悲しむだけの女じゃありませんよ。
「カイル」
アンジェラは、机に突っ伏して誰にも声を掛けられないようにしている友人に話しかけた。
彼が眠っているわけではないことは知っているし、こんなことをしている理由ももちろん知っているので咎めたりしない。
びくっと反応して、それからそろりと顔をあげる様子はまるで怯えた小動物の様だった。
「……なんだ、お前か」
「ええ、先生から課題の提出期限が迫っていると伝言を頼まれました。終えてはいるのでしょう?」
「悪いな、いつも。終わってる。少し待ってくれ、今出すから」
「構いませんよ。早く授業に復帰してほしいとは思いますが」
「……」
鞄の中をあさりながら謝る彼に、アンジェラは適当にそう口にする。
授業というのは普段の座学の授業ではなく、属性別の魔法の実技授業だ。
珍しい属性魔法なので、彼ぐらいしか同じクラスの知り合いがいないのだ。そんな彼がいないとアンジェラはいつも少し寂しい気持ちになってしまう。
だからこそ、実技の授業に復帰してほしいのだがカイルの様子を見る限りそれはもうしばらく難しいことだろうと想像がつく。
「これ。頼む。……あのな、俺はこう見えて一途だったんだ。わかるか?」
課題を受け取って鞄の中にしまいこむと、彼は心情を吐露するように言った。その決まり文句にアンジェラは少し笑って「ええ」と返す。
すると彼は、安堵したように表情を緩めて自虐的に笑う。
「なのに、あれはないだろ。食堂でだぞ? 婚約破棄って、ついでに学園中に俺が最低だみたいな話まで広げられて、果ては彼女の浮気相手にボコられて……もう、俺は女性が怖い」
「知っているというか、見ていましたから。やはり従者を廃して思春期の男女ばかりを集めた学園ではどうしてもこういういざこざが多いですね」
「そうだ。それにあんなに大勢の前で婚約破棄されただろ? そのせいでここぞとばかりに身分が怪しいような女性が次から次に……悪夢だ……」
話しながら彼は帰寮の準備を始める。すでに午後の授業は終えて放課後、美しい紅に染まった日差しが窓から差し込んでいた。
「ふふっ、大丈夫ですよ。カイル、あなたは悪くないのですから、そのうち誤解も解けますしきっと良い方が見つかります」
「人ごとだと思って……アンジェラだって、他人事じゃないかもしれないぞ」
アンジェラが彼の言葉にいつものように朗らかに返すと彼は、ジトッとした目で見つめてくる。
「お前の婚約者はなんせあの第二王子だ。俺はまだ男だからこうなっても次が見つかるなんて気軽に言えるが……女性があんなふうにされたら、見てられない。誰か助けに入れよと思ってしまうな」
「あら、助けてはくださらないのですか?」
重苦しく言った彼に、アンジェラは試すように問いかけた。
すると目を丸くしてそれから、返答に困り果ててカイルは視線をぐるぐる動かした。
「……そうなったら俺が助けに入るのに、なんて言ったら浮気だろ」
「誰がですか?」
「アンジェラが、浮気してると疑われるかもしれない」
「カイルの浮気の判定は厳しいですね」
「そうでもない。……ところで、いつもよりも人が少ないな。町で何かイベントでもあるのか?」
カイルは準備を終えて荷物を持つ。すると教室に残っているクラスメイトがいつもよりも少ないことに気が付いたらしい。
彼の言葉にアンジェラは、最後の教師のアナウンスを聞いていなかったのかと仕方のない気持ちになった。
「学年末試験の結果が張り出されているそうです。なのでいつもよりも少ないようですね」
「なるほど。見てから寮に戻るかな」
「そうですか。私は人が少なくなってから行きます」
「……」
今年で三年生になるアンジェラたちにとって学年末試験はとても重要なテストであり、四年生は実技をメインに成績がつけられる。
なので実質この試験によって座学の最終成績が付けられるといっても過言ではない。
ただ、アンジェラは特にそのことに興味はない。わかりきっているものをわざわざ混雑しているときに見に行くほど効率の悪いこともないだろう。
