3-2
咄嗟に目に入ったガラス製品を手に取り突きつけてやる。
「何だ?」
男はまだ警戒心をたもったまま不愉快そうに小瓶を一瞥してすぐ、その瞳を見開いた。
「コレは…!?」
「胡椒よ」
私はニヤリと得意げな笑みを浮かべて言ってやった。スープやパスタソースの味の引き締めに肉の下ごしらえ、ドレッシングと日常大活躍なスパイスは男の注意を十分に引きつけた。
「これだけじゃないわ。買い置きだって同じだけあるのよ」
私はストックのホール数袋も引っ張り出して見せつける。男は先程のガラス製のペッパーミルからストックへ視線を移す。
胡椒の価値は金や銀に相当するのは中世の頃までの常識。男の服装から言ってその時代の文化に似た所からやって来たのではと思ったのだ。さぞ凄まじい財力を目の当たりにした気分だろう。どこの誰だかまだ分からないが、もしかしたら自分以上の資産の持ち主と思ったかもしれない。
「ふん、その程度の胡椒が何だ」
あれ?
「確かに胡椒は高価だが、それで財力でもみせつけたつもりか?確かにその量を常にとは言わないが、我が領民達であれば必要数を手に入れるようになって久しいがな!」
そう言えば胡椒は極端に高価なものじゃなかったとか以前調べて知っていた気がする。私としたことがムカついていたとは言え下手を打ってしまった。
「しかし、そのガラスの意匠は何とも繊細で。。人の手で作られたとは信じられないな。そんな物を作る腕の良い職人なら知らないはずがないのだが、わからんな。」
胡椒作戦は失敗だったがお気に入りのガラス製ペッパーミルのおかげで少しは臨戦体制が落ち着いて見える。胡椒でいきがる女に戦意を失っただけかもしれないが。
「少しは話を聞いてくれる気になったかしら?まあ、警戒するのも無理はないけど私にあなたを攫ってくる理由は無いし、そんな事出来ない。何度も言うけどあなたに害を与える者じゃないのよ」
「だが、現にこうして知らぬ間に知らない場所にいるんだ。私が貴様の家を無意識に訪ねて押し入って寝こけていたと?そんなことあるわけが無い。たとえそうであっても影が付いて来ないはずがない。先程からどんなに合図を送っても姿を見せるどころか、気配さえない。影の追跡をも撒くような相当の手練れに拐かされたと考えるのが自然だ」
先程までより幾分落ち着いた口調になった。話を進められるかもしれない。しかし影を必死に呼んでいたなんて全然気づかなかった。
「繰り返しになるけど、周りを見て?この建物の造りはどう思う?」
私の言葉に今度は素直に従って周囲を見渡すと言った。
「不思議な造りだ、と思う。それに何に使うのか分からない物だらけだ」
「じゃあ、次はこっちへ。ああ、その前に靴を脱いでったら!」
男は渋々と言った様子で靴を脱ぐ。その靴を預かって玄関に置いてから、今度はキッチンから居室へ移りベランダに続く大きな窓の前に立たせて外を見せてみた。カーテンを開けただけで男は驚愕の表情を浮かべる。
「何だこれは!?」
「この風景に見覚えは?」
見慣れた我が家からの景観を一瞥して答えの分かりきっている質問を私は口にする。
「ない、こんな景色見た事がない。知らない、こんな、、」
私の自宅は単身向けマンションの2階の角部屋で、景色はさほど良くはない。道路を挟んだ向かいには更に部屋数も階数も多い分譲マンションが乱立している。向かいのマンション専用の駐輪場には多くの自転車やスクーターなどが停められ、その先には自動車が走行する道路が確認出来た。夏の盛りの今時分はまもなく日没時刻を迎える所だが、まだ西の空は赤く燃えていた。