13,一夜明けて
初めての夜が明けて、抜けるような晴天が広がるあくる日の朝がやってきた。
陽が東の果の空へ顔を出してからしばらく経ち、屋外の空気は少し温かくなって過ごしやすく動きやすい。
ヨアンナは気持ちの良い陽気とは裏腹に、いくら呼んでも返答がないルージェの部屋の様子を心配していた。
扉の前でどうしようかと一人右往左往していたとき、ヴォルデマーがやってきた。
皇帝から召集がかかったので、リーンハルトを迎えに来たとのことだった。
二人は初対面の挨拶もそこそこに、ルージェも一緒の登城となるから支度を急いだ方が良さそうだと話し合い、さらに声を掛けてもやはり反応がないため、寝ているのであろうと判断し扉を開けることにした。
「扉をお開けいたしますよ!」
思わず扉の横の護衛騎士が驚くほど、ヴォルデマーは声を張った。
反応はない。
「リーンハルト様、妃殿下………失礼いたします」
ヴォルデマーが扉を開ける前に断りを入れる。
「リーンハルト様?」
「ルージェ様………」
念のためヴォルデマーとヨアンナはそれぞれが主の名を呼び、声を掛けながら、扉をゆっくりと開いた。
側近達が遠慮がちにそっと覗いた先には、少し昇った陽の光が優しく差し込むソファーの上で、肩を寄せて頭をもたれ合い、お互いの手を取って寝ている無防備な新婚二人の姿があった。
まるですべてを預け合った天使達が寄り添い合って心安らかに束の間の休息を貪っているようで、その場に繰り広げられていた絵画のような景色にヨアンナは息を止めた。
ヴォルデマーも同じだったようで、見惚れたあとに二人で思わず顔を見合わせた。
しかしすぐ、ヴォルデマーは顔を引き締め、「妃殿下には不敬となります事、どうかお許しください」と言い残し、わざと大きく足音を立てるように大股で二人に近づいて行った。
「朝ですよ。リーンハルト様、お目覚めください」
心地よさそうに眠り続ける二人の近くに寄り、大声で声を掛けた。
「………ん………」
リーンハルトからやっと反応があったものの、まだ起きない。
対してルージェは、重い瞼を持ち上げて薄目を開けた。
「リーンハルト様っ!!!」
ヴォルデマーが、今度はより大声で一括した。
ルージェはその声で目を大きく見開き、飛び上がって上体を起こした。
今まであった支えがなくなり、眠ったままのリーンハルトはそのまま後ろに頭から崩れ落ち、ソファーの背にもたれ掛かった格好になった。
腕と足を広げお腹を出して、日向ぼっこしている猫のようになっている。
「いい加減に起きてください!」
さらに音量を上げてヴォルデマーが促すが、未だ眠りの中にいるリーンハルトは目を閉じたままで返事をした。
「ん、………………………ヤダ…………」
そう答えると横を向き、足を畳んで引き上げ両腕で抱え込むと、これまた猫のように丸まった。
リーンハルトのその様子を見て、ヴォルデマーは無表情のまま腕を組む。
そのままヨアンナに向き直ると、視線を合わせ頷き合った。
頷きを受けてヨアンナがルージェに近づいた。
「おはようございます。ルージェ様」
ヨアンナはルージェが目を覚ましたのを確認すると、横で交わされているヴォルデマーとリーンハルトの成り行きに構わず、にこやかに挨拶した。
あらかじめヴォルデマーから、リーンハルトはすぐには起きないだろうから手荒な起こし方になっても許して欲しい、そして気にせずルージェの支度を進めて欲しいと言われていたからだ。
まだ現状をよく把握できていないルージェは、目をパチパチとしばつかせている。
「………おはよう」
目を擦りながら、朦朧とした中でやっとたどり着いた言葉で、ルージェはゆっくり挨拶した。
「おはようございます。妃殿下。朝から大声で起床をお邪魔してしまい、大変申し訳ございません」
ルージェの朝の返答を見届けると、今度はヴォルデマーが頭を下げて挨拶をした。
「このような場での初のご挨拶となり、重ね重ね申し訳ございません。わたくし、第七皇子首席補佐官のヴォルデマー=アムスベルクと申します。以後よろしくお願い申し上げます」
「………………えっ!」
焦点の定まらない目でなんとなく眺めていた長身の男性の淀みない挨拶を聞いて、完全に目が覚めたルージェは瞳を見開き、慌ててヴォルデマーに向き直り、恥ずかしさから頬を染め急いで頭を下げた。
「こちらこそ、申し訳ありません! よろしくお願いいたします」
頭を下げた瞬間に勢いよく流れ落ちた金髪に陽の光が当たり、煌めきを放ったルージェは、寝起きにもかかわらず光り輝くようだった。