しかしカイルは違うらしく、どうやら共に見に行くつもりだった様子で、アンジェラの言葉に驚いて、それからどうしても気になるらしく「今度なにかおごるから」と願い出てきた。
授業の合間や移動時間にも、女性に声をかけられないように気を使っている彼だ。
当然、そんな場所に一人でいけるはずもない。考えてみればその通りで、アンジェラは仕方ない気持ちになりながらも返す。
「学園街にある、ホットチョコレートを一杯で手を打ちましょう」
「なんだ、随分、控えめだな。流行のドレスでも、新しい魔導書でもよかったのに」
「そういうものは新しい婚約者に贈ってあげてくださいね」
気軽に、ドレスや魔導書を引き合いに出してくる彼に、まったくずれていると思った。
さすがは国で一番、重用されているリトルトン公爵家の跡取りである。アンジェラだって同じ公爵家の出身であるが、気軽にドレスや魔導書を奢ってやろうという気にはならない。
そして多くの場合、この学園にいる貴族たちも大体同じ価値観であるはずだ。
だからこそ妙な女性もここぞとばかりに狙って来るのも頷ける。
そして本人に自覚がない、そういう所だと思ったが、どうせ卒業すれば一律に扱われている生徒たちも元の立場に戻り上下が生まれる。ここでその価値観を強制する必要はどこにもないだろう。
そうして二人は学年末試験の結果が張り出されている掲示板へと向かったのだった。
掲示板の前にはやはり人だかりが出来ているが、それは張り出されている結果に対してのものではない。
一応は結果を見に来ている生徒もいるのだが、多くの生徒が注目しているのはアンジェラの婚約者であるアレックスだ。
彼は、この学年で最も身分が高く、国でもなにかと注目を集めることの多い王子だ。
目立つ金髪に美しい碧眼、王族にふさわしい美しい容姿はいつだって注目を集める。
「こんなに一気に順位を上げるなんてどんな勉強法を?」
「わたくしにもぜひ教えていただきたいですわ!」
周りにいる生徒たちはキラキラとした目で彼を称賛している。
その様子を見て、やはり見るまでもなかったことをアンジェラは知る。
「なに、ただ本気を出しただけだ。なんせ俺は王族だからな! このぐらいのことやればできるに決まってるだろ」
「流石ですわ! アレックス様! 私、惚れ直してしまいましたのよ」
「そーだろ、シャーロット。お前みたいに素直に他人をほめられる女が俺も好きだ」
アレックスのそばには可愛らしい女の子がおり、彼は遠目から見ているアンジェラを見つけて比較するようなことを言う。
それからぐっと彼女の肩を抱いて勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「女なんて可愛げが重要だろ? 別に勉強や仕事が出来なくてもどうせ男に養ってもらうのだから、むしろ少し馬鹿なぐらいが可愛らしい」
「……」
「学があって気が強い女など、国にとってもなんの利益にもならない行き遅れになるに決まってる! お前らも、この学園ではいい男に媚びることだけに注力しておけ! 勉強なんてしたって頭の固い性格ブスになるだけだ!」
彼をおだてている周りの生徒の女性たちに、吐き捨てるようにアレックスは大きな声で言い、彼女たちはなんだか微妙な顔をする。
それでも彼の機嫌を損ねるわけにはいかないと「その通りだな」「アレックス王子殿下は、いいことを仰る」と周囲は納得しようとした。
けれどもアンジェラはそんなことはどうでもいい。
いちいち気にして何かを思っていたら効率が悪いだろう。それに彼の言ってることなど気に留める必要もないほどに、くだらないどうでもいい話だ。
そう考えて隣を歩いていたカイルに目線を向ける。学年末試験の結果に一喜一憂しているだろうと考えたが、彼はとても複雑そうな顔をしてアレックスの方を見ていた。
その怒りに満ちたような瞳に、婚約破棄を言い渡された直後でも、妙な噂を流された時にも、悲しんだり、怖がったりしていただけで怒ることのなかった彼もこんなふうに怒ったりするのかと思う。
当たり前のことのはずなのに、意外な事実を知ったような気持ちになってしまった。
