4,第七皇子 VS…
突然、大きな爆発音と大量に物が壊れる音がした。
大礼拝堂内に響き渡ったその轟音が、婚姻の成立を宣言しようとした教皇の声をかき消した。
ルージェは驚いて、音がした上方を見ようと顔を上げた。
しかし見上げたすぐ先には視線を遮るように、水の薄い膜があった。
(なにこれ!!!)
身体を包み込むように、水の膜ができている。
あっけにとられたものつかの間、続けて、閃光が光り、先ほど同様の大きな音がした。
同時に、今度は地響きも起こる。
ルージェはその衝撃に釣られて、今度こそ天井を見上げた。
水膜とヴェール越しで見えにくかったけれど、天井が崩れ落ち、窓ガラスも割れ、大量の瓦礫とガラスの破片が祭壇めがけて降ってきていた。
祭壇の左側の壁もぽっかりと無くなっている。
先程の振動は、祭壇側を中心とした大聖堂の天井の崩壊で起こったもののようだった。
それが原因で地響きがしたのだ。
しかし天井がないのに、頭上には何も降ってきていない。
不思議なことに、ガラスの破片も瓦礫も、すべてが空中に浮かんでいるように途中で止まっていた。
ルージェがふと隣を見ると、左手を挙げながら、右手を皇帝の方へ向けたリーンハルトの後ろ姿があった。
天井を支えているかのようなその立ち姿を見て、リーンハルトが咄嗟に瓦礫が落ちてこないようにしたようだと、ルージェは直感的に感じた。
* * *
ルージェの予想通り、リーンハルトは、天井と壁に穴が開くのと殆ど同時に、風の覆いを大きく堂内全員の頭上に展開していた。
そして覆いを展開しながら皇帝の方へ振り返った。
リーンハルトは、展開と同時いやそれより前のタイミングで、瞬時に皇帝とヤヴィス第一皇子それぞれを包み込むようにさらに強化された風の結界を作っていた。
その壁に勢いよく炎と雷光が当たっている。
大きな炎は弾かれて、周りのものに当たり火が上がった。
リーンハルトは、皇帝とヤヴィスを見てすぐに自分の作った風の壁の内側に水の膜があるのを見てとると、参列席へ視線を向けた。
「レイテ!」
叫びながら素早く、最前列にいたレイテ魔法省長官を目端に捉えた。
レイテが、白髪混じりの長い顎髭を揺らしながらすぐ頷いた。
リーンハルトはそれを確かめるとすぐ、最上段左側の第二皇子に狙いを定めた。
太い渦を巻いた風の矢が、ワーレン第二皇子めがけて飛んでいった。
攻撃を放ったリーンハルトの表情からは、感情すべてが消えていた。
ワーレンは己を守る炎に包まれながら、次々に皇帝とヤヴィス目掛けて雷が混ざった炎で攻撃を繰り返している。
攻撃を放ったリーンハルトには目もくれず、
「くっ……………なんで………なんだよ」
自らの攻撃を繰り出しながら、ぶつぶつ何か言っている。
皇帝とヤヴィスは動かない。
動かないから的としては当てやすいが、仕留めることができない。
水と風の結界が邪魔をしているのだ。
二人には殆ど魔力がないため、こういうときに下手に動くとかえって足手まといになることを知っていた。
ワーレンの後ろには二人魔法士がつき、同じように攻撃している。
一人は炎の矢で、もう一人は氷の矢で。
炎の攻撃をしていた魔法士がリーンハルトの攻撃に気付き、応戦して炎を放った。
放ったが、威力で負け押されて、爆発に巻き込まれて後ろへ吹っ飛んだ。
続けて、吹っ飛んだ魔法士の代わりに氷攻撃の魔法士が仕掛けようとしてきたので、リーンハルトはまた風の矢を放つ。
こちらも簡単に氷が砕け散って、魔法士は弾き飛ばされ、壁にぶつかり気を失った。
大聖堂内は崩れた場所から侵入してきた緑色の騎士と貴族の私兵らしい騎士や魔法士と、近衛師団員や魔法省魔法士との戦闘になっていた。
緑はワーレンの象徴色だ。
加えて私兵がいるということは協力者がいるということだろう。
参列者達の中で自分の身を守れる者は戦闘に加わり、または他を守りながら近衛師団に指示されて次々と脱出を手伝っていた。
煙幕に包まれた壇上からは、他の皇族も教皇も教会関係者もすぐに脱出したようで、いつの間にか人がいなくなっていた。
