第71話 6月30日 火曜日③
「ごめん。僕の早とちりだったかもしれない」
「そ、ならいいよ」
きみが無事ならなんだっていい。
「……ところで日曜日、あれからきみはどこに行ってたの?」
「え、弁護士さんのいるO市だよ。それでたった今その弁護士さんのところから帰ってきたの」
O市っていえば彼女の父親が「受け子」で現行犯逮捕されたところ。
あ、しかもO市になると振興局も変わるし警察の方面本部の管轄も変わる場所だ。
となると弁護士に弁護を依頼するならO市にいる弁護士がベストか。
O市から戻ってきてS町の枝分かれしている国道の裏道を通ってガソリンスタンドのところを左に曲がってきたから、この電話ボックスのうしろから現れたんだ。
廃駅の裏にでも隠れていて「現役女子高生が電話ボックスの真後ろから男子高校生を驚かせてみる」って動画を撮ってたわけじゃないんだ。
「私、あの日拓海くんに救われたよ」
え、えーと、えーと、ど、どういうことだろう?
「だってあの場所で私をひとりにしてくれたってことは行けってことだったんでしょ? ドラマみたいでちょっと感動しちゃった」
「ん?」
え、えっと、じゃああれは感動の涙ってやつ。
僕はあの日あのとき、すべての行動を間違えたと思ったけど別の正解があったみたいだ。
秋山さんの答えとも違う。
人生にはいくつも正解があるのかもしれない。
「あそこからちょっとタクシーに乗ってさらにバスを乗り継いでO市にいる弁護士さんのところに行ってきたの。ちょっと難しけど拓海くんの言ってたはがきの消印の話もしてきたよ」
「そ、そうだったの?」
「うん」
ひとこと言ってくれても、って……。
いや、あれは違うか。
あれはあの場所の空気感で、ふたりでなにか言葉を交わしたわけじゃないから。
現に彼女は僕が彼女の背中を押したと思ってる。
「そっか」
「うん。弁護士さんにはがきのこと話したけど、そもそもお父さんはがきを郵送した罪では逮捕されてないからあんまり重要じゃなかったみたい。私が勝手に話を大きく膨らませて勝手に背負ってただけだで。早とちりしてごめんね」
「ううん。ぜんぜん」
僕が思っていたこととはぜんぜん違う方向に進んでしまったけど、良いほうに進んでいたとは……。
僕の悪いほうにばっかり考える癖直さなきゃ。
きっとこれは「良縁」なんだ。
「それにすこしのあいだだけど。これ見て」
彼女はスクールバッグから白いスマホをとり出した。
「あ、スマホ?」
「そう復活」
「復活?」
「そうそう。まあ、ちゃんと明美叔母さんの許可も得てるけど。弁護士さんにお願いしてSIMカード用意してもらったの。これで電話もかけられるしネットもできるよ」
これも女子高生特権ってやつかな?
「そうだったんだ」
「うん。あ、U町で交通事故があったってことなら私、Twitterで検索してみるよ」
彼女はさっそくTwitterのアプリを起動させた。
公衆電話のボタンを押すのとは違ってすごい速度でフリック入力している。
さすがは現役女子高生。
すこしだけスマホを使うのを休んでいたけど文字を打つのが早い。
彼女の爪がスマホの画面にコンコンぶつかる音がしている。
ときどき指先をスマホ画面の上や左右に動かしてはまた液晶を叩く。
スマホから離れてたブランクなんてないみたいだ。
「あった!! これだ」
僕も彼女のスマホ画面をさらに深くのぞきこんだ。
彼女が「#U町交通事故」のハッシュタグで検索すると物の見事に事故の詳細が載っていた。
しかももうひとつハッシュタグがあって「#救急車なう」だ。
これは事故に遭った本人のものみたいだ。
「うん。たしかに事故に遭った娘いたね。ドラッグストアでLudeの試供品の香水ボトルを配っててそれ欲しさに斜め横断したみたい」
え!?
ああーそういうことか。
あのドラッグストは今ちょうどLudeとタイアップ中だ。
それに今日は漣プロデュースの三日間連続キャンペーンの三日目。
僕が公衆電話かけた電話はこの事故とぜんぜん関係なかったんだ。
おそらくあの公衆電話のことは誰も気づいてさえいない。
やっぱり無人の電話ボックスで鳴る電話なんて誰もとりたがらないか? さっきの人が特別だったんだ。
声からしてすこし年配の人のようだった。
なら菊池さんくらいの歳かな? それなら電話ボックスの存在は身近で公衆電話の電話にだって出るかもしれない。
「ぱっぱり、きみとは別人だったんだ」
事故に遭った娘も気の毒だけど。
まあ、救急車の中でTwitterをやっていて「#救急車なう」な、くらいだから怪我はたいしたことないだろうな、と素人ながらに思う。
僕はスマホからようやく目を離す。
「あ!? 死んじゃった」
「え? うそ? そ、その事故に遭った娘が?」
し、死んだ……。
今の今まで元気にスマホに触りながらTwitterをやっていたのに。
でも交通事故だと打ちどころが悪ければ急変するともきくし。
やっぱりただのふつうの高校生の僕じゃ怪我が重いのか軽いのかの判断なんてできないな。
「そう、ほら」
僕は決心してまた彼女のスマホをのぞく。
【死んだ。。。】
ほ、ほんとに死んでいた。
いや「死んだ」と投稿していた。
……ん? でも本当に死んでいたならTwitterの操作なんてできないよな。
もしかしてホラー系の話。
すると僕の見ている投稿画面が下にさっと下がっていった。
つぎのつぶやきだ。
【バッグの中で瓶割れてる。最悪。でも漣の匂いがする】
し、死んだのは香水の瓶か。
まぎらわしい。
……な、なんていうかやっぱり僕のような素人高校生が思うにこの娘の怪我は大丈夫な気がする。
でも、香水をもらって車にはねられたってことはドラッグストアの帰り道で斜め横断したのか? あるいは行きも帰りも両方斜め横断した? ……ん? つぶやきのいちばん左側にある吹き出しのマークの下に「1」という数字が現れた。
リプがついたんだ。
彼女は迷うことなくタップした。
【香奈りん。大丈夫なの?】
誰かが心配してメッセージを送ったんだ。
香奈りん。
か、かなりん? かなりんって呼びかたはあだ名だよな? なら本名は「かな」とか「かな子」とかって名前かな? しかもU町ならU公立高校に通ってる可能性が高い。
「かなえ」って名前でもあだ名は「香奈りん」になる。
仮にこの「香奈りん」が、あの「かなえ」という娘なら、直接的に被害を受けたのは「かなえ」という娘の父親で「かなえ」という娘が「山村澪」を傷つけていい理由になんてならない。
交通事故に遭ったうえ貴重な香水の瓶も割んだ……。
この世界にそうそう都合よく因果応報なんてあるわけないか?
彼女は黙ってスマホの画面を見つめていた





