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【完結】スマホを持たない二人は電話ボックスで出逢った -グラハム・ベルの功罪-  作者: ネームレス


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第13話 6月8日 月曜日⑬

 「ラーメン大納言」の暖簾をくぐる。

 何日も悩んで書いては消しを繰り返して、ようやく完成させた履歴書はほぼ無意味だった。


 「その歳でラーメンに魅了されたってのはねーわな」

 

 僕がアルバイトをしている店の店主「大将」はそう言いながらも僕を採用してくれた。

 証明写真だって光の加減を気にしたし、制服の襟もネクタイも曲がらないように気をつけた。

 面接前に髪を切りに行こうかと思ったけど本末転倒(・・・・)になるからセルフカットで済ませた。

 これでも志望動機はなかなか良いことを書いたつもりだ。


 小さいころに母とふたりで食べた大納言のラーメンが忘れられない、とか。

 他の店では絶対真似できない唯一無二の味に惹かれました、とか。

 餃子のほうが好きなのは内緒だけれど、じっさいにむかしから『ラーメン大納言』にラーメンを食べにきていた。

 味も本当に美味しかった、それはうそじゃない。

 

 僕がある言葉(・・・・)を先に言ってしまったから、大将は志望動機の欄には目を通していなかったと思う。

 保護者欄にある名前が知人の名前だったことに気づいたかどうかもわからない。

 

 そのあと僕がどこで生まれたのか、ずっとこの町にいたのかを訊かれた。

 「はい」と答えるとすぐに採用になった。


 理由はS町で生まれて地元の高校の通っているならそれだけでS町が保証人だということらしい。

 そんな理由で仕事が決まるなんてことは聞いたことがない。

 たぶん大将は僕の言った志望動機ですでに採用を決めてくれたんだろう。

 

 僕がアルバイトをしたかった第一の理由はお金が必要だということ。

 他にいる従業員も全員がパートかアルバイトの待遇で働いている。

 従業員たちの志望理由も稼いだお金を家計の足しにしたいからという僕とほぼ同じ理由だった。

 

 本当にラーメンが好きでラーメンを作りたいという理由があるなら別だけれど、下手にラーメンが好きでどうのこうのといううそはいらない、というのが大将の言葉だ。

 

 面接のときに一度大将が名字を名乗ってくれたけれど、僕はアルバイトに合格した喜びで頭から飛んでいってしまった。

 僕が緊張していたというのもあるし、大将がボソっとしゃべったというのもあるけれど。

 他の従業員さんもお客さんも大将のことを「大将」と呼んでいるから僕も同じように「大将」と呼んでいる。


 タオルを鉢巻きのように巻いていて見た目も大将って感じだし。

 半袖の白いTシャツと腰に巻いている黒いエプロンも大将感がある。

 僕もアルバイト中は「ラーメン大納言」の刺繍の入った黒いエプロンをしている。

 当然、店のみんなだってこの黒いエプロンだ。

 大将は今、調理場にいながら天井から吊るした壁掛けテレビを観ている。

 

 あの理髪店もそうだけどお客さん相手の職場ではテレビが効果的らしい。

 大将は仁王立ちしたまま、力士のぶつかり合いに声をあげている。

 どっちの力士を応援しているのか僕にはいまいちわからない。


 国技だからといって真剣にテレビを見ているけれどプロ野球中継があれば即座にそっちにチャンネルを変えてしまう。

 「大納言」のお客さんたちも野球を好んで観ているようだった。

 ただ単に野球好きが多いだけかもしれない。

 

 この時間はまだ店は空いているほうで食事時(しょくじどき)の六時あたりから本格的に混みはじめる。

 大納言は常連さんが六割、ときどきくる顔見知りが三割、まったく初めての人が一割くらいだ。


 今日も常連さん四人がカウンターと畳の小上がり、さらに奥にあるもうひとつの奥座敷に散り散りに座っている。

 一割のなかに明らかに都会から観光できたような人が混ざっていた。

 食べ物をスマホで撮る撮影方法がそんな感じだ。

 S町の化石に惹かれてきた人だろうか?


 大将はザ・職人という感じながらも店内のスマホ撮影を許可していた。

 意外と時流に乗っていると思う。

 あるいは寛容なのかもしれない。

 僕を採用した理由だってそういう優しさからだ。


 すでにお客さん全員の料理を作り終えて運び終わっているから、今、大将がやることは七連敗中の力士の行く末を見守ることだけだった。

 

 ただ僕にはどっちの力士が負け越しているのかわからない。

 大将は土俵から落ちた力士を見ながら顔をしかめた。

 そっちの力士を応援してたんだ。

 八連敗確定だ。

 

 「強いほう」と「弱いほう」なら「弱いほう」を応援するのがじつに大将らしい。

 ただ野球に関しては勝っていようが負けていようが好きなチーム命だ。

 大将のたったひとつの趣味である野球観戦と流し見しているだけの相撲との違いかもしれない。


 大将が応援しているチームの選手で、今シーズンかぎりで引退が決まっている選手がサヨナラ逆転満塁ホームランで勝利したときには、その場にいたお客さん全員にビールをごちそうしてあげたこともある。

 大将はやっぱり一生懸命な人には優しい。

 今、店の中にいる働き手は僕と大将と、もうひとりのパートの秋山さん。


 秋山さんも僕が働いている理由を知っていて僕には優しい。

 秋山さんは休憩中や仕事の合間に一口で食べられるようなチョコとかおやつをくれる。

 疲れたときの甘いものは美味しい。


 僕がアルバイトしているこの大納言は本当に居心地がいい。

 秋山さんは男性アイドルオタクだ。

 自分でそう言ってるんだからそれは間違いないだろう。

 

 ただしアイドルといってもまだデビュー前のアイドルを応援していてデビューが決まるとデビューシングルを買いチケットが当たればそのアイドルのデビューライブに行き、あとはきれいにお別れするらしい。


 今まで応援していたアイドルをそんなふうに突然忘れられるものなのかな?と思うけれどそういうものらしい。

 人の記憶ももっと簡単に消せたらいいのに。

 心に負った傷ももっと簡単に消せたらいいのに。

 

 秋山さんはデビューイコール、一人前のアイドルという自分流の方程式を持っている。

 一人前になった子どもを送りだす感覚らしい。

 でも秋山さんはまだ三十代前半で本当に子どもがいたとしても一人前になるのはまだ早いと思う。

 

 秋山さんがかつて応援していたアイドルの十組以上は、今も現役で活躍中。

 巣立っていった子どもは十組以上で最近もまた一組がデビューした。

 

 つぎの狙い目は全員が十代前半から後半の六人のグールプだそうだ。

 この前デビューしたアイドルはすこし平均年齢が高くて二十三歳くらいだったはず。

 僕はアイドルってだいたい二十代の半ばくらいでデビューするものだと思っていた。

 アイドルといっても十人十色みたいだ。


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