第4話
「『レッド』? 追ってきたの……?」
『ブルー』の少女は迫る黒白のフリルを視界に映し、驚きに満ちた顔を険しさの滲む顔へと変えた。大きな舌打ちを零す。
「『ラビット』か……っ!」
長い袂を大きく振り、『ブルー』の少女の手が腰へと伸びる。武器を取り出そうとしたのだろう。させないとばかりに、ミラクは足を止めないまま方頭刀を投げつけた。長方形の幅の広い刃が、ターゲットへと勢い良く向かっていく。『ブルー』の少女は俊敏な動きでそれを避けた。『ブルー』は暴力を好み、体術に長けている者が多い。武器の扱いも得意で、攻撃するだけではなく避けることもお手の物だ。中華包丁は少女に刺さることなく横を通過していった。コンクリートへ激突し、音を立てて転がる。しかし少女は避けたあと、腹を抑えてふらついた。『ブルー』の少女の負っていた傷は深いらしく、抑えた手にはべっとりと血が付着していた。
『ブルー』の少女のもとへ辿り着いたティアラが、手にしたサバイバルナイフで切りつけた。『ブルー』の少女は身体を大きく後ろへ反らし、それを難無く避ける。同時に、彼女の顔が歪んだ。腹を動かすと、傷が痛むのだろう。ティアラはサバイバルナイフを逆手に持ち変え、左手を添えた。突くようにして目の前の少女へと振り下ろす。『ブルー』の少女は僅かによろけたあと、その軌道を避けた。その後方で、ミラクは落ちた方頭刀を回収していた。地面に激突した時に欠けたようで、中華包丁の先は刃毀れをしていた。それを口を尖らせ残念そうに見下ろしたあと、ミラクは『ブルー』の少女へと振り返った。『ブルー』の少女はティアラの攻撃を避け続けていた。『ブルー』は武術に長けている集団なのだから、『ラビット』の二人が一太刀も入れられないのも無理はない。しかし今日に限ってはその動きに隙が出来ていて、余裕がないのか一度も反撃をしていなかった。恐らく、怪我のせいなのだろう。ミラクは目の前の御太鼓結びへ向けて、方頭刀を目一杯振り上げた。『ブルー』の少女はティアラのサバイバルナイフを避け続けていたが、一瞬腹を庇うように背中が丸くなった。その瞬間、ミラクは両手を勢い良く振り落とした。幅の広い刃が、帯を掻き分け奥深くへとめり込む。同時に、薄群青色が前のめりによろけた。その隙を逃さず、ティアラが彼女に抱き着くように突撃した。手が伸びていた腰のあたりを探り、ホルスターから拳銃を奪う。『ブルー』の少女は取り返す余裕もないらしく、その場で膝をついた。彼女の背中には、帯を巻き込んで中華包丁がめり込んだままだった。幅の広い刃のほとんどが彼女の身に埋まり、柄だけが生えたように伸びていた。腹と背中から真っ赤な血が溢れ、次々と垂れていく。亀裂の入ったコンクリートへと震える手をつき、彼女は肩で大きく息を吸い込んだ。項垂れた顔は見る事は出来なかったが、苦痛を堪える呻き声が僅かに聞こえてきた。しかし、意識を手放し倒れる様子はない。……殺さずに無力化させることに、成功したようだ。
「あははっ、残念だったね☆ あなたは主様の生首を並べるための餌になるんだよ☆」
目的の達成を見届けたミラクは、両手で口を隠すとくすくすと妖しく笑った。
「光栄に思うが良いよ☆ ミラク様の期待に沿うように立派な人質を果たせば、あなたはきっと来世で羽を授かることが出来るんだから。羽は幸福の象徴、そして主観的な優位性を孕む、言わば拝受を赦された贋造のアイデンティティー。結局人間は独我論に帰結し、形而上の物に縋ってでも利己を捨てられず、虚勢を張って偽りの像を築き上げるの。それはあなたも同じ、何度生まれても同じ。羽は媒体であると同時に実在を示す虚像であり、あなた自身を象る物差しでもある。だから少しでも徳を積んでミラク様のために……、……」
