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10/14

10,初夜は、続く






「あの時は………すぐに連れ出せなくてごめん。僕の側で怖かったよね。下手に近寄って僕の攻撃を邪魔しないように、周りが配慮したんだ」


 上半身を少し前に傾けて、身体が一回り小さくなったように縮こまり、申し訳なさそうな心許ない顔でリーンハルトが謝った。


 ルージェは頬の手を放し、今言われたことを掌の全体を使って否定するように「いえ」と言って押し下げ、そのまま自らの腿に両手を重ねて置いた。


「守られているのがすぐに分かりましたから。攻撃を防いで、結界も張ってくださいましたよね? リーンハルト殿下なら私が近くにいても、守りながらでも大丈夫だと判断されたんですね」

「うん」


 リーンハルトが素直に頷く。


「ああいうときは下手に近づかれると逆に危ないんだ。その分、両方の対象が増えるし。……でも、凄く気丈だったね。女の子だから恐怖で気を失っても仕方ないと思ってた」

「………尻餅、着いていましたよ」

「はは! ………大丈夫。それくらいはね」


 リーンハルトは真剣な顔を一転して、目尻を緩めて笑った。


「お恥ずかしいです。私には魔力がないので、あんなに近くで攻防戦を見たのは初めてでした」

「なら、余計に悪かったかな」

「もう本当に、謝らないでください。それよりも………」


 会話の気まずさから逃げるために、自分の中から流れ出すように言葉を発してしまったものの、聞いていいのかルージェは迷う。


「なに? いいよ、なんでも聞いて」

「ええ………」

「もしかして………どこか具合が悪いの? 問題ないって、聞いてたけど」


 リーンハルトが眉をひそめて心配そうな顔になる。


「大丈夫です! 身体に問題はありません」

「よかった。じゃあ、萎縮…してる? ………本当は、僕が怖い?」


 ますますリーンハルトの表情の暗さが加速して、心配と不安が入り交じった顔になった。

 リーンハルトの青い瞳に、張り詰めた重い雰囲気とは裏腹に、晴れた日差しが強い日に青く澄んだ深い沼の水面に落ちる濃い木陰のように、影が落ちて揺れる。


「えっ? とんでもないです! そのようなことはございません。殿下には初めて今日、お目にかかりましたけれど………」


 ルージェは微塵も考えた事もないことを言われて、驚いて否定する。


 否定はされたが、リーンハルトはまだ不安そうな顔でルージェにちょっとだけ、無意識のうちに顔を近づけて来た。

 動いた瞬間に、リーンハルトの青い瞳が一瞬光を反射して深い夜の月光のように輝く。

 

 静かに小声で、優しく囁くようにリーンハルトはルージェに先を促した。


「…けど?」


 リーンハルトが近づいて来たからなのか、これから言うことの内容のせいなのか、ルージェは恥ずかしくなって、思わず下を向いた。


「その………、あの………お優しい方だと、思って、おり……ます」


 最後は消え入るように、顔を真っ赤にして俯いて答えた。


「………ッ」


 飛び火したように、今度はリーンハルトの顔が燃え上がった。

 熱に反応して弾けるように、身体を後ろに引く。


「なん、なんで?!! あんな戦いを見た後に!!!!! だって、兄上と!! 目の前で!」


 思ってもみないリーンハルトの慌て方をみて、ルージェはやっぱりうまく伝えられなかったんだ、言葉が足りなかったんだ、と自分を責め、恥ずかしがらずに思ったことをもっとちゃんと伝えたいのに言えなくて焦り、必死になる。


 でも、上手い言い方が見つからない。

 気持ちだけが先走る。


「純粋に驚いたのと、人柄を感じたのとは別のことです。こうやって……お話して、感じました」

「………何も、まだ、話してない。いや、会話はしたのか……でも、ちょっとしか話してないし、大した話はしてないよ」


 首を振って言葉を紡ぎながら、信じられないという様に、リーンハルトの顔がまだ直らない。


 感じたものをどう伝えたらいいのだろうと、言葉では伝えられないことにルージェはもどかしくなる。


「戦いの最中も、お声を掛けてくださいましたよね」

「それは……普通にみんなするよ、あの状況なら。意思疎通の範疇だ」

「そうでしょうか………。非常事態だからこそ、感じられるものがあると思うんです」


 無意識に両手を祈るように力強く組んで、ルージェは続ける。


「現に今も、殿下はたくさん気を遣ってくださっています。行動で、言葉で、仕草で、心で、雰囲気で、全身で、殿下の全部で、伝えてくれています。その人自身から溢れ出るもの、私の中のものと共鳴するもの、お会いするとわかるもの。直に接して感じて、伝わることがあります。私はそれを、感じたのです。それに………」