「そうやって、婚約者のことも気に掛けず……澄ましたような顔をして……」
しかし、苛立ったような声が聞こえてくる。
それはまさしくアレックスのもので、アンジェラはゆっくりと彼の方をまたみる。
すると彼は、ずんずんと人を押しのけながらアンジェラの方へと向かってくる。
どうやら今までの言葉はやはりアンジェラに言っていたらしい。
「少しの可愛げもない。……まぁいい、学年末試験が終わったからにはもう、お前を苛立たしく思いながらも関係を続ける必要もない! アンジェラ!」
「……はい」
彼はアンジェラのすぐ目の前に勢いよくやってきて、威圧的にアンジェラを睨みつけた。
置いていかれたシャーロットはぱたぱたと駆け寄ってきて彼と腕を組んでにっこりと笑みを浮かべてアンジェラに向けた。
周りの生徒たちはざわりとして、それからしんと静まり返る。
楽しげに学年末試験の結果を確認しに来た生徒たちも、異様な周囲の状況に様子を窺っている。
「お前のような女、俺にはふさわしくないと常々思っていたんだ。ちょうどいい機会だからここで宣言してやろう」
「……」
「お前とは、婚約破棄だ!! っ、?」
彼は高らかにそう言い放ち、何かを続けて言おうとした。
しかし、急に悪寒でも走ったかのようにブルリと体を震わせる。
それから酔っぱらっているみたいにふらりと一歩前に足を踏み出す。
「キャァッ!」
彼と腕を組んでいたシャーロットはつられて体を前に倒す。
アンジェラは平然と一歩引いて彼をよけると、ドッという鈍い音が響いて、アレックスは床に激突した。
「っ、痛ったぁ、ちょっと、どうし……」
「ゔっ……うぐぅ」
アレックスとともに床に激突したシャーロットは突然、転んだアレックスに文句を言うためにすぐさま起き上がって視線を向ける。
しかしぶるぶると震える彼と目が合って、言葉を失う。
アレックスは必死に床を手で押して起き上がって、床に激突しただけではおかしい量の鼻血を垂れ流していて、焦点も合ってない。
「んぐぅ、っ、がぁ、っ、はぁ」
肩で息をして彼は助けを求めるようにシャーロットに手を伸ばす。しかし、シャーロットは恐れたように後ずさって「ひぃ」っと小さな悲鳴を漏らした。
「王子殿下!? どうなされたんですか!」
「大変! すぐに救護室に!」
「王太子殿下にも連絡をっ」
あたりは一瞬の間を置いてからあわただしく騒ぎ出す。その間にも苦しんでいるアレックスは「ぐう」とか「がぁ」とか獣のような声を漏らして呻いている。
よほど苦しいのだろう、目が赤く充血し、鼻血は止まることなく彼の制服を汚す。
毒にでも犯されたのか、もしくは大勢の目線もはばからない何者かの攻撃か。
誰もが考えを巡らせて、一歩下がって見守っていた王子の付き人たちも彼に寄り添って救護室へと連れていこうとする。
シャーロットは呆然自失になり顔を青くしてその様子を見つめていた。
「ぐ、ぐるしい、っ、ひぃ、ぅぐ、っ、たすけ……」
悲痛な声にその場にいた全員の表情が引きつり、見た目のインパクトと恐ろしさから、耳をふさいで目をつむるものもいる始末だ。
しかし、アンジェラはその様子を見下ろして、やはりこうなったかとアレックスを冷たい目で見つめていた。それから満を持して言った。
「……救護室に連れていくのは構いませんが、そのままでは一向に回復しないはずですよ」
「な、アンジェラ様、それは、どういう……」
肩を貸して少しでも早く魔法使いに見せるために救護室に連れて行こうとする従者に助言をする。
彼は恐ろしいものでも見るようにアンジェラを見上げ、そのやり取りに多くの野次馬やアレックス本人も視線を向けた。
……皆さん、私が加害者かと疑っている様子ですね。
まぁ、おおむね間違っていませんが。
「彼とは契約を交わしたのです。婚約者ですもの、おかしくないことでしょう? 私はそういう家系の者ですから」
「契約、ですか? たしかにアンジェラ様は特殊な魔法を持っていらっしゃいますが」
「な、なんっ、でもいいッ!! ぐ、はぁ、助けてくれ!! 誰かあぁ゙」
「助けるもなにも、あなたが勝手にその状況に陥っているだけですよ。契約の内容をお忘れですか、アレックス」
