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12/14

12,完敗を喫する



     



 どれくらい経っただろう。

 しばらくしてリーンハルトの震えが収まり、呼吸が整ってきた。

 

 整ってくると我が戻ってきて頭も冷え冷静になり、リーンハルトは先程までの自分が恥ずかしくなってきた。

 

「はーーーっ………もう………、ホントに勘弁してくれよ…。……こんなみっともないとこ、見せるつもりなかったのに」


 リーンハルトが大きな溜息を吐いて、心から参ったように呟いた。


 胸の前で腕を組んだまま片手だけ解いて挙げ、手で大きく顔を覆うように広げ指先だけ軽く顔周りに付けて、リーンハルトは目を瞑った。

 

 ルージェはリーンハルトのその言葉を聞いて、ずっとうつむいていた顔をゆっくり上げ、真っ直ぐリーンハルトを見た。


 すでに顔から手を離し、ルージェを見つめていたリーンハルトと瞳がぶつかる。


「降参だ」


 目が合った途端に、リーンハルトが短く言った。


「はい?」


 ルージェは何の負けを認められたのかわからず、戸惑いの表情を浮かべている。

 この表情もかわいいなと、頭の片隅でリーンハルトは思いながら言った。


「お前には負けた」


 そうだ、一目見たときから惨敗を喫していたのだ。


 始めから勝ち目はない。

 

 ヴェールが外れたあの瞬間に、勝敗は決していたのだ。

 

 ルージェの一人勝ち、圧勝だ。

 

 ヴォルデマーの言うとおりだったと、リーンハルトはとうとう自分で認めた。

 かといって素直にヴォルデマーに対して認める気はさらさらないが。

 

 自分のことを懸命に見上げるルージェと、リーンハルトは向き合う。


 リーンハルトには、何のことだかさっぱり分からないというルージェの表情も、眉をひそめ唇が下がっているのに金色の瞳が大きく開いて輝いている様子も、一度認めてしまうとすべてが愛おしかった。


「………?」


 自分の今の言葉の意味を説明せずに、リーンハルトは素直に謝罪の言葉を紡いだ。


「元々巻き込んでしまったから謝りに来たのに、もっと傷つけるところだった。ごめん」

「いえ? 始めから殿下は、何も謝られるようなことはしておいでになりません」


 何の疑問も持たずにルージェは否定した。


 そんなこと本気で言うのかと、リーンハルトは平然としているルージェの顔を見て思う。

 道理で敵わないはずだ。


(一目で見抜いた僕も大概だ)


 リーンハルトは自ら落ちたことを隣に置いておいて、皮肉にも自分を褒めてやりたくなった。


(そういえば、助け起こしたときに声を聞いたときから変だったな……)


 改めて細部まで、リーンハルトは記憶を辿り思い出した。


―――そうか、あの時にすでにもう決していたのか。


 思い当たり、覚悟を決めて宣言するように言った。


「答えるよ。今度こそ。何でも」


 敵わないものは敵わないのだから、逆らわないのが賢明だ。

 こんな考え方今まではしなかったのになと、リーンハルトは思った。

 

 ふーっと長く息を吐くと、リーンハルトは続けた。


「………本当は、兄上には申し訳ないと思ってる」

「そう思うほど仲がよろしかったと?」

「ああ。優しい兄だった」

「だから苦しそうだったんですね」

「うん………」


 認めてしまえば何のことはない。

 そうだったという事実が残るだけだ。

 リーンハルトは自分が清々しいほど軽く、空っぽになった気がした。

 気付かぬうちに余分なものを抱え込んでいたのだとわかった。

 

「ご心配ですよね」

「ああ、でも容態は大丈夫だと報告があった」

「それは安堵いたしました。大きな怪我はなされていないご様子でしたものね。リーンハルト殿下は、それでも肩の荷が下りずにご自分を責めていらっしゃったんですね」

「そんなことないけど……」

「素直になるっておっしゃったばかりなのに」

「………うん………」


 リーンハルトは、ばつの悪い顔になった。


 すぐには何事もうまくは行かないものだ。

 心を乗りこなすには自分のものなのに自分が一番難しい。


「ワーレン殿下がどのようにお考えかはわかりませんが、私はリーンハルト殿下を支持します。正しく、責任を感じることのない行動を取られたと思います。それに、兄上様をご心配されて、やっぱりお優しい方だと思いますよ」


 そこまで言うと、ルージェは急に慌てたように言葉を続けた。


「あっ、先程は心配されているから優しいと言いたかったのではなくて、お人柄自体がお優しいとお伝えしたかったのです」


 その言葉にリーンハルトは驚く。


「………初めて言われた」

「そうなのですか? 意外です。側近の方々はお感じになっていらっしゃるはずですよ」

「そう…見えない」

「見えずとも、心では思っていることはあるものです」

「うーん」

 

 納得がいかないという顔をしているものの、リーンハルトの表情は柔らかいものに変わってきていた。


「少し、安心いたしました。お顔に血の気が戻って来られました」

「そう?」

「ええ。先程とは逆ですね」

「僕が心配される番?」

「はい」


 ルージェは、にっこり微笑んだ。

 充分だった。

 たったひとこと認めただけで、心が楽になったのではないだろうか。

 