 先程から聞きたいことは別にある。


 ルージェは自分でも知らぬ間に腿の上で固く組んでいた自分の手を見つめながら、言葉にしていいものかどうか、どんな風に切り出すか迷いながら、言いにくそうに慎重に口を開いた。


「あの………ワーレン殿下をとても心配されていたように、お見受けしたのですけれど………」


 突如、ルージェのその言葉を聞いて、リーンハルトの顔から表情が消えた。

 

 その様を見た瞬間、ルージェは息を飲んだ。続くはずだった言葉と共に。


「………そこを、見てたんだ」


 まるで、前触れなく突然の突風を受けて、勢いよく扉が閉まる音が聞こえたようだった。

 しかもわざと目の前で。

 

 リーンハルトはルージェから視線を外して、正面を向き直した。

 横顔が凍り付いた様に白く、瞳から光が消え、通った鼻筋が冷たく聳え立った山のように凜として、唇が青くなり、すべてのものを拒んでいるようだった。

 

 ああ、やっぱりこんな風にうまく言えないまま聞くんじゃなかったとルージェは後悔した。

 

 切り出す最初の質問を間違えた。

 

 ただ、心配なだけだった。

 リーンハルトのあの時の表情が気がかりなだけだったのに。

 

 慌てて何かすぐ効くいい言葉がないか、うまい説明はないか、良い言い訳はないかと自分の中から言葉を引っ張り出してくる。

 

 でも、見つからない。

 

「あの……お辛そうだったので、殿下のことが気になっておりました。お心を痛めていらっしゃるのではないかと」

「………だから、お優しいって?」


 咎めるような言い方の、怒気と嘲りを含んだ低い声だった。

 リーンハルトの顔が見る見る強張り、眉間に皺が寄る。


「兄上を心配する資格なんて、僕にはないんだよ。………僕から攻撃したんだから」


 抑えた怒気を含んだまま、吐き捨てるように言い放つ。

 リーンハルトの最後の言葉には、諦めも含まれていた。

 

 私が感じた優しさはそれじゃない。

 ルージェは伝わらないすれ違いのもどかさに歯がゆくなる。

 

 それに、攻撃はあの状況では仕方の無いことだった、むしろ皇帝を守ることは当然だ、例え相手が誰であっても、その決意は正しく凄いことなのだ、色々言いたいのに、伝えたいのに、言葉が出てこない。

 

「君だって、僕が冷酷な、残忍な人間だって、本当は思ってるんだろう? 怖いって思ってるんだろう? 恐ろしいって思ってるんだろ? 普通じゃない、って。……見ただろ? 僕の攻撃を。実の兄が相手でも、容赦なくできる。あんな攻撃を目の前で見て、平気でいられるわけがない。ご機嫌取りなんて、しなくていいんだよ」

「違っ………!」

「そういう人間ばかり、集まってるんだよ。この国は。自分の利益しか考えない。身内だって関係ない。邪魔になるものは排除する。自分が良ければいいんだ。すべてを思い通りにしたいとしか思わない。蹴落としたい。蹂躙したい。みんな足の引っ張り合いだ。利用できるものは何だって利用する。君だって、ただの人質だ」

「そんなこと………重々承知です」


 堰を切ったように一気に話した後のリーンハルトが、一瞬うつろな目を向けてルージェを見た。

 言い返されると思っていなかったのだろう。

 

 でもまたすぐ真正面を見据えた。

 そこにまるで何か見えているかのように。


「なら、僕に気を遣わなくていい。優しいなんて心にもないこと言って持ち上げようとしなくていい。敵国から来た人質としてこの国を、僕を、恨んでいればいい。正妃として、ただいてくれればいい。誰も何も期待しない。望まない。始めから全部形だけのものだ」

「………っ」


 覚悟してきたのに、真っ正面から言われると堪える。

 この人から言われると特に胸が、息が苦しい。

 呼吸できない。


「好きにしてくれ。僕にも干渉するな。放っておいてくれ。そのかわり、僕の邪魔をしない限り自由にしてくれていい」


 そこまでリーンハルトの言葉を黙って聞いていたルージェの頬を、一滴の涙が伝った。


 涙の温かさを頬が感じたら、涙腺から堪らずにまた溢れ出てきた。

 次から次へぽろぽろと零れ、ただ溢れ流れ、ルージェの目頭は熱くなっていった。

 

 返事がなく黙り込んでいるルージェに引きずられる様に、リーンハルトがなんとなくルージェに視線を向けた。


 そこには音を立てず身動きひとつせず、夜更けの静まり返った湖の湖面に映り込む満月が小さい波で揺れるように金色の瞳を潤ませ、頬を濡らしただ静かに泣くルージェがいた。







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