1,怠け者とうわさの第七皇子の結婚
「めんどくさいなあ」
これが、この皇子の口癖だ。
皇族ともあろう者が、これでいい訳がない。
皇子なんて、自分が思うがまま、なんでもできるし自由じゃん、裏で何やっているかわからないよね、なんていう声も聞こえてきそうだが、真っ当な皇子は、どこの国でも、どこの時代でも、どこの世界でも、統治者一族たらんとする振る舞いが生まれたときから要求され、自分の一部に染みついていくものだ。
……そう、それが理想。
「ご自分の結婚式ですよ」
また始まったと手元から顔を上げて、皇子より二歳年上のヴォルデマー第七皇子首席補佐官は、いつものごとく冷たくあしらう。
しかし第七皇子は我関せずとばかりに、けだるそうな表情をしている。
皇子を見るヴォルデマーの、見た者に涼しげな印象を与える切れ長の目元の奥に浮かぶ、まるで何事にも動じませんと強く主張し語っている赤い瞳に、一瞬、燃えるような光が横切った。
「うん…。だけど………めんどくさいよねー」
そう言って、皇子は広いテーブルに頬杖をつく。
皇子の片頬が歪んで、そのまま首が傾いた。
短い襟足と対照的な長めのゆるくうねって浮かんでいる雲のように軽やかな髪が、その傾きで柔らかく揺れて跳ねた。
ここは、バーシュタイン帝国帝都グロースの東側に建つ、アヘル大聖堂の南塔内の皇室専用控え室である。
自分の結婚式を堂々と面倒くさいと言い放つ皇子の横にヴォルデマーが立ち、進行表を確認しながら最終的な式の段取りを事細かに説明中だ。
「なんで結婚式なんてあるんだろう? 署名だけで終わりでいいよね。どうせ政略結婚なんだし」
皇子は頬杖をついていない側の頬を膨らませた。
そのあと息をふーっと音を立てて吐いて頬の膨らみを潰すと、両腕をテーブルの上に伸ばし、腕を曲げてその上に突っ伏せた。
そんな皇子の頭上に、せめて“めんどうくさい”と、“う”を付けて欲しいものだと考えているヴォルデマーのお小言が降り始める。
「それではお披露目にならないでしょう」
前触れのひと言を発すると、次々と怒涛のごとく勢いが止まらない。
「式の重要性をもっと多方面から認識されてください。それにお輿入れ行列行事として、王女殿下ははるばる約一月近くもかけて、初めての地にお一人でやって来られるのですよ。現実的にも、誰もがリーンハルト様のような転移魔法も、魔力量も持ち合わせてはいないのですから、ひとっ飛びという訳にもいきません」
もう必要ないなというように、ヴォルデマーは進行表をやや勢いよくパタンと音をたてて閉じた。
どうやら、皇子はこれ以上聞く気はないようだ。
「……しかも、結婚式の前々日の夕刻にぎりぎりのお着きで、ひと息つく間もないほどの時間割で動いていらっしゃいます。お迎えにも伺えなかったのですし、もっと、思いやりを示してください」
「それは大変だと思うけどー。停戦直後だし、仕方ないよね」
「情勢がわかっておられてなによりです」
会話に潜ませた若干の皮肉も注意も、それら自体がこの世にないものかのように、この皇子には全く通用しない。
時間が押し迫ってきて、話している間も惜しいと思い始めたヴォルデマーが、ではお支度を……と言おうとした途端、急に皇子は上体を勢いよく起こした。
「でもさ、兄上達より先ってありえなくない? なんか実感わかない。僕まだ十七歳になったばかりだし」
と、先に言葉を皇子に続けられてしまった。
「……王女殿下は十五歳ですよ」
ヴォルデマーは仕方なく皇子に答えながら、姿鏡の前で控えていたアリッサ女官長に、さっと流し目で合図を送った。
視線を受け止めてアリッサは、最近笑い皺が深くなったと嘆いている目を鋭く光らせ、これまた気にしている口元の皺を伸ばし、口角を上げてヴォルデマーに軽く頷く。
二人のやりとりに気付いていない皇子は、ヴォルデマーの返答を聞いて、ん゛ーと声にならない唸りをあげながらのんびりと伸びをした。
「わかってるよ、僕向きだって。……婚約者がいないし、年齢的にも…これは疑問だけど…。相手の国家規模的にも、僕にちょうどいいんだよねぇ? 他にもいろいろ……余り物の僕にはぴったりだって、なんか言いたそうだったなー。人質要素もあるとか、あんまり可愛くないってこととかも聞いたけどー」
何を言っても、ヴォルデマーはいつも正論しか言わないと不服の皇子である。
「ならばいい子にしていてください。容姿のお話をするのは、お行儀よくありませんよ」
「僕だって、そんなのどうでもいいけど。いつかはしなくちゃいけないし、どうせ相手は自分で選べないしねー」
そこで皇子はにんまりとして、思い出し笑いをした。
「………ふふっ。その話になった途端のヤヴィス兄上の表情、笑えたな-。さっと、萎えちゃって。それできっと僕に押しつけたかったんだよ。王族だもん、しかも第一王女。兄上なら放っとかないだろ? ヴォルにも見せてあげたかったなー」
皇子は、さも可笑しそうに破顔した。
「リーンハルト様」
対して、制止するように皇子に呼びかけたヴォルデマーの声は、面白みもなく、諫める風でもなく、抑揚があまりない。
