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今夜、あなたを押し倒します 孤高の花令嬢が既成事実を狙ったその顛末

作者: 三沢ケイ
掲載日:2026/09/12

ヒーローが大好きで押せ押せのヒロインが書きたくなって作ったお話です。楽しんでいただけたら嬉しいです!

 孤高の花、などと呼ばれるようになったのは、いつからだっただろう。

 たった一人の人に振り向いてもらいたくて清廉な淑女を演じ続けていたら、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。


「まあ、ビクトリア様。今日もなんてお美しいの」

「ありがとうございます。リエーヌ様もとても素敵ですわ」


 王宮で開催された夜会で声をかけられたビクトリアは、にこりと微笑んだ。


 侯爵令嬢ビクトリア・フォスター、十九歳。

 艶やかな金髪に、澄んだ紫の瞳。すらりとした肢体に、優雅な物腰。ダンスも刺繍も楽器も一通りこなし、外国語にも堪能。誰に対しても分け隔てなく接する、非の打ちどころのない完璧な淑女。


 ――ということになっている。


「……あ」


 取り繕っていた完璧な淑女の顔が、一瞬にして崩れてしまう。

 広間の向こうを歩いている、彼の姿を見つけたからだ。


(クラウス様、今日も素敵……!)


 長身に、濃紺の騎士服が憎らしいほど似あっている。

 鍛えられた身体は遠目にもわかるほど逞しく、端整な横顔には相変わらず愛想というものがない。


 彼の名前はクラウス・フラウト。

 フラウト伯爵家の次男で、若干二十五歳にして既に王国騎士団の近衛師団長の座にいる。

 そして、ビクトリアがこの世で最も愛している男である。


「クラウス様!」


 ビクトリアは努めて上品に、けれど最大限に早足で彼に近づき、声をかける。

 振り返ったクラウスは、ビクトリアを見ても表情ひとつ変えない。


「フォスター侯爵令嬢。どうされましたか」

「クラウス様を見かけたので、お話でもしようと思って」

「申し訳ありませんが、勤務中ですので」


 やや低めの落ち着いた声に、ビクトリアはうっとりと聞き入る。


「ああ、声もいいわ! 最高だわ!」

「はい?」

「いえ、クラウス様が今日も素敵なので思わず心の声が漏れてしまいました」


 ビクトリアはぽっと顔を赤くする。


「それはありがとうございます」


 いつもながら、さらりと流された。

 結構勇気を出して言ったのに。


「クラウス様」


 ビクトリアはクラウスを見上げる。


「今、私はあなた様をとても素敵だと申し上げました」

「聞こえております」

「では、もう少し何か言うことがありませんか?」

「あなたのようなご令嬢が、そのようなことを軽々しく口にするものではありません。舞い上がってしまう者も多くいるでしょう」


 クラウスの口調は、舞い上がるという表現とは程遠いものだ。


「軽々しくありませんわ! もう三年も言い続けています」


 ビクトリアは思わず前のめりになる。

 そう、ビクトリアはかれこれ三年も、クラウスに片思いしている。


 ──それはビクトリアが十六歳のときのこと。


 十六歳は、この国では女性が社交界入りしてひとりの大人とみなされる年齢だ。その日、ビクトリアは舞踏会に参加し、疲れてひとり庭園で休憩していた。

 ほっと一息ついて油断した外のとき、酒に酔った男に襲われた。

 口を塞がれ、人気のない場所へ引きずり込まれそうなったときの恐怖は、今でも忘れられない。


 そこへ颯爽と現れたのが、当時二十二歳だったクラウスだった。


 彼は瞬く間に男を取り押さえ、自分の上着を震えるビクトリアの肩へかけてくれた。


『大丈夫か? ご令嬢』


 たったそれだけ。

 ロマンス小説のように抱き締めることも、お姫様抱っこもなし。過剰に慰めることもなく、ビクトリアを安全な休憩室まで送り届け、迎えの侍女が来るまでただ部屋の前に立っていてくれた。