 表情がまるで違う。

 哀しみまでは癒えないとしても、私がヨアンナやハーバートにいつもしてもらっているようにできただろうかと、ルージェは肩の荷をやっと下ろしたような気がした。


「余計なことをいろいろとおしゃべりしてしまって申し訳ありませんでした」

「ううん、いいんだ。こっちこそ、ごめん。色々言ってしまって。他に聞きたいことはない? なんでもいいよ」


 ルージェは「そうですね……」と言って黙り考え込むと、本当にいいのかなと迷いの表情を浮かべた後、決意を固めた顔をした。


「どうしてすぐ、ワーレン殿下だとおわかりになられたのですか?」

「ああ………雷と炎が見えたから。兄上の得意魔法なんだ。あと、規模が大きかったからそれなりに魔力量がないとね」


 ルージェはなるほどとうなずく。


「ワーレン殿下はクーデターを起こそうとなされたのですよね? どうして皇帝陛下だけでなくヤヴィス殿下にまで、すぐに結界を張られたのですか。実際に狙われていましたけど」


 続けて新たな疑問を投げる。


「兄上が狙うとしたら、ヤヴィス兄上と父上二人同時だって思ったんだ。本当に狙いたいのはヤヴィス兄上。体制を覆したいなら父上かなって。ヤヴィス兄上をなんとかしても罪に問われたらおしまいだ。…なぜ狙われたかは、どこの国にもあるように、次期皇帝候補は自分の座を守ろうと他の有力候補者を排除しようとするだろう? その対象が小さい頃から、もっとも可能性のあるワーレン兄上だった、ということだよ」


 リーンハルトの表情がまた少し陰りを帯びた。


「ワーレン殿下はそこまで追い詰められてしまわれたのですね………お気の毒に」

「うん………。お気の毒って思ってくれて、ありがとう」


 小さい声でお礼を言うと、リーンハルトがまた暗く思い詰めそうな表情を纏い始めた。


「……ねぇ………僕は兄上に、なにかしてあげられたのかな………」


 リーンハルトの表情を見てルージェは少し思案する。

 リーンハルトの顔色も気にしつつ、でもはっきりとした口調で言った。


「………難しかったのでは、ないでしょうか………。ご兄弟とはいえ、最終決断を下すのはその方の気質のような気がします。話を聞いたりご助力したりして、色々なことを、重荷を、少し軽減したりできても、結局はご本人次第。それにご本人を変えるのはご本人だけです」


 リーンハルトが目を少し見開いた。


「………驚いた。もっと生ぬるい返答が返ってくるかと思ってた。意外と現実的で大人な意見なんだな」


 対してルージェは、それを聞いても普段通りの表情だ。


「私が泣いたからですか? 殿下を心配したからですか?」

「うーん、かもしれない。性善説を信じてるのかと思った」

「せいぜんせつ?」


 ルージェは聞き慣れない言葉を聞き返して首を傾ける。


「ああ、教会が唱えている。本来人は生まれながらに善人だけど、罪や感情や考えや環境によって生きているだけで汚れるんだってさ」


 それを聞いてルージェは少し思案顔になった。


「………だから、浄化のためのお布施を寄越せと?」

「そうだ。ぷぷっ………話が通じる妃で助かる。まあ、そうならないよう神に近づくために行動言動に注意しろと対外的には説くんだが。ルージェと話をしていたら、それを地でいくような感じがしてた」


 リーンハルトは楽しそうに言葉を返した。


「まあ。これでも一国の王女ですよ」

「そうだった! それで人質に来たんだった!」

「殿下。……」

「ごめん、ごめん」


 そこまで突っ込んだ物言いを冗談めかしてしても、軽く嗜めるような意味合いを含めて名前を呼んだだけのルージェに、リーンハルトはまた感心する。


 なんて内なる均衡を持った王女だとますます興味を惹かれた。

 純粋で、脆そうでいて、狡猾さをよく分かっている。


「もう、あまりご自分を責めないでくださいね。罪悪感は、少しは癒えたように見えますけれど。………見えるだけかもしれませんけど」


 ルージェは最後の一言を小声で呟いた。


「うん? なに? 聞こえなかった」

「いえ………素直にワーレン殿下のこと、もっとお聞かせください」

「うん。……」

 

 促されてリーンハルトはワーレンの人となりや子供時代のことなど、少しずつ思い出しては語り始めた。


 そうすることで少しずつまたリーンハルトは我知らず楽になっていった。

 


 そして話して笑い合う度に、二人の距離は近づいて肩が触れそうなくらいになっていっていた。


 明け方が近くなり空が白み始めた頃には、いつの間にか二人共に話をしながらうとうとと船をこぎ始めた。


 相槌を打って話を聞きながら、眠気にあらがえなくなって始めに瞼を重そうに閉じたのはルージェだった。

 

 リーンハルトは眠りに落ちる直前の、自分の意識も限界の中で隣のルージェを、壊れやすい宝物を触れたくて、でも怖くて戸惑って遠くから眺めているときのように大事そうに見つめた。

 

 そしてとうとう本格的に眠りに落ち、自分の肩に頭を預けて静かな寝息と共に寝始めたルージェの手をそっと取り重ねた。

 そのままリーンハルトは引き寄せられるように、自分もルージェに頭を預けた。

 

 落ちた先は思いのほか居心地が良さそうだと感じながら、リーンハルトは微笑みを口元に浮かべた。

 

 リーンハルトはそのまま意識を手放し、安らかに眠る早くも愛しの妃となったルージェのその横で、並んで眠りについた。







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