半兄視点です。






「ありがとう、お兄様。でも、その気持ちだけで充分です」

 祖国へ帰ろうなどと言う兄を、ミスリルは信じがたい思いで見つめた。そんなこと、リューン側から望む事も出来ないのに、どうして。

「私は本気だよ、ミスリル」

 ミスリルは首を振る。そのような無茶をさせることは出来ない。小さき祖国の運命などイスタルド王の胸先三寸でどのようにでもなってしまうのだ。それを分からない兄ではないのに。

 懐かしい再会から僅かの間で、ミスリルの胸中に不安の種が増えた。




 大国の騎士たちの中でも年長らしき人物が、二人に近づき恭しく挨拶をした。ミスリルを迎えに来た騎士団の長・トウル男爵と名乗る。

「ウィル、とお呼びください」

 年齢の割に威圧感がない物腰で、今後のことをあれこれと話し出す。

 森を出て、王城へ。その前に準備の為に現宰相のサリエリ侯爵の屋敷に数日滞在するらしい。

 兄を見上げると、眉を寄せ苦い顔だった。

「そのような成りで王城に王族が入るなど、物議になること間違いないからな。一応の体裁は整えるつもりなのだろう」

 小声での言葉には、イスタルドへの憎しみが含まれている。


 騎士の一人が衣服の包みを差し出す。まずは着替えろということだろう。それに異存はない。でもその前に。


 家畜小屋に向かう足を、兄が止めた。

「ミスリル、どこへ」

「昨日の午後から何も食べさせて無いの。山羊も鶏もきっとお腹を空かせているわ」

 兄の顔がみるみる険しさを増す。

「家畜の世話までとは……そのような卑しい仕事まで」

 強い力で腕を掴まれ、ミスリルは顔を顰めた。

「兄様、離して」

「そのようなこと、もう二度としなくても良いのだミスリル」

 掴んだ腕を兄は引き寄せ、ミスリルの指先を見て呻いた。

「王家の娘がこのような荒れた手を……」

「お願い兄様、離して」

 一晩空腹だった家畜たちが心配だ。山羊も乳が張っているに違いない。いったいどうしたらと困り果てたミスリルに救いの声を上げたのは、意外や騎士団長だった。

「ご心配には及びませんよミスリル様。朝早くに寝藁も取り替え、草も与えてあります。乳も絞っておきましたので」

 視線を向けたミスリルに、騎士団長は人懐こい笑みを浮かべた。

「朝食として山羊の乳、それに厨房に合ったものを失敬致しました。申し訳ありません」

「いいえそんな……ありがとうございます団長様」

「ウィル、と。陛下もそのようにお呼びになっていますので」

 そんな恐れ多いと、ミスリルは首を横に振った。騎士団長は表情に残念さを僅かばかり滲ませ、話を変えた。

「わたくしは元々庶民の出なので、家畜の世話にも心得がありまして。とりあえずこの家の事を任せる者を差し向けましょう。姫様の丹精したものを朽ちさせるのは忍びない」

 騎士団長は畑に目を向けて言った。茂った葉が青々としていて、早朝に水やりをしてくれていたことが分かり、ミスリルは安堵した。


「ありがとうございます」

 心を込めての礼に慌てたのは騎士団長だ。

「ミスリル様、そのような。頭をお上げくださいませ」

「リルゥ」

 兄の不機嫌な声が話を止めた。

「すぐに支度を。森を出るぞ」

「はい」


 騎士が持参した衣服は、修道衣だった。目立ちすぎる髪の色を配慮しての事なのだろう。

 ミスリルは、ひとり家の中に入り、着替えてから家の中を眺めた。

 布袋に自分の衣服を詰めたが、おそらくこれは処分されてしまうだろう。あとの私物など、ミスリルにはほとんどない。これだけはと、お前の物と魔女様から言われた本を三冊、籠に収めて手に持った。