 その生真面目で誠実な様に、ビクトリアは恋をしたのだ。


 以来、三年間。

 クラウスに会いたいという理由だけのために社交界に足しげく出入りし、いつ彼に見られても恥ずかしくないように完璧な淑女を演じ続けた。

 他の男には目もくれず、ダンスに誘われても断り、山ほど届く求婚状も読まずに送り返した。


 その結果、ビクトリアは『誰にも靡かない孤高の花』とも呼ばれるようになった。

 クラウスに会いに行くために王太子が参加する夜会ばかりを狙って参加していたからか、陰では『王太子妃の座を狙っているのではないか』などと噂も立っているようだが、とんでもない。ビクトリアの心はクラウスだけのものだ。


 そしてクラウスに会うたび、健気に好意を伝え続けている。


『クラウス様、今度一緒に観劇へ行きません?』

『申し訳ありません。勤務があります』

『では、お休みの日にお茶でも』

『休みの日は鍛錬をしたいので』

『クラウス様。生真面目なところも素敵ですね!』

『フォスター侯爵令嬢。勤務中ですのでもう失礼します』


 暖簾に腕押しとはまさにこのことだ。

 どんなに誘っても全く靡かない鉄壁の男、まさに難攻不落の堅物だ。


(でも、こんな堅物なところもクラウス様の魅力よね、あー、好き! 大好き!)


 ビクトリアは心の中で悶絶する。愛する人が、素敵すぎて死ぬ。


(はあ。どうしたらクラウス様に好きになっていただけるの?)


 ビクトリアの美貌に頬を染める男性は掃いて捨てるほどいる。だというのに、クラウスはほんの少しも靡く気配がない。

 ビクトリアはもう十九歳。二十歳になったらさすがに婚約者を決めなければならない。悠長に彼の心が動く時間を待つことはできないのだ。


 壁際に立ち、任務中のクラウスを視線で追う。そのとき、ふと大広間に集まる令嬢達がヒソヒソ声で盛り上がっているのが聞こえてきた。


「……で、朝まで情熱的な時間を過ごしたらしいわ」

「まあ、あの方が? 信じられないわ!」

「本当にね。でも、こうなってしまったからには正式に婚約するって仰っているみたいで」


 どうやら、どこかの誰かがワンナイトラブから婚約に持ち込んだようだ。


「結局、男なんてベッドに押し倒してしまえばこっちのものよ」


 令嬢たちはくすくすと笑い合う。

 そのとき、ビクトリアは閃いた。


(そうだわ! これよ!)


 こうなったら既成事実を作るしかない。

 目指すは、体から始まる愛というやつだ。



  ◇ ◇ ◇



「……お嬢様。今、なんと?」

「既成事実よ」


 翌日。

 ビクトリアは自室で、侍女のマリーに作戦を打ち明けた。


「クラウス様を押し倒すわ」

「おやめください」


 マリーは真顔で止める。

 

「どうしてよ。私、本気なのよ?」

「それは知っておりますが、下手するとお嬢様のこれまで築いた完璧な淑女という評判だけでなく、侯爵令嬢としての幸せな未来が台無しになります」

「でも、もう普通の方法では無理なのよ!」


 ビクトリアは悲痛な叫びをあげる。


 そんなこと、ビクトリアだってわかっている。けれど、どうしても彼がいいのだ。彼以外の男に嫁ぐなんて、考えられない。ましてや好きでもない男と体を重ねる? 絶対にごめんだ。


「三年よ⁉ 三年も好意を伝えているのに、あの方の心は微動だにしないの!」

「ですが、なぜ押し倒すという結論になるのです」

「社交界で皆様が言っていたのよ。『男なんてベッドに押し倒してしまえばこっちのものよ』って」

「お嬢様、一体普段どういう方とお付き合いしているのですか!」


 マリーは悲鳴を上げる。

 しかし、ビクトリアの決意は固かった。伊達に三年も片思いしていないのだ。



 