ああ、すぐに起きないばかりにこの姿を見逃すなんて、リーンハルトはもったいないことをしたなと、ヴォルデマーは主君に代わり後悔をし、同情をした。
「早速で申し訳ございませんが、皇帝陛下から呼び出しがかかっております。お支度をお願いいたします」
ヴォルデマーに再度頭を下げられ、ヨアンナがルージェの手を取った。
「さあ、こちらへ」
続きの間にそのまま連れて行こうとしたが、ルージェが軽くヨアンナの手を引っ張り立ち止まる。
「お見送りを」
寝起きの掠れた小声でルージェが言った。
内心どうなるか気になっていたヨアンナも頷き、成り行きを見守ることにした。
「リーンハルト様。お聞きの通りです。お部屋に戻りますよ」
「………なに? 聞いてない。…まだ寝る」
「陛下より召集です。起きてください」
「んっ………ヤダって………」
どうやっても起きそうにないリーンハルトに、ヴォルデマーは腰を手に当てて頷いた。
「そうですか、わかりました」
ヴォルデマーのその返事に、リーンハルトが満足げな表情になった。
「じゃあ、もう少し寝る………」
そう言って再び寝息を立て始めた。
「では、エドヴィン団長をお呼びします。抱きかかえて運んでいただきましょう」
ヴォルデマーの容赦ない言葉が飛んできた。
「え? エド? 来てるの? それはやだ」
夢の世界に入りかけたリーンハルトが、慌てて跳ね上がるように飛び起きた。
そんな現金なリーンハルトに、ヴォルデマーが鋼鉄のような表情で聞いた。
「始めから聞き分けよく、どうして起きられないのですか」
「眠いから」
「………」
ヴォルデマーはリーンハルトの子供の様な返事を聞いて、心底あきれた顔で間を置いて一言「行きますよ」とだけ言って踵を返した。
「朝から申し訳ありませんでした。迎えを寄越しますので、リーンハルト様とご一緒に登城されてください」
「かしこまりました」
ヴォルデマーは立ち尽くしていたヨアンナとルージェに声を掛け、ヨアンナが了承しルージェが頷いたのを見届けると、一礼してリーンハルトより一足先に扉へ向かった。
その後を、ソファーからは慌てて立ち上がったものの、いつもの様子に戻りゆっくりとした動作でリーンハルトが追いかける。
ヴォルデマーの後についていくリーンハルトに頭を下げたルージェに向かって、リーンハルトは「またね」と声を掛けて扉に向かい、両腕を上げあくびをしながら伸びをして退出していった。
扉が閉まった途端に、退室を見送るためずっと下げていた頭を上げたヨアンナがルージェに向き直った。
主従の二人のやり取りがよほど面白かったのか、ヨアンナは興奮冷めやらぬ顔になって話し始めた。
「想像と違うお方でしたね」
「ね。お可愛らしいところもおありなのよ」
「可愛いというより、駄々っ子? ですか」
ヨアンナ節が息を吹き返した。
言い得て妙な言い方に思わず、ルージェは吹き出す。
「ぷっ………。繊細なところもおありだから」
笑いをかみ殺してルージェは答えた。
その返答に、疑い深そうに一呼吸置いてヨアンナが言う。
「………気を付けます。補佐官様の方が怖そうでしたね。礼儀正しくて、間違いなく引く手数多のお顔立ちでいらっしゃいましたけれど」
「あら?」
ルージェから揶揄される雰囲気を感じ取って、慌ててヨアンナが否定した。
「王国における世論ですよ! 一般論です。客観的に見て、です」
「ふふ、そういうことにしておきましょう」
確かにヴォルデマーは、瞳の色が赤いことを除けば、襟足長めで真っ直ぐな髪質の黒に近い濃紺色の髪や、切れ長の目が特徴のすっきり整った顔立ち、リーンハルトより少し高い身長に綺麗そうな筋肉がついている体躯など、どれをとっても王国へ行けば女性達が放っておかない容姿をしていた。
普段は人の姿形などあまり気にしないヨアンナが口にするのも無理はない。
帝国では王国と違い、色々な容姿の人達を見てきたので、余計にそう感じたのかも知れなかった。
「それよりもお支度を急ぎませんと」
「そうね」
二人は真顔に戻って頷き合い、着替えのために隣室へ急いだ。
* * *
「リーンハルト第七皇子殿下、並びに、ルージェ妃殿下のご入場」
先触れを受けて、控えの間からリーンハルトとルージェが謁見の間の扉へとゆっくり歩を進めた。
皇族の中で最後に謁見の間に続く控えの間に入ったリーンハルトとルージェは、腕を組んでいた。
結婚後の皇帝への最初の謁見では、それが仲睦まじい様子を演出するための恒例となっている。
昨日の式は途中で中断してしまったので、他の皇族との正式な場での初めての顔合わせに緊張していたため、呼ばれて歩き出した一瞬、ルージェは顔を強ばらせた。
