11,なんなんだ?
リーンハルトはルージェの涙に、いきなり感情をすべて持っていかれたかのごとく驚いて、一気に揺すぶられ狼狽えた。
「あっ……えっ……………」
咄嗟に掴みたいけど掴めないで諦めたときのように、リーンハルトは掌を少し開き、空中に片手を持ち上げた。
「ごめ………」
咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出ようとしていた。
リーンハルトが言いかけた言葉で我に帰り、ルージェは自分の状況を把握した。
「えっ? ………ああ」
霞んだ視界のまま声をかけられた方を向き、そこで初めて泣いていたのを気付いたようにルージェは謝った。
「申し訳ありません。こんなつもりでは無かったのですが」
先手を打たれてリーンハルトは何も言えなくなってしまい、行き場のなくなった手を膝に下ろす。
ルージェは頬を、両手を広げたまま細い人差し指で拭う。
一回では拭ききれず、指と手の場所を代えては落ち着くまで拭いたので、手が甲の方まで全部濡れてしまった。
夜着にも染みができている。
「なにかが引っかかって………。引っかかったら、溢れてきてしまっていたみたいです」
「………ごめん、きつい言い方をした。ルージェは何もしていないのに。完全にやつあたりだ」
リーンハルトは手を膝から腿に摺り上げてぎゅっと両手を握ると、歯も食いしばった。
後悔でいたたまれない顔をしている。
ルージェはその様子を見て、自分がリーンハルトを責めてしまったように感じ慌てた。
「いえ。色々言われたからではありません。却って不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。違うんです、あの…………」
何か、何か言葉がないだろうか。今度こそ、ちゃんと伝えなければ。
「…………なんだか、哀しくなってしまって」
そう、感じたものは哀しみだ。
ルージェは涙と共に余分なものが洗い流され、明瞭化した気がした。
ルージェのその言葉を聞いて、ふいに何かに気付いたときの様に驚いた表情をしてリーンハルトが謝る。
「本当にごめん。言い過ぎた」
「違うんです! 私自身が哀しいのではなくて!」
「………?」
リーンハルトが不思議な顔をした。
「不甲斐ないです、私。感じたことをお伝えしたかったのに、うまく言えなくて。こんなこと言って、幼子みたいですね」
ルージェは濡れた手で太腿部分の夜着を握りしめた。
伝えるだけ伝えてみよう。
聞けるだけ聞いて、自分の心でぶつかってみよう。
決心したんだから。感じたことを信じてみよう。
多分、殿下は卑屈なことはお嫌いなんだろうと思う。
それに、これから一緒に歩む人だから。
「………実は仰っていることは、途中から入ってきていませんでした。もちろん、聞いておりましたよ! お聞きしてはいたのですけれど、本当に殿下がおっしゃりたいことと違うって何かに訴えかけられたというか………奥に何か本心が隠されて佇んでいるような感覚があって………。それを追いかけていたというか、探っていました。あのっ、あの………私が哀しいのではなくて、哀しみに触れたからなんです。………殿下の中に…お心の中に、哀しみがお有りになるのではありませんか」
一気にルージェに畳みかけられるように言われたことで呆然となりながら、リーンハルトは答えた。
「なに…………言ってるの?」
ルージェからの思いも寄らない問いに、リーンハルトは、こいつは何を言っているんだ? 全く何を言われているのか、言っているのかわからないという、混乱し愕然とした表情をした。
ルージェは胸の前で両手を合わせて指を組んだ。
そして、決意したように質問をした。
「ご無理なさっていませんか?」
「してない」
「本当は、とてもすごくお辛いのでは?」
「ぜんぜんわからない」
「心をわざと閉ざして、麻痺させているのでは?」
「だから、知らないってば」
「………本当はワーレン殿下のこと、ご心配なのでは?」
「そんなことない!」
これ以上は我慢ならないと、身体を曲げて大声でリーンハルトは叫んだ。
ルージェはその大声にも動ぜず、両手を太ももの上に乗せると、背筋を少し伸ばした。
「兄上様との戦いを後悔なさっておいでなのでは?」
「してない!」
「罪悪感を感じてはいませんか」
「感じてない!」
「お兄様を助ける別の方法があったかもと思っておりませんか」
「思ってない! あった訳ないだろう、あの状況で。あれが最善だ。………もしあったとしたら、思いつかなかった僕が悪い」
「………すべてご自分でかぶるおつもりなんですね。全部飲み込んで」
「何を、言っているんだ? さっぱり分からない。だから、僕から、攻撃したんだから、すべて責めを負うつもりだよ」
「そんなご自分を責めるような言い方をなされなくてもよいのではないのでしょうか。混乱もして戸惑われて当然です。お相手が実の兄上様だったのですから。それを差し引いても、感情を閉じ込めてしまわれなくても、心配してもいいと思います」
「なんなんだ、もうっ!」
間髪入れぬ言い合いにリーンハルトが苛ついて、またさらに大きく叫んだ。
それでも言いたいことを言ってしまって止まらなくなったルージェは、追い打ちを掛ける。
「ご自身をわざと貶めているとしか聞こえませんでした。もしかして、責任を盾にご自分をお許しになれないのでは? こんなことになった後悔と哀しみを抱え込んでおられるのではありませんか。押しつぶされそうになっておられませんか。殿下のお心が心配です。聞きたかったのは、その事です。倒れたワーレン殿下のご様子を伺う殿下が、あまりの事実に打ちひしがれているように感じましたので」
「………ホントに」
詰まった喉から絞り出すようにリーンハルトが声を出した。
「本当に…………お前は一体、……………………なんなんだよ………」
唖然とした表情のリーンハルトの目尻から、意図せずポロリと滴がこぼれた。
唇が震えて、次にそこから出た息も声も震えた。
そして唇を中心にして波が広がるように上半身、全身へと震えが広がる。
リーンハルトは懸命に押さえ込んで、その震えに打ち勝とうとしていた。
「………申し訳ありません。そうですね……なんなん? でしょうね………私も自分の中からこんなにたくさん言葉が出てくるとは思っていなかったです」
二人共に、言葉が途絶えた。
そうして二人で、黙り込んでしまった。