 そうして、一週間経ったある日のこと。思ったよりも早く好機は訪れた。

 騎士団の幹部である父に折りいった話があると言って、勤務終了後にクラウスが侯爵家を訪問してきたのだ。


「しめたわ! チャンスよ!」


 ビクトリアは歓喜の声を上げる。

 タイミングよく、父は日中出かけたまま、まだ外出先から戻っていなかった。なんでも、途中の橋で馬車の脱輪事故があって足止めを食らっていると先ほど伝書鳩が来た。

 こんな絶好のチャンス、逃すわけにはいかない。


 ビクトリアはいそいそと身支度をすると、クラウスを出迎えた。案内したのは、賓客が泊まりにきたときに使用する部屋だ。


「こちらでです。どうぞ」


 クラウスを案内したビクトリアは、目配せして使用人たちを下がらせた。


「フォスター侯爵令嬢。ここは応接室ではないようですが? 閣下とお話したら帰宅しますので──」


 困惑したように、クラウスは部屋を見回す。


(――今よ)


 ビクトリアは、覚悟を決める。


「クラウス様! 覚悟なさって!」


 どんっと、渾身の力を込めてクラウスにタックルした。


「なっ……」


 さすがのクラウスも予想していなかったのだろう。彼は深いブルーの目を大きく見開く。

 咄嗟にビクトリアを受け止めるが、体勢を崩してそのまま背中かからベッドに倒れた。


 ビクトリアはそのチャンスを逃さず、クラウスの腹の上に跨ると彼の顔の両側に手をついた。可憐に見えるビクトリアだが、軍人である父に似てなかなか運動神経はいいのだ。

 クラウスが、まっすぐにビクトリアを見上げる。


「…………」


(ど、どうしましょう。クラウス様がこんなに近くに!)


 想像以上に近い。ものすごく近い。

 大好きな人の顔が、目の前にある。


(ふわあぁぁ! カッコいい!)


 長い睫毛。

 形のいい鼻梁。

 いつも引き結ばれている唇。


 ビクトリアの顔が一気に熱くなる。どくんどくんと心臓がうるさく鳴った。


(わわわ、神々しすぎて直視できないわ。……このあとどうするの⁉)


 ビクトリアは、れっきとした貴族令嬢。それも、侯爵令嬢だ。

 男女の睦事については、『ベッドに入ったら旦那様に従うこと』としか聞いていない。つまり、この後のことを何もしらなかった。


 しかし、クラウスは何をするでもなく、黙ってビクトリアを見上げている。

 じり、じりと頬に熱が集まる。


(どういうことなの⁉ ベッドに押し倒せばどうにかなるんじゃなかったの⁉)


 おかしい。社交界で聞いた話と違う。


「……フォスター侯爵令嬢」

「は、はい」

「何をしていらっしゃるのですか」

「き、既成事実を……」

「はい?」

「既成事実を作りたいと思います!」


 ビクトリアは大きな声で叫ぶ。

 そう。ビクトリアはなんとしても既成事実を作りたいのだ。クラウスの心を動かすのは、それ以外に方法が思いつかない。


「バカなことを言っていないで、はやくそこをどいてください。二度とこんな真似はしてはいけません」


 クラウスの眉間に深い皺が寄る。

 好きになってもらうどころか、低い声で叱られた。


(もしかして、怒っていらっしゃる?)


 クラウスがビクトリアに対してこんなに険しい顔を見せたのは初めてかもしれない。

 じわりと目に涙が浮かぶ。


「だって……」


 恥ずかしさと情けなさで、穴があったら入りたい。ここまでしてもやっぱり彼は靡かないのだから、やっていられない。


「だって、ではありません。もし相手が私でなければ、どうするつもりだったのです」

「クラウス様にしかしませんわ!」

「そういう問題ではありません」

「ではどういう問題ですの⁉」


 ついに、耐えていた涙が零れ落ちた。

 一度泣き出すと、堰を切ったようにぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「だって、どうすればいいかわからないんですもの! 三年間も好きなのに! どれだけ好意を伝えても、クラウス様は相手にしてくださらない!」

「…………」


 クラウスは険しい表情のままじっとビクトリアを見つめてから、「はあ」と深い溜息を吐いた。

 ビクトリアはその反応にショックを受けた。


(私、呆れられたの? 呆れられたわよね⁉)