喚き散らす彼に、アンジェラは出来るだけ聞き取りやすいように大きな声で言った。
混乱した頭でもどうやら、心当たりがきちんとあった様子でアレックスは今度はアンジェラに縋りつこうと手を伸ばしてくる。
その手から避けるように後ずさって、仕方ない気持ちになって契約の内容を口にした。
「契約が守られなかった場合、貴族なら誰しもが持っている魔力……その制御を一切失うと契約したでしょう?」
「っ、ぐ、そ、そんなの、っ、ただのぉ、脅しだったはずだ!!」
アレックスはアンジェラの言葉を受けて、逆切れするようにそう言った。
たしかにそう勘違いするには十分な状況はそろっているし、自分の属性の魔法以外の詳しい情報はあまり深く知らないことが多い。
それに契約の魔法では人に直接的な害を及ぼすことは難しいとされている。
だからこそ、契約を覚えていたうえでも気軽に、婚約破棄を宣言したのだろう。
「……たしかに、契約の魔法では直接、身体に害のあるペナルティの設定は出来ません。できて、行動の制限や魔力に関することです。なので、特定の行動を強制することによって契約を遂行させることが多く、ほかには魔力を徴収するなどが可能です」
「と、とにかく、さっさと、契約をぉ、ど、どうにかしろぉ!! 体中がいたい、っ、ぐはぁっ」
「しかし、魔力を徴収するような形のペナルティでは無く、魔力の制御を失うということに設定することも可能です。するとどうなると思いますか?」
「ふざけんなぁ! このっ、ぐぇ、っ、ぐぅぅ」
「王族の潤沢な魔力がめぐっているあなたの体を魔力が縦横無尽に行ったり来たり、体がめちゃくちゃになっているように感じるのだとか」
アンジェラはまったく変わらない様子で、この場にいる全員にわかるようにきちんと説明をする。
もちろん、この手法は対策をすることも簡単だ。単純に、魔力を使い切ってしまっておけば、苦しむこともない。
先ほどアレックスは学のある女は云々と言っていたが、そのぐらいは魔法使いを目指す身として知っておくべきだろう。でなければこんな簡単なことにも気が付かない。
「ただ私もやったのは初めてですから、こんなふうに流血するなんて初めて知りました。父も報告しておきます」
「はぁ、が、っ、はぁ」
「制御を失っただけで死んだ人間は記録にありません、けれどこのままいくとその可能性もありえなくは無いですね」
朦朧としている彼にそう告げるが何の反応も返ってこない、そして彼の従者が耐えかねたように言う。
「っ、ならば早く契約を解いてください! このままでは、アンジェラ様が不敬罪に問われることになる可能性もあるのですよ!」
「今まで交わした契約は、アレックスたっての希望により、解除する方法がありません。私が裏切る可能性を考えてそのようにされたのでしょう」
「はぁ!? じゃあ、ど、どど、どうすれば!!」
彼はどうしようもなく焦った様子で涙ながらにアンジェラに聞いてくる。
仕事だとしてもこんなに主を心配しなくてはならないなんて彼も大変だなと思いつつアンジェラは、丁寧に条件を教えてやった。
「見ての通り、アレックスが私との契約をたがえたのでこうなっています。そのことを大勢の注目がある場で私に対する裏切りの謝罪をきちんとしてくださればペナルティは解けます」
「悪かったぁ!! これでいいんだろっ、ふ、ぐ、っ、はぁ、いたい、いたいいたい、っ、あああっ、クソォ!!」
「契約を持ち掛けたのはアレックスからでしたよ。私はただ、そうする以外に方法がありませんでしたので、不敬罪に問われるとしても父が守ってくださいますから。きちんと父の印章のある契約書もありますので」
投げやりな言葉を聞きつつ、周りの貴族を安心させるように言う。しかし、彼らの青い顔は変わらない。
目や鼻から血を垂れ流し、痛い痛いと喚く彼と、淡々と説明するアンジェラ。
その様子が彼らの目にどういうふうに移っているのか、想像は出来る。
「わ、わるかったぁ! 暴言をはいたっ、その話だろぉ!!」
アレックスが言う。
契約はまだ解除されない。
