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13 樹上の姫・後



 雲が厚くなってきたようだ。月の光は差し込まず、暗闇に囚われて目の前も見えない。このまま闇に身体が溶けてしまいそう。溶けた後は魂だけが残るのか、いや、それすらも怪しい。こんな夜は自分の存在が不確かに感じて仕方ない。

 朝が来たら、自分がひとではないものに変わっているのではないかとまで考えてしまう。


 御伽話の読み過ぎかもしれない。お話と現実の区別がついていないと、小さな頃兄に笑われたのを思いだした。

 

 そうだ、あの人は“ひと”だったのだろうか。わたしもあの人も“ひと”でないものだとしたら。


 竜、そう、竜かも知れない。現実には居るはずも無い想像上の黒い竜。母に何度もせがんだお話の黒い竜。


 また御伽話に考えが飛んでしまった。からかう人などいないのに、恥ずかしくてくすりとミスリルは笑う。小さな声は大木の葉擦れに紛れ、自分の耳にすら届かない。

 眠れないミスリルは、“あの人”の事を考え続ける。孤独だった二年間を経て、久しぶりに会った人間だ。忘れようにも忘れられずに、姿や立ち居振る舞いすべてが、鮮やかにミスリルの中にある。





 飛び立つ鳥に怯えて半日隠れていた後、家に誰かが入り込んでいたことに気付いて警戒を強めていた時に、あの人はやって来た。

 声も掛けずに近づくのだから、悪い人なのだと土を投げて逃げたら、犬に追われて髪を見られてしまい、ついには剣まで振り上げられた。あの時はイスタルドに来て初めて、死ぬかもしれないと思った。 せめて王族らしく、潔く剣の露となろうとしたのに、振り下ろされなくて。

 絞るような声で謝罪されて、そこで初めて顔をあげてあの人を見た。

 魔女様が亡くなってから、初めて見る人間。突然現れたあの人の顔は、今でも目に焼き付いている。


 大きな人だった。戦士のようにがっちりとした体つきで、黒く短い髪の先が無造作に遊んでいたが、だらしない印象は受けなかった。灰色の瞳が鋭く光り、しっかりとした鷲鼻と薄い唇。整ってはいるが甘さの無い、厳しい印象を受ける顔だ。服装は庶民のようだが、生地の質が良いように思う。若くして重用される騎士、それとも歴戦の勇者といった風情の人間に思えた。


 道に迷ったなどと言われ、水と食べ物を与えてしまった。魔女様がいたら叱られたかもしれない。でも、誰もいない森の中で水は泉まで行かなければ見つからないだろうし、慣れていない人が彷徨えば夕刻までに森を抜けられない。一人歩く途中に空腹だったら、さぞ惨めな気持ちだろうと思ってしまったのだもの。

 もう来ないでほしいと言ったのに、あの人は再びここに来た。

 魔女様の墓の前で佇んでいるので、もしかしたら(ゆかり)の方かと思ったら違っていて。追い返せばよかったのにお茶を勧めるなんて、私もどうかしている。名と事情を訊かれて我に返り、もう来ないでと今度はきつく言ったのに。


 なのにまたあの人は来た。ここからわたしを連れ出すと、不自由ない暮らしをさせると言って手を差し伸べる。

 その手を取るわけには、いかない。

 

 この人に身を任せるわけにはいかない。国王の元には純潔のまま辿り着かなければ、この国に来た意義を失うのだから。魔女様が何度も言い聞かせたように、簡単に男の人を信用できる訳にはいかないのだ。

 夫がいると言い、指輪を突きつけると、あの人は諦めて去って行った。おそらくもう、ここに来る事はない。これで終わった、ドアに凭れたら力が抜けて、ミスリルは長い間へたり込んでいた。


 気配が無くなったのを確かめてから、外に出た。あの人が立っていた場所に、白い薔薇が打ち捨ててあった。花は踏み躙られて、僅かに青みを帯びた白色が、土に(まみ)(しお)れていた。

 指輪を突きつけた時に大きく見開かれた目を思い出した。勝手なことを言われたはずなのに、あの人は傷ついただろうかと胸が痛む。


 安心していいはずなのに、その日は一日、泣いた。



 警戒しながらも話した、少ない言葉が頭から離れなくて。ミスリルが作った物を口にした時の、素直な賛辞と緩む口元が忘れられなくて。

 ようやく、独りに慣れたはずだったのに、ほんのわずかな出来事がとても温かかったから、それがもうないのだと思うと辛くて、悲しくて。



 あの時、あの人について行きたかったのだと、今更ながら気づく。何のためにこの国に来たのか、リューンを守る盾になるつもりだった決心を、寂しさがいとも簡単に壊す。自分の弱さが情けない。

 

 どうしたらよかったのだろう。あの人に自分の身分を明かしたら、信じてくれただろうか?銀髪の娘が国王の側室になるなど、この国ではありえないのだろうから、一笑に付されたかもしれない。でも、この髪が不吉だと、あの人は知らなかった。

 外つ国の方?いや、宰相である侯爵の死によって、この森は自分のものになったと言っていた。ならば侯爵家の方、後継?それとも血縁で財産をもらったのかも知れない。

――――――もしかしたら、大国の間で戦があって、イスタルドが滅びた?そしてあの人が戦勝の褒美にここを貰い受けた?