いるのはワーレンと、攻撃を受け続けている皇帝とヤヴィス、下段のリーンハルトと側にいた右も左もわからないルージェだけになっていた。
リーンハルトは、今度は氷を風の中に散りばめて、今まで以上の大きな矢としてワーレンに狙いを定め放った。
そこで初めて、ゆっくりとワーレンはリーンハルトに目を向けると、大きな炎を放ち、風を消滅させた。そのあとも数発続けざまに炎を放つ。
放ったすべてがリーンハルトにより消滅させられると、
「………邪魔だな」
ワーレンは低く一言つぶやいて、視線をリーンハルトからほんの少し横に動かした。
動かした視線の先に間髪を入れず、今度は炎と雷が合わさった炎を放った。
その炎は、まっすぐにルージェへ向かって飛んできた。
足手まといになる狙い先と踏んだのだろう。
リーンハルトは動ぜず、無表情のまま冷静に炎の行方を見定めてすぐに応じ、確実に炎を打ち砕いていく。
まるでどこを狙っても無駄だと高らかに宣言するような鮮やかさだった。
* * *
今度は煙幕の中から、いくつもの小さい炎の矢が集団でルージェの方へ飛んできた。
中には雷の矢も混ざっている。
小ささと煙幕越しに飛んできたせいで、ルージェにはすぐに見えず、始めは攻撃がわからなかった。
大量に自分の方に向かってきた事に、近くになってやっと気付くと、
「きゃっ!」
思わず声を上げ、ルージェは段の縁際へ後ずさり、尻餅をついた。
けれども飛んできたのはある程度の近くまでで、それ以上はルージェの方には飛んでこない。すべての攻撃が、ルージェの少し先で空中に当たって次々消え去り、煙幕に吸い込まれていく。
ルージェは呆然と、自分の前で何もない空中に矢が当たっては砕け落ちる様を眺めた。
そこに何かある。漠然と思う。
そう、リーンハルトがルージェにも結界を張っていたのだった。
やっと思い至って、ルージェは爆風の中、自分の前に立って戦っている背中をただただ見つめた。
ワーレンはルージェに攻撃を放ちながら、リーンハルトにも次々と攻撃を仕掛けていた。
リーンハルトは両方の攻撃を防ぎながら平然と対応している。その間にこちらからも仕掛け帰す。
爆発が繰り返し起こっていた。
ルージェは座り込んだまま、リーンハルトの時折動く背中と肩甲骨の動きを目で追い、呆然と見つめ動けずにいた。
そんな中、初めて
「………心配いらない。僕が守るから」
リーンハルトがルージェに語りかけた。
座り込んでしまっているのを気にかけているようだ。
「動かないでいて」
戦闘をしながら背中越しに語られる言葉は、戦いの真っ最中なのに思いのほか響く声色が落ち着いたものだった。
その声がルージェの恐怖と緊張を一気にほぐし、現実に引き戻した。
引き戻すどころか、落ち着きを連れてきた。
その声を、その言葉を、その人を、“信頼できる”。
そう直感が告げていた。
ルージェはこういうときの直感を信じることにしている。
幼い頃亡き母に、自分の奥から自然と“ああそうなんだ”という感覚が湧いてきたら、それを信じなさいと言われていたからだ。
母は不思議な人だった。そう語らう言葉をすっと信じ従わせる魅力を持っていた。
単に子供だから母を盲目的に信じたのではなく、すべてに均一に、重要な言葉は放った途端に具現化されるのだ。それは滅多なことではありえなかったが、条件がそろった時には確実に起こる事実だった。
リーンハルトの声を聞いて、ストンと自分の中に安心が落ちてきた。
だから信じるのだ。
ルージェは、リーンハルトの背中を見つめながら、自分でも予想外なほどしっかりと答えた。
「はい。承知いたしました」
気を取り直したルージェは深呼吸をした。
(大丈夫、私は守られている。リーンハルト殿下に)
この方について行こうと嫁いできたのだから、信じて委ねるだけだ。
覚悟を決めた。
(どうかお願い、殿下が無事で戦いが終わりますように)
手を組み合わせ、祈った。
無心で。全力で。全身全霊で。