「でもさあ、生国でいろいろ言われて、敗戦となったら王家の責任押しつけられて。花嫁として人質に来る先は、第七の望まれない皇子だよ。そんな皇子に嫁いでもねえ?」
「そこで思いやりを発揮しなくて結構です。継承順位が第七位だとしても、あなたはこの国の皇子なのですから」
そして、その地位の通りの皇子らしいご立派な振る舞いを近従一同、心からお願いしたいものだ。
「ならば、大切になされて差し上げては」
「職責は果たすけど-」
「では早くお支度を済ませて、準備をなされて下さい。…女官長」
もうここで強制的に切り上げと宣言するように、ヴォルデマーがアリッサを促した。
「はい。お任せくださいませ」
アリッサと3人の女官が、それぞれに櫛などの道具類や装飾品などを抱えて、待ってましたとばかりに前に出た。
「腕によりをかけて、対外向けの万人受け仕様で、輝き煌めいていただきます」
にっこりと、笑い皺をさらに刻みつけるように、アリッサは顔に大輪の花を咲かせた。
「リーンハルト様は……頭上に絹糸のように艶があってうねり輝く銀色の髪を戴き、綺麗に描かれた二重瞼からは濡れたような長い睫毛に沈むオーシャンブルーダイヤモンドよりも深く透明に輝く瞳を覗かせ、高い鼻梁にきれいな影の落ちる彫りの深いお顔立ち、高身長で細身ながらも均整のとれた体躯をお持ちで……」
そこでアリッサは一呼吸置く。
目を見開いて、じっと皇子を見つめた。
「黙っていれば、どれも皆が見惚れる、見栄えのよいものをお持ちなので」
そう言って、再びにっこりと微笑んだ。
「………ほんとに、……アリッサは僕に遠慮がないよね」
皇子はぐぅの音も出ない。
「お乳をあげておむつを替えて、その他、成長過程の隅々まで存じ上げておりますからね」
対アリッサに関しては、アリッサにいつも軍配はあがるのだ。
それはもう他の近従たちには気の毒なほどに。
アリッサは目尻を下げて微笑んだ。
この皇子が愛おしくて仕方ないのだろう。
「「……ぷぷっ……」」
堪えきれないというように、扉の前に控えていた第七皇子付き近衛騎士二人から笑いが漏れた。
「こらっ。おまえ達、不敬だぞ」
笑い声の主達に、近くにいたエドヴィン第七皇子近衛騎士団長が叱りつけた。
「なに? ステファン? グイード?」
皇子はそんな不謹慎なやりとりをする近衛騎士三人を、鋭く横目で見た。
「……エドも、ニヤけた顔で叱っても、意味ないから」
低めの抑え気味な声で、だけれど、せっかく作ったのに意味がないあまり迫力のない声で皇子は言った。
「とんでもないです!殿下! いたって真面目に叱っています」
名指しで指摘されたエドヴィンが、慌てて否定する。
「“いたって”、って………ぷッ」
日に焼けた褐色の屈強な体躯で、右頬にその強さをさらに誇張している、迫力のある傷を持つ大男が慌てる様は、ちぐはぐな感じがして滑稽で、言葉遣いのおかしさと相まって、皇子は吹き出した。
しかもエドヴィンは、薄い赤色、陽に透けると桃色になる髪を持ち、瞳も薄い桃色なのに、鼻梁が高くて眉が太く、美丈夫という言葉が似合う男らしい顔立ちをしているのだ。
「“殿下”呼びがもうだめだよ。エド。使う時なんて、ふざけたときか、おちょくるときか、おべっかをつかうときか…………」
もうこれ以上はと、エドヴィンは必死の形相で皇子の言葉を止めにかかる。
「“リーンハルト様”、本当に他意は……」
エドヴィンはいつもの呼び方に戻って、引き続き弁解を試みる。
皇子は、そんなエドヴィンを意にも介さず、
「ござい、ま……したね」
と、言葉の語尾を引き取った。
「エド。ステファン。グイード! 式の同行のあと、今日は遅番もやっていく?」
皇子が勝ち誇ったように聞いた。
「「「申し訳ありませんでした!!!」」」
騎士団長と近衛騎士の3人は、声をそろえて敬礼した。
その様子を見て、皇子は大笑いをした。
「しかたないなあ」
これも、この王子の口癖である。
「はあ……。……もう、少し覚悟、決めるかー」
「………少し?」
ヴォルデマーの眉が、ここで珍しくピクッと動く。
今日は一段とおふざけ具合が過ぎる。
「あー、もうわかったよ、全部ヴォルの言うとおりにするよ」
「大変良い心がけです」
ヴォルデマーが頷いた。
「それでは、リーンハルト様始めましょう」
アリッサがまた思いっきり微笑んで言った。
「お急ぎください。お支度も、お召し替えも、最終確認もあるのですから」
「お手柔らかにお願いするよ」
皇子が観念したとばかりの諦め声で答え、立ち上がった。
歩きながら、上着をソファの上に脱ぎ捨てた。
「……だから、ご自分の、結婚式ですよ。今日くらい、ビシッとしてください」
目ざとく皇子の仕草を認めると、ヴォルデマーは進行表を持っていない方の片手を腰にあてながら、皇子に諭した。
「そうだよなあ。一瞬、忘れてたよ」
そんな皇子の言葉を聞くと、ヴォルデマーの口から思わず意図していなかった言葉がふいにこぼれた。
「………頼むよ、リーン」
幼い頃から皇子と共に育ってきたヴォルデマーは、何年ぶりかにその名を小さく呟き、その後とうとう、滅多につかないため息を、盛大についた。