好きに生きろと言われましたので。
「クラリス嬢。いや、我が妻クラリス。私はきみを愛することはない。好きに生きるといい」
その言葉とともに、額にキスを一つ。
結婚初夜はつつがなく終わりました。
実家である侯爵家の窮状とか、
夫である若き伯爵グレン様を喜ばせなければと決めた覚悟とか、
今後の不安とか、
初夜へのわずかな期待と大きな恐怖とか、
全部、あっという間に終わってしまいました。
キス一つで。
未練なく、離れていく熱。
彼は、今日夫になったばかりの男性は、きびすを返し自室へ向かいます。
あまりの事態にあぜんとします。
でも正直、ホッとしました。
あまりにも急な展開で、心の準備もしっかりとはできていなかったのだから。
けれど、妻として、これだけは言わないと。
「おやすみなさい旦那さま。良い夢を」
「…………ああ、きみも」
立ち止まり、ふり返り、表情の薄い顔で返事を告げ、隣の、夫の寝室に消えていきます。
今日妻になったばかりの、私の寝室から。
手紙が届いたのは、ほんの1週間ほど前。
相手は、隣の領地の若き伯爵ご本人。
『父の跡を継ぎ伯爵になったはいいが、婚姻の打診がすさまじく、辟易している。
女に興味はないが立場上未婚は問題があり、伴侶と子を用意する必要がある。
子はいずれ生まれる弟夫婦の子を養子に迎えるため、かりそめの妻が必要だ。
資金を援助する見返りに、白い結婚を求める』
そんな内容の手紙でした。
我が侯爵家は、歴史の長い名家ではあります。
けれども、穀倉地帯である我が領地は、ここ数年は歴史的な凶作続きで、収入が激減。民も苦しみあえいでいます。
食糧庫から備蓄の麦を放出しても、民は最低限の暮らししかできず、畑を放棄するものも出てくる始末。
だからこそ、グレン伯爵からの申し出は、まさに天の恵みと言えるものでした。
民の窮状に心を痛めている両親の姿を見てきた私は、矢も盾もたまらず渋る両親兄姉弟を説得して、申し出に応じる返事の手紙をしたため送りました。
……その返事とともに、迎えの馬車と騎兵隊が列を成して来たときには、驚きつつもつい笑ってしまいました。
そんなに困っていたのでしょうか? と。
もちろん、笑ったといっても迎えの使者を笑ったのではなく、長い列を見て引きつり笑いを浮かべてしまったということですけれども。
宝石鉱山を所有する伯爵家は、宝石と装飾品の加工技術が発達しており、国中どころか外国からも注目の的になっております。
特に、装飾品を加工する職人たちは、王室御用達の職人よりも腕がいいと言われるほど。
資金も豊富で物流も活発、産業が大きく発展しており、宝石が枯渇しても問題なく経済が回ると言われています。
着の身着のまま、風の吹くまま。
太陽と水と大地と風、自然の恵みのままに。
そんな、のんびりとした気風の穀倉地帯である侯爵家とは大違いと聞きます。
そんなところに嫁いで、上手くやっていけるでしょうか。
浮かぶ不安に蓋をして、大量の金銀財宝を侯爵家へと持参した伯爵家の人たちは、代わりに私を連れていきます。
移動に一晩はさんで伯爵家の館にたどり着いたその日のうちに、館の敷地内にある小さな教会でつつましやかな式を挙げ、初夜という名の愛することはない宣言。
その日は、枕を涙で濡らす……ことはありませんでした。
壊れないように、そっと、優しく。
慈しむように、ゆっくりと、キス。
小さい子どもや家族にするようなでこちゅーでしたが、私の頭をなで、そっと横たえて布団をかけてから自室へ去る様子は、とても宣言通りとは思えないもので。
好きに生きろと言うのであれば、お言葉のとおりにしましょうと、密かな決意を抱きました。
翌朝、お付きの侍女が訪れるよりも前に目が覚めた私は、旦那さまをお顔を目にするべく隣の寝室へ。
ドアを静かにノックしてから、音を立てないようそっと開けます。
起こしてはいけませんからね。寝顔を見るだけです。
旦那さまの寝室は、広く上品で落ち着きのある、心安らぐ空間です。
私の部屋も同じ広さではありますけれど、私の部屋は若干少女趣味といいますか、かわいらしい人形や動物のぬいぐるみや刺繍が施されたクッションなどがあしらわれております。
どれもかわいいのですけれども、人形やぬいぐるみがたくさんありすぎて、ソファに仲良く並んで腰かけて占領してしまっています。
つい、微笑みを漏らしてしまう光景で、好きなのですけれどもね。
それはそうと、まだ朝早い時間ですのに、旦那さまの寝室には誰もおられません。
まさかもう起きていらっしゃる? と小首をかしげたとき、ドアを控えめにノックする音に驚いてしまいます。
声は挙げないよう両手で口をふさぎ、耳を澄ましていると、侍女が静かに寝室に入ってきます。
「奥さま、おはようございます。こちらでございましたか」
