3,世にも珍しい結婚式
今回のお話はやや長めです。
青く高く澄み晴れ渡る帝都の空に、アヘル大聖堂の三つの大鐘の音が嫋嫋と余韻を残しながら、五回続けて遠くまで鳴り響いた。
結婚式開始の合図である。
滞りなく宣誓と署名が済み正式に夫婦と認められると、盛大にこの鐘が鳴り響くこととなる。
すると、城下では結婚の祭りが始まるのだ。
帝国民は、その瞬間を待ちわびていた。
「結婚式、始まるね」
「ねー! 皇子様のお嫁さんはどんな人かなあ。僕、お花渡したいなぁ」
「だから花を持ってたのかぁ」
「通るだけだもん、渡せっこないじゃん!」
「わかんないよ! 北の国のお姫様かぁ。早く見たいなあ」
子供達が話している。
「いつも側近様達が捜し回っている殿下だろ?」
「そうそう、怠け者ですぐいなくなっちゃうっていう…」
「大丈夫なのかねぇ、相手の王女様は」
「結婚式から逃げたりして」
「パレードも逃げたりして」
「せっかくのご尊顔を拝見するチャンスなのになぁ」
「いないの、前提なのか?」
「そうに違いない」
「「「はははっ!」」」
大人達も語らっている。
普段なら皇族に対する噂話は語られるならば密かに、そうそう軽口は聞かれないものだ。
だけれど今日ばかりは開放的な雰囲気と、以前からの端的に言ってしまえば“ものぐさらしい”との第七皇子の評判と相まって、あちこちで花が咲いていた。
城下街では色とりどりの飾りの花や布や垂れ幕が飾られ、国旗と第七皇子の紋章旗が街のいたる所に溢れていて、いつもより華やいだ雰囲気に人々は浮かれていた。
そもそも今日の事の始まりは、ラルジュテーレ王国の辺境伯領で起こった戦いである。
ルージェの嫁ぐバーシュタイン帝国は、国力があり人口も多い。歴史は諸国の中では真ん中位の300年程だが、大陸一番の広大な土地を有し東西に長い国で、周りは大小の国々に囲まれ、南は海に面している。
対して、ルージェの出身国であるラルジュテーレ王国は、大陸の一番北に位置する。歴史は帝国より古い。王国の北にそびえる高く長く続くディヴァイ山脈を越えると万年雪が見られる。面積は帝国の十分の一ほどの国である。
両国の間には小さい国が三つ、挟まる形で存在するが、その国々は帝国の武力を頼りにしている帝国の属国的立場に等しかった。
その三国の中の一国であるマッキナ共和国は、ラルジュテーレ王国に接しており、三十年ほど前にラルジュテーレ王国から独立した国家で、独立の時に力を貸した帝国と強いつながりがある国だ。
が、一方、王国から独立した経緯から、未だに自国の領土の延長という意識を持つ貴族も王国側には多かった。
今回も王国側のワイニガ辺境伯はその認識の下に行動し、マッキナ共和国は帝国に助けを求め、勝利した帝国側との講和条約の条件の一つとして、ルージェ第一王女が帝国に嫁ぐことになったのだった。
* * *
鐘の鳴り響くアヘル大聖堂では今まさに、バーシュタイン帝国第七皇子とラルジュテーレ王国第一王女の結婚式が執り行われようとしていた。
会場である大礼拝堂は、規則正しく並ぶ、装飾された丸窓と上部が緩く尖った長窓から差し込む優しい陽の光に明るく照らされていた。
壁側には、綺麗に切り取られた面と面を組み合わせてデザインされた柱が配列され横に奥行きを演出し、段違い天井には幾何学模様が施され、ドーム型の一番高い天井部分は大きな線が交差するように立体的になっていた。
入り口から奥に向かって規則正しく圧巻数の礼拝席がならび、さらに奥には一段一段が奥行きのある大きな祭壇がある。
気高く荘厳な雰囲気に包まれた大礼拝堂内で、結婚式の参列席となった礼拝席は花や布で飾り付けがされ、帝国の貴族、各庁長官、諸外国の大使などが座っていた。
一方、礼拝堂奥の三段からなる祭壇では、上段の中央にある講壇の前に参列席の賑わいとは対照的に、教皇が両脇を大きく空け最上位の儀式服を着て厳かにひとり立っていた。
そして、教皇に近い参列席から見て右側の位置に皇帝が、少し離れてさらに右に皇后、やや離れて皇帝弟である大公と続き、皇后の後ろに皇后の子である第一皇子・皇子妃と第三皇女が並んでいた。
さらに、中央を挟んで左側には第二・第三皇妃が間隔をあけて並び、それぞれの皇妃の後ろには、第二皇妃の子である第四皇女・第五皇子が、第三皇妃の子である第二・第六皇子が並んでいる。
真ん中の段の両側には教会関係者が外寄りに、こちらは間を開けずびっちりと並んでいた。
祭壇の一番下段の中央奥、ちょうど教皇の真下の位置に当たる場所に、第七皇子リーンハルトが、ポケットチーフだけ青い差し色をした純白のモーニングコートを着て立っていた。
タイには代々受け継がれる大粒のオーシャンブルーダイヤモンドの飾りが、左の襟元ではアイリスを象ったロイヤルブルーサファイヤのピンが、それぞれの煌めきを放って青く輝いている。
リーンハルトはただ言われるがまま立っていただけであったが、男も女も老いも若きも身分も関係なく、その立ち姿に目を奪われていた。
いつもはゆるくウエーブがかかりふわふわなシルバーブロンドの銀髪が、後ろに流れるようにタイトにセットされていた。右側に少し残した長めの前髪からいつもは隠れている形のいい額が覗き、短い襟足と相まって、普段と違って精悍に見える。