 自分はなんでこんなことをしているのだろうかと、とてつもなく惨めな気持ちになった。

 結局、どんなに頑張っても彼が振り向いてくれることはないのと知らしめられ、胸を抉られるような気持ちだ。


「……私、失礼いたします」


 ビクトリアは立ち上がると、クラウスの腹の上からするりと降りる。


「もうクラウス様には近づきません! さようなら、クラウス様。今までご迷惑をおかけしました」


 そのまま逃げるように、部屋を出た。


「フォスター侯爵令嬢!」


 クラウスが叫ぶのが聞こえたが、ビクトリアは振り返らなかった。



  ◇ ◇ ◇



 それから二週間。

 ビクトリアは失恋の痛みに耐えるために家に引きこもった。


 結局あの日はビクトリアが泣きながら部屋にこもった直後に父が帰ってきて、クラウスは彼としばらく話し込んでから帰っていった。

 その後、父親からは「話がある」と言われたが、気分が悪いと言って会わなかった。その後も何度か話を振られたが、のらりくらりと断った。


 だが、そんなその場しのぎがいつまでも通用するはずもない。


「ベッキー。フラウト卿のことだが、今も気持ちは変わらないか?」


 朝食時に前触れなく話を振られ、ビクトリアはびくっとする。

 父もビクトリアがクラウスにご執心だったことは知っているのだ。


「嫌ですわ、お父様。私ももうすぐ二十歳ですから、いつまでも初恋に憧れたままの子供ではありません」


 ビクトリアは胸の痛みをごまかしつつ、おほほと笑う。


「しかしだな──」

「お父様! 私、もうクラウス様のことは終わりにしましたの。それに、結婚相手はちゃんと自分で探します。だから心配しないでくださいませ!」


 とにかく話を終わらせたくて、ビクトリアは矢継ぎ早にそう言った。いつもと違う剣幕に、父親は呆気にとられたようにビクトリアを見つめる。

 ビクトリアは、若干の居心地の悪さを感じた。


「えっと……だから、その……クラウス様のことはもうなんとも思っていません。それよりも、私は久しぶりに社交界にでも行こうと思います。新しい恋を探そうと思いまして」


 なんとかその場を逃れたかったビクトリアは、声高々にそう言ったのだった。




 その二週間後、ビクトリアは父の友人の公爵邸で開催された夜会に参加していた。

 無意識に濃紺の騎士服の男性を探してしまい、ビクトリアはハッとする。


(私ったら、ダメね)


 ビクトリアがこれまで足しげく社交界に顔を出していた理由。それは、愛しのクラウスの顔を見たいがためだった。

 もう彼のことは忘れようと決めたのに、沁みついた習慣はなかなか変えられない。


 今日は王族の参加予定かないので、当然護衛のクラウスもいない。


(暇だわ)


 いつもなら任務中のクラウスを見つめているだけであっという間に時間が過ぎたのに。まっすぐに彼だけを見つめ続けてきたビクトリアには、こんなときどう時間を潰せばいいのかわからなかった。


「ビクトリア嬢。一曲いかがですか?」


 ふいに、若い男性に声を掛けられた。


(この人は確か……)


 何度か夜会で見かけたことがある男性だった。淡い金髪に透き通るような青い瞳、やや中性的な甘いマスクの男性で、同じ年頃の貴族令嬢たちがカッコいいと噂していた気がする。


「えっと、私は──」


 ──ダンスの相手はクラウス様と決めているのよ。


 そこまで考えて、ビクトリアはまたハッとする。

 こんなことでは、いつまでたっても彼の呪縛から逃れられない。


「ええ、喜んで」


 ビクトリアはにっこりと微笑む。

 いつもの完璧な侯爵令嬢の仮面をかぶって。


(これでいいのよ。クラウス様にはご迷惑をかけたわ)