「おはよう、ロゼ。あの、旦那さまは?」
「すでに起きられて、朝食前の日課をこなされております。奥さまもどうぞ、旦那さまとともに朝食をとられてくださいませ」
まあ、朝の日課ですか。
何をされているか気にはなるところですが、まずは身支度を整えて朝食をいただきましょう。
「して、クラリス。なぜそこに?」
「旦那さまが、好きに生きよと申されましたので」
朝食後、執務室にて領地経営のお仕事に執りかかる旦那さまの近くでソファに座る私に、旦那さまは不思議そうに声をかけてきます。
「お邪魔でしたなら、どこぞへと去りますが?」
「…………いや、いい」
若干トゲを含めた言い回しで執務室から出ていくかと問えば、ふた呼吸ほどおいてから否定のお言葉が。
そのお言葉は、許可と受け止めさせてもらいますね。
許可を得た以上は、一緒にいさせていただきます。
にっこり。
旦那さまに必要なものは、家のみなさんが用意することでしょう。
私は、ハンカチに実家の麦の穂の紋章を刺繍することにします。
夫婦違うことをしながらも、同じ部屋で同じ時を過ごす。
旦那さまのお仕事を手伝うことができたならと思えど、昨日伯爵家に来たばかりの者に、大事な仕事など任せることはできないでしょう。
けれども、いずれは妻として夫を支えることができるよう、まずは信頼を得たいものですね。
「クラリス。なぜここに?」
「旦那さまが、好きに生きよと申されましたので」
夜。昨日は初夜をすっぽかされたものの、旦那さまのお言葉を盾にして、旦那さまの寝室に突撃します。
興味を持たれていないというほどでもなく。
さりとて、手を出す様子もなく。
しかしながら、嫌われてもいない様子。
旦那さまの方に問題があるとは思えず。
ではやはり、私が好みではないということでしょう。
巷の噂では、40や50の貴族当主が、自分の子や孫ほど年の離れた10歳ほどの娘子を妻に迎えるなどという話もあります。
なれば、私と旦那さまの年の差など、ささいなもの。
「お邪魔でしょうか?」
「………………いや」
首をかしげて問いかける私に、頭痛をこらえるように三呼吸ほど時間をおいてから、否定のお言葉。
では、許可を得られたということで、お邪魔いたします。
大きなベッドに身を沈める旦那さまに、ぴとっと寄り添うと、ごく自然に腕を枕代わりに差し出してくれました。
旦那さまと私の身長差体格差は、大人と子どもといえるほど。
旦那さまとしては、少々年が離れた妹のような扱いなのかもしれませんが……。
「旦那さま」
「どうした? 眠れないか?」
決意をもって問いかければ、妻というより庇護対象に向けるような、柔らかい表情で問い返してきます。
すてき。いえ、そうではなくて。
「私は、クラリスは、たとえ旦那さまに愛されずとも、お子は欲しく存じます」
旦那さまの目が見開かれます。
目も覚めたとばかりに。
「実家の侯爵家に多額の資金を援助してもらい、ありがたく思います。けれども、私の家族は、お金より私の幸せの方を喜んでくれると思うのです」
ベッドで寄り添い合い、真剣な目で見つめます。
旦那さまもまた、真剣な表情で見つめ返してくださいます。
「ですから、旦那さまからの愛はなくとも、子宝を恵んでくだされば、幸福を家族に、愛情を子どもに注ぐことができると思うのです」
身を起こし、頭痛をこらえるように頭を抑える旦那さま。
「……………………あと5年。いや、2年は待ちなさい」
苦悩に満ちた表情で、四呼吸ほど時間をおいてからくだされたお言葉は、待て。
「なぜです? 旦那さま?」
2年も待てとは。その真意を問うと、
「いいかい? クラリス、きみはまだ13歳だ。15歳が成人のこの国では、まだ幼いといえる。そして、同年代よりも体が小さいだろう。せめて、あと2年は待って、成人してからでも遅くはない。それだけ待てば、きっと体も大きくなるだろうから」
「同い年の令嬢よりも、体は小さくても、胸は大きいです」
「そういうことではないのだ」
旦那さまはため息一つ吐いて、頭をなでてくださいます。
「いいかい? クラリス、きみが子どもを欲しがっても、きみの体はまだ耐えられないだろう。今はまだ、焦らず待ちなさい。いずれきっと、ね」
20歳の旦那さまからすれば、13歳は子どもなのでしょう。
けれども、年は若くとも、体は小さくとも、立派なレディなのです。
そんな子どもをあやすように頭をなでても、ごまかされませんからね。
でも、旦那さまの迷惑になりたいわけではありませんので、寝所を共にする許可で今は満足いたします。
お言葉どおり、いずれきっと。
きっとですよ、旦那さま。
※本音
旦那「うちの嫁がかわい過ぎてつらい。すき」
嫁「うちの旦那さまがかっこよ過ぎてつらい。すき」