跪く『ブルー』の少女の背中へ一方的に捲し立てていたミラクは、そこで笑みを消して言葉を止めた。突き刺さったままの方頭刀の横に、ティアラがサバイバルナイフを突き立てたのはほぼ同時だった。辺りに鮮血が飛び散る。『ブルー』の少女の口から抑えきれない悲鳴が漏れ、彼女の身体はコンクリートへと倒れ込んだ。ティアラの口角が上がった。少女の背中からサバイバルナイフが抜かれ、滴り落ちた血が薄群青色の制服を真っ赤に汚す。うっとりとした顔で再びナイフを高く振り上げるティアラを見て、ミラクは慌てたように手を伸ばした。
「てぃ、てぃあらん! それ以上はやめとこ、殺しちゃ駄目駄目!」
その言葉に、ティアラははっとしたように動きを止めた。
「そ……そうだった」
ティアラはサバイバルナイフを持つ手を下ろし、倒れた『ブルー』の少女の顔を覗くように窺った。冷や汗が垂れて苦痛に歪んではいるが、意識は飛んでいなかった。出血は心配だが、心臓や頭に怪我を負わせた訳ではない。恐らくすぐには死にはしないだろう。
「よし、じゃあ縛ろうか☆」
ミラクはパニエで膨らんだスカートのポケットに手を突っ込み、真っ赤なグログランリボンを取り出した。倒れた『ブルー』の少女を雑に仰向けにしようとして、背中に刺さったままの方頭刀の柄が引っ掛かって横向きになった。ミラクは気にすることなく、両手に持ったリボンをピンと伸ばした。後ろ手になるよう少女の両手をリボンで縛ると、今度は両足を縛り始めた。縄の類の方が頑丈なのはミラク達も百も承知だが、リボンは見栄えが良くて何より可愛い。『楽しい』を優先する『ラビット』の少女達にはピッタリのアイテムだ。リボンで縛られた両足を見下ろし、ミラクは満足そうな表情を浮かべた。『ブルー』の少女は苦痛に耐えるのに必死なようで、抵抗することはなかった。何重にも巻かれたリボンを引き千切るような力も残っていないようだ。ミラクはついでに『ブルー』の少女の身体や首にもリボンを巻き付け、最後にリボンを結んであげた。
「ふー、人質の出来上がりだよ☆ ……あれ?」
ミラクは何かに気付いた様子で、『ブルー』の少女へと顔を近づけた。ティアラもミラクの上から顔を覗かせ、『ブルー』の少女の顔を見下ろした。彼女は瞳を閉じ、小さく口を開けたまま動かなかった。
「……意識、失ってるね」
「出血のせいか、痛みのせいかのどっちかかな~?☆ 包丁、刺したままにしといたんだけどなあ?」
背中に刺さったままの方頭刀を一瞥し、ミラクは困ったように肩を竦めた。ティアラが顔をあげ、ミラクへと微笑む。
「きっと、縹と会う時には意識が戻ってるよ。それに意識が無くても、縹への交渉には影響ないし……」
「うーん、それもそっか☆ 気にしなくて良さそうだね☆」
二人はそう結論付けると、『ブルー』の少女の身体を二人掛かりで持ち上げた。『ブルー』の長がトレーニングに現れる場所まで、彼女を運ばなければならない。二人は『ブルー』の少女を抱えながら、目的地へと移動し始めた。人間の身体は二人掛かりでも重かったが、二人の足取りは軽かった。何せ、いよいよキャプテンへの『最高のプレゼント』を手に入れる瞬間が近づいてきたのだ。準備もバッチリ、万事順調だ。足を動かす二人の目は、期待に満ちてキラキラと輝いていた。
『ミラク達は順調みたいね』
イヤホンの奥から、ありすのぼんやりとした声が聞こえてきた。
「うん☆ 人質の確保が完了して、今は縹の来るところへ向かってるよ☆」
「そっちは? さっきと変わらない……?」
『ぜーんぜん変わらないよ。あちし、退屈……』
ありすの声もプリンの声も、なんだか気だるげで覇気がない。待機が続き暇なのだろう。常に楽しい事を追い求める『ラビット』にとって、退屈は天敵だ。気持ちはわかるなあとミラクは思いながら、両手で持った少女の肩を抱え直した。