第11話 6月8日 月曜日⑪
「7」のボタンがぷちんと反発した。
つまりは彼女は「117」の時報を選んだ。
僕はホッと安心した。
「それでしばらくすると時報につながるから」
彼女は受話器を耳に当てながら耳を澄ましている。
「おお!!」
声をあげた。
「ピッ、ピッ、ピッ、ピッー!! 午後四時。二十。一分。二十。秒。を。お知らせいたします」
彼女は電話口の向こうの独特な女性の口真似をした。
とくに秒をカウントする「二十」と「秒」と「を」を分ける間隔が絶妙に上手かった。
彼女は電話機の赤い数字が「12」から「11」になったところで受話器を置く。
それまでしばらく電話の向こうの女の人と同じリズムでカウントダウンをしていた。
公衆電話はピピーピピーピピーというデジタル音とともにテレホンカードを吐き出す。
「ほーほー」
彼女は出てきたテレホンカードを手にとるとまた裏表をながめている。
電話機に入れる前と入れたあとでも何も変わらないのに……。
あっ、でも「11」が「10」になるとテレホンカードの上に穴があく、たぶん? まあ、僕もいまいちどのタイミングで穴があくのかわからない。
今はいいか。
彼女はテレホンカードの二等辺三角形をふたつに割った図形とそのうしろに書かれている「IN矢印の方向にお入れください」の部分を指でなぞってから、また片手で受話器を持ち上げた。
「こっちが表でこうね」
そのままテレホンカードを矢印の向きに入れる。
「11」が赤く点灯している。
「ほー。なるほどね~」
感心しながら受話器を戻すと電話機はまた、ピピーピピーピピーとテレホンカードを押し返す。
彼女はサッとテレホンカードをとると彼女のうしろにいた僕にテレホンカードを差しだした。
「よし。使いかたはなんとなくわかった。でもお礼にジュースはおごってあげるよ」
彼女がスクールバッグを持って電話ボックスから出る雰囲気だったので、僕はそれを察し電話ボックスの出口を確保する。
「いや、別にいいよ。一分で十円の通話だし」
僕がさきに歩道に出ると彼女も僕につづいて歩道に出た。
電話ボックスのドアががちゃんと閉まる。
「だめだよ~。それにそのテレカがどこで買えるのか知りたいし。やっぱりネット?」
そう思うよね? テレホンカードは特別なものだって。
ところが。
「ああ、これね。ふつうにコンビニにで売ってるよ」
「えー。目から鱗」
今日、二枚目の鱗が落ちた。
これは鱗が落ちてもしょうがないと思う。
僕も最初はテレホンカードがコンビニで買えるとは知らなかったし。
「チャージもコンビニでできるの?」
これぞ現代っ子の発想。
「テレホンカードはチャージ式じゃないんだよ」
「え、そうなの?」
今度は目から鱗は落ちなかった。
「じゃあどうやってさっきの数字増やすの?」
チャージ式だと思ってたんだから当然の質問だ。
「数字がゼロになったら新しいテレカを買うしかないんだ」
「あ?! それがあの穴の数かぁ」
おっ、鋭い。
ただし穴のあく位置はやっぱり僕でもぜんぜんわからない。
知人に訊くしかない。
知人と僕とではテレホンカードを使ってきた年季が違うから。
ただ「10」を下回ったときに穴があくのは確実だと思う。
「そう。正解」
「でも環境に悪いね?」
使い捨てのことか?
「まあね」
「世の中そういうものかもね。下手に延命させるより逆に環境にはいいのかもしれない。……いらないとやっぱり捨てるしかないんだよね? だっていらないんだもんね?」
彼女はどことなく真顔になった。
それでいてなにかを自分に向けて言ってるようにも思えた。
そこまで深く考えることでもないんだけどな。
「うん。まあね。んで、テレホンカードはたいていのコンビニで買えるから。ほらS町の真ん中にあるコンビニでも売ってるよ。僕はあそこで買ってる」
「そっか。良いこときいた~。教えてくれてありがとう。行ってみるね?」
「うん。じゃあ」
「じゃあね~。ばいばい」
彼女はスクールバッグをぐんぐん揺らして歩きはじめた。
飾りのキーホルダーも振り子のように揺れている。
どんな理由かわからないけど公衆電話で電話をしたかっただけかもしれない。
彼女は僕がこれから向かおうとしている真反対にある道の駅のほうに歩いていった。
まっすぐにずーっと進んで、突き当りのボタン式信号を右に曲がればやがてあのコンビニに着く。
そのルートでコンビニにいくのかな? 僕はそんな彼女を最後まで見送ることもなく家へと歩きはじめた。
テレホンカードさえあれば電話をかけるのはそんなに難しくないだろうからあとはひとりでも電話はかけられるはず。
ただ、とくにかけたい相手もいないみたいだから……。
今日はもう戻ってこないかもしれない。
◇