ちょうど参列席側を向く左耳だけ綺麗に見えるように、髪が耳に掛けられ撫でつけられていることで、その耳朶で淡いアイスブルーダイヤモンドのピアスが白い肌に映える光を輝き放つのがよく見え、さらにアンバランスな色気も加わっていた。
そこに煌めきを上書きするように、銀色の髪と青いタイ飾りとピンと瞳が、不規則な動きでそれぞれの窓から差し込む光を集め輝き放ち、時折大きく煌めきながら華やかさを演出し、見る者の視線を離さない。
「………別人のようだ」
誰ともなしに小さく呟かれた言葉は、普段のリーンハルトを知る皆の心を代弁するもので、参列者達は第七皇子の変貌ぶりに驚いていた。
初めて見たものはなおさらで、入場したときから人々の目は釘付けである。
(もともとお綺麗な顔立ちであったが……)
(ここまで豹変するとは)
(あのものぐさ皇子が………)
そんなリーンハルトの煌びやかさに圧倒された人々の心の内の声を見越していたのは、皇子の支度を調え終わった後に満足げな顔でひとり頷いたアリッサだけだった。
通例に反して儀礼服ではないところにこの皇子の気質があらわれていたが、身体にぴったりと仕立ててあることで細身の引き締まった身体が映えていて、さらに煌めいていたので、圧倒されすぎてその事に関して誰も何も言わなかった。
「ラルジュテーレ王国第一王女、ルージェ・ド・ラルジュテーレ王女殿下のご入場」
かけ声と同時に、上方の大きな丸窓と門柱の周りに薔薇が散りばめられていることから薔薇の門と呼ばれる、正門から大礼拝堂に続く内扉が開かれた。
ルージェは帝国で流行の、肩と両腕を出して体のラインを強調するウエディングドレスではなく、真逆の、デコルテが広めに開いてある以外は、白いドレス下地の上に体のラインを覆い隠すような総レースでできたドレスを纏っている。
ヴェールも見事なレースで大きく縁取られ、裾はドレスより遥か長く綺麗な弧を描いて広がっていた。
その姿は参列者の目には新鮮に映り、文化の違いを感じさせると共に、その豪奢さに感嘆の眼差しを受けた。
華奢な首に巻かれた、正面にオーシャンブルーダイヤモンドと両脇のスカイブルーダイヤモンドが飾りになって付けられたドレスのレース生地と揃いのフリルチョカーが、顔を覆うヴェールの裾から光を集めて煌めきながら見え隠れし、形のいい鎖骨のくぼみを際立たせている。
末広がりの形になっている幅の広い袖に隠れて、ウエディンググローブは手先しか見えない。
その手にはちょうど咲き始めたアイリスを中心に、青を基調としたブーケを持っていた。
青は第七皇子を象徴するカラーだ。
帝国の皇族は、誕生の時に、象徴色が決められ、また象徴花が入った紋章を与えられる。
結婚式では、その皇族の色にちなんだ宝石を身につけ、その色を中心とした花を持つのが伝統であった。
そして折よく、第七皇子の象徴花はアイリスである。
純白のウエディングドレスとヴェールの長い裾の後ろに、二人の侍女が付き添い、一歩一歩ゆっくりとルージェは歩みを進めた。
(ヴェールはちゃんときれいに広がっているかしら)
ルージェは意識を後ろに向けつつ、転ばないように、一歩一歩ゆっくり歩く。
目の前を通ったルージェのウエディングドレスを見て、皆が目を見張る。
(王国はレースの特産地だが……あれほどのものは見たことがない)
ドレスに目を留めたとある財務省官僚は、思わず第七皇子宮の予算のどれくらいにあたるのか照らし合わせて試算した。
それほど精緻なものだったのだ。
他の参列者も好奇心やヴェールで覆われた顔よりまず、近くで見るウエディングドレスの見事さに視線を奪われていた。
王国の北部は、冬は雪で閉ざされる。レースは重要な産業と収入源だ。それぞれの村で独自の紋様と織り方技法を持ち職人を育て技術は外へは漏らさない。
競い合うことでさらに洗練されたレースの編み方刺し方を生み出し、大陸中にその素晴らしさは知れ渡っていた。
レースには刺繍と編むパターンがあり、特に刺繍して作成するレースは立体感がより出て素晴らしく人気だ。
王国は養蚕も盛んであったので絹糸そのものも品質が良く、ラルジュテーレ王国産は光沢が違い、評価も価格もずば抜けていた。
王女の身につけている物は刺繍がメインのレースで、複雑な編み方にさらに何種類もの紋様と細かい細工で刺繍が施され、白糸だけで作られているのに立体的で豊かで、その素晴らしさにため息を近くでつこうものなら、破れてしまうのではないかと思うくらい繊細さもあり見事な仕上がりの物だった。
ウエディングドレスの裾の上で、さらに後ろに大きく長く透き通って楕円形に広がるヴェールの裾に施された刺繍もまた、優雅さをさらに際立たせるのに一役買っている。
皇后もまた、遠目に見て、光沢を纏って輝くレースを近くで確かめずとも最高級品だと見抜き、
(小娘ごときにもったいない)
妬みの感情の入った視線を投げ、奥歯を噛みしめていた。
ルージェは、そんな参列者たちの羨望と驚きのため息の間をくぐり歩みを進め、祭壇へ歩みを進め近づいていく。
そして初めて、リーンハルトが銀髪、シルバーブロンドであることを知った。
(銀色の髪……! すごい、あんな色があるなんて! 光に反射して、キラキラ光って……もっと近くで見てみたい!)