「じゃあなんだっ! カッとなって殴ったときかよ! がぁぁ、いてぇっ、いたいっ、はぁっ」
解除される兆しもない。まだまだ足りないのだ彼と結んだ契約、そして今発動しているペナルティは一つではない。
「わるかった、本当に、悪かった! あやまり、かたが悪いのか? この、っ、何とかしろ! 不細工!!」
「それらも間違っていませんが、大きくペナルティに現れているのはそれらではないようですね。私は心当たりがあるのですが覚えていないのですか」
「はぁ!? 殴ったことをなかった、こ、ことにさせたとき、か? レポートを、俺の名前で出させたときか? っぐ、それか、わかったっ!! ここ、今回の、試験の答案におれの、なま、名前をかかせたことかだろぉ!!」
「……」
「わるっ……っ、ぐ、申し訳、ありませんでした!!」
彼が大きな声で謝罪をする。彼とはたくさんの契約を結んできた、それは大きくに二種類に分けられて、一つは彼のやったことを許すという契約、そしてもう一つが彼が望んだ不正行為に対する契約だ。
魔法学園は完全な実力主義だ。身分の高い人間でも低い人間でも平等に扱われ進級や就職に関わる試験の時の不正行為などもちろん許されてなどいない。
しかしそれは身分が低く賄賂や替え玉などを使えない人間だけが信じている建前のようなもので、実際には不正行為が存在している。
頭の良い生徒にどうにか王族の圧力をかけて言うことを聞かせて答案を入れ替えるのが常套手段だ。
答案用紙にアンジェラはアレックスの名前を書き、アレックスは一応アンジェラの名前を書く。
今までの順位などを見ていれば名前が入れ替わっていることに気が付いた教師もいるだろうが、そこまで野暮なことを指摘することはない。
だからこそ、上級貴族たちは薄々気が付いていただろう。しかし中級下級貴族たちはそうではない、だからこそ急に順位をあげた彼に群がって称賛していた。
そして公然の秘密だとしても、それが秘密ではなくなった時、問題になる。
「お前の、っ、才能をっぐぅ、っ、ね、妬んで、奪ったぁ!! 悪かった、許してくれぇっ」
「……まだ……」
「な、なんだ? もう、いいだろぉ、ぅ、ぐ、ぐるしい、ぐ、うぅ」
ついに彼は突っ伏して、床に寝転がり瀕死の魚のようにぴくぴくとする。
けれども何度も言ったはずだ、暴力を振るわれた時も、アンジェラの功績を渡せと言われた時も、王族との結婚という報酬が約束されているからこそ飲み込む、ただしアンジェラを捨てるならばその時はすべての罪を背負ってもらうと。
背負ってきちんとした謝罪と正しい事実の周知がなければペナルティが継続されるとキチンと言ったはずだ。
逐一何かを思って、自分を納得させたり思い悩んだりするのは効率が悪い。
だからこそ、自分が損をする余地なくし、アンジェラは隙を埋めてきた。
簡単に今までのことをそんな大雑把な謝罪だけで許されるはずもない。
もっとたくさん、事細かに、誰もが正しい事実を知ることができるように。
……でも、私が望んで傷つけているとなれば、立場が危険ですから、あくまで必要なこととして。
「私の心とは関係ありません、契約はただ事実を判断します。その判断する人格は一説によると女神さまだと言われているそうです。まだ女神さまはあなたの裏切りへの謝罪が妥当ではないとお考えの様です。さぁ、もっと細やかに。誰もがわかるように、自分の罪を認めてください」
「っ、は、ゆ、ゆるしてくれぇ」
「がんばりましょう。アレックス」
アンジェラは少し笑みを浮かべて言った。
その場には誰が呼んだのか王太子のクレイグが到着し、つらつらと謝罪の言葉と自白を繰り返す彼に、ついにやったかと額に手を当ててがっくりとしたのだった。
魔法が解けたアレックスはそれはもうぐったりとしてしまって、血みどろで目も当てられない状況だった。
しかし、王太子クレイグがきちんとした対応をし、彼は国に戻って療養という形になった。
ただ、長時間体の中の魔力を制御できなかったことにより、多くの臓器に疾患を抱える羽目になったのだとか。
