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とある青年貴族の決意と、その婚約者の秘密


親愛なるチャールズ様


 ようやく暖かい日が続くようになってきて、いかがお過ごしでしょうか?

 我が家の薔薇は可愛らしい蕾をつけ始めました。

 例年通りなら、紅色の薔薇から咲きます。とても楽しみです。チャールズ様にもご覧頂きたいわ。


 議会のお庭の薔薇園も見事ですね。

 建物に近い植え込みは我が家と同じ種類の薔薇ですから、きっと同じ紅色が咲きますよ。それを見かけたらわたしを思い出してください。


 次にお会いできるのはまたしばらく先だと思いますが、会える日を楽しみにしています。


ミシェルより



 ♦


 チャールズは真っ白の便箋を前に、かれこれもう数十分は固まっていた。

 美しい意匠の万年筆を持ったまま時折くるくると回すが、妥当な文章は頭に浮かんでこない。いつもそうだ。


 黒曜石のような黒い瞳をぎゅうとつむる。思いつかない。

 瞳と同じ色の髪を万年筆でくるくるする。思いつかない。


「はあ……」


 チャールズは手紙を書くのが苦手だ。壊滅的と言っていい。

 頻度が高く、生活に根付いている物事の中でもかなりの上位で嫌なこと。それが手紙である。

 字が綺麗に書けない、何を書けばいいか分からない、文章が思いつかないのである。

 そのうちに諦める。


 若くして侯爵家を継いだチャールズは議員でもあるため、非常に忙しい毎日を送っている。

 伯爵家令嬢であるミシェルと婚約したのは親に決められたため。


 だが、チャールズはミシェルのことが好きだ。

 本人が気にしている鮮やかな赤毛は、見ると明るい気持ちになるし、楽しいことを話す時には胡桃色の瞳がキラキラして美しい。

 しかし、自身が忙しいためにミシェルと会うことはなかなかできない。

 そのため、手紙でやり取りすることが交流を深める上での唯一の方法であった。


 理解している。

 彼女との良好な関係を継続するために、この作業は必要なことなのだと。


「ああ……、書けない……」

「また悩んでるの?」


 急にかけられた声に、チャールズは飛び上がった。

 誰もいないと思っていた自室で書けぬ手紙に意識をやっている間に、友人がやって来ていた。


「ああ、ミシェル嬢からの手紙? 相変わらず美しい字だねえ」

「勝手に見るな」

「それで、毎度のことながら返事に悩んでるの? いいじゃん、いつもの電報みたいな定型文で」

「むむむ……」


 友人の言う通りではある。

 チャールズは手紙の返信を悩むが結局何も書けず、情緒的で繊細で優美な婚約者からの手紙に対して、『承知した』としか書けないで終わるのだ。


 まるで部下の日報を確認した上司のようである。

 いや、日報確認の方がマシかもしれない。

 チャールズは部下に対しては次の指示も付け加えているから、会話のキャッチボールがある。

 ミシェルの手紙に対してはもはや承認印だけの方が効率的かもしれない。


 しかし──。


「欠点を無くしたいと悩むのは悪いことか?」

「いや、君の向上心は美徳だよ」

「改善したいと、真剣に、思っているんだ……」


 チャールズは真面目な人間だ。

 欠点があれば努力し、改善し、人の上に立つ人間として成長していきたいと考えている。


 特に、ミシェルは素晴らしい人なので、自分との関係を不快に思って欲しくない。まして、なかなか会えないのだ。誠意を見せたい。

 頭を抱えたチャールズに、友人がぽんと手を叩いた。


「そうだ、適任がいる話を聞いたのを思い出した」

「なんだ?」

「レディ・シャーロットって知ってる?」


 シャーロットはチャールズの女性名である。

 しかし上位貴族の中でも全く聞かない名前だったので、チャールズは首を横に振った。


「なんでも若い子を対象に文章や手紙の書き方を教えている女性だって。うちの妹と君のところの妹がデビューが近いだろ? 噂を聞いて、今度サロンに行ってみるそうだよ。教えてもらえるだろう、それこそ手紙の書き方を」