 兄との再会から一時間も経たぬうちに、ミスリルは住み慣れたところを発つ。兄と共に乗った馬が歩き出した時に家を振り返った。

 違う高さから見たそれは、もうミスリルを拒絶しているかのように感じられた。


 森の入り口で紋章入りの馬車に乗り換え、現宰相であるサリエリ侯爵家に着いたのは昼もかなり過ぎたころ。馬車が到着してすぐに、貴婦人が一行を出迎えた。

「サリエリ侯爵が妻、イレーヌにございます。内々のご訪問にて、無礼な点もございますがご容赦くださいませ」

 口さがない使用人を下がらせているのだろう。室内にも人影は少ない。


 まず、兄たちと別室に通されたミスリルは、身を清められ、入念な手入れを施される。

そして「間に合わせで申し訳ないのですが」という言葉と共に、しばらく目にしたことも無かった豪華なドレスを着つけられて、髪を丁寧に結われた。


「なんて細い腰なのでしょう、コルセットなどいらないのではと思う程でございます」

 そう言われて緩めに着せられたが、紐で締め上げる下着は、やはり窮屈だなと思う。

「まあまあ、この御髪の色。まるで山の上に降り積もって光を受けた新雪のように見事」

 このように陰り無く褒められるというのが不思議だ。銀の髪は不吉なのではなかったのか。

「このように美しい姫様のお世話をさせていただけるなんて、光栄でございます」

 侍女たちが誉めそやして、ミスリルから何とか笑顔を引き出そうと四苦八苦してくれるのは分かっていた。それに応えようとするが、ぎこちない笑みしか作れない。今まで人と話さない生活が長かったので、どう答えていいものかいちいち迷う。

「さあ出来上がりました。殿方の反応が楽しみですわね」


 鏡に映っていたのは、五年前には馴染みだった、王女としての自分。なのに現実感が薄いのはどうしてなのだろうとミスリルはぼんやり思った。

 

 身体に会わないドレスの上からショールを羽織り、少し大きな靴で慎重に歩いて兄の元へ案内された。

「ああ、やっとリルに会えた気がする」

 先程の姿は、それは酷かったからねと微笑む兄に、ミスリルは意識して微笑んだ。

「本当のところは私もこの館で共に居たいのだが、騎士たちと共に行った王城へ戻るつもりだ。宰相夫人に良くお願いしたから、ゆっくり疲れを癒すがいい」

 兄はそう言って、ミスリルの額に口付けた。

「なにか欲しいものは無いか?すぐに手配させよう」

「そんなこと思いつかないです。……あ、でも」

「なんだ?何が欲しい」

「いえ、お父さまに手紙を書きたいのです」

 兄は動きを止め、それから戦慄く口元を引き締めるように、笑った。

「そうだな、一刻も早く報せねば」



 それからすぐに、兄は侯爵家を発った。ミスリルは父に宛てた手紙を書こうと、用意された文机に向かう。

 

―――――長い間ご心配をおかけいたしました。訳あって手紙もままならぬ環境でしたが、元気に過ごしておりました。お兄様にもお会いできて、――――――


何を書けば良いのか、どこまで書いて良いのかミスリルは迷う。兄の怒り様が気になって仕方がない。

「リューンまでの早馬を手配致しました。お手紙が出来次第届けさせますね。……ミスリル様?」

 様子を見に来た宰相夫人が、固まっているミスリルに声を掛けた。

「お具合でも悪くなされましたか?」

「あ、いいえ、なんでもないの」

 羽ペンを手に、ミスリルは言った。

「そうですか。では、この後仕立て屋をお呼びしてもよろしいでしょうか?急ぎドレスを仕立てるようにと命が出ておりますので。この美しい髪にはどんな色が映えるのか、想像するだけでもときめきますわ」

 品のいい笑顔を向ける夫人に、ミスリルは訊いた。

「この髪の色、民の間では不吉なのだという話ですが……」

 にこやかだった宰相夫人の、形の良い眉があからさまに上がる。

「まあ、誰がそのようなでたらめを。わたくし、聞いたこともございませぬ」

「……本当に?」

「ここの使用人全てに訊いても同じ答えでございますよ。もう貴婦人の姿に戻られたのですから、手の空いた使用人全部に御引き合わせて聞いてみましょうか?」

「いえ、そこまでは」


 書き終わりましたら声を掛けてくださいねと退室した夫人を見送ってから、ミスリルは溜息を吐いた。何がどうなっているのか、さっぱりわからない。兄は明日も来ると言っていたので、その時に訊くべきだとは思った。でも、


