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【完結】スマホを持たない二人は電話ボックスで出逢った -グラハム・ベルの功罪-  作者: ネームレス


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第37話 6月13日 土曜日⑤

 病院の自動ドアをくぐって病院に入ると菊池さんはすでに総合受付のところにいた。

 ――やあ、菊池さんがそんな感じの表情でスマホを片手に手を上げた。

 目印があってわかりやすい。

 僕は足早に菊池さんのもとへと向かう。


 「拓海くん。今日、ちょっとお母さんの具合が悪くなっちゃったみたいなんだ」

 

 バスに乗る前に菊池さんに電話したときは、まあまあ安定してたんだけど……。

 体調(からだ)のことだし状況が刻々と変化するのはしょうがないか。

 

 「そうですか」

 

 「面会は無理かもしれないけれど顔だけでも見ていくのはどうだろう?」

 

 「そうですね」

 

 病棟前の廊下からそっと顔だけでも見ようと思った。

 僕は病院の総合受付で面会のことを伝える。


 K市にあるこの病院では、面会者の腕にその日の日付の入ったシールを貼ってそれを許可証代わりにしている。

 面会者の人数を制限することは感染症の予防や防犯の面でも有効らしい。

 今、僕の右腕には【6/13】というシールが貼られている。

 

 受付の横にある備え付けのテーブルに座わって面会申込み用紙に僕の名前、続柄(つづきがら)電話番号、面会希望時間なんかを書き菊池さんと一緒に母さんのいる病棟に向かう。


 エレベーターを待っているあいだに、まだ母さんと一緒に住んでいたころのふつうの表情(かお)を思いだした。

 自然な表情というのは本当に”自然”に出てくるものなんだ。

 エレベーターに乗って母さんが入院している階で下りる。

 

 エッセンシャルワーカーのスタッフさんたちがいる看護師詰所に面会の書類を出す。

 菊池さんは気を使ってくれたようで、さきに一階に戻っていると僕に背を向けた。

 僕は母さんが入院している部屋の前まで行ってすこしだけ部屋の様子をうかがう。

 

 菊池さんが前もってカーテンを開けておいてくれたのか? あるいはそういう伝言をきいた看護師さんがカーテンを開けておいてくれたのか? 病室のベッドにいる母さんがよく見えた。


 入院してからの母さんは無表情に近い。

 目が虚ろ。

 よくいう生気がない。

 そんな状態だ。

 

 カラーリングをしないとあんなに白髪になるんだ。

 黒髪(くろ)よりも白髪(しろ)の比率が多い。

 苦労したからな。

 ……苦労させたから(・・・・・)、が正しいのかもしれない。


 「HAIR SALON」というステッカーの合間からカラーリングをしている誰かの光景が頭に浮かぶ。

 あんなふうにまた外で髪の手入れができる日はやってくるのだろうか?

 

 僕が髪を切ってもらったあとにジュースを抱えながら、理髪店まで迎えにきてくれるのを待っていたあの日。

 時間が巻き戻っていく。

 

 ――拓海。待ったかい?


 ――ちょっとね。今日は炭酸のオレンジもらったんだよ。


 ――そう。よかったね。


 もう会話のキャッチボールができない。


 母さんはベットの上で静かだったけれどなにかをぶつぶつと呟いていた。

 これはまだ良いほうで記憶がフラッシュバックすると声をあげて錯乱することもある。

 後悔、悲しみ、怒り、絶望いったいどんな感情なのか僕にはわからない。

 

 子どもであっても自分以外の(こころ)なんてわかるわけがない。

 心は豆腐のようなもので、それが崩れてしまうと治すのはなかなか難しいと担当医は言っていた。

 ただ医者はやっぱり医者なんだと安心する。


 心というものは胸の奥になんかないときっぱりと説明してくれた。

 結局のところ母さんの発作は脳の機能が低下して起こっているようだ。

 僕は、先生がはっきりと脳に原因があると断定してくれて単純に嬉しかった。


 最近は治療法も進んでいてこういう心の病もわりと簡単に治る日がくるかもしれない。

 かつては心の風邪なんて呼びかたもあったわけだし。

 だったら母さんは(あたま)の風邪ですこし熱が高いだけ。

 自分にそう言い聞かせる。

 

 まあ、顔だけでも見られたからいいか。

 菊池さんにはまだあの白い封筒のことは言わず、もうすこし様子を見てみることにした。

 僕がバスのなかで何度も思ったように「受け子」があの金額で僕の家までお金を取り立てにくるのはちょっと考えにくい。

 

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