 ようやくこれで、気持ちに区切りをつけられる。

 そう思ったのに──。


「フォスター侯爵令嬢」


 低い声がした。

 聞き覚えのあるその声に、ビクトリアはびくっと肩を震わせる。


「……クラウス様」


 振り返ると、そこにはクラウスがいた。

 五週間ぶりに見る彼は、相変わらず神々しいまでにいい男だった。だが、なぜか眉間に皺が寄っていて非常に機嫌が悪そうに見える。


「少し、お時間をいただけますか」

「でも、これからダンスを――」

「断ってください」

「え?」

「お願いします」


 有無を言わせぬ声音だった。クラウスはビクトリアの手首を掴む。


「おい、待てよ」


 先にビクトリアに声をかけてきた令息が、非難の声を上げる。クラウスはちらっと彼のほうを見た。


「悪いが、他を探せ」

「ふざけるな! おまえ何様……ひぃ、すみませんでした! どうぞ!」


 憤慨していた令息にクラウスが向き直る。すると、急に彼は怯えたようにへこへこと頭を下げだした。


「さあ、行きましょう」

「え? ええ」


 ビクトリアは戸惑いながらも、クラウスについてテラスへ出た。


「どうなさいました?」

「……さっき、あの男とダンスを踊ろうとしていましたね」

「ええ」


 クラウス様に邪魔されたせいで踊れませんでしたけど、という言葉はなんとか呑み込む。


「なぜです」

「なぜって……」


 ビクトリアは困った。一体、彼が何を聞きたいのか、その意図が掴めない。


「クラウス様に、もう近づかないと申し上げたでしょう?」


 彼の眉間の皺が深くなった。


「だからといって、他の男と踊る必要はないはずです」

「ありますわ。私も十九歳ですもの。結婚相手を探さなくては」

「結婚相手?」

「はい」


 クラウスは両手でビクトリアの肩を掴む。


「誰と」

「まだ決めておりません」

「もしかして、先ほどの男が候補のひとりなのですか?」

「ええ、まあそうですね」


 全く以て候補者がいないので、逆に言えば全ての男がビクトリアの夫となりえる存在だ。ビクトリアはこくりと頷く。


「だめです」

「……はい?」

「彼は女癖が悪い。ついこの間も、揉め事になっていた」

「そうですか。教えてくださりありがとうございます。……では、ごきげんよう」


 あの男の男癖の悪さを知らせるために自分を呼び出したのかと思ったビクトリアは、お礼を言ってその場を離れようとする。しかし、クラウスがしっかりと掴んだ肩を離さない。


「あの……まだ何か?」

「今度は別の男と踊るのですか?」

「ええ、まあそうですね」


 こっちは結婚相手を探しにここに来たのだ。踊らなかったら生まれるはずの恋も生まれない。

 ビクトリアは頷いた。


「いけません」

「どうしてですか?」

「それは……」


 クラウスが言葉に詰まった。


 珍しい。

 いつだって冷静沈着で、何を聞いても淀みなく答える男なのに。


「もしかして、他にも評判の悪い方がいらっしゃるのですか?」

「そうではありません」

「でしたら問題ありませんわ。今度は評判のいい方を探しますから」

「そういうことではなくて!」


 珍しくクラウスが声を荒らげた。


 ビクトリアはびくりと肩を震わせる。


「……すみません」


 クラウスがすぐに謝罪する。

 ビクトリアにはますます彼の考えていることがわからなくなった。どんなに好きだと伝えても決して靡かなかったのに、いざビクトリアが他の男に目を向けたら急にこんな態度をとるなんて。

 

「……クラウス様。私、あなた様のおっしゃる通りにしましたわ」

「……」

「あの日、二度とあのような真似をしてはいけないとおっしゃいましたでしょう?」


 ビクトリアは努めて明るく微笑んだ。


「私、ちゃんと別の方を好きになりますわ」


 その瞬間。

 肩を掴んでいるクラウスの手に、ぐっと力がこもる。


「……それは困ります」

「はい?」


 クラウスは真剣な顔でビクトリアを見つめている。


(一体、なんなの?)


