第10話
「プレゼント?」
「うん、そう」
姫月の視線は、自然と頷くティアラから横の大きな箱へと移動した。自身がプレゼントですと言わんばかりの存在感を放って鎮座している。姫月が視線を戻すと、目の前に現れた顔はその表情に自信を滲ませていた。余程その『プレゼント』に気合が入っているらしい。姫月が喜ぶことを確信しているかのようだ。
「えっとね……取りあえず、開けるね……」
ティアラはそわそわとした様子でそう言った。そして箱の蓋へと両手を伸ばす。姫月はその様子を、温かな眼差しで見守った。『ラビット』の子が自身の誕生日を祝ってくれ、さらにプレゼントまで用意してくれた。これ程嬉しいことがあるだろうか。『ラビット』のメンバーの『楽しいこと』を応援し続けている姫月にとって、彼女達が楽しそうにしているところを見るのが何よりの楽しみだ。プレゼントで驚かそう、喜んでもらおうと期待に胸膨らませるティアラを見ているだけで、既に姫月の心は満たされていた。それを超えるようなプレゼントだなんて、一体どんなものなのだろうか。姫月は興味をそそられながら、蓋が持ち上げられるのを目で追った。あいた箱の天井から、少し背伸びをして中身を覗く。
「……これは……」
誰かの首が入っている、ということはなかった。誰かの死体が丸ごと入っている、というわけでもなかった。大きな箱の中身は、空だった。白一面の空間が広がり、塵一つ入っていない。ただただ白い壁が広がるだけだ。姫月は小さく首を傾げた。頭のミニハットから伸びるレースが合わせて揺れた。依然としてそわそわとしているティアラは、持っていた蓋を床の隅へと置いた。
「この箱ね、組み立て式なの。外せるんだよ」
そう言いながら、ティアラは側面の一つを実際に外してみせた。ティアラ側の一面だけ綺麗に取れ、箱の内部の白い壁が見えた。両手で抱えた白い長方形から、ティアラはひょっこりと顔を覗かせて姫月へと視線を送った。キラキラと期待に満ちた目。プレゼントを喜ぶキャプテンの姿が待ちきれないとでも言うかのような表情だった。しかし姫月は未だにプレゼントの正体が分からず、ティアラの顔を見つめ返すことしか出来なかった。箱の中身は空であり、側面が外れるからといって他に何かが起こるわけでもない。肝心の『プレゼント』は、未だに姿を見せてはいない。
「実はプリンちゃんと、ありすちゃんと、それにミラクちゃんと協力して、キャプテンのために特別なプレゼントを用意しようとしていたんだ。でも、それは渡せなくなっちゃって……」
声色に心からの悲しさをのせ、ティアラは小さく俯いた。譜凜もありすも奇跡も、皆『ラビット』のメンバーだ。しかし、今日はどの子も姿を見ていないなと姫月はふと気が付いた。姫月を置いてティアラは箱の中へと入り、持っていた箱の一部を再び嵌め直した。カチリ、と小さく音が響いて、再び四面が揃った。箱の中に入ったティアラの姿は、薄い壁を隔てて姫月からは見えなくなった。
「だからてぃあ、考えたの。てぃあ一人で用意出来る、キャプテンへの最高のプレゼントって、一体何だろうって……」
蓋が空いている上部から、若干籠ったティアラの声が聞こえてくる。姫月はティアラの入っている箱を、じっと見つめた。一面にプリントされた、一定間隔に羅列された水玉模様。その向こう側にいる、ティアラを見通すかのように。
「それでね、てぃあが一番大好きなものをプレゼントしようって決めたんだ。てぃあが大好きなものなら、きっとキャプテンも喜んでくれるから」
スカートが揺れる布の音。キャップを取るような、カチリという軽い音。何かが投げ出され、床に跳ねた音。視界に映るのが箱のみで動きがない分、一つ一つの音が姫月の耳に鮮明に入ってくる。
「それじゃ、受け取ってね……」
はにかむティアラの穏やかな声、そして束の間の静寂。静けさを破って突如部屋に響いたのは、ティアラの甲高い絶叫だった。
「ああぁぁぁぁぁっ!」
苦痛を伴う、藻掻くような声。箱の薄い壁一枚を隔てて聞こえてくる、腹の底からの咆哮。姫月が僅かに目を見開くと同時に、開けっ放しの箱の上部から鮮血が吹き出した。スプリンクラーのように赤をまき散らし、天井に染みを作る。箱の周りにも飛び散り、カーペットに新たな模様を描いた。その間も、断末魔の叫び声は止むことはない。
「んう……あああぁぁっ……!」