かけ声を後に謁見の間の扉を通った早々、二人は一斉に大量の視線を受けた。
その視線のすべてが、すぐにルージェに集中した。
集中した瞬間、謁見の間の時間が凍り付いたようになり、張り詰めた空気が部屋に充満した。
皆の視線を一身に浴びながら歩き始めてまもなく、天窓から差し込んだ光がルージェの金髪と、リーンハルトの銀髪に反射し明るくあたたかく大きく広がった。
しかし、場の空気は簡単に溶けてはくれなかった。
登城の馬車の中で、おそらく好奇の目に晒されるであろう事の注意はヴォルデマーから聞かされていたものの、予想以上だった。
ルージェが皇族や大臣や主立った貴族達の前に素顔を晒すのは初めてであったので、皆が興味津々であったのだが、その姿を見た途端に、視線が強い驚愕に変わっていたのだ。
特にヤヴィスの視線が、驚愕の表情から憤慨と嫉妬の表情に変わっていったのをリーンハルトは目の端で捉え見逃さなかった。
「昨日は大義であったな、リーンハルト」
リーンハルトが挨拶の口上を述べる前に、父親らしい言い方で皇帝ディデリック自らが先に声を掛けた。
「儀式は滞りなく無事にすべて終えられたか」
「はい、陛下。つつがなく。お心遣いを賜りありがとうございます。ゆっくりと休ませていただきました」
それを聞いてヤヴィスの目が粘着力を持って光った。
「そうか。それは重畳。以後も皇族としてふさわしい行動を心がけよ」
「深く心に刻みます」
リーンハルトの返事を聞くと、ディデリックはルージェへ視線を移した。
「………ルージェも大義であった。来国して早々、心安らぐ暇もなかったであろう。大変な思いをさせた。リーンハルト、よく労ってあげなさい」
ルージェとリーンハルトを交互に見てディデリックが言う。
そのあと何か含むようにリーンハルトを見ながら一呼吸置いた。
そして再びルージェを凝視した後、リーンハルトを見て確認するように言った。
「……しかしこんなに見目麗しいとは。聞いていた話とは違うな。……リーンハルト、嬉しいであろう」
リーンハルトに肯定の意を期待し促す口調だった。
(私が……見目…麗しい?)
ディデリックが放った言葉に、ルージェは違和感と疑問を覚えた。
初めて聞いた言葉に、思わず眉をひそめ表情が崩れそうになったが、誰でもないこの国の皇帝の面前なので堪えた。
いつもならば何を言われても表情なんて動きはしない。
そしてすぐに、帝国流の、自分が経験したことのない新たな嘲笑の仕方なのかしら?と思いつく。
ヴォルデマーも好奇の目に晒されると、言っていたではないか。
「はい。陛下には感謝申し上げます」
すんなりと認め答えたリーンハルトの姿に、ディデリックの言外の意味を感じ取っての事だろうとルージェは思った。
「そうかそうか。しばらくはゆるりとするがよい」
返答に満足したのかディデリックは機嫌良く頷き、それから表情を一変させて威厳のある声で言った。
「では宰相、始めよ」
「かしこまりました」
頷いた宰相が詔書の巻物を紐解き、広げた。
「皇帝陛下よりの詔書である」
そこで宰相は声を張り上げた。
「ワーレン第二皇子の内乱画策を受け、第二皇子は皇籍剥奪、皇位継承権剥奪、廃嫡とする。
正式な裁定は、法務省に一任するものとする。身柄はバース監獄に置く。
それに伴い以下の通り、第二位以下の皇位継承順位を繰り上げるものとする。
第二位、ノアナ第三皇女。第三位、シャルロッテ第四皇女。第四位、ボードー第五皇子。第五位、ネフェン第六皇子。第六位、リーンハルト第七皇子。第七位、ツェツィル皇弟大公。綱紀粛正をより徹底せよ。
次に、ヤヴィス第一皇子立太子の儀は混乱が静まった後に行うものとし、来月より先に延期するものとする……」
二人が謁見の間を出ると、ヴォルデマーが待機していた。
「リーンハルト様、レイテ長官より呼び出しがありました」
「また呼び出し? めんどくさいなー」
丁寧に一礼して二人を迎えたヴォルデマーに、リーンハルトは不服そうに言った。
「はい。ぜひ、妃殿下もご一緒にとの事でございます」
ヴォルデマーがルージェを見て言う。
ルージェはその視線を受け、うなずいた。
リーンハルトは二人の様子は気にも止めず、嘆いた。
「はー、嫌な予感しかしない。僕、昨日なにか、失敗した?」
「私には分かりかねます」
ヴォルデマーはいつものことと、淡々と対処する。
「しかたないなぁ。…じゃあ、ルージェ。行こっか」
リーンハルトがルージェに視線を向け、言葉とは裏腹に心底行きたくないという顔をして言った。
「次は、魔法省だ」