 ビクトリアの胸に、ふつふつと怒りが湧く。


 どれだけ好きだと伝えても、いつも表情ひとつ変えずに受け流していたくせに。

 ビクトリアが既成事実を作ろうと馬乗りになったときでさえ、彼は平静さを失わなかった。


 それなのに、ようやく諦めようと決意したらちょっかいを出してくるなんて、どういうつもりかと、怒りに任せて問い詰めたい感情に駆られる。

 ビクトリアは必死にその衝動を抑えた。


「クラウス様。私はあなた様の部下ではありませんわ」

「わかっています」

「でしたら、命令なさらないでください。私が誰と踊ろうと私の勝手です」

「それだけはだめです」

「だから、どうしてですの!」


 ビクトリアは声を荒らげる。


「あなた様には三年にもわたって迷惑をかけ続けたと申し訳なく思っています。だから、すっぱりと諦めようとしているんです。それなのに、どうして邪魔をなさるのですか!」

「私は迷惑などと思っていません」

「え? ……では、どうしていつも素っ気ない態度を取ったのですか。私、思い詰めてついにはあんな行動まで……今思い出しても恥ずかしくてどうにかなってしまいそうです」


 ビクトリアは両手で自分の顔を隠すように覆う。あの日のことを思い出した途端、羞恥で顔から火が出そうになる。


「ですから忘れてくださいませ。私も忘れます」

「無理です。忘れられるわけがないでしょう」


 いつになく強い口調だった。

 クラウスはビクトリアの両手を優しく掴み、そっと顔から離した。恐る恐る顔を上げると、クラウスとまっすぐに視線が絡み合った。


「あなたは、自分があのとき何をしていたのかわかっていない。忘れられるわけがないでしょう。私の上に跨って、あんなに真っ赤に染まった顔で見つめてきて……」

「わー、忘れてください!」


 すべて記憶から消し去りたいのに、なんてことを言うのだとビクトリアは動揺する。


「無理です。忘れられません」


 クラウスは大きく息を吐く。


「……あのとき、私がどれだけ必死だったと思っているんです」

「必死?」

「理性が断ち切れそうでした」

「…………」


 ビクトリアは瞬きをした。


(聞き間違いかしら? 理性? クラウス様の理性?)


「……まさか、怒りのあまり私を手にかけようと⁉」


 ビクトリアはハッとして青くなる。


「どうしてそうなるのですか! あなたにあんなことをされて、喜ばない男はいません」

「だ、だって……!」


 いよいよビクトリアは動揺した。

 もしや、既成事実を作ろう作戦は少しは効いていたのだろうか。


 そんな素振りは一切なかったのに!

 むしろ、眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた。


「あんなに怒っていらしたではありませんか!」

「怒っていましたよ」

「ほら、やっぱり」

「あなたにではありません。自分にです」

「……え?」


 クラウスは観念したように息を吐いた。


「……私はもう、ずっと前からあなたに惹かれていましたよ」

「はい?」


 今度こそ、頭の中が真っ白になった。

 目の前にいるクラウスが、あのクラウスが! 鉄壁のクラウスが!!


「すみません。今の台詞、もう一度お願いします」

「は?」

「今、とても大事なところです! 夢にまで見たシーンです!」

「……ずっと前から、あなたに惹かれていたと言いました」


 聞き間違いではなかった。

 ビクトリアは目を見開く。パンパカパーンと頭の中で祝砲と鐘がなる。


「いつからです?」

「……かなり前からです」

「かなり前?」

「少なくとも、あなたが私に好意を伝えるようになってから、ずっと気にはなっていました」

「だったら!」


 ビクトリアは思わずクラウスの胸を叩いた。


「だったら、どうして何も言ってくださらなかったのですか! 三年ですよ! 私は三年間もあなた様を追いかけていたんですよ!」

「言えるわけがないでしょう。あなたは私の上司の娘で、私はただの騎士でしかない。次男だから家督も継げない。それに、年も六つも離れている」


 ビクトリアは目を瞬く。


「もしかして、ご自分の立場を考えて身を引こうとしていた?」


 なんともクラウスらしい考え方だ。


(なんて堅物なの! やっぱり好き!)


 この生真面目すぎるところも、クラウスの魅力のひとつ。忘れようと思っていたのに、余計好きになってしまう。


「そんなこと、気になさらなくていいのに」

「そういうわけにはいきません。実は……数年前、一度だけ閣下に相談したことがあります」


 クラウスが気まずそうに視線を逸らした。


「お父様に? 何を?」

「あなたと交際してもよいかと」

「……なんですって⁉」


 びっくりしすぎて思わず素っ頓狂な声が出る。

 父親はビクトリアがクラウスに夢中なことをずっと前から知っていたはず。それなのに、そんなことは一度も何も言っていなかった。


「そ、それで、父はなんと答えたのですか?」

「『娘が欲しいなら、団長とまでは言わないが、せめて副団長くらいにはなれ。話はそれからだ』と。一介の騎士であり、家督を継ぐわけでもない私は、あなたの相手として到底認められないと言われました」