強い語気は震え、苦しさから段々と掠れてくる。それでも箱の中の少女は、叫ぶことをやめない。箱の上部から血が吹き出し、箱の外面を伝って床へと垂れていく。箱の天井から降る赤い雨は、まるで噴水のようだった。真っ白だった箱の内部は、今や真っ赤に染まっているであろうことが察せられた。
「あぅ、いっ、……んんん……!」
踏ん張るように、唸り声が漏れる。同時に、弱まってきていた血の吹き出しがまた勢いを取り戻した。何かが裂けるような嫌な音とともに、箱の外へと一気に降り注ぐ。
「ああああああっ……、………ぅ……」
部屋には噎せ返るような生臭い匂いが充満していた。響いていた絶叫が、段々と弱まっていく。それに合わせて、箱の上部から吹き出していた血も止まった。
「…………」
やがて、箱の中から声は聞こえなくなった。どさり、と重い物が倒れたような音が聞こえてきて、それが最後となった。残ったのは、目の前の物言わぬ大きな箱。部屋中に漂う、鼻の奥を刺激するような鉄の匂いと、吐き気を伴う腐臭のような匂い。そして耳の奥に残る絶叫と、天井とカーペットに出来た新しい染みだけだった。
先程の喧しさが嘘のように、しんと静まり返った室内。そこには一人の少女と、一つの死体があるだけだった。姫月は目の前の箱をじっと見つめながら、あることを思い出していた。窓から夕日が差し込む中、部屋で二人きり、ティアラと話をしていた時のこと。机を挟んで対面に座ったティアラは、声を潜めて姫月へそっと打ち明けた。ティアラの好きなもの——それは、『断末魔の叫び』なのだと。彼女の少し恥ずかしそうな、それでいて幸せそうにはにかむ姿が脳裏に蘇る。彼女は自分の思う『最高のプレゼント』を姫月に贈ると言っていた。大好きなキャプテンに贈るに相応しい、特別なプレゼント。——そう、彼女の世界一大好きな、断末魔の叫び。彼女は自身の首を掻っ切り、自身の断末魔の叫びをプレゼントとして姫月に贈った。
「ふぅ……」
鼻に舞い込む血の匂いを追い払うように、姫月は大きく息を吸った。血生臭い匂いが鼻を通じて余計に肺に入ってきただけだった。静かに、吸い込んだ空気を大きく吐きだす。
「……。……ありがとう、宝冠」
姫月はぽつりと御礼の言葉を述べた。箱の中からは、返事はなかった。
「けど……ごめん。……うちはあんたが生きていてくれた方が、よっぽど嬉しかったけどな」
姫月の言葉は、部屋へと儚く溶けていった。レースに包まれた手が、そっと箱の側面へと触れた。この薄い壁を一枚隔てた先に、ティアラの死体が倒れているのだろう。つい先ほどまでキャプテンの喜ぶ姿を待ちきれんばかりにしていた、そんな『ラビット』の子の変わり果てた姿が。
「……でも、あんたの気持ちは受け取っとく。ありがとね」
箱の中へと優しく声を掛けたあと、姫月は指の先を箱から離した。そして、ツインテールを揺らして事務机へと振り返った。机上には、書きかけの書類と万年筆が置かれたままだ。
「書類仕事の前に……まずはこの箱を火葬場まで持ってくのが先かな」
姫月はそう零すと、机へと戻っていった。出しっ放しだった書類や万年筆を、引き出しへと仕舞っていく。……誕生日であっても、今日は『ラビット』の平凡な一日であることに変わりはない。『ラビット』は『楽しいこと』が第一な組織であって、どの子もあまり生への頓着がない。自殺をするのも殺されるのも、日常茶飯事。こうした別れも日常の一つだ。誕生日だからといって、日常が変わるわけではない。
「あと、天井とカーペットの掃除もしなきゃなあ……」
姫月は慣れたようにのんびり呟くと、箱を運ぶ道具を探すために部屋を出て行った。形は違えど、このようなことを経験するのは一度や二度ではない。それに何より『ラビット』の子達本人が悲しまれるようなことは望んでいない。姫月は『ラビット』の子達の気持ちを尊重している。だからどのようなことが起ころうとも、日常の一つとして取り扱う。執務室に残ったのは、箱の中に残った血みどろの物言わぬ死体だけだった。血の匂いを漂わせる、『特別なプレゼント』。それは結局敵組織の二つの首ではなく、サバイバルナイフが首に食い込んだままの『ラビット』メンバーの死体となった。このプレゼントを姫月が喜んだのかどうか、誰も見届けることは出来なかったけれど。彼女達は、最期まで信じていた。九月二十日、誕生日の今日、キャプテンが心の底から笑ってくれることを。
〈了〉




