雨嫌い
私は雨が嫌いだ。道路を歩けば水たまりをトラックが弾き、激しき日なぞ隣の家主が趣味だかで日中行うドラムの練習音より煩くて敵わない。おまけに夏になれば突発的に豪雨となり襲い掛かってくる。え? その場にいた? と唖然とするものだ。いやいやしかし、私は夏より春の雨こそをとことんに嫌う。三寒四温の話ではない。確かに雨が降る日の気温は冷え込み、雨が降らなければ暑く私の腹中も幾度となく壊した。だが、今回はその話ではないのだ。春の雨は風情がない。雨に風情を求める事などそもそもナンセンスな話ではあるのかもしれないが、こと春の雨は一段と風情が無いのだ。
桜、という日本を象徴する樹木がある。ソメイヨシノだのなんだと品種は疎いしさしたる興味もないのだが、あの鮮やかなピンク色。アレのせいで、日本の4月のカレンダーは大体ピンクだ。入学式や卒業式もそこに充てられてるから節目の色とも想う者も多いのではなかろうか。私も風情人としてその粋を良しとしており、この時期になると桜並木で祭りが繰り広げられるものだから、年に一回肝臓を悪くしたこの体にも、一献の盃を空にしたっていいだろう。そう毎年この時期になると妻へと懇願すると、大抵許可が下りる。私は桜が好きだ。なので今日は意気揚々と桜まつりの会場へ酒瓶担いで歩いていたのだ。すると、にわかに曇天が陰りだし、ぽつん、ぽつん、と雫が落ちてきた。危うく思い咄嗟にコンビニエンスストアに身を隠すと肴として食べようとしていたたこ焼き代を泣く泣く削ってビニルの傘を買い道中を急く。その間にも雨足は強まりいよいよ心にまで曇天を抱えだしながら現地に付くと、屋台は締め切り人々の影もない祭りの姿があった。忌々しいが仕方ない。仕方ないからヤケ酒でも飲むかと酒瓶の栓を抜こうとしたとき一本の着信が入る。煩わしく思いながら電話に出ると、どうやら家内からだった。
「なんだ。こちらは祭り会場に付いたぞ」
憤懣さを隠さずに言うと坦々と妻は言ってくるのだ。祭りは中止でしょ? 友達の家族から連絡があった。と。いかん、このままでは酒を飲む一遇の機会を逸する。慌てて私は理屈を述べる。
「だが、雨も滴る桜並木は風情だぞ? お前にも見せてやりたいくらいだ」
嘘である。今目の前にある桜の花びらは雨の重力に押され見る見る散りゆく。儚さをそこに見出す妻であれば良いが、アレにそのような文化的感性はない。なので桜の樹木を見せればいいが、さて、桜並木の花弁は散り過ぎて、緑の葉とわずかに残る花びらを残す斑の風情のないみすぼらしさすら感じる光景だった。そのどうするかという心中を察したのか家内は宣告したのだ。
「あら、風情があるの?じゃあ桜並木でも撮ってくれないかしら?」
嘘である。あの女も私が苦しい境遇にあるのをあざ笑っているのだ。悔しい、カメラ機能のあるスマホが憎い。悔しい、雨程度で散る桜の脆弱さが憎い。これはついでなのだが悔しい、酒が飲めないのが憎い。つまるところ。
私は雨が嫌いなのであった。