 ビクトリアがクラウスの後ろを追いかけまわしては今日もダメだったと塞ぎこんでいたのを知っていたはずなのに、まさか原因が身内にあったとは。


「お父様め! あとで見てなさいよ!」


 思わず心の声が漏れる。


「今、なんと?」

「いえ、なんでもございません。続けて?」

「だから、あなたにふさわしい男になろうと、副団長を目指しました。三年もかかってしまい、申し訳ありません。実はあの日は、昇格の内示をもらって改めて閣下にあなたとの交際の許可をもらいに行くところだったのです」


 頭が真っ白になるような衝撃だ。

 まさか、クラウスがビクトリアのためにそんな涙ぐましい努力をしていたとは。


「それなのにあなたは全部すっ飛ばして、いきなり既成事実を作ろうとする」


 クラウスは深いため息を吐く。


「しかも、何をすればいいのかまるでわかっていない純真無垢な顔で。あなたは天使であり、小悪魔でもあると思いました」

「天使であり、小悪魔?」

「好きな女性にあんなことをされて、平気でいられる男がいると思いますか。本当に、理性を保つのが大変だった。あと一歩間違えば、私はあなたを抱きつぶしていた」


 ふいっと目を逸らしたクラウスの耳が赤い。

 ビクトリアの胸が、どくんと大きく鳴った。


(え、何? クラウス様、素敵すぎない? かっこよすぎない⁉ あのちょっぴり怒った顔の下で、私を襲わないように理性と戦っていたってこと⁉ 抱き潰す? どうぞ抱き潰してください!)


 こんな素敵な男性がいるだろうか? いや、いない!

 反語で力強く断言してしまう。


 王国騎士団の副団長。剣の腕はもちろん、指揮能力も人望も実績も必要とされる要職だ。

 二十五歳でその立場に立つのは、異例の昇格と言っていいはずだ。


「私ばかりが一方的に好きだと思っていました」

「そんなことはありません。むしろ、私のほうが好きだと思います」

「いいえ、私のほうが好きですわ」


 ビクトリアはスンとした顔で言い返す。

 こっちは三年間、クラウスだけをひたすら見つめ続けてきたのだ。この恋心について話し始めたら、三日三晩しゃべり続ける自信がある。


 ただ、今は──。


「クラウス様、もう一度言ってください。お願いです」


 懇願するように見上げると、クラウスはくすっと笑う。


 ビクトリアは目を見開く。

 彼がこんなふうに笑うところを見るのは初めてだったから。


「ビクトリア、きみが好きだ」


 ゆっくりと、言い聞かせるように告げられた言葉。

 三年間、ずっとずっと欲しかった言葉だ。


 胸のあたりが熱くなり、ビクトリアの目から涙が溢れる。


「ううっ、大好きです。クラウス様」

「はい」

「世界で一番好き」

「わかっています」

「ずっと、ずっと好きでした」

「それも知っています。だから──」


 クラウスはすっとその場に膝まづくと、ビクトリアを見上げる。


「ビクトリア・フォスター侯爵令嬢。私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか」

「はい、喜んで!」


 ビクトリアは即答する。


「即答ですね」


 クラウスは苦笑する。


「ええ。だって、その言葉をずっと待っていたんですもの」

「待たせて悪かった」

「結局は言ってくださったから、許してあげます」


 クラウスの手がビクトリアの頬をそっと撫で、ふたりの唇が重なる。

 三年間追いかけ続けた恋が、ようやく実った瞬間だった。

このあとヒロインはこの瞬間を既成事実化しようと暴走し、逆にヒーローからしっかりとわからせられるという裏設定付き。ご清覧ありがとうございました!


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いやぁ~お嬢様可愛いですねぇ、おめでとうございます♪ ·〉「お父様め! あとで見てなさいよ!」 お父様のおっしゃる事は貴族令嬢の父として当然の事なのですが… いやはや、どんなめ目に遭わされるのでし…
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