「なん、だと……!?」


 誰かに手紙の書き方を習うという発想はなかった。

 これまで、他者からもらった過去の手紙を参考にしたり、物語の中に出てくる表現を得ようと読んだりしていたことはあるが、周りの誰かに教えてもらうなど。


 しかし実際に、しかも女性に教えてもらえるとしたら。とんでもない成果が得られそうだ。


「そのサロンに行くにはどうしたらいい?」

「妹に訊いてみたら?」


 チャールズは早速、妹ソフィを捕まえてレディ・シャーロットなる人物の勉強会について訊いた。

 妹が言うには、それは完全紹介制のサロンで、若い淑女の間で人気らしい。

 特に、これからデビューして異性との交流を深める少女たちにとって。


「なるほど、理解した。ソフィ、悪いが一回代わってくれ」

「なんで、嫌よ! それに男の人が参加してるなんて聞いたことないわ!」

「男が学んで何が悪い。我が侯爵家の将来がかかっているといっても過言ではないんだぞ」

「過言だと思うけど!」


 ミシェルとの円滑な婚姻のために、少女に混じってでも学ぶ覚悟のあるチャールズは、妹に小遣いを握らせて招待状を得た。



 レディ・シャーロットのサロンは意外にも、王宮図書館の一室を借りて行われていた。

 教室のように講師用の教卓が置かれ、そこに向かって長机が三列並べられている。椅子は十脚ほど。


 その部屋に入ったチャールズは、確かに自分が異質であると実感した。

 議会終わりに直接来たので、全身黒の正装の、男。

 対して、部屋にいるのは全て若い女性たち。色とりどりのドレスは自分とは対照的だ。


 咳払いして多数の怪訝な視線を抜け、一番前の中央、空いている椅子に座った。

 異質であろうと、この場にいる誰よりも、学ぶ意欲はあると自負している。


 レディ・シャーロットはまだ来ていない。

 また、周りの少女に顔見知りはほとんどいなかった。デビュー前の少女が主な生徒だというのは本当だったらしい。

 唯一、友人の妹が唖然とした顔でこちらを見ていたが、会釈だけして前を向く。


 たとえこの場で自分が異端であろうと、チャールズは全力でこの機会に学ぶつもりであった。

 チャンスを無駄にはしない。

 ミシェルにせめて、『お返事をもらえてよかった』と思われるような手紙を書くために。


 普段使いの万年筆と定規を机の上に綺麗に並べたところで、扉が開いた。


「お待たせしました」


 入ってきた女性を見て、チャールズは息が止まった。


 鮮やかな赤毛に胡桃色の瞳。

 婚約者のミシェルだった。


「…………」

「…………」


 ミシェルも教卓の真正面に座るチャールズに気付き、胡桃色の瞳を見開いて固まった。

 見つめあったまま、数秒。


 他の少女の「レディ・シャーロット?」という声で我に返ったミシェルは、目をぱちぱちさせた。


「あ……、ええっと、失礼しました」


 ミシェルがよろよろと教卓──すなわちチャールズの真ん前にやってきて、持っていた教本を開く。

 それから咳払いをして、震える声で「始めましょう」と言って話し始めた。


 どうやら、一際存在感を放つ婚約者のことは知らないふりをすることにしたらしい。

 チャールズは頭上から顔が見えないように両手を組んで額に当て、そっとため息をついた。


 ──なぜバカみたいにこんな真ん前中央の席に座ってしまったのだろう……。


 先ほどの意欲がみるみるうちにしぼんでいく。

 だって、気付けるだろうか?

 婚約者のために学びたいと思ってやってきた先の講師が、当の婚約者だったなど。

 『婚約者への素敵な手紙をどのように書けばいいですか』と婚約者に問う? 滑稽すぎる。


 こちらを見て一瞬驚いたように見えたミシェルだが、知らないふりをしてすぐに落ち着いていた。

 きっと気味悪がられたに違いない。


 だってどう考えてもおかしい。

 少女だらけの教室の、真正面ど真ん中に男。

 しかもあんな横柄で中身空っぽの手紙を書く人間が、いまさら何を学ぼうというのかと。


 ──逃げ出したい。


 部屋を間違えたふりをして出て行こうかと思い、腰を浮かしかけたチャールズだが、頭上からの声に留まった。


「内容はなんでもいいのです」


 伏せていた顔を上げた。

 先ほどの震える声から一転、落ち着いた声色。

 胡桃色の瞳がキラキラしている。ミシェルが楽しいと思っている印だ。


「相手に自分のことを知って欲しい、それから相手がどのような人なのか知りたい。手紙ではそういった気持ちが伝わればいいのです。それにはコツがありますから、今日はそれをお伝えしますね」


 椅子を引き直し、自然とチャールズは万年筆を取った。


「重要なのは二点。一つは丁寧に書くこと。字が上手くなくても構いません。ゆっくり、丁寧に。二つ目は何を伝えたいか。ありがとう、ごめんなさい、元気? 会いたいわ、など、伝えたいことを絞って明確にしましょう」


 穏やかな言葉に、当初の目的を思い出す。

 レディ・シャーロットの講義を聴きたい──、そして、ミシェルに喜んでもらえるような手紙を書きたい。


 チャールズは姿勢を正し、レディ・シャーロットの言葉を聞き漏らすまいと集中し始めた。



 ♦︎



 レディ・シャーロットこと、伯爵令嬢ミシェルは自室のベッドで突っ伏していた。

 心の中は暴風雨だったが、なんとか今日の勉強会は終わらせた。


 ──婚約者を目の前にして。


 気付けるだろうか? まさか、少女ばかりの勉強会サロンに婚約者が学びにくるなど。

 チャールズはミシェルを見て一瞬驚いた顔をしたものの、その後はすぐに真剣に机に向かっていた。

 本当に学びに来たのだろうか。侯爵閣下が──?