もちろん、アンジェラは罪に問われる可能性もあったし、強制されたとはいえ、不正に協力したことを大勢の前で暴露することになったので学園にはいられないだろうと考えていた。
けれども王族から迷惑料として特別な配慮をいただき、国に戻ることもなく、今までと同じ生活を送ることができている。
それでも事件の場合、黒幕が必要なものだ。
学園内の治安を乱しアンジェラとアレックスは流血事件を起こし注目を浴びてしまった。
だからこそ悪だと多くの人間が認めて、非難をする相手が必要で、まさかそれを王族であるアレックスだとするわけにも行かずに、王族は自国の貴族が魔法学園で起こした問題をこう結論付けた。
悪女シャーロットに騙されたアレックスは、彼女に騙され、献身的な婚約者に婚約破棄を口走った。
すると、不運なことにペナルティが発生してしまい、アレックスは王族の仕事ができないほどの状態に陥った。シャーロットはその咎を背負い、男爵位を与えられ国の端で療養しているアレックスを婿に迎え献身的に支える。
そういう筋書きだ。
もちろん、国の人間にそう説明をしようとも、目撃者は大勢いる。誰が悪いのかもちろん生徒たちは皆知っているだろう。
問題は解決し、アンジェラは不正行為を強要したり、暴力をふるう婚約者から解放されて一件落着……といえる。
……まぁ、多少クラスメイトから遠巻きにされていますが。
あれ以来、今まで気さくに話しかけてくれていたクラスメイト達とは若干の距離を感じ話をする機会も減った。無駄な交友関係が無くなった分、効率的でよいことだと思う。
しかし、この調子だと新しい結婚相手を見つけるのは難しいだろう。
仕方がない。そう見切りをつける。しかし変わらずカイルは声をかけてきた。
「そろそろ、大体落ち着いただろ? 学園街に行こう」
彼は、以前よりも少し気さくだった。
あんな光景を見た後で、効率重視であるアンジェラには少々思いやりが足りないことを隣で見ていたくせに、怯えも、恐れもなく声をかけてくる。
「……何をしに行くんでしょうか」
「なんだ、忘れたのか? ホットチョコレートを飲みに、おごるって言っただろ?」
「たしかに言いましたね」
約束があったからこそ、縁を切るために声をかけてくれたのだろうか、アンジェラはそう考えて彼をじっと見つめてしまった。
すると、何かを察知した様子で彼はなぜかピースサインをした。
……?
「やっぱり二杯……いや、もっと高価な物を贈ってやる。ドレスとか、抱き犬とか」
「何故でしょうか」
彼は途中で思い直して、訂正した。
疑問に思って首をかしげると、カイルは少ししょんぼりとして答える。
「……だって、俺が誘ったからあんなことになったんだろ。それに、いざって時に俺は助けられなかった」
「助けられる間もなかったでしょう?」
「いや、俺はアンジェラがああいう立場になってわかったが、助けたかった。だからお詫びに、なんでも奢ってやる」
助けたかったのに助けられなかったからと言って、謝るなんて彼は少し不思議な感性をしている。
しかし、カイルの自信満々のその様子に、アンジェラは自虐的に笑って席を立つ。
「私など、助けられる価値もない女ではありませんか。か弱くも、優しくもありませんよ」
「いや、優しくはあるだろ。俺の為にいつも付き合ってくれた。やっと女性が怖いのも落ち着いてきたしな、今度は俺がアンジェラに優しくしたい」
「……」
その言葉に、先日の彼との会話を思い出す。
アンジェラが同じ状況になっても助けてやると言うだけで浮気になって、今は優しくしたいらしい、それは浮気じゃないのかと考える。
……ああ、でもそういえばお互いに婚約者がいないのでした。では、どういう関係になるのでしょうか。
そう問いかけたかった。しかしはっきりさせようとして、ぎこちない関係になるのも忍びない。
「そうですか。嬉しいです。行きましょうか」
「ああ」
だからこそ、わからないままアンジェラは笑みを浮かべてとりあえず、美味しいホットチョコレートを二人で飲みに行くことにしたのだった。
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