 森へいた頃よりも、さらに寄る辺なき身になった様な不安に、ミスリルは包まれている。








 騎士たちと王城に戻った兄は、そのままウィルが国王に報告する場にも同席した。

「では無事に保護出来たのだな」

「はい」

 国王の執務室に他国の王族が入るなど異例だが、誰にも咎められはしなかった。何か言いかけた文官を、国王が目で制したのは分かったが。

 昨日、二人きりの時の謝罪の様子から見ても、国王がこの件を悔いていることは明らかだが、却ってそれが兄には恐ろしく感じる。

「あの陛下」

 報告が終わった時点で宰相が話を切り出した。

「ミスリル様のお部屋についてなのですが」

 宰相の説明を、国王は表情も変えずに聞く。

「後宮はもう四年間も閉鎖されたままで、数日で貴人を受け入れる状態にはなりません。何より夏至祭に使用人たちも忙殺されていて、今手を付けるわけにも。客室は全て塞がっていて、格の低い客には、貴族の館や王都の宿で許していただいている状態です。夏至祭終了まではどうにもなりません」


 たとえ客室が空いていても、この機会に来場した正妃を視野に入れている令嬢たちと、ミスリルを同じ扱いにするわけにも……と、歯切れの悪い言葉が続く。

「ならば我が部屋の隣が空いているだろう」

「「なりません!」」

 兄と宰相の声が被る。お互いが発言を譲り合い、まずは宰相が国王に反論した。

「夏至祭を機会に、正妃を娶らぬ国王陛下に令嬢を売り込むつもりの国や諸侯も多いのです。そのような時期に正妃の部屋をお使いになるなどと。昨日から隠れていた側室が城に戻ると聞いた臣下たちが大騒ぎですのに、これ以上のことなど」

「そのとおりです陛下。ミスリルはあくまでも側妃、しかもまだ手も付いていない白き結婚で五年もの間療養していた。正妃の部屋は荷が重すぎましょう。なにせまだ、“病み上がり”なのですから」

 最後の“病み上がり”を強調して、兄は話を閉めた。国王も宰相も困惑の色は見せたが、反論できないのを見越しての事だ。部屋には数人の文官が、姿勢を崩さずに話を聴いている。滅多なことは口に出せまい。

「夏至祭の間は慌ただしいでしょうから、祭りが終了してからの入城でもよろしいのでは?」

 やや行き過ぎた提案ではあるが反論できないだろうと、兄はほくそ笑む。自分が動けるのも夏至祭の終了まで。それまでミスリル本人が城に入らなければ、話はもっと運びやすくなる。

 国王はなかなか返答しない。この王が既に妹と出会っていることを聞かされていない兄には、五年間も忘れていた側妃になぜこれほど拘りを見せるのかが分からない。出来れば顔を見ぬうちにどこぞの娘に惚れてくれないものかと願っている。各国の令嬢が集う場なら、一人くらいはこの国王の好みに合う娘も居るだろう。


「いや、それは」

 国王が何か言いかけたのを遮るように、ドアがノックされた。そして返事も待たずに開く。

 現れた人物は、誰にも無礼を咎めることが出来ないひとだった。他国の王子である兄にも、一目見て分かるくらいの。

 その方は、杖をつきながら室内に入り、慌てて侍従が用意した席に腰を落ち着けると、じっと国王を見据えた。そしてゆっくり話し出す。

「昨日からずいぶん騒がれているけど、クラウドの妃が来るのだとか。部屋が無いと女官長が困っていたから、年寄りがお節介に来たのだよ。夏至祭が終わって後宮が開くまで、妃はわたしが預かろう」

 その方は、穏やかな、でも有無をも言わせぬ口調で宣言した。国王はほんの少しだけ考えて、溜息と共にそれを了承する。

「おばあ様にはご迷惑でしょうが、しばしの間だけお願いいたします」

「久しぶりににぎやかになって私も嬉しい。侍女たちも若い娘の世話がしたくてうずうずしているようだからね」

 国王が唯一敬語で話す方は、気さくな口調で鷹揚に頷いた。

 次に視線を向けられた兄が跪き、敬意を込めた挨拶と自己紹介を行うのを笑みながら受けて、彼女は手の甲を差し出した。

「始めましてリューン国王子。リチャードと呼んでもいいかね。知ってはいる様子だが名乗っておこう。私はこの国王の祖母、マルグリットだ」


 自らの手を恭しく押し頂く他国の王子に、イスタルドの太王太后(たいおうたいごう)は笑みを深くした。

 





太王太后は現国王の祖母。日本語だと太皇太后が正解ですが、イスタルドは皇帝じゃなくて国王なのでこっちの名称使用します。新キャラ二号♪敵か味方かそれは次回以降で。

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