 まさか。

 昨日押しかけた騎士たちは、イスタルドの者だと叫んでいた。私の名も知っていた。


 ああ、外の事が分からない、あの騎士たちを信じたら、王城までたどり着けるのだろうか?でももし罠だったら…………

 希望的な観測はすぐに甘い考えだと打ち消してしまう。悪い方へ悪い方へ考えが流れる。






 ぼんやりと指先が見えてきた。狭い小屋の中の様子も、おぼろげながら分かる。

 朝が、来る。


 おそらく騎士たちは家の周辺を探すだろう。ここは見つかりにくいと思うけど、大丈夫だろうか?場所を移動するべきか悩む。食べ物が無くても二三日は持つと思うが、喉の渇きはどうしよう。騎士たちが起き出す前に泉へ行こうと外を見た時に、家のドアが軋んだ音を立てた。まずい。


 それから小屋の中で身体を横たえて、時を稼いだ。諦めていなくなって欲しい。そうしたらとりあえずの食糧をどこかへ移して、しばらく身を隠そう。喉がカラカラだ、お願いだから早く消えて。


 ざわざわと小さな声が次第に鮮明に聞こえてきた。また人がやって来たのか。しらみつぶしに探すつもりなのか。どうしよう、見つかるかもしれないと身を縮めて耳を澄ます。



「このような寂しい処に居たと言うのか。しかも一人で?ああ、なんて惨い」

 何人かが話している中で、その声だけがはっきりと耳に飛び込んでくる。

「見つからないだと?これだけの人間がいて、娘一人何故見つけられぬのだ。いったいあの子はどこで夜を過ごした。獣に襲われていなければ良いが」

 珍しく苛立った声音。でも間違いない。きっとそうだ。

 もう二度と会うことも、もう聞くことすらできないと思っていた懐かしい声。

「リル!どこにいる!私だ、リチャードがここに来た!何も案ずる事は無い!」

 大声など上げることが無かったひとなのに。そんなに叫んだら声が枯れてしまう。

「リル!どこだリル!出てこい!リル!」

 縄梯子を慌てて降ろし、何故もっと速く身体が動かないのかと焦れながら地面に降りていく。開いた木戸に駆け寄って、中に飛び込む。


「お兄様!おにいさま!」


 少し痩せた。

 優しく甘かった顔つきが、少しだけ厳しさを増した。でも、でも兄様だ。

 振り返った姿を間違うわけがない。懐かしくて、思い出すのも辛くてこの五年間考えないように堪えていた。いつもいつも、私に優しかった―――――――


「おにいさまぁ!ああ、あああ―――」

 広げた腕に勢いよく飛び込んだ。きつく抱きしめられて、自分のものではないような泣き声が上がった。

 しゃくりあげて息がうまく出来ない。頭を撫でられ、背中を擦られながら、兄様の胸に顔を埋めて泣いた。ほんとうに、本当に兄様だ。


「リル、ミスリル。ああ、確かにミスリルだ。この髪の色、間違いない。生きていたのかミスリル」


 長い間そうしていたように思う。ようやく落ち着いてぐちゃぐちゃの顔を上げたミスリルが見上げた兄の顔にも、涙が流れていた。

 それも拭わぬうちにミスリルの耳に口を寄せ、兄は囁く。周囲の者たちに聞こえぬように、押し殺した声で。



「帰ろう、ミスリル。私たちの国へ」







姫視点いったん終了です。


お兄ちゃんはミスリルの事を「リル」と呼びます。たぶん滅茶苦茶甘い声で呼んでるはずです。嫁もいるけど、来春子供も生まれるけど、それとシスコンは別腹のようです(笑)


書いてて思ったけど、ミスリルのウィークポイントは「情弱」ですね。五年間もの長きにわたって何一つ真実を知らされていない。なにせ五年間も側室なのに国王の顔すら知らない(実は知ってるけど)


更新してすぐ、改行がおかしなところ一か所直しました。(改)マークはそのためです。

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