 ミシェルがこのサロンを始めたのは一年ほど前のことだ。

 手紙を書くのが大好きなミシェルは、友人と手紙の交換をしている中でもその丁寧さや温かみが褒められることが多かった。

 そのうちに、手紙を書き慣れていない少女たちに請われ、サロンを始めたのである。


 サロンは招待制であり、ほとんどがデビュー前の少女ばかりだ。今日はチャールズと彼の友人の妹たちが来ることはもちろん分かっていた。

 実際に会ったら、レディ・シャーロットの正体を兄には言わないよう口止めしようと思っていたのに。


「本人が来てしまうなんて……」


 チャールズが手紙が苦手なことは知っていた。

 他の人にはよく褒められる手紙にも、『承知した』の一言だけ。

 機嫌を損ねているのかと始めは不安になっていたものの、そうではない。単純に彼は書くことが苦手なのだ。

 返信があまりにも形式的なので、『親愛なるチャールズ様』ではなくタイトルを『侯爵閣下へ業務報告』にした方がいいかもしれないと思ったほどだ。


 そんな彼なので、ミシェルが少女たちに手紙を教えるサロンを開いているなどと知ったら、自分の筆不精を気にするかもしれないと思った。

 だから、レディ・シャーロットなどという偽名を使っていたのだ。


 しかし、実際に正体を知り、彼はどう思っただろう?

 偽名を使い、年若い少女たちに大きな顔をしてそれっぽいことを語る姿を、気味が悪いと思わなかっただろうか。

 専門家でもないのに『手紙のコツは』などとのたまう婚約者に引いたのではなかろうか。

 しかも、偽名に使ったシャーロットはチャールズの女性名なのである。いや、無意識だったのだけれども──。


「あああああああ」


 恥ずかしい。

 消えてしまいたい。


 ベッドの上で頭を抱えてゴロゴロと転がっていると、扉がノックされて侍女が顔を覗かせた。

 サロンにも付き添った彼女は事情を知っている。


「お嬢様……、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないわ」

「でも勉強会は無事にお済みになったのですよね」

「そうなの、皆さんの前で何事もないような顔をして講師をしたわ。わたし、女優になろうかしら、あははははは」

「気が動転しておられる」


 泣きながら笑うミシェルの頬を拭き、侍女が一通の手紙を差し出した。


「侯爵閣下からお手紙です」

「ぎゃっ」


 思わずのけぞって、後退りした。

 早速? 勉強会が終わってまだ数時間なのに、早すぎないだろうか。

 いやしかし、ひょっとすると勉強会前に書かれたものかもしれないと思い直し、ミシェルは震える手で恐る恐る手紙を開いた。


 ♦︎


ミシェル(シャーロット先生)へ


 素敵な手紙を書けるようになれますように。


チャールズより


 ♦︎


 ミシェルはごくりと生唾を飲み込んだ。


「これは…………」


 願い事だろうか?

 困惑して、他にメッセージがないのかと裏返す。しかし、その一文だけであった。


 もう一度、まじまじと見る。

 『シャーロット先生』と書かれているので、今日のサロンの後に書かれたのは間違いない。

 字は滑らかとは言えない。ところどころにインク溜まりが出来ている。

 それからよく見ると、一文の下に下線が薄く引かれていた。


「あ……」


 ── 一つは、丁寧に書くこと。

 ── 二つ目は、何を伝えたいか。


 ミシェルは自分が言った言葉を思い出した。

 彼は、その言葉を忠実に守ったのではなかろうか。


 下線は文を真っ直ぐに書くように引かれた下書きの残り。

 インク溜まりも、ゆっくりと書いて力が入ったためなのだろう。


 それからきっとこの願い事のような一文は、彼が伝えたいこと。


「ふふ、ふふふ」


 そう気付くと、なんだか婚約者が可愛らしく思えてきた。

 おそらく彼は、本当に自分の欠点を改善したいとサロンにやってきて、少女たちに混ざって真剣に講義を聞いてくれたのだろう。


 そしてすぐにその結果を示してくれたのだ。

 その気持ちが嬉しい。とても真面目な人なのだ。


「いいお手紙でしたか?」

「ええ、とても」


 侍女に微笑んで、手紙を仕舞う。

 どんなお返事をしよう。


 そう思いながら、ミシェルは自室の机に向かった。


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― 新着の感想 ―
なんて可愛いお話なんでしょう…!!
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