生国である王国では、銀髪は見かけたことがない。
それはそうだ。帝国の皇族のみに受け継がれる髪色だった。
実はそれを差し引いても、王国では銀髪どころか、他の派手な色合いの髪も珍しいものだった。
ルージェが帝国に来てまず驚いたのは、いろいろな髪の色と瞳の色の人々がいることだった。
人を見る度にワクワクし、大通りでは色の洪水にクラクラした。
殆どの王国民は髪の色も瞳の色も、黒か藍色で、たまに茶色の髪を見かけるくらいなのだ。
いや、瞳に関しては茶色もそれなりにはいた。侍女のヨアンナもそうだ。
(瞳の色は、何色なのかしら?)
ヴェール越しに壇上のリーンハルトを見つめながら、少し心が浮き足立つ。
こんなにたくさんの色に溢れているのだから、殿下の瞳も見たことがない色に違いない、と。
ルージェはそう考えている自分に気づき、髪色一つでここまで気持ちが変わるなんて、と自分の心の変化におかしくなり、唇を少しほころばせた。
参列者が色取り取りの髪の色をしているので、お花畑の海にいるかのような今までしたことのない体験に、何か不思議な空間に迷い込んだ気がして、本当は立ち止まってゆっくりと見渡してみたいルージェだった。
ルージェはさらにその先の壇上を見て、壇上のほとんどの人が銀髪をしているのがわかり、リーンハルトの髪色は皇族の遺伝なのだと悟った。
そういえば参列者席には銀色の髪の者はいない。
(銀色にも色々な濃さと色味があるのね。リーンハルト殿下は濃すぎず薄すぎず、調度いい色合いで白銀に近くて一番キラキラしてるわ)
ルージェがそんなことを考えながら壇下に到着し、慎重に壇を上ってリーンハルトの左横に立つと、教皇が口を開いた。
「今日のよき日に、女神のご加護の下に集う皆に祝福が与えられん。すべての始まりは、女神アナイスが対なるものに与えた祝福に始まる。天と地へ、太陽と月へ、光と闇へ、火と水へ、実と虚へ、すべては豊穣へ、安寧へ、繁栄へ、導かん………」
帝国の国教では、結婚を司り祝福を与えると言われているのは豊穣の女神アナイスである。
「その祝福の下、未来永劫の契りを交わす二人に神々の祝福が与えられん」
経典に教皇が手を置く。
「神々の御前での汝の名をもって誓いを立てよ」
そして、リーンハルトに向かって呼びかける。
「汝の名はリーンハルト・フォン・バーシュタイン」
教皇がリーンハルトを見つめ促す。
それを受けて、リーンハルトは続ける。
「我が名の下に、ルージェに永遠に愛と忠誠を誓う。我が身、我が心の純潔を生涯捧げよう」
リーンハルトの言葉に教皇は頷くと、ルージェを見た。
「汝の名はルージェ・ド・ラルジュテーレ」
教皇に会釈をし、ルージェナが続ける。
「我が名の下に、リーンハルト殿下に永遠に愛と忠誠を誓います。我が身、我が心の純潔を生涯捧げます」
教皇は講壇上の手元にある誓約書を手のひらで指し示した。
「神々の御印に汝らの名を刻み、誓いを立てよ」
教皇の後ろに控えていた従者が、教皇の元から恭しく契約書を受け取り、別の従者に渡すと、その者が階段を降りて一段下の台の上に設置した。
「署名を」
教皇が促す。
それを受けてリーンハルトが階段を昇り、真ん中の段に上がると、台の上の誓約書の皮紙に署名をし、横に下がり教皇を見た。
教皇は頷き、ルージェを促す。
ルージェも同じく階段を昇り、誓約書に署名をした。
署名をしたルージェにリーンハルトが近づき、並んで共に教皇を見上げた。
楽器の演奏が始まり、大鐘が鳴り始めた。
「ここに………」
ドォーーーーーン!!!!!
ガシャーーーーーーーン!!!!!!!
突如、教皇の言葉を遮って、轟音が鳴り響いた。